固陋であれば死するのみ
俺が一人っきりの時に試さなかった理由は分かるだろう。分身出来ないので最初が多数の条件を満たせず、単独で距離の確認をしようものならただの自殺行為。所長さえ見つけられたら彼女達に協力を仰ぐまでもない、共に怪異を識る者としてツーカーで連携出来ただろう。
「自分で喰らうのッ!?」
乃蒼は目を見開きながらのけぞり、本当に椅子から転倒した。一々反応が大袈裟で緊張感に欠けると言いたい所だが、少女は涙ながらに首を振っており、それが演技ではないと気付く。或は彼女の様な美人が表情に乏しくてもそれはそれで高嶺の花とされつつ人気があったかもしれないが、ここまで表情豊かだと小動物的可愛さが付属されてとんでもない事になる。
分かりやすく言うなら……薬子は今も人気だが、彼女がこれくらい表情豊かなら毎日告白されるレベルでモテる様になる。あんなクールスレンダー美女がモテない筈がないのだ。
「安心してくれ。流石に君達にやってもらおうとは思ってない。と言っても多数の場合は参加してもらう必要があるけど、それ以外は全部俺がやるつもりだ」
「柳馬さんは受けても大丈夫なのッ? せっかく会えたのに死んじゃ嫌だよ~ッ」
「俺だって死にたくない。でも助かる為には仕方ない事だ。乃蒼、今後はくれぐれもふざけ半分で怪異を呼び出したりするなよ。一番呼び出しやすいのは七不思議か……もし呼び出すならその時は本気を持て。遊ばない方がいい」
「……なんで?」
「霊媒師とかになると話はまた違うけど、素人が呼び出す時は大抵遊び半分。だがあっちは乗ってあげてる側であって主導権があるのはあっちだ。良く怒りを買っちゃいけないって言わないか? やっちゃ駄目な事、禁忌の事だな。あれは何故って踏んだが最後あちら側が遊びをやめて本気になるから駄目なんだ。常に弄ばれている感覚を持て。俺達は命を賭け金に遊ばせてもらっているんだ」
鳳介は動機こそふざけているが、怪異を舐めた事は一度としてない。だからこそ本気で俺達を守るし、生きようと足掻くし、何とか倒せないものかと考え抜く。人間の底意地とも呼べる執念が今の今まで俺達を生かし、彼の小説を面白いものにしている。リアリティに勝る圧倒的リアル。非現実的現実感に読者は没入しのめり込む。
「ま、こういう話は後でするか。今は取り敢えずあの怪人を見つけるぞ」
「―――はーい!」
非現実的と言えば乃蒼の端麗な容姿こそ最も非現実的だが、特に害はないだろう。目の保養という意味では利益にすらなる。
―――一番緊張感がないのは俺だな。
苦笑が零れる。人の振り見て何とやらだ。可愛い後輩の外見を褒めちぎるのは後でも良いのに、何をそんな審美しているのか。大体俺の審美眼なんぞ綾子に始まり雫や薬子の登場で狂いっぱなしなので当てになるものか。
今は全員が生き残る事だけ考えよう。二人を連れて廊下の左右を見渡す。怪人の姿はない。耳を澄ませて三階の動向を探るが、物音一つ聞こえやしない。あの怪人が移動している時はイボから垂れ流された液体を踏んづけているので水音が聞こえる。接近は分かりやすい方だ。
「水たまりを踏むみたいな音が聞こえたら俺に知らせてくれ」
「はーい! 赤子、私達も頑張ろうねっ」
「そうだね」
適度な緊張感と共に三階を一蹴したが、奴の姿は影も形もない。ついでに所長も見当たらない。所長が死ぬイメージが湧かないとは言ったが限度がある。せめて何らかの形で生存確認さえ出来れば心残りはないのだが……
「柳馬さん。これは何ですかー?」
後ろの用具入れを調べていた乃蒼が手を挙げて俺を呼んでいる。どれどれと小走りで向かい彼女が見つけたそれを拾い上げる。ティッシュだ。くしゃくしゃに丸まっているがそれ自体を握り潰した所謂ゴミではない。細長いものが包まっている。
開封した瞬間、脳にこびりついて離れなかった臭いが記憶と共にフラッシュバック。反射的に奇声を上げて外から握り潰すと、声を聞きつけた乃蒼が接近してきた。
「来るなッ!」
声を張って少女を牽制。ティッシュもろともポケットに突っ込むと、何事も無かったように通り過ぎた。遅れて彼女が振り返る。
