伏魔殿
無表情、無機質。何を考えているか全く分からない。扉を開けられる事を分かっていた様に、薬子が淡々と階段を上ってきた。
「…………」
「…………」
二対一の対峙。しかし実際に戦えば負けるのは俺達だ。実力行使でどうにかするというのは得策ではない。幸い、薬子から手を出すつもりはなさそうなので大人しく話し合いに持ち込んだ方が賢明だ。
「私が犯人、ですか」
「……仮説だ。まだな。反論でもあるのか?」
「幾らでもありますが、正しさの証明はこの場合何の役にも立ちません。話は手短にしましょう。乃蒼さんは何処ですか?」
「……は? お前と一緒に居るんじゃないのか?」
「居たらこんな事尋ねません。私はてっきり貴方の所へ行ったのかと。違うのですか?」
「俺の隣に居るのはそこの所長だけだ。むしろ何で個別に指示する必要があるんだ? 俺の後輩だからって自動的に知識が付く訳じゃねえ。何でお前に任せたのか考えてもみろ」
「……九龍所長と合流したかったからでは?」
「正解。だけど一番はアイツの安全の為だ。あの瞬間はお前を信じるしかなかったからな」
危険な方の七不思議を担当すると言っているのに素人を連れ回す意味とは何だ。言い方は悪いが、足手まといだ。かと言って乃蒼は元々一人で薬子に預けないとなると何処か教室で留守を任せる必要が生まれてくる。それ即ち死亡のリスクだ。
俺は隣を守れる程強くないし、留守には高いリスクが付いて回る。一切のリスクがない選択は薬子に任せる以外あり得なかった。
「私を信じているのかいないのか、向坂君は立場がハッキリしませんね」
「時と場合によるってだけだ。テロリストが機関銃構えて囲んできたら全力で頼るよ。まあそういう時に頼ってもどうにかなるかは怪しいが」
「銃など弾が出なければリーチの短い鈍器です。引き金を引く前に指を落とせば問題はありません」
「いいんだよ例えに真面目に返さなくて……所でお前、乃蒼がこっちに来たかと思ったからって言ったな? やっぱりお前殺す気なんだろ。じゃなきゃ捜索する意味がない。合流しました良かったねで終わりだ」
多分追い詰めているのだが、その気がしない。薬子の表情は全く変わらない。泥酔した時とは別人の様だ。それとも最悪皆殺しにすればいいという保証が余裕を持たせているのだろうか。油断ならない状況だ。所長は布の端をめくりあげて顔を覆った。無数の目を見ても尚、彼女は動じない。
「……成程。しかし私も言い方がまずかった。用件を伝えましょう。貴方が脇に抱えているその本を返してください」
「返す?」
この本は『惚子さん』から授かったもの。またの名を七不思議『あがくいかのて』。正確にはそれについて記された唯一の本。返すも何も所有権は薬子にない……いや。そう言えば最初に確認したとき『あがくいかのて』は持ち出された形跡があった。
「……理由を聞いても良いか?」
「それはこの世にあってはならないモノです。処分しようと思っていたら何処かで無くしてしまいました。私はてっきり乃蒼さんが奪って貴方の所へ持ってきたのかと思い、ここへ足を運んだ訳です。それが違うとなれば、貴方はどうやってそれを?」
「人の話が聞けないのか? 何がどう具体的にダメなモノか教えろと言ってるんだ。それとお前さ、自分の思惑をしれっと公表するのやめろよ。七不思議を処分しようとしただと? 俺の言った事忘れたのか?」
そこまでお前の記憶力は残念なのかと煽りたい訳ではない。味方だと思って目的を伝えたのにそれを遂行する気がない時点で彼女の立場は明白。俺の敵だ。乃蒼も俺も所長も元より生かして返す気はなかったのかもしれない。
俺の不安を読み取ったかの様に薬子が左手を差し出した。
「取引をしましょうか。それを渡してくれたら貴方の安全は保障しましょう」
「僕は!?」
「では九龍所長も。どうでしょうか」
「断る」
即答。
ひりついた空気が彼我の間に流れる。
「メリットしかないと思っていますが」
「相手にしてやったりと花道を作る。取引の基本だ。だけどお前、心理的リアクタンスって知ってるか? 人はあれこれと押し付けられたらたとえ従った時のメリットを知っていても逆らいたくなるもんなんだよ」
冷静になってきたお蔭で思い出した。俺は『惚子さん』もとい雫にこの本を屋上で開けと言われていたのだ。結果はどうあれ雫が強引に干渉してまで伝えてきた方法。信じないという選択肢はない。薬子よりは余程信じられる。
「そうですか。ではその判断を後悔する事になっても良いのですね?」
「お前こそ、明確に敵って事でいいんだな?」
「ご自由に。それを渡さない貴方が悪いのですから」
敵対のスタンスを取ってまで欲しがる本の中身が段々気になってきた。こうなれば意地だ。何が何でも渡してやるものか―――とは言ったものの、屋上は普通に行き止まりだ。続いているとすれば天国への階段ぐらいで、つまり死ぬしか道が無い。
一か八か屋上から飛び降りるのも手だが、相手が相手なので空中で殺される可能性がある。所長は微動だにしないので当てにならない。
あれ?
