おそれうた
眼鏡落とした女の子、足を滑らせ目が潰れ
誰も知らないあがくいかのて、知れば知る程病みつきに
肉を喰らわば骨も噛む。狂った犬は石の下
鏡よ鏡よ鏡さん、美しい私を連れてって
理科室、骸骨、頭骨、人骨 足りないものはなんでしょう
頼れる人が愛おしい、保健室の惚子さん
屋上に広がる花畑、天を仰いで煌びやか
木辰中学七不思議。七つ揃わば命捧げよ。
これは鳳介が在学中に適当に考えた七不思議の歌だ。一瞬で覚える為に作ったらしいが正直分かり辛い……いや、前言撤回だ。七不思議を思い出す時にこの歌を思い出した男がいる。お蔭で全てが思い出せた。
この中に一つとして現在出現中の怪人と共通点のある噂は無い。ある筈がないのだ。鏡を見たら増殖? 七不思議らしさが一ミリも無い。あの正体が何なのか。そろそろ解き明かすべきだとは思っているが。
「柳馬さん。誰とお話ししてたの?」
プールから少し離れた所で二人には待機してもらっていた。理由は単純でもしも所長じゃなかったら大変な事になるから。そこで敢えて離れておく事で最低限の犠牲に収められる。非常に合理的だ。俺が詰むという欠点を除けばだが。
「俺の協力者……かな。身動き取れないみたいだから合流は出来ない。所で乃蒼に一つ聞きたい事があるんだけど、いいか?」
「うん。何でも聞いてッ。私詳しいよ? 何の事か分からないけど!」
自信満々に無知を開示されても反応に困る。しかし天使のような笑顔とは正にこのような美貌を以ての笑みを指すのだろう。事態は何ら進展しないが心に余裕が生まれた。
今の状況を整理しよう。
現在、校内に居るのは二体の怪人。鏡で増殖したならばその性質は同一と考えて良いとして……やはりそんな怪異は七不思議には居ない。となると間違っているのはやはり前提だ。頭を柔軟に使えばいい。
混ざってもない。関係もない。ならばそんな怪異は……いない、という事になる。
「乃蒼。君はこの学校の七不思議を知ってるか?」
「七不思議? ううん、全然知らないや。そんなのあったんだーッ?」
「ああ。ここからは推測になるんだけど、あの怪人は……この学校に何の縁もゆかりもない。だからハッキリ言って……対処法とか考えるだけ時間の無駄だと思ってる」
「えええええー! じゃあどうするのッ? 私達ここで死んじゃうの……?」
「いや、そうとも限らない」
窓から気味の悪い液体を眺める。否、外は膜だ。まともに液体としての働きをしていない点を除けば水だが、液体としての役割を捨てた水とは何だ? それはただの……鏡ではないか?
所長が迂闊だった訳ではない。あの人に緊張感は無いが、あれでも薬子に信用されるくらいはちゃんと仕事をする人だ。目の力を鏡で反射して返すのは神話時代からの鉄則。多数に対して作用する以上、鏡を用意した所で視界全体を覆わなければ意味がないと思って俺は実行しなかったが、彼の発想は普通であれば正しい。その筈だった。
「俺の協力者は言ってた。鏡を見せたら怪人が増殖したって」
「増えたの!? それじゃ廊下の端から二体来たら私達どうしようもないじゃん!」
「そっちは安心してくれ。立ち回りでどうにかするのが俺の仕事だ。お前達を殺させやしない。大切なのは―――鏡が呼び水みたいに自体を悪化させた事だ。この雨が俺がここに来た瞬間急に降り出した。今も止む気配がないが流れる気配もない。側溝は綺麗で水も跳ねない雨が届かない場所は絶対濡れていない。ただし景色は反射する。乃蒼、つまりどういう事か分かるか?」
「んー? ちょっと待ってね。考えてみる……ハッ、オバケ来てないよね?」
「今来たら空気が読めなさすぎる。まあ読む知能もなさそうだが……多分来ないだろうな。俺の勘が当たってるなら、だが」
「…………うーん。外の雨が鏡って事?」
「要約ですらないがそうだな。君達にどれだけ知識があるか知らないから全部言うが、鏡は合わせると霊道になるとされる。心霊映像を見た事があるなら一回くらい見た事ないか? 俺も理屈は良く分かってないが、とにかく合わせ鏡はそういう意味で不吉とされる。つまり―――今、この学校は」
自然の合わせ鏡に囲まれた事になる。
これが自然という可能性はまずないのだが。雨という形で降っているので便宜上そう表現させてもらう。
要領を得ない表情で頷く乃蒼に妙に情報を渋る必要はない。推測に過ぎないと前置きした上で俺は一つの回答を導き出した。相手が怪異である限り長期戦はこちらが不利になるばかり。そろそろ前提を決めつけた上で動かないと全てが後手に回って手遅れになる。
俺だってこの回答を否定したい。間違っていると信じたい。その可能性は十分にあるのに…………胸中にあるのは、経験則から来る確信だった。
「あの怪人は鏡を使って移動出来る。そして一体だけじゃない。増殖した訳でもない。外に何体か居ると考えられる」
