祝福を受けし者
だ、だれ
人気のない場所で応急手当を自分に施す護堂さんを眺めていると、背後から足音が入ってきた。
「会うのは初めてでしたね。檜木創太です。貴方が向坂さんですよね」
電話越しに聞く声は厳密には別人らしいが、それを差し引いても聞き覚えがある。精神的に追い詰められているからだろうか、彼の声はたったそれだけで落ち着いた。俺はこの人、結構好きかもしれない。
「それはそうと護堂さん、大丈夫ですか?」
「Φ課で仕事してたら日常茶飯事だこんなもんは。じゃ、後は任せたぞ。俺はちょっと休憩してくる」
「はい、任されました」
大通りに出るも彼の長身は中々どうして目立ってしまう。人混みの中に居てもまだ分かる。全身血塗れの男に関わりたくないからだろう、人混みとは言うが心なしか避けられていた。通報されないのだろうか。されたとしてもあの人は逃げてしまいそうだ。何となく足をつけたがらない気がする。
「で、相談があるんですっけ?」
「え……まだ何も言ってないんですけど」
「顔を見れば分かりますよ。これでも貴方と一番近い境遇ですから」
瞬間、鳳介の影が重なった。彼は悩み事があると直ぐに見抜いて、誰も居ない所で相談に乗ろうとする。最初はうざかったが、何とか手を尽くして解決しようとしてくれるその姿勢にいつしか惚れていた。綾子含め女子から好かれる理由がその時分かった気がする。アイツはいつだって希望に満ちていた。生気の塊だった。
ネガティブになる事が馬鹿らしく思えるくらい、明るかった。
「…………電話の時も似たような事言ってましたよね。色々おかしな目に遭ったって。良ければ話してくれませんか?」
「残念ながらそれは出来ません。所長達には勿論話しましたが、誰も信じない前提を差し引いても悪戯に話したくないんです。俺の大切な友達をこれ以上苦しめたくないので」
「友達…………」
「歩いて話しましょうか」
不思議な感覚だ。今まで出会った誰とも違う。浮世離れという意味なら何人か知っているが、この捉えどころのない感じ。俗世間から隔離されて育った様な……感じ。『感じ』が多すぎて良く分からないだろうが、俺自身よく分かってないものを言語化するのは不可能だ。分かるのは、他の人と決定的に何かが違う。
左手だけ手袋をしているのは何の意味があるのだろうか。
「向坂さんには親友が居ますか? 命を賭けるに値する人。全てを投げ出してもいい人が」
「……居ましたよ。ちょっと前までね」
「どんな人でしたか?」
「…………命知らずな阿呆でした。というか友達を命の危険に晒すなんてどう考えても頭おかしい。でも……楽しかった。命の底から遊び尽くす感覚は、スリルをぶっちぎって正真正銘の危険に満ちていて。冷静に考えればヤバイ奴なんでしょうけど、俺は今でも親友だと思ってます。あんな優しくて格好良くて……この世界に生きてるって感じの人、見た事ないです」
「ハハハ。相当危険な事をしてきたんですね。若気の至りと呼ぶにはハイリスク、やんちゃと呼ぶには過激な冒険を。貴方はどうも後ろめたく思っている事があるみたいですが、その親友は絶対に貴方を恨んだりしていないと思いますよ」
「……! ……頭では分かってます。けど、俺は……何か出来たんじゃないかって…………何も出来なかったから、死んだんじゃないかって!」
「何も出来ないと思いますよ」
たまたま見かけた自販機に寄る。檜木さんは缶コーヒーを二本購入して俺に手渡した。
「その時出来なかったなら、何も出来なかった。違いますか? 向坂さんが歩んできた人生は知りませんが、貴方はそういう刹那の世界で生きて来たんじゃないんですか?」
「そこまで含めて、貴方の親友は恨んでないと思いますよ。俺には分かります。親友ってそういうものですから」
『信じてみろよ、きっとうまく行くぜ?』
その言葉は鳳介の絶対的な自信の表れ。しかしそれだけではない。無かった。その言葉の真意とはあらゆる責任を自分が負うから、俺や綾子がどんな失敗をしても気にしないし後ろめたく思う必要がないというもの。
今の今まで忘れていた。鳳介は最初からあの言葉を言っていた訳ではない。最初の冒険で俺と綾子が折れてしまった時に、初めて使ったのだ。
『足が折れようが腕を捥がれようが関係ねえ。俺はお前達が大好きだ。お前達さえ無事ならどんな目に遭っても構わない。元々、自分から死にに行こうって奴だからな。一応言っておくが優しくなんかねえぞ。こんな俺の我儘に付き合ってくれたお前達の方が何倍も何千倍も優しいに決まってる。だからよ……恩返しと言っちゃなんだが、俺を信じてみろ。きっとうまく行く。お前達だけは生きて帰す。約束だ!』
お前の様な小学生が居るかと今は突っ込みたい。でもあの時は―――只々輝いて見えた。
