盲操教育
前回の綾子はこんな広い場所を一人で探していたのか。
校舎と呼ばれるような建物を初めて見たなどという冗談はさておき、閉鎖的な村に似つかわしくない大きな学校だった。外壁はぼろく崩れていて今にも崩れそうだが、実際は建物全体の大きさもあって直ぐに崩壊する事はない。俺が蹴ったり殴ったりしても同じだろう。言いたい事は格闘技などにおける体格差の問題に近いか。建物だから建築手法も関係あるかもしれない。
横の広さだけで言うなら俺の高校よりあるかもしれない。流石に盛った。しかし不思議なのはそれに対する教室の数だ。まだ中に入る前ではあるが、窓の数からある程度の数は想像が付く。教室にしろトイレにしろ窓は付き物。窓が無い場所には基本的に部屋がない。その論理に間違いはないと思うのだが……
窓が少なすぎる。
皆無ではないのだが、校舎の中央に一つだけという歪な構造に首を傾げた。これは本当に校舎なのか。その答えは俺達の立つ校庭が証明してくれる。遊具があるので小学校だろうか。馴染みがないから想像しにくいだけで小中一貫という可能性も否定しきれない。名前が分かれば携帯で検索も出来ただろうが、前回は立ち寄っていないのでそれは無理な話だ。校門の所にも名前はなかったし。今はどこもかしこもぼろぼろなので通気性は悪くなさそうだが、壁が健在だった頃はさぞ息苦しかっただろう。俺の認識が間違っていた。閉鎖的な村に似つかわしい学校ではないか。見てるだけでも息が詰まりそうだ。
「……ねえ」
「ん?」
「なんかこれ、老朽化って言うより……壊されてない?」
「は?」
「ほら、大分前に『千年村』行ったじゃん。あの時も家はボロボロだったけど、あの時とは何か……なんだろ……違うと思うのよね。触っただけだから何となくなんだけど、ここの壁の裂け具合とか、何かで切った感じするし」
「切ったぁ? 壁はコンクリートだぞ。刀かなんかで切ろうとしたら刃の方が欠けるに決まってんだろ……でもそうだな。自然に劣化して罅割れたにしては断面が綺麗すぎる」
それはコンクリートの外壁に限った話ではない。見え隠れする骨組みにも同じ痕跡が窺える。昔の村だからと何も気にしなかったが、よく考えたら七年で村全体がこうなるのもおかしな話だ。人が手入れしなければ建物は直ぐに朽ちると言われているが限度がある。流石にここまではない。
鳳介は原因不明の災害で村が滅んだと言っていたが、どんな災害があればこうなるのだろう。災害の力を舐めてはいけない。地震、洪水、土砂崩れ、落雷、津波、台風。どれを引いても村の形が残るとは考えにくい。残骸だけなら話は分かった。
経年劣化ではなく村全体の形が残る災害で住民がピンポイントで全滅。それは災害と呼ぶに値するものなのか。鳳介に後で問い質す必要がありそうだが、それよりも早速収穫があった。天玖村にはまだまだ謎が残っている。
「入る…………か!?」
気を取り直して内部の探索に移りたかったが一つだけ言わせてもらいたい。どんな昇降口だ。鋼鉄の扉の校舎なんて聞いた事もない。綾子と協力して両方を開けると、多少動きは悪かったが問題なく開いた。扉の厚みは八センチ。この太さは金庫に使うべきであり、間違っても教育施設にあてがわれる規格ではない。
「ねえリューマ。これって本当に学校かな?」
「俺に聞くな。でも校庭があるなら学校だろう。壁がボロボロなのは助かったな。完璧だったら開けた瞬間熱気が流れてきたかもしれないぞ」
「埃っぽいけどね!」
「それは仕方ないな。廃墟ってのはそういうものだ。…………行くぞ」
牢獄にでも入る気分だ。中の蛍光灯は当たり前だが全部割れていたりそもそも取り付けられていない。昼じゃなかったら探索は難しいだろう。懐中電灯はあるがこれだけ広いと心許ない。手分けした所で効率はたかが知れている。教室があるならだが、普通の学校の広さでもそこを二人で探した方が効率は良いだろう。
廊下の交差路に差し掛かる。教室の上に記された部屋の名前に俺達は顔を見合わせた。
「懲罰室……?」
「えっと……教室…………?」
「公認の学校かこれ? 私立?」
「私立だからって自由に出来るもんじゃないでしょ。警察とか……立ち入ったりしないのかしら」
札を近くで眺めていると、裏側にもう一つ存在する事に気が付いた。試しに抜き取ってみると物置とだけ書かれていた。実質的に物置になる事はあるだろうが、馬鹿正直に『物置』と書くのもそれはそれで珍しい気がする。そもそも校内にあるのも珍しいか。校庭だったら話は分かった。
「誰かが入れ替えたって事でいいん……だよな」
「鳳介?」
「何の意味が。表向きは物置にしておいて実際の役割はってのが丸いかな。この学校が健在だった時なら入れ替える意味はない筈だ。この村は災害で全滅したらしいが、そんな時に札を入れ替える奴は居ない」
揃いも揃って住民が馬鹿なら全滅した理由は分かる。が、そちらの方がよっぽど非現実的だ。考えられるとすれば災害で村が滅んだ後。ここが滅んだ直後の村なら―――
あ?
