最後のデート
「あれ? 柳馬さん。もう来てたのッ?」
「声を掛けてきても良かったのに」
無茶を言うな。
あの周辺は聖域だった。俺達が割って入っていいものではない。本人達が無自覚だったとは驚きだが、ともかくこうして合流出来たのだから何も問題はない。言葉通り相当な数を購入したようで、雫はともかく乃蒼が明らかに耐えられそうにないので代わりに俺が持ってやる事にした。綾子よりは軽いので問題ない。
「で、これ買ったはいいけど家に帰れないぞ。どうするんだ?」
「……君、それはボケか? 近くに休憩スペースがある筈だからそれを探せばいいだろう」
「あ、そっか」
「ええ、素だったのか……」
「持ってくれたお礼に柳馬さんにも一つあげるねっ!」
「おおそりゃいい……え? それ以外全部お前が食べるのか?」
「もっちろんッ。だよね、お姉ちゃん!」
「フフ、その通り。思えば初めての体験だ、独り占めしなきゃ損するみたいだろ? 悪く思わないでくれ」
雫まで乗り気なら俺がとやかく言える事ではない……ん?
「お姉ちゃんッ?」
「そうだけど」
「いや、あの、え、お姉ちゃ、ん? は? え?」
乃蒼は知らない。隣の可愛い女性が死刑囚七凪雫だと。そもそも彼女は成り行きで巻き込まれただけに過ぎず、この近距離でいつまで経っても気付かないならやはりあの仮説は正しかった事になる。薬子以外、誰も雫の顔を知らない事に。
いつだったか薬子は七凪雫には他人を乗っ取れる力があるという話をしていたが、恐らくあれは嘘だ。雫の力の上限を知らないので何とも言えないが、乗っ取れるなら病院で遭遇した時にあれを雫と認識出来る筈がない。
『気配』を見ている可能性はあるが、それなら『気配』が濃い俺を本人と誤認する可能性がある。乗っ取れるなら猶更だ。あの瞬間なら『気配』の大きさで判別出来るだろうが、それ以前は説明がつかなくなる。
周囲一帯の動きが急速に遅くなった。その空間で等速を維持するのは二人。俺と雫だ。
「雫、なんて呼ばせたら周りに気付かれるかもしれないだろ。大丈夫、姉妹が居るから慣れっこさ」
「その姉妹に今追われてるんですけど」
「細かい事は気にしないで合わせて合わせて」
周辺の動きが加速した。否、等速に戻ったのだ。
物理法則が適用される尋常な世界に。
「安心したまえ。君、これから時間ある? また面会とか行かない?」
「行きませんよ。一応逃亡中の身ですからね」
「私が柳馬さんを守るよッ」
「有難う。頼もしいよ」
……どういう事だろう。
雫はともかく俺が協力者と判明した今、俺の方は間違いなく指名手配されている。何故捜査の手を広げないのだろう。薬子が抑えているのか?
「じゃあ食べ終わったら、少し付き合ってくれない? 行きたい場所があるんだ」
「え、でも土地勘がないんじゃ?」
「もう把握した。複雑なだけで狭いよここ」
歩いていたら所長の言った通り休憩スペースがあった。今の時刻は十時頃か。気の早い人間なら既に昼と言い出すかもしれない。真昼間よりは遥かにマシだが、ある程度席は埋まっていて自由はない。
いずれの椅子も使われていない机があったのでそこに座る。二人は意気揚々と箱からケーキを取り出していた。
「ケーキ~♪ ケーキ~♪」
「ゴミは僕が引き受けよう。ついでに乃蒼君もね」
「ふぇ? 私は何処行くの?」
「何処行くも何も、二人は恋人なんだから邪魔しちゃ駄目だ」
「―――あッ! そっか。そうだよね!」
そういう相談は当人の聞こえない所でやって欲しかったが、多分気遣いというよりは単に乃蒼を切り離したいだけだろう。彼女は成り行きでついて来ただけ。成り行きで俺を助けてそのまま一緒に逃げてきた……だけ。
親御さんも心配しているのではないだろうか。誰も気にしないが妙な恨みを買う事だけは避けたい。指名手配は覚悟していた事だが児童誘拐まで容疑を増やされたら死刑の段階が上がるかもしれない。そんな法律ないけど。
「ん~~~~~~~♪ こんなの食べられるなんて幸せ過ぎるぅ!」
成り行きで巻き込まれただけなのでひょっとしたらアフターケアのつもりなのか。袋から見た目以上に取り出されるスイーツを見ているとつくづくそう思う。全額負担したのは他ならぬ九龍所長だ。二人はお金持ってないだろうと言っていて、実際その通りだが、それとこれとは話が違うだろうに。
「……どうしましたッ?j」
黒いカップケーキみたいなものを口に入れてから、雫は動かなくなっていた。最初は咀嚼に時間を掛けていると思って無視していたが、遂に泣き出してしまったらいよいよスルーは出来ない。
「―――美味しい」
「え?」
「こんな美味しいの、食べた事ないや。アハ、アハハ。世の中にはこんなに美味しいものがあったんだね!」
「お、大袈裟ですよ! 所長も何か言って下さい」
「助けにはなってやれないかな」
「何で!」
一口食べる毎に涙を流す雫は見ていて不気味にさえ思える。彼女の体つきは飢餓に苦しんでいたらなり得ないものだ。家で匿っている時もこっそり食事は出していた。暖衣飽食には十分縁があったと俺は思っている。これで不足しているなら真実は逆だ。雫は一体どんな生活をしていたのだろう。
「そう言えば所長、義手とかしないんですか?」