頭では分かってる? 冗談じゃない。後ろめたく思うのは裏切りだ。俺は何の責任も負わなくて良い。だって親友がそう言ったのだから信じないと。
「…………なんか、少し気が楽になりました」
「それは良かった」
二人で缶の口を開けて一気に呷る。鳳介は最後の最後まで約束を果たした。これ以上はもう悩まない。今度は俺の番だ。
「あ、そうだ向坂さんッ。お腹空きませんか? 朝はまだ食べてないと聞きましたよ」
薬子の襲撃が夜。そこから東京まで車で移動して、眠っている内に朝。当たり前の時間経過だが、他の事にリソースを割かれてすっかり人間らしいリズムを失っていた。胃袋も自分の役目を思い出した様に朝食を欲している。コーヒーだけでは流石に栄養不足も甚だしい。
「……空きます」
「でしたらレストランにでも行きませんか? 俺から言い出した事ですし、奢りますよ」
「―――じゃあ、遠慮なく」
檜木さんは屈託のない笑みを浮かべると、コーヒーをゴミ箱に突っ込んだ。
出会って日は浅いどころか深さが無い。
しかし早くも檜木創太という男性に俺は心を許していた。
「ふむ。時間軸の矛盾ですか」
行きつけという訳でもなく飛び込みで入ったレストランだったが、朝方という事もあって人混みはない。檜木さんは『ハンバーグとかステーキとかヒレカツとか何でも頼んでいいですよ』とやたら肉を推していたが朝から重い物を食べると胃が死ぬので、ちょっと前に緋花さんが頼んでいたケサディーヤを頼んでみた。因みに檜木さんはオムライスを頼んでいる。人に肉を推しといてこれだ。
「どう思いますか?」
「向坂さんはアカシックレコードについて何処まで知ってますか?」
「全く。所長と護堂さんから教えてもらった情報以外は何も」
「あーそうですか……ではベクトルを変えましょう。『まほろば駅』はご存知ですか?」
「…………そっちは一応知ってますけど……」
まほろば駅。
早い話が存在しない駅の事で、その先は幽霊の世界だとか地獄だとかバケモノが居るとか……とにかく異界に通じているという話だ。『電車関連は第三者を大量に巻き込む可能性がある』という理由で鳳介は先送りにしていた。
「異界に繋がっているとされる『まほろば駅』。実際に行った訳ではありませんが、ここで言う異界は得てして時間の概念が曖昧になりがちです。過去であり現在であり未来である。そう考えればいいんじゃないんでしょうか」
「―――ちょっと何言ってるか分からないんですけど……」
「アカシックレコードは情報のパイプ。レコードの内側では過去は現在であり未来でもありいずれの場合も然り。そこに干渉出来る人間に呪いが掛かった場合呪いは未来に通じてしまう……という仮説です。俺もレコードは持ってないので」
「……つまり過去の病坂尼が未来に届いたって事ですか?」
「そういう事です」
時系列という名のX軸の話をしていたのに急にY軸の話をされても困る。仮説と呼ぶには飛躍し過ぎてやいないだろうか。
「貴方の話を聞いた所によると呪いの溜まっていた場所は閉所で、上が開けていた。それでもって噂に聞きし『ヤマイ鳥』という存在は最後まで確認出来なかった……ですよね?」
「いやだから、その正体は動物にかけた呪いで……」
「そこはどうでもいい。重要じゃない。動物を通して声でそれを拡散するメカニズムなら、何故貴方達は一度も動物を見ずに鳴き声だけを聞いていたのか」
―――言われてみれば、その通りだ。
鳥の声みたいなものは聞こえた。だが聞こえただけだ。実物は視えなかったし、その他の動物も見当たらなかった。その仮説の通りに行くなら……
「……俺達が行ったあの場所は、過去だった」
「そうなりますね。探検していらっしゃる貴方に言うのもおかしな話ですが、怪異の領域は俗世とは断絶されています。姿が見えなかったのはそもそも俗世には居なかったからと考えるのが妥当でしょう」
「声……呪いだけが未来に通じていた。ああ、成程。その仮説、凄いですね」
それが正しかったから何だという話かもしれないが、もやもやがすっきりして俺は良い気分だ。心なしかケサディーヤの味も美味く感じる。
「……悩みは晴れたみたいですね」
「収穫って言うと微妙ですけど、はい。もう大丈夫です。檜木さんはこの後予定とかありますか? 俺、この後雫達と合流したいんですけど。良かったら一緒に来ません?」
「誘ってくれるのは嬉しいのですが、悩みが張れたなら俺の出番はもうありません。護堂さんは暫く動けなさそうですし、代わりに仕事でも―――」
「あ、待って下さい! その護堂さんについて聞きたいと思ってたんですよッ」
本人に聞くのは忍びなかった。だって重傷だったし。だが見るからに暇そうな彼なら罪悪感も無く尋ねられる。
「Φ課って何ですか?」




