怪奇馬鹿達の宴
「……オーケー。つまり薬子に出会わない様に動く必要があるって事だね」
薬子の登場と博打染みた打開策の詳細。この二つを話すだけで大体所長は把握してくれた。説明下手な俺にとって一番嫌なのは一から十までの説明を求められる事であり、そうなるとどうしても 主観の混じった説明になってしまうが、主観では説明にならない。
「幸い、七不思議は出現場所が被ってないんで行く順番にさえ気を付ければ鉢合わせは無いと思います。俺は事前に危なくない順で七不思議を伝えてます。あの最先端バーサーカーには通じないと思いますが、アイツには一般人二人が傍にいる。危ない物には近寄りたくないのは生存本能です。俺の狙いに気付いてないなら、『あがくいかのて』『しらゆき』『ほねほね』『惚子さん』の順番に行く筈です」
「成程。君は存外に賢いな。心理学でも齧っているのかね?」
「親友の真似です。薬子はあれでも市民の味方ですから、一般人の意見には絶対に耳を貸す。貸さなければいけない。俺はアイツを信じています」
「敵なのに、かい」
「死刑囚の味方である限り、社会の敵は俺の方です。かのアインシュタインと誰かは科学の方針だか何かが違って生涯分かり合えなかったそうですが、それはそれとして親友だったそうです。同じですよ」
「うーん。出来ればその曖昧な部分を言ってくれれば格好良かったんだけど」
「テレビで聞き流しただけの蘊蓄なんです。曖昧じゃない部分も合ってるかどうか……とにかく行きましょうッ」
自分のいい加減ぶりを隠すようにプールを後にする。背後から「ニヤニヤ」とわざわざ効果音を口にする悪趣味な男の声が聞こえてきたが無視が安定だ。イタい奴の相手はするもんじゃない。
俺達が出現させる七不思議は『メガネ女』『凶犬』『屋上』。三つの内二つがグラウンドなのは薬子との鉢合わせが無いという点で嬉しいが、この雨を浴びるのは避けたい所だ。乃蒼と赤子率いるあちらのチームに担当させなかったのはどう考えても二人が死ぬからだ。そんなものはコラテラルダメージとは言えない。致し方ない犠牲なんてこの瞬間には一つとして存在してはいけない。
「まずはメガネ女と行きましょうか」
「ふむ。メガネ系怪異とは斬新だな。あちらの世界にもファッションの流行があるのかねえ」
「違います。メガネ女は目が無いから『メガネ』です。遭遇場所は二階東階段の踊り場。メガネ女の生前はそこで眼鏡を落としたせいで足を滑らせて死んだ。で、その時に目が潰れちゃったんですけど本人はその事気付いてなくて、眼鏡を探してるって話。一説にはイジメを受けてて眼鏡を取られてしまったなんてのもありますね」
「出す方法は?」
「階段を特定の順番で登るってのが一般的ですけど、眼鏡持ちは通るだけでも遭遇するみたいな話もありますね。怪異がどうとかは一切関係ないんですけど、たまたまこの七不思議知っちゃった女子生徒がパニック起こして救急車に搬送されたって話もあってですね。眼鏡かけてる人はまあ通りたがりません」
「解せないな。教師は怪異など信じないだろう。お化けが怖いから通りませんは平常時はともかく授業の時などはどうする。遅刻を容認するのか?」
「何度も病院沙汰は面子に拘ると思いますよ。流布を完璧に止めるのだって無理でしょうし。だからまあ……暗黙」
遭遇するという話も確実なものではなく、飽くまで生徒間による予測。遭遇が不確実でありながらしかし確実に被害だけは存在する概念に人間は何も出来ない。知りながら見て見ぬ振りをするしかない。無い物はないと。
「ここですね」
見た目は語るべき所もない簡素でシンプルな階段。コンクリートっぽい素材が白色で塗られているだけ。特別な装飾もないし面白みもない。何処にでもありそうな普通の階段。悍ましい気配もなければ生存本能が鳴らす警鐘も無い。
「……本当にここかな?」
「ここです。俺が手順をやるので、何か異変が起きたら合図を送ってください。失敗したらまあ……」
『メガネ女』は危険極まる七不思議。出現した後はカシマレイコの様に問答が入るがそこで失敗すると両目をえぐり取られた上に突き落とされるらしい。普通に出血多量か脳挫傷で死ぬ。分かりやすい危険性だろう。
「じゃ、行きますよ」
