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俺の彼女は死刑囚  作者: 氷雨 ユータ
7th AID 夏の日の誘引

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巡り巡る

 朦朧とした意識は回復しない。手遅れは手遅れのまま遅々として命を蝕んでいく。生きているのが不幸なのか幸福なのか。生きているから意識があるのか、それとも意識があるから生きているのか。何を言っているのか分からないし何を考えているのかも分からない。この思考が何処で結論付けられるのかそもそも今の状況がどうなっているのか。

 長い時間が経った。

 ドロドロの視界、くぐもった音、堂々巡りの終わらない思考。果てしない歳月が過ぎる錯覚を受けてようやく意識がハッキリとしてきた。ハッキリしただけ。ここが階段の踊り場だと認識するのに体感十分は掛かった気がする。


 ―――襲われて、ない?


 瀕死であろうと生きているなら『アレ』と誤認して攻撃するのが感染者の特徴だ。同士討ちが終わったならまた俺を追いかけるかその辺を徘徊するのか。降りてすぐの踊り場で気絶した男を狙わない道理がない。気絶している内に何が起きたのだろう。

 誰かが助けてくれたとは考えにくい。もし助けてくれたなら圧倒的に配慮が足りない。応急処置も安全な場所への移動もされていないのに何が救助か。

「いッ…………てえ」

 どれだけ助けを求めても無駄だと分かった。いざと言う時にはいつも鳳介が、雫が助けてくれたから甘えていた。助かった理由は良く分からないが、一人で生き延びなければならない現実を再認識出来ただけ収穫だ。色々な意味で目が覚めた。しかし身体中が痛いままだ。次、接敵すれば勝ち目以前にもう一発も殴れないだろう。

 全神経を腹筋に集中して壁に体重を預けてじりじりと身体を押し上げる。それで何とか立ち上がれたが、何処へ移動するべきだろうか。頭の中で地図を思い描き、おおまかな現在位置を想定する。


 ―――非常階段は一番ないな。


 さっき、という表現は正しくないか。意識を失う前、同士討ちがあそこで起こっていた。何人で殺し合っていたかは定かではないがあんな狭い場所に死体が散らばっていたら歩きにくい事この上ない。俺だって好んで死体を足蹴にする趣味はないのだ。

 上り直すのは論外なので下りるしかない。幸い物音は何も聞こえないので、また待ち伏せされているとかでもない限りは安全に進める筈だ。護堂さんとの合流は一度諦めて、まずは安全地帯で身体を休める所から目指す。

 二階へ下りると、暗鬱とした静寂を肌で感じ取った。至る所の個室から血が漏れている。ここの宿泊客はとんだ巻き添えを喰らっている。何もしていないのに恐怖症に罹って同士討ちとは。怪異は事前知識があっても碌な目に遭わず、事前知識が無いとほぼ確実に死ぬので救いようがない。俺が嫌いな点その二三くらいだ。

 薬子ではないが、血の臭いが充満して息が詰まる。鼻血が凝固したお蔭で嗅覚は鈍っているがそれでもこの異臭は遮断しきれていない。一度体験しているから少しは慣れているだろうと舐めていたが、それは己を過大評価し過ぎた。考えてもみればアザリアデバラは三年以上前の話。耐性が付いていたとしてもとっくに忘れている頃だ。

「うおっぷ……うぇ、うおおおろろろ……」

 吐いたフリをしたがわざとではない。俺は嫌悪感を吐き出していた。鼻孔を抜けて喉を通る異臭は肺よりも手前で堆積しており、直接呼吸を妨害されるよりも確実に苦しい。酸素の循環を拒絶したくなる程の悪臭は、喉にピンポン玉を突っ込んで初めて同じ気分を味わえる。仮に吐いたとしても夕食に参加していないので胃液しか出ないだろう。あれはあれで喉を焼く感覚が非常に不愉快なので吐かずに済むならそれに越した事はない。

 

 ―――薬子はいつもこんな臭いを俺から感じてるのか?


 だとしたら無表情を貫けるのは凄い。この気配が何よりの証拠と断言するのも頷ける。今度から少し労わってやろう。

 身体が元気だったら二階の窓から飛び降りる解決策もあったが、怪我だらけの状態で同じ計画を実行したらどうなるか。分かりやすく言うと重傷が重体になって死体になる。あまりの分かりやすさにビビってくれただろうか。俺ならビビるし、ビビッているからこのプランはとっくに破棄している。一階へ向かうしかない。

 手すりを杖代わりに音を殺して階段を下りていく。血の臭いは階を下りれば薄れるどころか濃密になるばかりだ。



「死ねえええええ!」

「やられてたまるかああああ!」

「アレなんかに負ける俺じゃねええええ!」



 壁の端に身体を密着させて様子を窺ってみると、エントランスでは従業員とお客らしき二人組が瀕死の重傷を負ったまま最後の殺し合いをしている最中だった。従業員の武器は万年筆、残った二人はそれぞれトランクケースとハサミ。俺は敢えて二分する言い方をしたが実際には乱戦で、トランクケース持ちが重量のせいで集中攻撃を喰らっているからそう見えていた。彼等三人の周りには至る所を負傷して出血した夥しい数の死体が転がっており、生存者たる彼等も一人は片目を失明し、もう二人はそれぞれ耳と手の指を持ってかれていた。ただでさえ足元には血だまりが広がっているのに、三人のいずれにも躊躇は一切見られない。ふとした拍子に従業員が足を滑らせた瞬間、最重量のトランクケースが顔面を直撃。これ以上は絵面が酷くて直視出来なかった。

 下りてしまったらここを抜けるしかない。残った一人が何処かへ移動するまで待つのがベターだが本当にそれで良いのか? アザリアデバラを治す方法を模索するべきなんじゃないのか?