心理的リアクタンスなどとかっこつけてはみたが、要するに反抗しただけ。しかも最悪のタイミングではないか?
「考え直すなら今の内ですよ。一歩でも動けば力ずくで奪取させてもらいますが、動かない限りはこちらから手は出しませんので」
「舐めてるのか? そんな事したら名案が浮かんじゃうかもしれないぞ?」
「向坂君には随分お世話になりました。私なりの慈悲と言いましょうか……出来れば殺したくないのです。貴方の仮説を採用するなら、全滅を狙う私がそれを諦めるという条件を付けたのです。これでも最大限譲歩しています」
名案……思い浮かばない。トンチを利かせてこの場で開こうとすればそれよりも早く殺されるのは目に見えている。希代の天才軍師様ならここからでも状況を打開出来たのだろうか。さてどうするべきか。
カツン。
「「「ん?」」」
全員の視線が背後の扉に注がれる。どんなに響く靴音も扉を挟んで聞こえるとは考えにくい。しかしこの耳は確かに聞いた。他の二人もそうだろう。屋上に続く階段を踏みしめる足音を。
カツン。
「向坂君。誰か呼びましたか?」
「呼べるなら最初から警察呼んでるだろうが。お前こそ誰か呼んだんじゃないのか?」
「いえ」
分かっている。聞いてみただけ。この靴音は校内指定の上履き。校内で出会った人物の中で考えられるのは行方知れずの生存者くらいだが、ここに来る意味が分からない。七不思議をどうにかするという計画を聞いたのは乃蒼、薬子、所長、俺の四人だけだ。
カツン。
近い。音は確かに接近してくる。怪人でないのは確かだ。水音が混じっていない。物理的に聞こえない距離で響く足音から察するに何らかの怪異なのだが、その正体も噂も俺は知らない。
カツン。
……八体目の七不思議?
そんな話があり得るだろうか。怪異は噂ありきで存在するのに噂が存在しない怪異とは? それは怪異ではなく本物の妖怪か何かなのでは?
あの薬子が釘付けになっているというのも扉の先から迫る存在の不気味さを際立たせている。
「柳馬君。これは……」
「分かってます」
開けてはいけない。それだけは確かだ。
カツン。
三段手前。九龍所長が動き出した。
「開けえええええええええええええええええええええええええええええええ!」
不意をついたつもりで扉に駆け出すも薬子に取り押さえられる。彼女の手を引き剥がさんと所長も手を掴むが、力関係は明白だ。全く拮抗出来ていない。
カツン。
扉の前まで足音が近づいてきた。所長が俺の方に目配せをする。
俺と薬子が意図に気づいたのは同時だったが、所長に掴まれていたせいで一瞬動きにズレが生じた。
それと同時に俺は傍に抱えていた本を開き、脳が意味を理解するより早く読み上げた。
「████████!」




