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俺の彼女は死刑囚  作者: 氷雨 ユータ
7th AID 夏の日の誘引

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120/221

相克循環

 アザリアデバラ恐怖症に罹っているかどうかを一発で見分ける方法がある。『アレ』についてこっちから言及してやる事だ。罹ってないならアレという抽象的な言葉に首を傾げるし、罹っているなら攻撃してくる。

 モップの柄が俺の首を突くよりも早く左足が男性を蹴っ飛ばしていた。階段という場所の良さもあって得物の不利を覆し落下。次の踊り場で男性の後頭部が壁に激突したと同時に俺は階段を上って近くの階層に避難した。


 ―――症状が潜伏してるなんて聞いた事ねえぞ!


 本能に従っていなければ何処へ連れて行かれただろうか。密室でタコ殴りにされていた? それとも厨房の包丁で滅多刺しか、バラバラにされるか。何にせよ危ない。久方ぶりに脳が焼き切れんばかりに回転している。これでは護堂さんと合流どころではない。一旦何処かでやり過ごす必要が出てきた。

「アレだああああああ!」

「殺されてたまるかああああああ!」

 避難した先では感染者による殺し合いが繰り広げられていた。一方の得物はメリケンサック、そしてもう一方はナイフ。ボクシングの心得がある人間と素人の勝負は刃物の有利があっても尚素人に勝ち目はないが、それは痛みを恐れていた場合の話だ。恐怖症に罹った者はアレに侵される事を何より嫌っている為に、それ以外の全てに恐れを抱かない。物理的に行動が不可能にならない限り、殺意のみで動き続ける。

 刃物を持った男性の顔は見るも無残にボコボコに潰されていたが、それでも怯まずに突っ込んで一撃。メリケン男の首に刃物が突き刺さる。ほぼ同時にメリケン男の拳が首に叩き込まれ、勝敗は共倒れに終わった。

「待てえええええええ!」

 非常階段の方から声が聞こえる。素早く側面に身体を張り付かせると内開きだった扉が開いて俺の横に死角を作り出した。恐怖症に罹った人間には全てが『アレ』に見える。共倒れの死体を『アレ』と誤認した男が疑いもせず突っ込んだ。

「死ねえええええええええ!」

 鳳介の予想ではアザリアデバラは生体のみを誤認するらしいので、男が突っ込んだ時点でどちらかにまだ息があると確定した。もし突っ込まなかったら側面から扉を閉めて反撃する予定だったのでどちらにしても構わない。ドロップキックをかます男の背中が見えたと同時に再び非常階段へ。


 ―――フロアは危ないな。


 たまたま同士討ちしてくれたから何とかなったが、個別に遭遇したらどうしようもない。四階でこれなら下の階は地獄絵図と呼ぶのも生ぬるい光景になっている筈だ。事情を知らない人間が見たら一発で恐怖症に感染すると考えられる。

 それにしても症状の潜伏は衝撃的だった。これでは見た目普通の人間でも恐怖症に罹っている可能性があって―――誰も信用出来ない。感染の有無を見分けるには『アレ』を出して活性化させるしかないが、さっきみたいに地の利を生かせなければ反撃を喰らうだけなのでリスクが高い。




 ―――まほは、どうなんだ?


 



 最悪の可能性が頭に過る。今の薬子は冗談抜きで役立たずだ。あの密室で襲われたらひとたまりもない。部屋に戻る事も視野に入れたがどうせ中には居れてくれない。望んだのは俺だ。

 今は彼女を信じるしかない。

 三階の扉を開けた瞬間、痩身の女性が殴りかかってきた。足音が聞こえなかったので出待ちしていたと思われる。不意打ちを避けられる技術は無く、モロに直撃した。

「ブフッ!」

「私は負けないぞ! 負けない負けない負けない負けない負けない負けない死ね死ね死ね死ね死ね死ねうあああああああああああ!」

 なすすべなく押し倒されマウントを取られる。俺が死ぬまで殴り続けるつもりなのは明らかで、女性だから手は出せないなどと舐めた矜持は捨てるしかない。しかしそれを差し置いても女性の猛攻に付け入る隙は見当たらず、両腕を閉じて防御するのが精一杯だった。

「痛い痛い痛い痛い痛い…………!」

 格闘漫画のキャラ達は痛くないのだろうか、と常々考えていた。腕だって身体の一部だ。血管も神経も通っているし骨もある。強打すればアザも出来る。他の急所よりはマシというだけで素人の俺には十分すぎる程痛かった。

