鼠ノ王
短め
まさか綾子の方が眠ってしまうとは思わなかった。
彼女は傷一つ負っていないので単純に温かくなってしまったのだろう。この豪雨の中で眠れるのも中々どうして度胸があるというか騒音に耐性があるというか。建付けが悪いとはいえ引き戸を引いて密室を作ったのも大きいか。
底冷えは失せた。綾子のお蔭で全身ポカポカだ。ただしお互いの汗のせいでどちらかと言うと蒸し暑いかもしれない。離れられたらそれが一番良かったが、互いに互いの背中を抱えている都合上彼女が起きてくれないとどうしても……身体を触らないといけない。
男女間の友情は成立する派閥に所属する俺だが、それはそれとして綾子の事は異性として意識している。鳳介さえ居なければこの頃くらいに告白していたかもしれない。『さえ』とは言ったが彼に対した恨みはない。親友であり恩人だ。そもそも綾子と仲良くなれたのも彼との繋がりがあったからだ。そこを蔑ろにしてまで結ばれたいとは思わないし思わなかった。
今は雫一筋なつもりだが、身体は精神よりもまず本能の影響を受ける。未成熟ながら一度は恋した少女の裸体。こんな形で拝む事になると誰が予想しただろう。嫌が応でも意識してしまう。否、裸体という視覚情報はついさっきやった様に目を瞑れば済む話だ。問題は触覚。こればかりは自分で断てないので最低限に抑えて後は誤魔化すしかない。
これ以上触るともう誤魔化せない。綾子が起きるまでは俺もこのままだ。
―――これ、どうなるんだ。
鳳介は自分が今を生きていると言っていた。同時に結末をまるっきり変えるのは駄目だとも言っていた。だが彼は死んでしまった。俺の目の前で。
それがどういう影響をもたらすかは予測不可能だ。もうどうでもいいかもしれない。アイツが居なくなった過去になんの意味がある。どうせ俺は過去に飛んだだけだ。ここで死んだ所で……何かは変わるだろう。だがそれは彼が死んだ時点で今更だ。その結果が変わらない限りは―――諦めたい。
カサッ。
全てを捨てる選択は、後一歩の所で留められた。
カサカサカサカサカサカサカサカサ。
何の音だろう。
否、俺はその音を知っている。
床下から聞こえる音。数多もの生物が支配を伴い行動する音。二度目に殺されかけた時、俺は彼等に助けられた。『彼女』に助けられた。いつしか使わなくなったからてっきり遠くへ追いやったものだと考えていたが―――
「…………し、ずく?」
ボロボロの床を突き破って飛び出したのは夥しい数の鼠。明らかに意思を持った群体は力を合わせて床を突き破った後、俺と綾子の周囲を埋め尽くす。何匹居るのだろう。地上に居るだけで数百匹は下らないか。
「な。何ッ?」
この異常事態に綾子も目を覚ました。親友と裸で抱き合う事態も中々どうしてあり得ないが、目が覚めたら鼠に囲まれていたなんて悪い夢以外の何者でもない。
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
何処に飛び退こうとも鼠が居る。結果的には動じていない様に見えるが実際には警戒が緩み切っていた事もあり気絶寸前だ。密着状態で少し失禁されるとは俺も思わなかった。気にする間柄でもないし無理もない状況だが、少し嫌かもしれない。
鼠が俺達の服に飛びかかった。忽ちの内に服が鼠の沼に呑み込まれ綾子が手を伸ばしかける。何処から湧いて出たともしれない鼠に触るのは清潔感が許さなかったのだろう、結局は寸前で止まってしまった。
「綾子、落ち着け。これは俺の味方だ」
「味方!? み、味方? 味方…………なの? え、で、でも服を……」
こちらの言論に手を貸すかのような状況。鼠の沼から服が浮かび上がってきた時、低体温症を引き起こした一因である湿気は完全になくなっていた。
「…………うっそー」
「……これで服を着られるな。じゃあ、探索再会と行くか」
「ちょっと待ってよ。鼠が乾かしたのはまあ……千歩譲っていいとして! 感染症とかないの?」
「気にしてる場合かよ。あのバケモノに見つかるのも時間の問題だ。まして移動してないならジリ貧。病気に掛かっても生き残るかこの場で惨殺されるかどっちが良い?」
多分、病気は無い。もし『彼女』の支配下にあるなら同時に俺の身体も操れる筈なので、病原菌があっても無毒化しているだろう。
……え?
真偽は定かではない。漫画知識で申し訳ないが、この手の異能力は使用者の死亡と同時に解除される。『七凪雫』は俺の目の前で首を刎ねられて死亡した。だから昔、ここに居る。
『嘘だと思うなら雫にでも聞いてみろ! アイツを脱獄させたのはこの―――!』
鳳介の最期の言葉が想起された。あれは感情が高ぶって半ば自棄になっていたと考えていたが、もし言葉通りに捉えた場合。嘘だと思うなら聞いてみろ、聞ける状況にある。生きている。
『七凪雫』は生きている―――!
「まあ行きたくないなら無理強いはしない。お前が安全な場所に居るならそれでもいいんだ。俺は鳳介とは違うからな」
「ちょっと、こんな場所に置いていくなんて信じられない! 分かった、私も行くから! もし私が変な病気に罹ったらそん時はアンタも病気になりなさいよ」
鼠から服を献上され、手早く着替えを済ませる。割り切ったつもりの綾子は暫く間延びした声をあげながら遅れて着替えていた。彼女が着替え終わるまで群れを眺めていると、鼠の中から王冠が浮かび上がってきた。自由の女神が被っていそうな放射状の冠だ。純金で作られていたのかもしれないが普通に錆び付いている。
「…………つけろってか?」
何の意味があるかは分からないが、王冠を頭に被る趣味は無い。流石に似合わない事ぐらいは分かっているので、妥協点として腕の中に通した。程なく綾子の着替えが終わり、建付けの悪い戸を開く。土砂降りの雨が続いていたが、何と屋根に上った鼠の大群が穴という穴を身体で塞いでしまった。
「すっごッ」
「……よく分からんが、この鼠は俺達に協力的みたいだ。やっぱりこの機を逃す手はないぞ綾子」
「そ、そうね。ちょっと嫌だけど……割り切るわ。ええ、割り切りますとも。所でリューマ、何で王冠を腕に通してるの?」
「なんか鼠から貰った。捨てるのも悪いだろ」
「絵本みたいな話だけど、信じるしかなさそうね…………ねえ、こんなに協力的で、しかもアンタに王冠を渡してきたんでしょ? もしかしてさ、アンタの命令とか聞くんじゃない?」
早めに次を出します。




