ィテリビアトスロ
「やり直し」
その言葉が聞こえた瞬間、銃弾が再び俺の身体を貫通した。ただし、後ろ向きで。カーテンに開いた穴に寸分の狂いもなく戻っていき、通り過ぎた所で穴も塞がった。
「ゃしっは」
聞き覚えの無い声が逆再生される。そうして何も聞こえなくなった。一連の光景には全く見覚えもなければ現実感も無い。不思議な現象には慣れたと思っていたが、まさか一回銃殺されたのに『ノーカン』されるとは。異様な空気に一言も発せずにいると、雫が不意に俺の身体から離れた。暫し言葉を失っていた故に声はかけられない。目だけでも追っていると、彼女の全身から色が抜け落ちた。溶けた色は全て虚空へと帰り、七凪雫を構成する色は無色に。
程なくカーテンが開かれると―――薬子が立っていた。
「ここに居ると聞いたので、お見舞いに来ました」
「……え。え!? いやいや。だってお前もだって……」
凛原薬子は特に重傷で、顔面が焼き爛れていた。命に別状はなくとも顔が無くなる衝撃は凄まじいだろう。例えばモデルを志す女性にとって顔とは命だ。そんな女性が顔を失ったら別状がある状態ともいえる。
例えは極論になってしまったが、普通の人も顔が無くなれば一大事だ。第一印象はどうであれ外見になる。顔が無い場合、酷い話だが怪物だやれバケモノだと認識される可能性だって無きにしも非ずだ。憶測だけでモノを語るな? 憶測じゃなかったら?
俺達の冒険はいつだって命がけだった。顔くらい失う事もある。
それにしても薬子の回復は異常で、火傷どころかかすり傷一つもないとはどういう了見だ。
「顔の事ですか? 向坂君はあの程度で私が死ぬと?」
「そうは思ってないけどッ。絶対まだ安静にした方がいいだろ。多めに見積もってもまだ一か月くらいだぞ?」
「確かに現代医学ではそうなるでしょうね。しかし最先端の医学では即死以外は軽傷と言われています。これは少し盛りましたが、適切な処置を施せばどんな怪我も存外大した事はないのです。今まで休養していたのは……疲れが溜まっていたのでしょうか。いえ違いますね。警察の上層部に話をつけていたからです」
「話? 七凪雫を指名手配でもするんですか?」
「もうされていますが無意味ですね。名前を知られてはいけない情報は私しか知りません。彼女にとって名前とは最重要情報でありながら、人が社会を作る以上名前とは気軽にやり取りされなければならない個人情報です。たとえそれが偽名であってもね。名刺、ホームページ、ハガキ、書類、身近な所で言うなら宿題、自分の持ち物、家の表札。潔白な人は偽名なんて使いませんし、そういう人も何処かで本名は使わなくちゃいけない。この国に世にも珍しいバウンティハンターが居たとしても、直ぐに名前を知られて良い様に扱われるだけです」
違いない。名前で操れないのは薬子だけと俺は本人からそう聞いている。
「何処でアイツが聞いているとも限りませんので、ここではお話出来ません。今回はお見舞いに来ただけですから」
全く気付かなかったが薬子の手にはバスケットが提げられており、中には無差別にお菓子が詰め込まれていた。
―――ちょっと意外だった。
こんな気遣いをされると、何だろう。異性として微妙に意識してしまう。何ぶん免疫がないもので。あれだけ雫に愛を語ったのになんという尻軽だろうかと自虐してやりたいがそれとこれとは話が別だ。この国の言葉は同音異義が多すぎて時々困るが、それならば同概異議があっても良い筈だ。そんな事言いだしたら俺はずっと綾子が好きだし雫が好きだ。でもこれは矛盾していない。両立している。
仮に俺が尻軽なら、雫の信用を勝ち取る事は出来なかっただろうし。
「……所で向坂君。貴方は親友ともう一度会いたいのでしたね」
「ああ? いつそんな事……言ったか。ああ」
「死んだのですか?」
「―――まあな」
「そうでしたか。では貴方の為にもますます構想は成就させないといけませんね。はい、どうぞ」
「あ、どうも」
板チョコを受け取ったので、取り敢えず口に放り込む。普通の市販品だ。警戒も何も甘いだけ。
「リン。お前の話を聞いてて思ったんだが、俺をどうにか退院させられないか? 家族が心配でさ。一度も見舞いに来ないし」
「だから代わりに行くと。これではどちらが患者か分かった物ではありませんね」
「いや病院に行く訳じゃないんですけど。家族仲が良くないのは俺も承知ですけど、妹くらいは来てもいいかなって……思って」
来なかったとしても理屈は分かる。俺は散々妹の心配を撥ねつけた。ついに見放されたのかもしれない。自分だけ良い思いをするなんて傲慢だった。よく考えれば考える程、家族が見舞いに来る理由がない。
でも家族の顔は見ておきたい。一応、あれでも家族だから。
「残念ながら向坂君は現代医学による治療を受けてください。ここはそれを提供する場所です。私が個人的な治療をしてしまうのは、公共サービスの根幹を揺るがしてしまう」
「何でだよ。即死以外は軽傷なんだろ?」
「一つ良い事を教えてあげましょう。進み過ぎた科学は魔法と何も変わりません。科学で治すと言えば聞こえは良いでしょうが、魔法で治すと言えば途端に頭のおかしい人です。最先端はいつだって大衆の理解が得られない。その頃にはとっくに先端ではなく中腹、もしくは型落ち状態です。どうしても、と言うなら他でもない貴方の為です。吝かではありませんが―――」
「じゃあ、どうしても」
薬子は何度か瞬きを挟んで、小さな溜息を吐いた。
「こういう時は遠慮して下さい。……分かりました。では今日の夜にでも」
「今日の夜?」
「こっそりやらなければ意味がないでしょう。ではまた」
薬子は足早に立ち去ってしまった。カーテンもきっちり閉める辺りちゃんとしている。それとなく雫が消えた場所に視線を流すと、抜け落ちた色が戻って『彼女』が戻ってきた。
―――もしかして急に消えたり現れたりしてたのって。
それだけじゃない。考えてもみればやり直しを、俺は既に見ているではないか。そうだ思い出せ。あれは夢だと思ったが、夢にしては現実感がありすぎた。分かりようがないから分からないままでいいと思ったが、背後から何者か―――後の状況に照らし合わせるなら岬川夕音に殴られた時。あれは確かに現実だった。
やり直したのだ。
雫が。
何故か?
決まっている。
俺を守る為だ。
そう考えると他にも気になる事がある。鳳介と綾子及び正体不明の幻覚。知らない夢。俺の精神がいよいよ病んだのかと思っていたが、それが始まったのは最初の『やり直し』以降。つまりあの幻覚は全部…………全部?
「……うん、どうしたの?」
「ど、何処から現れたんですか?」
「まあ色々とね。私は鼻がいいから、薬子の出現は予想出来るのさ」
気付いてない。
気付いていない?
何もかもお見通しだと装っているだけで、雫は何も分かっていないのでは? 出現を予期していたとは言うが、そんなの『やり直し』て銃殺の結果を覆したからで、これで実は分かってたと言い出したら後出し孔明も甚だしい。
「…………」
ぽ、ポンコツ?
しつこい様だがもう一度尋ねても良いだろうか。七凪雫は本当に―――俺の彼女は本当に死刑囚なのか?




