イ・カラムルパンナ
クラスメイトが嫌いだった。
イジメを見て見ぬ振りをして俺を苦しめた奴等が嫌いだった。だがそれは虐められていた事で心の余裕が消えていたから。今も許すつもりは微塵もないが、それはそれ。誰がここまでしろと言った。こうなって欲しいと願った。
死ねとは考えたかもしれないが、破滅しろとまでは言っていない。
「よう、マリア。見舞いに来たぞ」
「…………リューマ」
せっかく来たのに花の一つも持って来れないのはどうなのかと思ってついでに花屋へ寄っていた。マナーとかオススメとか知らないので、何となく百合の花を束にしてみたが、彼女は喜んでくれた。
「私の為に、来タの?」
「まあな……輝則の意識は戻らないのか?」
「ウン……」
本物の輝則は使われなくなった焼却場の中から発見された。ちゃんと密室を作って自分の身を守っていたのだ。俺の発言に対して疑心暗鬼になっていた所から手遅れだと思っていたが、何もかも信じられなくなって、どうせ死ぬならと最後に頼ってくれたのかもしれない。密室で接触を断っていたお蔭で輝則自体に大した怪我は無かった。
ただし、意識不明。
護堂さんは恐怖症と少女岬の対策をごちゃごちゃにした結果心まで閉じ込めてしまったと言っていたが、そんなトンチみたいな話があり得るのだろうか。尾ひれを付けるのが人間なのでトンチも何もと言いたい気持ちは分かるが、メンタルの弱さが二次被害を引き起こすと言うならとっくの昔に綾子が手遅れだ。
何か別の原因があるような気がしなくもない。
「ごめん」
「―――何で謝るの?」
「いや……」
確かに俺は悪くない。発起人は薬子で俺はついてきただけ。責任はないのだが、何となく俺のせいで起きてしまった気もする。アザリアデバラ恐怖症に遭遇するなんて流石に狙いすぎではないだろうか。
「リューマは悪くないヨ。あれは運が悪かったダけ。だと思う」
「……そう言ってくれるなら、嬉しいけどな。所でお前、イ教の運営は大丈夫なのか?」
暗行路紅魔の罪は終わらない。あいつが消えても出ていった信者は戻ってこなかったそうだ。どの面下げてという罪悪感もあるのだろうが、取り敢えず顔くらいは出してほしいものだ。イ教はその辺のカルト宗教とは訳が違う。純粋に信者の心を癒す事を目的とした慈善団体だ。金もとらないので筋金入りである。
「お父さんとお母さんは居るし、大丈夫。私は手伝ってただけダから。雪奈ちゃんももう来ないし」
「……雪奈?」
何故そこで彼女がとも考えたが、そう言えばマリアから事務所の場所を聞き出したのだった。もっと言えば雪奈の方からマリアについて言及されたから当てにした訳で……すっかり忘れていた。
「そういや、二人はどういう関係なんだ?」
「……雪奈ちゃんの境遇って聞いたカな?」
「まあ一応」
「切っ掛けは偶然だったヨ。あの子が家出した時に偶然出会ってね。あそこの所長さんに拾われるまでは毎日来てタんだ。多分、そのせいでお父さんに殺されかけたのかな、なんて」
実際は強姦未遂だったとはナナイロ少女の言だが、本人も勘違いしているのでマリアの考えも間違いではない……家出したからって殺すのかと言われたら論外だ。素行不良程度で殺されるなら世も末である。
「……なあマリア。知ってたらで良いんだけど。一つだけ聞いて良いか?」
「ナニ? 夏休みも台無シにされちゃってする事ナいから、今なら隠し事なしで教えルよ?」
「アカシックレコードって……知ってるか?」
ベッドの横に設置された椅子に腰かけて彼女の手を握る。他意はない。知らなければそれでも良い。俺だって知らなかったし、九龍所長から言及されなければこれからも知らなかっただろう。ましておかしな宗教の仮面を被った慈善活動をするマリアが知らなくても責められる謂れはない。
「知ってるって言ったラ、どうする?」
「……詳しく教えてくれ!」
『異形』と化したその手を恐れず握り続ける。どんな姿になろうともマリアはマリアだ。俺の目が狂っても、この心が腐っても。本質は変わらない。
