虚構の王 後編
「恩人?」
「ええ。薬子さんに出会った事が全ての始まり。彼女が私の仮面の力を理解し、この力を役立てようと考えてくれなければここまで至る事は出来ませんでした。先程何故対処出来ないと貴方がたは言いましたね? 未来を視るとは何も全てを視ている訳ではないのです。そして視えたからと言ってどうにか出来る場合もそうでない場合がある。例えば十年後、大きな爆発事故があったとして、その原因が百年前にあったらどうしますか? 私一人ではどうにもなりません。タイムマシンを開発しろとでも?」
「つまり未来が視えても成り上がる方法までは分からなかった……そう言いたいんのか?」
「仰る通りです。それに未来というものは一つではありません。無数に分岐しています。デタラメな悩みとおっしゃいましたが、それは『今』の未来であり違う未来では本当だったかもしれません。私はそこを誤ったまで。未来が視えないという証拠にはなりえません。私にその力が無いという確たる証拠を示して下さい」
大袈裟な事を言って煙に巻こうとしたかと思えば確たる証拠か。あちらが証拠を必要としない土俵で戦っているのに何とズルい論法か。馬鹿正直に付き合ってもペースに引き込まれるだけだ、別の切り口を探そう。
―――科学的なものは一切ない。
暗行路紅魔は今までの行動という実績のみを証拠にしているが、その実績が固い。直接崩すのはまだ早いか。とすると……一番崩しやすいのはやはり仮面から。実績が暗行路紅魔の力を確固たる物にしているならそれを逆手に取ってしまえばいい。逆転の発想をするんだ。
「仮面に力がある事そのものが証拠だ」
「…………? それはどういう意味ですか?」
「仮面に力がある事そのもの……そっか! 未来を視る力で悩みを解決してるなら仮面なんか必要ないのよ!」
「そう。仮面なんて必要ない。お前は何でわざわざ仮面で解決してるんだ?」
「……今、解決出来るならそれに越した事は無いでしょう! 先延ばしにするのは一番良くない事です!」
「じゃあそれがどうしようもないものだったらどうするんだ!? お前は自分で言ったんだ。視えてるからと言ってどうにか出来る場合と出来ない場合がある。この地域だけでも十万人は人が居て、その内何割かはお前の信者だとしよう! それだけ母数があって全部どうにか出来る悩みが来たなんて都合が良すぎるだろっ?」
少しシリアスな例えをしよう。暴飲暴食が原因で糖尿病になってしまった。これは今直ぐに解決出来る問題か? まして仮面を使って解決など出来るか?
「どうにか出来ない問題も解決したという事にしてどうにかする。つまりはその仮面の力こそが未来の視えてない証拠だ。この仮面はお前にとって万能薬! あたかもそれを特定の用途にのみ作用する様に謳ってるだけだ!」
「ぐッ……それこそ強引な主張です! それではまだ未来が視えてない証拠として機能していない!」
「証拠ならあるわッ」
今度は深春先輩が援護をくれた。度重なる反論に暗行路紅魔の額には徐々にいら立ちが募っていた。
「では示してもらいましょうか! 納得のいく証拠を!」
「この状況ですよ!」
「この状況!? あなた方のせいで大変な騒ぎですが、それがどんな証拠になるのですかッ?」
「さっき言ったわよね? 未来が視える。デタラメな悩みが真実だった未来を視てしまったって。悩みが本当だった場合なんて可能性の話はさておいて、そんな力があるならどうして対処しなかったの?」
「……またその話ですか。堂々巡りになってますよ。私が本物なら対処する必要がないからです。弁明など偽物のする事でしょう」
「それは違うわ。本物でも弁明しなくちゃいけない時はある。貴方は人を幸福に導きたいんでしょう? 信用されなくなったらその目的は果たせませんよ?」
「……成程。そう来ましたか。確かにその通り。しかしこれも先程申し上げた通り、未来は無数に分岐しています。私はその取捨選択を誤っただけです」
「…………それよ」
「はい?」
「自分が困るのに『今』から続く未来を解決しないでどうするの?」
一人でも救いたいと願う男がその妨害をされると分かり切っていて受け入れる。これはおかしな話だ。無数に分岐すると言っても悩みの件の様に前提が変わる未来は少なくとも『今』ではないのだから、視る必要はない。『今』の条件そのままに視ていけば容易にたどり着けた筈だ。何せこれは生徒会長としての人脈と力をフルに活用した綿密な戦術。前提が変わらない以上、こうなる事は免れない。
悩みなどと形に出来ない概念は前提がすり替わっても現実的に矛盾はないが、実際に人間が動員されているこの現実は覆せない。
「自分の悩みも解決出来ないのに、他人のは解決するなんておかしいでしょ?」
「ぐ………………!」
反論は出来ない。何故なら暗行路紅魔には実績があるから。どんな力にせよ他人の悩みを解決し、こんな事態になってしまった時点で反論は不可能だ。視えているという前提を取っ払わない限りはだが、それを取っ払ったが最後なのは彼も承知しているだろう。
だから何も言わないし言えない。俺は左ポケットに手を突っ込んで、携帯の画面を指で触った。
「……実は敢えて申し上げなかったのですが、この力は多用すると暫く鈍るのです!」
「それなのに一日の人数制限はないんだなッ。インチキでもしてなきゃ解決出来ないぞ!」
「うぐ…………し、しかし現実問題として私は『本物』です! 私がインチキだというのはそちらの推理にすぎません! 私がインチキだと言うのなら証拠を出して御覧なさい!」
「証拠証拠煩い奴だな」
会長のぼやきに全く同意する。自分は本物だという一点張りでこちらにばかり正確なデータを求めるなんて議論が破綻している。まともに付き合うだけ時間の無駄なのは相変わらずだがそれでも相手の虚像は崩れてきている。もう一押しだ。
―――一発でインチキだと認めさせる証拠なんてあったか?