「…………」

 治療法があったら、あんな惨劇は起こらない。偶発的に正体を知るという奇跡さえ起きれば話は別だが、それ以外はない。アザリアデバラ恐怖症はそういう怪異。唯一欠点があるとすれば縁のある場所があの村しかないので死ぬつもりがなければ誰にも迷惑を掛けない所だが―――ここに来て何故かそれは破られた。

「う……ア…………レ…………があ!」

「死ねええええええええええええ!」

「アレが一つ消えた! やったああ!」

 肉を切り刻む音が幾度も聞こえた。幾度も幾度も幾度も幾度も鮮明に聞こえてしまった。下手に耳を塞げば気付かれるかもしれない。実際にそれがあり得るかどうかはまた別の話で、かもしれないという可能性を考慮しなければいけないならやめるべきだ。恐怖心は焦りを生み焦りは予期せぬ失敗を生じさせる―――




「助けてくれええええええええええええええ!」

 



 外から飛び込んできた正気のある大声に、エントランスに居る人間は自ずと注意を向けられた。中から脱出したなら戻ってくるよりもまず警察を呼ぶだろうから(電波が通じるとは思えないが)考えにくい。外で何か事件に見舞われていて、尚且つここの状況を知らない人間―――聞き覚えのある声という事を想定しても、心当たりは一つしかなかった。

「誰かたす―――うぇ!? ちょ、え……」

 輝則だ。

 恐怖症に罹っていた筈だが、声を聴く限りでは正常だ。発症してから再潜伏なんてする意味がない。だが単なる症状潜伏の時点で従来の恐怖症に持ちえない性質なので結果よく分からない。だがこのまま静けさが戻るまで息を殺しているのが最適解なのは変わらない。


「「―――アレだ!」」


「ちょ、え、え、え、え。待って、待って。待って。待って待って待って待って! うわあ!」

 派手に転倒する音が聞こえた。あれだけの血が広がっている場所で不安定な後ずさりなんてすれば転ぶに決まっている。もう一度だけ言おう。

 恐怖心は焦りを生み、焦りは予期せぬ失敗を生じさせる。

 だから輝則は転んだ。それだけの話だった。






「ふざけんなああああああああああああああああ!」






 気が付いたら誰もが振り向くくらいの声をあげていた。売る気もなく売られる事もなかった喧嘩を全て買う勢いで飛び出した。打ち身と出血で全身ボロボロになった俺を認識したかは分からない。俺自身の声が文字通り全てをかき消していた。ホテル全体に轟く大激震も斯くやと思われる声に、全員が怯んでいた。

 クラスメイトの事は一部を除き嫌いだが、凄惨な死に方をしろとは思っていない。妄想で殺していたいじめっ子三人は雫が殺して、俺の心にも随分余裕が生まれた。恨んではいても憎んではいない。そこまで腐っちゃいない。

「こんな所に来るんじゃねえええよおおおおおおおおおお! さっさと出てけええええええええええええ!」

 息を殺していた分、フラストレーションが溜まっていたのかもしれない。為す術がないからこそこそ隠れて逃げ回るしかない事に嫌気が差していたのかもしれない。或はもっと単純に、自分が弱すぎて何も出来ないのが嫌だったのかもしれない。

 鳳介が居ないと何も出来ない。

 雫が居ないと何も出来ない。

 そんな自分が嫌いだった。だから一人で切り抜けようと決心した。でもクラスメイトは駄目だ、見捨てられない。イジメを見て見ぬ振りをした奴等と言えども彼等は俺にとって日常の象徴。俺が犠牲になれば助けられるかもしれないという時に見て見ぬ振りなんてしたら……人として大切なものを失う気がする。

 あらゆる注意をひきつける事には成功した。怒鳴られた輝則は大人しく身を翻し、また夜の静寂へと消え去った。現在俺に向かってきているのはエントランスの二名と二階の足音約二つ。反撃一つ碌に出来ないこの身体で、さてどうやって切り抜けよう。


 ―――綾子に何かあったら、お前が守ってくれ。親友からの最後のお願いだ。


 最後に交わした言葉が、走馬灯の様に響く。

『ごめん、鳳介。約束守れそうもねえわ。やっぱお前が居ないと怪異って……強すぎるよ』







「ようやく見つけた!」








 目を閉じる刹那、俺と感染者の間に二つの影が割り込んだ。一人は真っ黒い背広と共に、遅れたもう一人は赤いレインコートをはためかせて。

「…………え?」

 両影が同時に繰り出したハイキックが二人の感染者に直撃。僅かに宙を舞った感染者が死体の山に築かれる。

「サキサカ―――ごめん。探すのに遅れた」

 赤いレインコートがフードを取って振り返る。



「もう、大丈夫だから」  



 久遠雪奈がフードを取って、精一杯の不器用な笑顔を浮かべた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 雪奈さん!!!!! [気になる点] 実際、今のところ無事なメンバーって何人くらいだろ……? [一言] やはり雪奈はヒロイン……!?
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