「何でッ?」
仮説、仮説、仮説、仮説。それは妄想と何が違うのか。普通の人には理解出来ないだろう。流れで乃蒼に発狂されても困るので多少声を荒げて続けた。
「でなきゃ外に出た人間が殺される事に説明がつかないんだよ! ……それと、最後の方。流石に覚えてるよな? 何を調べるって言ってたか」
「最後……? 体育館の水の正体だよねっ。うん、ちゃんと覚えてるよ私ッ!」
「あれについてだが……………………………………………」
「?」
口が淀む。
外れていたらデタラメを言ったねごめんねで済む話だが。もし当たってしまったらと思うと、声が出ない。己の恐怖として何か言いたいのではなく、乃蒼の精神がどうかなってしまいそうで怖いのだ。少なからず俺よりも正常な少女が、文字通り死と隣り合わせの狂気に触れて無傷で終わる筈がない。終われない。
「―――図書室に戻れば、分かる。赤子、俺が合図を出したら……お前も一緒に離れろ。絶対に目を開けるな」
「分かった」
さあ、当てるな。俺はヘボ探偵だ。振り出しに戻るかもしれないが、もうそうなっても構わない。当たってしまえばそれこそ手遅れだ。打開策が見つかる代わりに、ハッピーエンドは望めなくなる。
「……行くぞ」
俺の仮説を前提として、解決しなければならない疑問点はまだまだ残っている。例えば、外にたくさん居て水面鏡ないしは普通の鏡を使って移動出来るなら今すぐにでもここの窓辺りから出て来なければいけない。俺達を捕まえるならそれが最高率だ。
それをしない理由は、出来ないから。
出来ない理由は色々と考えられる。条件が一致していないとか、知性があって何かを見て判断したとか。そのどれもが無理のある推察だ。何せ条件は一致している。水として『反射』以外の性質を失っている以上は鏡に親和性があるのは明らか。知性がある動きにも見えない。
では何故出来ないのか。
「…………三階。怪人の姿は無しだ。来い」
単純な話、見つけられていないからだろう。俺達の遭遇は常に偶然だった。職員室を出た時、多目的室を出た時。一度でも視界から姿をくらませば追われる事もない。たった数度の遭遇で決めつけるのは尚早と言うならまだ根拠は……これから見るが。職員室で最初に見かけた死体について言及しておこう。
あの死体にはイボが残っていたが、俺達の身体にそんなものは生えているだろうか。いたかもしれないが、視界から外れればすぐに消えた。皮膚を突き破る感触も、骨を穿つ激痛も嘘であったみたいに。
さて、くどいかもしれないが俺の推論は事実と妄想の入り混じった信憑性の低いものだ。怪人の移動手段と実際の個体数は脈絡から考えても正しいだろうが、それ以降は全くだ。その全くと言っていい妄想の真偽を確かめたくて図書室に戻った。
水が見える人と見えない人の違い。俺はずっと考えていた。何の意味があるのか、どんな効力があるのか常に頭の片隅で考えてきた。
張った水は鏡に見立てた移動手段。
俺達との遭遇は全て偶発的。
外には少なくとも二体以上の同一個体。
これらの要素を考慮して、結論が出た。俺と乃蒼と赤子……それに所長(やらかしてるので一度彼も喰らっている筈)がイボを残さなくて、四之助君や職員室の死体にイボが残っていたのは。
「―――あれ? 何で鍵が開いてるの?」
「…………」
図書室に足を踏み入れると、無惨な姿になり果てた教師が嘴のイボに全身を貫かれて死亡していた。本棚に寄りかかるその姿はさながら黒い珊瑚礁。心無しか脳漿を浴びた頭部のイボが活き活きとしているように見えた。
「うえッ? 何、赤子、見えないよ~! どうなってるの? ねえ柳馬さんっ」
「二人共、そのまま壁の方を向いて廊下の監視。いいな」
「ええ! 先生は? みんなは? どうしたのッ! ねえってば!」
体育館に張った水は乃蒼と赤子を除いた生存者達が忘れ物を届けようとした際に浴びた水。水とは言うがその性質は『反射』を除き失われているので水分として皮膚吸収もされないのだろう。彼等は俺が来るまでずっとあの場に居た。だからあの場所に水が溜まっていたのだ。
濡れているのに何故気付かないのかって? それさえも気づかなかったとしたらどうだろう。俺と所長と赤子と乃蒼は雨を浴びていないから水を認識出来た。彼等は雨を浴びたから認識出来なくなった。
そしてここに先生の亡骸がある時点で、『水』の使い道は移動手段のほかにもう一つ。
不可視の発信機、もしくはクモの糸の様なセンサーだ。
扉もぶち破らずに中の人間に襲撃を仕掛けるにはそれしか考えられない。鍵は内側から掛けるものだ。それが開いているという事は、先生が身を挺して庇った所で全員が逃げ出したのだろう。
自分の居場所が割れているとも知らずに。