 このままでは嬲り殺される。

 反撃しても俺に一撃で行動不能に陥れる威力は出せない。構わず殴り返され、それが致命傷で死ぬだろう。

 腕が痛い。

 見えなくても分かる。俺の腕は真っ赤に腫れ上がっているか痣が出来ているだろう。痛みは少しずつ蓄積し、蓄積したまま増大し、増大したまま収束する。激痛に耐えかねた腕が無意識に開き、遂に女性の拳が俺に届いた―――

「うおあああああああああああああああ!」

 一か八かの緊急防御。上体を起こして額で受ける。漫画では明らかに打った側が痛がっていたが、素人がやると何も変わらない。額に激痛が走り舌を噛みそうになる。でも傷だらけの腕よりは痛くない。伸びきった腕を掴んで互いに片腕を封じると、残った腕だけで殴り合いが始まった。

「クソおおおおおおおおおおおおお!」

「死ねってえばあああああああよおおおおおおおおお!」

 素人が喧嘩したがらないのは殴る方の拳が痛くなるからだ。これはもう手加減の領域ではなく単純に慣れと強度の問題。一方で女性は恐怖症に頭をやられて痛みを忘れている。片腕だけと言えどもそのアドバンテージは覆せなかった。

 鼻に拳が当たって鼻血が出た所でそれを悟り、新たな打開策の開発に迫られる。そんなものはない。今までだったら鳳介が救助してくれたから。

 女性は気にも留めてないが長引けばここに感染者が集ってくる。仮にここで辛勝しても周りに何人も集まったなら詰みだ。

 

「誰か、助けてくれよ……!」 


 都合が良すぎる。ここで誰か来たならそいつが黒幕だ。どうすれば助かるどうやれば助かるどうなれば助かる。幾百幾千の作戦が暴力によって潰される。正当防衛として殺害も許されるだろうがその手段が無い。追える勝ち筋は行動不能にするだけ。

 痛みを感じないので激痛で行動不能にする線は不可能。出血多量による殺害はその前に俺が殺される。何より急所に疎い俺がこの状態で狙える箇所は顎しかない。平衡感覚の崩壊は痛みと全く関係ないので的確に狙えれば脱出も視野に入るが。

 問題があるとすれば的確に狙う自信がない。漫画みたいに真下から打ち込むとこっちの指がイカれる。チャンスは恐らく一度きりで狙うとすれば腕力の綱引きを終わらせなければいけないので防御は不可能。狙えない。


 度胸の不足によって残された道はたった一つ。それも今生まれたばかりの泥臭い筋道。


 掴んだ両腕を広げると同時に解放。生まれる一瞬の空白。女性の後頭部を抱える様に持つと、勢いよく頭突きを繰り出した。

「うわああああああああああああああああああ!」

 一発だけでは足りなかったので防御を捨てて何度も行う。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。殴られるのもおかまいなしに自分の頭がおかしくなりそうなくらい頭突きを繰り出していると、女性がぐらついた。

 その瞬間を待っていたとばかりに身体を起こしてマウント状態から脱出。三階に急いで飛び込んだが、遅れてやってきた脳震盪に今度は俺が倒れ込んだ。受け身もままならない。

「い……てえ」

 立ち上がる。護堂さんと合流しないと本当に死んでしまう。アザリアデバラ恐怖症は大嫌いだ。誰だこんな所で発生させた空気の読めない村人は。どうして生きているのだ。フラフラになりながらも何とか体勢を立て直して前方を見つめる。ホテルの従業員らしき男が血塗れのナイフを片手にゆっくりと近づいて来た。 

 背後からは男女の揉める騒音が聞こえる。非常階段で誰かと遭遇して同士討ち中なのだろうか。不幸中の幸いだが、不幸と大差ない。


 ―――こんなの、おかしいだろ。


「こっちだ! 早くしろ!」

 側面の扉から男性が手を差し伸べてきた。

「……アレです」

「―――アレだ!」

 男性の目が血走り、ネクタイ片手に襲い掛かってきた。男性を認識した従業員は二人目の『アレ』を見て発狂。

「アレだああああああああ!」

 同士討ちが始まったのは幸運だった。ネクタイと刃物では明らかに後者が強いが、ネクタイの男性はわざと腹部に刃物を通す事で武器を無力化。密着状態からネクタイを首に巻き付けて絞めていた。


 ―――いま、の。ち。


 朦朧とする意識、思考の上でさえ言葉足らずになる。非常階段に近い方の階段を使って二階へ移動―――足を踏み出そうとした瞬間、転倒。大量の段差を転げ落ちて。





 俺の記憶は、そこで途絶えている。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] アレ。どんな風に見えるんだろ [一言] 向坂ぁー!途絶えてるって言ってるって事は一応生きてると信じたい
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