「……あんまり詳しくは知らないけど。イ教ではイ・カラムルパンナって呼ばれてる」
「カタカナ多くて分からないし聞き捨てならない問題発言をサラッとするな。なんだ詳しく知らないって」
キリスト教を信奉する人間が聖書についてよく分からないと言う様なものだ。イ教信奉者ではないので適当な発言は出来ないが、脈絡から推察するにイ・カラムルパンナとは預言者に相当する何かだろう。名前だけ知ってて詳しくは知らないなんて、如何にも素人の発言ではないか。
「私は手伝ってるだケ。それだけでも結構やっていけるんだヨ?」
「……まあ、暗行路ちんたらが来るまでは普通にやってたもんな。で、そのイ・カラメル何たらはどういう存在なんだ?」
「カラムルパンナ。世界が始まった時に生まれ、眠り続けてる神様。その寝息が天啓として選ばれた人間に伝わって―――っていうのが概要。お父さんはそれが聞こえるって設定」
「わざわざそんな風に言うって事は」
「うん、嘘」
簡単に触れるとか言い出した奴は詐欺師だよ。
所長の言葉が脳裏に響く。暗行路紅魔によってある意味目が覚めた信者はマリアに向かって詐欺師と叫んでいたが、あながち間違いではないのかもしれない。いや、マリアは良く知りもしないまま手伝っているので的外れな罵倒だが。
「でもそれっぽくする為に、お父さんは予言と称しテ仮面を被る。来る人達は全部当たってるって言うけど、実際はどうだろうネ」
「ちょっと待て。今お前、仮面って言ったか?」
仮面という物体は俺の中ですっかり信用ならない存在になってしまった。主に暗行路紅魔のせいだ。あのうさん臭い仮面に危うく家族そのものを奪われる所だった。過去の話と水に流せる度合を遥かに超え、ひとたびそれを口にすれば忽ちかつての憎悪が再燃し俺の呪詛があの男を呪う。控えめに言って地獄に落ちてほしい。
「お前、あの仮面に効力があるって思ってるのか?」
当時の会話は今も鮮明に思い出せる。
『ウン。嘘みたいに楽になって、生まれ変わった気分だとか何とか。私は説得したんだけど……まあ』
『根本が違います。仮面を渡すだけなのと蟲術を比較しないで下さイ』
確かに仮面の効力そのものは疑っていない。俺達が終始疑っていたからマリアもそうだと思い込んでいたが、呪いに詳しい人間があの仮面をインチキとは…………あれ?
おかしい。かみ合わない事がある。暗行路紅魔についてマリアの両親は気にしていない筈では無かったか。仮面に効力が存在すると分かっているなら気に掛けるべきだ。それは怪異の恐ろしさを理解している俺が少女岬を忌避した様に、知識があるなら警戒すべきだ。信者を奪われるという被害まで発生している以上、どうでもいいは通らない。
「―――どうしてお前の両親は暗行路紅魔を気にかけてなかったんだ?」
「あの人がイ教の布教をしてると思ってたから」
「……は?」
思わず素で聞き返してしまった。あれが何を目的に仮面を配っていたのかは分からないが、イ教の布教じゃないのは確実だ。他でもないイ教から信者を奪っておいて味方面は論外だ。それでも二人が気にしなかった理由があるとすれば―――二人も暗行路紅魔の信者だったとか。それくらいの筈、勿論あり得ない。だとしたらマリアを諭している。
「信者の人が仮面をつけて来た時から思ってタ。あの仮面、お父さんが使ってる物にそっくりだなって。二人が気にしてなかったのはそのせいダと思ウ」
教典が同じなら得られる経験は同一とでも言いたいのだろうか。生憎と道具は人を選ばない。銃でさえ自らの意思で人を殺したりはしない。選択するのは、偏らせるのはいつだって人間であり、道具は飽くまで平等だ。
そう言えば俺の方も謎の少女から渡された仮面が酷似していると思った事がある。答えはついぞ出なかった(会長のやり口からして、全ての真相究明は期待してなかった可能性が高い)が、これは一体どんな偶然だろう。暗行路紅魔は一体何をパクった……いや、そもそもこの仮面群は何だ?