「何を見つけたんですかッ? 教えてください!」
「知らない方が良い事もある。というかこんな臭いは一生知らなくて良い」
包まっていたのは腐った小指。
鳳介からの又聞きだが、あの百葉箱の中に呪いを溜めるに至って使われた指は全て小指だった。真相はともかく親友は『運命の赤い糸も小指だし恋人尋ねる時も小指だし。何かと人の縁を司るからじゃないか?』と分析していた。
忘れがちだが、今回この学校に現れた怪異は『ヤマイ鳥』だ。性質が食い違っているだけでそれは体に生えたイボからも明らか。今の指を見てその確信は尚も深まった。
だから分からない。
病坂尼逆家児栄酒山餌八邪異ノ酔の為に必要なのは閉所。そして大量の死体。木辰中学には地下室もないし秘密の部屋もないので死体を溜められる場所があるとは思えない。死体の臭いは足し算ではなく掛け算だ。一人分の死体でも堪えるに堪えられない酷い臭いが三人四人と積まれていけばショック死も考慮される。校舎に入った瞬間に俺が気付くか、異臭について生存者が言及するだろう。それがない……つまり呪いは成立していない。
だのにあの怪人は存在する。そして『ヤマイ鳥』にない力で暴れている。まるで別のパズルに使うピースを持ってきてしまったみたいではないか。かみ合わない。はめられない。その原因が分からない―――
「向坂柳馬」
「ん?」
「怪人」
廊下に飛び出した瞬間、理科室の階段から上がってきた怪人と目が合った。
「飛びだ―――!」
一文字足りなかったが意図は十分伝わった様だ。乃蒼達が俺の斜め後方に身体を曝け出した。振り向けもしないのに分かった理由は一つだけ。全身を縛る力が緩まったのだ。全身全霊の力を振り絞って辛うじて腕を動かせるくらいがフルパワーだと仮定するなら、今は頑張れば全身を動かせる。着衣水泳をしている感覚が近い。
二人にも同じくらいの力が掛かってると考えられるが、地力は如何ともしがたい。二人は自分の身体から皮膚を突き破って生えるイボを眺める事しか出来ていなかった。目測で十秒。何もしなければ俺達は全滅するが、それよりも。
「ア〝ア〝ア〝ア゛…………ッッッッェェェェェェィィィィッィ!!!!」
そうだ。このイボには直接的な殺傷力がある。最初の遭遇で耐えられたのは金縛りを受けて声も出せなかったからだ。それが緩めば当然、耐えがたい激痛が俺の意識を殺しにかかってくる。毛穴という毛穴から出現するイボ。肩に生えて動脈を圧迫し首に生えて呼吸を阻害する。多数に有効なのでこの力は『視点』ではなく視界そのものに働いていることが判明した。次はどうやって脱出するべきか。
助けは来ない。
あの妙なお守りもない。
二人は素人。
どうする? 方法はない。無いなら作るしかない!
「…………」
身動きの取れない俺達に怪人が接近してくる。距離が近づく度、拘束力が強くなっているのを肌に感じる。筋肉が締め付けられ、そのまま絞り切り取られてしまいそうだ。怪人の目には相変わらずイボが生えている。後二秒もすれば俺達もそうなるかもしれない。イボだらけの死体が生み出されるかもしれない。
「………………ロ………………ェ」
「―――ッ!」
肺にイボが生えそうになった瞬間を、酸欠寸前の脳が伝えた異物混入の感覚を俺は見逃さなかった。最速の動きで左指で鍵の形を作ると、力任せに怪人の瞳へ突っ込んだ。
「#い”!い#い$%’(‘+lい>+!”!”!”!”!”!!!!!!」
鼓膜が聞き取り拒否をする高音で泣き叫ぶ。吹きだす血しぶきに怪人が上をみあげると、俺達を殺しかけたイボが砂の様に崩れ去った。同時に拘束力も無に帰したが、金縛りの余韻か二人の動きはぎこちない。
「逃げるぞ!」
こんな綱渡りの奇襲一度しか成功しないだろう。だがその分収穫もあった。今度はもっと慎重に、二人を危険に晒さず済む様に。
「走れ走れ走れ走れ走れ走れ休むな走れ走れ転ぶな止まるな絶対に振り返るな!」
火事場の馬鹿力か、俺は二人を両脇に抱えながら全速力で反対側の階段に直行。怪人が三階に居ると分かったなら隣接していない一階は安全地帯となっている―――
一か八かプールに行ってみるか。