階段を普通に上って踊り場へ。振り返って靴を脱ぎ、上に続く階段の足元にかかとを揃えて設置して、階段を下りようとする。確実に成功する保証はない。だが前提条件を揃えなければ遭遇も出来ない。心配しなくても宝くじよりは当たる。
一段目を下りた瞬間、周囲を取り巻く空気が冷たくなった。
所長は何も言わないが、俺の感じる空気を察したのだろう。所長が一歩退いた。この時点で動くのは駄目だ。降りようとすれば一生終わらない階段に閉じ込められるらしい。デマか真実かはこの際問題ではない。その可能性があるだけでも危惧に値する。
靴下のこすれる音がガサゴソと聞こえる。聞きなれた靴音、俺の靴が動いている。振り返ってはいけないし動いてもいけない。所長が指を結んで胸の前で留めた。意味はよく分からないが七不思議の行程から推察するに背後に居るのだろう。
「ワた のめ はどこ ォ」
「……めは下に落ちてしまいました。そして拾われました」
「だ れ に」
「カイダンに」
背中の辺りを気味の悪い感触がなぞる。これは、そう。例えるなら血塗れの手で素肌を触られている感じ。腐敗した血液に触れた事のある人間がどれだけいるかは分からないが、あんなにねばっこく心理的にも不潔で触れた個所が一緒に腐りそうな物体を俺は知らない。穢れ信仰のせいだろうか。
脇腹に骨ばった指が第一関節から順に滑っていく。視線だけを自分の身体に落とすとそこに指なんてなかった。腰を撫でるのは髪の毛だろうか。一体メガネ女の顔は何処にあるのだろう。
「…………」
俺は適切な対処法を行っていない。
メガネ女に伝わる対処法とはその場から逃げる為の方法であり、七不思議は出現させたままにしなければいけない。引っ込ませたら駄目なのだ。薬子達に対処法を教えたのは彼女達が出現させる七不思議は撃退という意味での対処法しかないからだ。それは根本的解決にはならず、七不思議は決して引っ込まない。
逆に俺が担当する七不思議はそれっきりで危険を終わらせる文字通りの対処法なので、出現させっぱなしにするにはオカルトハンターの知識をフル活用して禁忌を丁度良く踏む必要がある。参考までに、『メガネ女』は嘘を見破る。
だから本当の事を言ったまで。メガネ女のめ はカイダンに拾われて永久に消息不明。誰のせいでこうなったのかと言われたらそれは間違いなくカイダンの責任だ。
『メガネ女』は一言も発しなかったが、身体に纏わりついていた戦慄がスッと引っ込んだ。また少し待っていると靴の音が離れていき、当初俺が靴を置いた場所で止まった。
周辺の空気が緩やかに温くなっていくのを肌で感じた瞬間、膝から上の力が全て抜けた。
「危ないぞ!」
所長が入ってくれなければ確実に転げ落ちていた。腰を抱き留められても暫くは力が入らない。冷静な様でいて頭の中はパニックだった。怪異の恐ろしさを知っているだけに、わざと禁忌を踏む行為は下手を打てば単なる自尽。正気の沙汰とは思わない。
「…………彼女は?」
「……『カイダン』を探してる最中だと思います。学校の七不思議の凄い所って、出現場所は限定される癖に大体どいつも追い回してくる……校内は自由に移動出来る事ですから。ま、じゃないと同時遭遇無理ですけど」
「そうか。所で重いんだ。早く自分の足で立ってくれ」
「……もう大丈夫、です」
膝の上に手を突いて重心を整えようとするが膝が笑ってしまって話にならない。知識のない人間は何処かで間違えるかもしれないから代役に出来ないとして、知識がある程俺のやり方は恐ろしくてたまらない。銃口を向けられても銃を知らない人間が恐れない様に。銃を知る人間が無条件に降伏する様に。
「因みに柳馬君。参考までに聞きたいんだが僕達が担当するのは―――」
「危険な方の七不思議です」
「……では次の凶犬だったか? それは僕がやろう。君にばかり負担をさせてしまってはあそこから出た意味がない。どうせさっきと同じ感じなんだろう? 教えてくれるか」
「言われなくても所長に任せるつもりでしたよ。絶対今の俺じゃ無理ですから」
「ん? 何だよその不穏な感じは」
「いや…………」
『凶犬』の性質はムラサキカガミに近い。あれは白の水晶を覚えていれば大丈夫だが、凶犬はその姿を知っている人間に不幸を呼び寄せるとされている。
そして鳳介とは全く関係なしに、俺は遠目から一度だけ奴を見た事があるのだ。
余談ですが七不思議中一個は作者の学校に遭ったガチの奴を元にしています