今は答えが出そうもないが、やるべき事ははっきりした。
「マリア。その仮面、俺に見せてくれないか?」
百聞は一見に如かず。似ているという感覚は主観に過ぎない上に、その主幹を取り込む方法がこちら側に無い以上、実際に向かってしまえば良い。マリアはゆっくり上体を起こすと、首に掛けられた十字の首飾りを引きちぎって机の上に置いた。
「これ、鍵になっテる。持ってって」
「……え。お前は付いてこないのか?」
「私は……ウン、いいよ。十二時以降なら誰も居ないと思うからその隙に入って?」
「そうか……じゃあ、お言葉に甘えるよ。有難う」
無許可を黙認するという事は、やはり正当な手段では拝めないらしい。友達という立場を生かせば何とかなると思ったのは流石に読みが甘かったか。首飾りを掌に収めてじっと眺めていると、マリアが上から手を被せてきた。痣と擦り傷だらけの指先は見るだけでも痛々しい。
長い沈黙があった。彼女の視線は安定しない。十五分以上の無の時間が過ぎた時、今度は彼女の方から俺の手を握ってきた。
「………………薬子は何があっても味方じゃなイって話、覚えてる?」
「……ああ。それも気になってんだ。まあ……事情的に納得出来たからあれだけど。やっぱり理由があったんだな」
「教えたらリューマが下手に動いて殺されると思ったから言わなかった。でも二言は無いから、話スね」
またその脅しかと。
殺人詐欺はコリゴリだが、雫の件を何も知らないマリアが言うと信憑性が段違いだ。単なるお見舞いのついでに情報収集をする程度だったのが、またとんでもない事に足を踏み入れた気がする。
「クスネが学校に来る前から捜査してたのは知ってるよね」
「まあ、テレビに出るくらいだしな」
「最初に目を付けられたのが私達のイ教なの」
不自然な着眼点とも言い切れない。頭ごなしに決め付けるのはどうかと思うが、ある種の慈善団体と化した宗教グループ程全容が見えない組織は無い。死刑囚の隠れ蓑としては最適解だ。普通の一般人は死刑囚の逃走幇助を行わないから。
「だから味方じゃないって?」
「結論を急がないデ。私達は必死に否定したんだけど、謎の目撃情報があって―――それで」
「次の日、信者の六割―――三四名が殺害されたの」
それだけじゃないと、マリアが間髪入れずに付け加えた。
「その事件が報道ではナナギシズクの仕業になってた。そんなのおかしい。私は殺しを目撃した訳でも証拠を持っている訳でもないけど、これをクスネだと思えない方がおかシい。だから言っておきたかった。クスネはその気があれば殺人にまで手を染める人だって」
当時の俺ならその言葉を信じられた。しかし今は、どうだろう。海で見せたあの表情が偽物だとは思わない。クラスメイトと無邪気に遊んでいた彼女が、目的の為に苦労させなければいけない事に心を痛めていたあの女子高生が。死刑囚顔負けの残虐性を持っているとは思わない。
マリアには悪いが、敵対関係にあってもそれはそれとして薬子の事は信用しているつもりだ。雫と俺はまだしも、一ミリの関与も無いイ教に暴力を振るうなんて。
「……もう隠し事はなイ。最後に話せてヨカッタ。有難うリューマ」
「最後って…………大袈裟な奴だな。やめろよそういう事言うの。もう会えないみたいだろ」
「……フフ、そうだね」
まだ滞在しても良かったが、退室しなければならない雰囲気を感じる。受け取った鍵を手と共にポケットへ突っ込んで、足早に病室の入口へ。
「じゃあ、またな。元気になったらまた会おうぜ」
振り返って、出来るだけ気楽に言ってみる。何かを恐れている彼女を少しでも安心させたかった。
「…………バイバイ、リューマ」
しがらみに囚われた偽りの笑顔を忘れる事はないだろう。
結局、マリアは最後まで再会を認めなかった。
色々遅れた。次は気を付けるます




