知らないまま、生きる
終わりはあっさりと。
「そう。私達は」
『ああ。私達は』
『「幸せだった」』
『親を失っても』
「名前を失っても」
『理性を失っても』
「倫理を失っても」
『未来を失っても』
「過去を蔑ろにしても」
「何でアイツ等の為に奪われなければならないのか」
『世界が良くなるなんてどうでも良かった』
「平和に暮らしたかっただけ」
『風習なんて知らない』
「私が不幸になるくらいなら、世界の未来なんてどうでも良い」
〖早く………………助けて〗
「柳馬さん…………柳馬さんッ!」
「…………ん?」
記憶が抜けた訳ではない。気絶したという感覚さえなかった。あの言葉を言った瞬間に世界が……あれ。どうなったんだっけ。そもそもあの言葉とは何だったか。何が起きてこういう状況になったのか思い出せない。
流石に名前くらいは覚えている。俺の名前は向坂柳馬。そこで倒れている片腕のない男性は九龍才火でうつ伏せに倒れる女性の名前は凛原薬子。うん、完璧。
「…………えっと。すまん。記憶が混濁してるのかもしれん。何があった?」
「柳馬さん、覚えてないの……?」
「全く」
周囲を見渡すも、ここはグラウンドの中心。状況把握に使えそうなものが見当たらない。どうしたものか。少女はきょろきょろと辺りを見回す俺を心配そうに見ていた。取り敢えず笑顔で取り繕おうとして見たがその程度で騙される程、俺の演技は上手くなかった。
「しっかりして下さい、お願いします……から!」
非力ながらも身体を起こされる。外傷は全くないのだが、身体が重すぎて動きたくない。水を吸った服が張り付いて、地面に吸い込まれようとしているみたいだ。
……水を吸った?
目線を下に自分の身体を見ると、絵具で染めたみたいに真っ赤だった。本当に絵具だったらどれだけ良かっただろう。実際はすっかり嗅ぎなれた臭いである……血液そのもの。何事か俺の身体は全身に大量の血液を浴びたらしかった。他人事っぽいのは如何せん記憶が抜け落ちて……いや、抜け落ちてはないが、何だろう。思い出せ……抜け落ちて……ない…………思い出せ……抜け……
「……何が、あったんだ?」
もう一度尋ねてみる。彼女は俺の反応に言葉を失っていたが、やがてポツポツと何があったのかを話し始めた―――のだが。
何を言っているのかさっぱり分からない。
要領を得ないとか非現実的すぎるとかそういう次元ではない。そもそも言語が理解出来ないのだ。多分日本語なのだが、単語と単語がかみ合わなくて知っているのに知らない言葉を話されている。
「あー……成程」
「成程って……それだけですか!?」
理解は出来なかったが結構長い間喋っていたので一から十まで説明してくれたのだろう、俺が理解しているという前提で。それに対する答えがさっぱり分からないではあんまりにも可哀想なので取り敢えず理解したという事にしておく。
「九龍所長!」
声を掛けると、所長は待っていたとばかりにパチリと目を開いた。
「おや、君か。…………僕の片腕が消えてるみたいだけど、知らない?」
「え? 所長元から無かったじゃないですか」
九龍所長も錯乱しているらしい。自分の片腕があったかの様に話すなんて彼らしくもない。
「…………そうか。そうだったな。いやすまない。どうも記憶がね……まあ僕は大丈夫だ。薬子の方を見てやれ」
言われるまでもない。うつぶせで倒れる彼女を抱き起こして表に返す。薬子の顔は焼け爛れていた。
「うわッ!」
驚いて手放しそうになるも、そこは堪える。呼吸はあるので焼死体とは呼べないが、初めて見た訳ではない。その経験が活きた。
―――本当に何が起きたんだ。
真実を知る者は一人。事情を聴こうにも俺にはさっぱり一文字も聞き取れない。まるで文字の上から何かが塗り潰している様に。
「と、取り敢えず私、警察呼びますね!」
「…………ちょっと待ってくれ!」
警察は学校から少し離れた所で包囲網を張っている。呼べば直ぐに駆けつけるだろうからその前に。
「えっと……だな。ごめん。ずっと黙ってようかとも思ったんだけど、ここで聞かなかったら一生聞けない気がするから―――」
「君は、誰だ?」
明日から精力的に更新します。新章です。お疲れ様でした。