ちょっと待て。ここは惨劇の日なんだろう。鳳介曰くだが。つまり災害はもう起きた直後。タイミングも何も入れ替えるとしたら『今』しかない。まさかアイツが? 理性なんてまるっきりなさそうだったが……それとも他に誰か居るのだろうか。
「………………なあ綾子。ここのトンネルの噂って知ってたか?」
「え、知らないわよ。大体そうじゃない。有名どころでもないでしょ。私ら鳳介関わらなきゃ完全なニワカだし」
何か引っかかるがまあいいか。今はここの探索が先だ。懲罰室は存在が怖いので隣の教室に。クラス分けはないが部屋の雰囲気からして多分教室だ。窓が無いので扉を開けて確認しないといけないのが不便すぎる。
机が縦に四つ、それが三列。教室以外あり得ない。
「…………こりゃ誰か居るな」
確信に変わったのは黒板の文字。力任せにチョークで書き殴られた文字には一画一画に怨嗟が込められていた。
「良希 紗衣 音子 心也 麗恋 獅太郎 響 霖子 志羽…………なんだこれ。名簿?」
「何で黒板に書くのよ」
「それもそうだ……まあいいや。まずはここ探そう」
何かあったら儲けもの。駄目で元々だ。差し当たり机の中を漁ると、ノートを一冊見つけた。埃を被っているが全然新しい……
そうだ、ここは七年前だ。綾子は何となく昔の村だと認識しているから分からないだろうが、俺は鳳介からここが七年前の天玖村だと聞かされている。昔がどうとか劣化がどうとかは的外れだ。あのトンネルを通った時点でここは多く見積もっても三日以内。惨劇の日というなら滅んだ直後。綾子の疑問は正しかった。この校舎は誰かの手によって壊されたのだ。蛍光灯もそう。他の住居もそう。埃まみれなのはよく分からないが、黒板の件とも併せてここにはまだ人が居る。もしくは……アイツ。
「リューマ。これ……」
「どうし……お前の所にもノートあったのか」
「私の所っていうか、全物の机に入ってるわよ。私のはこれ……薬子取り消し線七凪霖子って人の」
「変な読み方すんな。薬子に取り消し線が引かれてて横に七凪霖子だろ……って薬子じゃん!」
「知り合い?」
「まあ……友達?」
「何で曖昧なのよ」
海に行った時の事を思い出す。『リン』と呼ばれて反応したのはこれのせいだったか。つまり彼女の本名は凛原薬子ではなく七凪霖子……愛称がリンだったのか。
適当な机に集まって二冊のノートを見比べてみる。
「……なにこれ」
「こっちは良希か。厳山神ノ介ってのは……文脈からして村長だな」
学生のノートと言えば板書を写すものだが、このノートには村長に対する礼賛しか書かれていない。それを無理やりと呼ぶにはあまりに語彙力が充実している。机を突き合わせて大きなテーブルを作ると、教室に存在する全てのノートを見比べてみる。
約一名のノートが白紙。それ以外は礼賛。
「霖子のは罵倒ばっかりね。でも一部関係ないのもあるわね。『いつまで兎雲の苗字を使ってるんだろう。響が喋らないからって全員調子乗りすぎ。傷に塩塗るのが好きなのかな』」
「響って誰だよ」
「何で私が知ってるのよ」
「それもそうか」
少なくとも薬子の正義的性質は昔からか。事情は分からないが、大衆の正義となった彼女も昔は少数派だったか。己が選んだ道の為ならあまねく犠牲を厭わない。今の彼女に通ずるものがある。
『協力を募る必要があるのです。手伝いそのものは簡単ですが、彼等にとって苦しいものになるかもしれないと考えると、少なからず心が痛みます。向坂君、私はどうすれば良いのでしょうか』
雫を逮捕した後に彼女が目指すのは構想の成就。その為にはクラスメイトの協力が必要と言っていたが、そのクラスメイトは全滅してしまった。アイツは何処で数を補うつもりなのだろう。後はバリエーション豊富な罵倒だけ。その後も教室を探したがノート以外めぼしいものはなかった。
「……リューマ」
「ん?」
「ここ、本当に学校?」