九龍所長は出会った時から『片腕が無かった』。怪我でそうせざるを得ないならともかくそうじゃないのなら義手を付けない理由の方が考えにくい。事務所の経営に無理があるなら俺の依頼を無料にするとは考えられない。幾ら本人がふざけていても、流石にしない。
「義手なんてしたら元の腕が返って来なくなるだろ」
「え?」
「君が心配する事ではないさ。まあしかし……片腕がないのはいつまで経っても不便だね。君達を見ているとそう思うよ」
「食事とか難儀しそうですよね。高級なお店とか」
「縁がないよそんなの。でもまあ……一度くらいは行くかもしれないね。例えば、この事件が終わったらとか」
「死亡フラグって奴ですか? 現実に作用しますかね」
「僕は死ぬ訳にはいかないから、あんまりこういうのは良くないんだけどね。でも君にとっては励ましかもしれない。高級料亭とか行ってみたくない? 他人の金で食べるご飯最高に美味しいよ」
「自分で言う事じゃないですよね」
「真理だから仕方ないね」
「柳馬さんも食べようよッ」
「いや、俺は―――うわッ!」
ケーキは嫌いじゃないがそこまで追い求める程の物じゃない。のだが、一つ俺の為に回された手前断りにくくなった。まあ少し早いおやつだと思えば……
ああ、そうか。
こっちのメンバーは朝食を摂っていない。空腹は最高の調味料と時々言われるように、そりゃあ美味しく感じる訳だ。過去は関係ない。人の肉体は『今』しか悲鳴をあげないのだ。
「……分かった。食べてやるよ。どうせ食べきれないだろうからな」
食事―を終え、俺達は解散した。所長は適当に乃蒼を遊ばせたら一足早く木辰に戻るそうだ。後は若い二人にお任せと言わんばかりに去っていくその後ろ姿には疲労が溜まっていた。見える世界が全てではない。彼等は俺の為に色々動いてくれている。所長だって人間だ、疲れもたまるだろう。まして相手はアカシックレコード持ちの超人だ。
「乃蒼。お前マッサージの心得とかあるか?」
「心得? あるよッ。お父さんにたまにしてあげるのッ」
「んーそうか。じゃあ何処かで適当な言い訳つけて九龍さんにしてあげてくれないか?」
「……分かった!」
今はこれくらいしかしてやれない。乃蒼との指切りを最後に、俺達は背中を向けた。
「で、何処に行くんですか?」
「ごめん。そんなものはないんだ」
「は?」
「少し歩いてみたかった―――君と二人きりで」
雫が手を差し出す。俺は黙ってその手を取り、一緒になって歩き出した。行き交う人々を縫うように、二人が決して離れない為にも繋いだままで。雫は何の力も使っていないと思われるが、俺にはこの時間が永遠に思えた。周囲の動きは心なしか遅く、風の勢いも緩やかで、雑音としか認識出来ない足音はそもそも聞こえない。
足の生えた沈黙が続く。不思議と気まずくは無かった。むしろ心地良いくらいだ。先程の馬鹿騒ぎが嘘に思えるくらい、俺達は口を閉ざしていた。
こんな風になるのが、俺の最終目標。
死刑囚と何のしがらみもなく外を歩けるような、優しい世界。ここからどうやれば円満に解決するのかさっぱり分からないが、雫が傍に居てくれるならある程度は妥協しても良い。獄中結婚なんてまっぴらごめんだ。結婚相手が傍にいないなら形式に何の意味がある。役所に届け出を出せなくても、俺達は真っ当に恋人を、夫婦をやれる。どの口が言うのかと野次馬は言うだろう。実際その通りかもしれない。
でも、俺は信じてる。
全てが終わった後の雫は、人を絶対に殺さないと。
二人の距離が縮まった。互いの肩を突き合わせ、ほぼゼロ距離で手を繋ぐ。ただそれだけ。
「…………普通の女の子に、なりたかった」
当てもなく歩き続けて一時間。耐えかねたというよりは独白に近い。
「私の村が普通じゃないのは前も言った通りだ。でも、それでも……また昔みたいに、こんな風に……何にも気にしないまま。こんな風にさ。私は薬子みたいに何か出来る訳じゃないけど……」
「何もしなくていいですよ」
「…………」
「……大切な人間を失ってからの俺はゾンビでした。天埼鳳介。俺の太陽だった親友。彼が居なくなってからの俺には悪い事ばかりのしかかりました。残った親友との絶交。イジメ。家族との関係悪化。過去に戻れるならあんな場所に行かなければよかったとさえ思います。でも、貴方に出会って変わった」
「……私は、助けただけだよ」
「いじめから? そうですね。でも俺にとっては違います。最初会った時は不信感とか色々ありましたけど、貴方はどうあっても俺を裏切ろうとしなかった。薬子から散々寝返りを要求されてたのをきっと知ってた筈なのに」
七凪雫が本当に死刑囚なのか。この瞬間においてはどうでもいい話だ。死刑囚であれ全く違う何かであれ、彼女との出会いが俺を開けた。
「もう二度と、大切な人を失いたくない。貴方は何もしなくてもいいです。俺の傍に居てほしい。それだけで俺は、明日も生きられる」
親友と違って、俺の言葉に説得力なんてない。だからこれは誓いでいい。禁断の関係で立てられた不可侵の約束。責任は持てないが。
「俺を信じてください。きっと、きっと、きっと上手くいきます」
自分に言い聞かせるように。
これが最期かもしれないと思いながら、俺は人目も憚らず雫を抱きしめた。