薬子の持っていた仮面が『本物』だと言ったのは推測から来る当てずっぽうだった。未だに俺達は見分け方が分かっていない。号外という形で出されたのは本物と偽物の存在を知らせるだけで良かったから。たったそれだけで暗行路の妄信者は混乱するからだ。
「証拠……いや、証言なら用意出来るぞ。暗行路紅魔、お前うちの妹を誑かしてた時言ったよな? 『私には未来も過去も、相対して話せばその人の全てが手に取る様に分かるのです』って」
「……それが、証拠ですか? 貴方が聞いただけの言葉にどんな信憑性があるのですか?」
「その時、私もその場に居たのよ。ねえ、さっきの話と矛盾してない? 全てが手に取るようにわかるなら今まで言った全ての発言は嘘だったって事になるけど」
「あの時は見ず知らずの呪術師が横やりを入れたからつい……それは謝罪します。ですがそれは過ちにすぎません。インチキという証拠を出しなさい!」
「お金をとってない」
淡白な生徒会長の一言が、一点張りの主張を止めさせた
「何ですって?」
「お金をとってないのがインチキの証拠だ」
「それは、貴方がボランティア嫌いなだけでしょう。世の中捨てたものではありませんよ、学生君」
「そういう事じゃない。お金をとってないってことは、責任を取らないって事だ。貴方のそれがインチキじゃなくて本当の力なら責任を取ってその人の未来を明るくしてやるべきだ。さっきから聞いていれば、未来の取捨選択を誤っただの証拠を出せだの…………多くの人間を幸せにする方法なんて俺でも分かる。それはな、お金持ちになる事だ」
「……お金持ち?」
「お金があればある程度までの幸せは買える。それは確実に心の余裕になって人を幸せにする。救済という名目でお金をとらず仮面で支持を集める貴方には何か別の目的があると俺は見ているんだが?」
「そんなものありませんよ。私は純粋に人を助けたいだけです。仮に別の目的があったとして、それとこれと何の関係が?」
「別の目的があるならゴールが変わる。そこから逆算すれば必然的にインチキの証明にもなると思うが?」
「……そこまで言うからには、別の目的とやらに見当がついているのでしょうね」
会長には何が視えているのだろう。
暗行路紅魔がインチキなのは間違いない。しかし証拠がなければ状況的にそうであっても推理止まり。その証拠としてお金をとらないからだと会長は言った。それは証拠になるのか?
―――この考え方では駄目だ。
仮面の真贋では証明出来ない。仮面ビジネスの最初の一人でも証明出来ない。発想の逆転? 否―――これまでの話を断ち切って、独立した流れから考えた方が良い。誰か言っていただろう。証拠も何もないが、調べ上げた情報から大胆な推理をしてくれた―――
「仮面を渡す事がダミーだと…………したら?」
そう。思い出した。それは暗行路を撃退した後、護堂さんが言っていた言葉だ。
『こっちでも捜査は進めているが、仮面を渡したい奴等に共通点があるとは思えないな。もしかしたら意味なんてないのかもしれないが』
『気にしなくていい。いや何、攪乱の一つに過ぎないかもなというだけだ。行動する以上、そこには必ず目的がある。だが全てにある訳じゃない。ダミーの行動があってもおかしくないんだ』
「私の救済がダミー? 面白い発想ですが、それなら本当は何をやりたかったのでしょう」
「……その前に一つ聞きたいんだが、お前、どうして区別するんだ?」
「は?」
「ちょっと話がズレるぞ。お前が仮面を渡しに行った奴は全員行方不明になって、お前に仮面を貰いに行った奴は幸せになってる。さっきお前は仮面に偽物なんかないと言ったが、なら他の奴等にも配るか取りに行かせればいい。何で区別するんだ?」
「…………それに回答が要りますか? 関係あるとは思えません」
「大ありだ。特に渡しに行った奴が行方不明になってるってのがな。お前、誘拐して人体実験でもしてるんじゃないか?」
「じん…………ふははは!」
張りつめていた緊張が一気に弛緩する。暗行路紅魔はこの場で初めてげらげらと笑い始めた。それは見当違いにも程があると、俺を嘲らんばかりに。
「じ、人体実験……! 面白い発想ですね。小説家になれますよ貴方。いやあ面白い。証拠がないので単なる妄想ですね。しかも小学生レベルだ」
「いや? あながちそうとも言えないぞ? 暗行路紅魔」
会長がすかさず助け舟を出すと、暗行路紅魔の苛立ちはいよいよ殺意へと変貌を始めた。
「……貴方はもう少し頭が良いと思っていたのですが。信じるのですか? 今の言葉を」
「いやさ、ふと思い出した事があるんだ。貴方はテレビというかメディア出演自体を殆ど断ってる。広報を自分のファンにまかせっきりにしてる。大勢の人を助けたいという名目に矛盾するな? 貴方の力が全部本物でも、存在を知らなければ縋れない。なのに貴方は断り続けている。まあこれは、貴方が選民思想ならそれで終わる話なんだが……希代の救世主様が選民思想をお持ちだと思いたくないな」
「ええ、そこはご安心を。私は万人を平等にお救いいたします」
「立派な思想だが、矛盾はもう一つある。広報を任せっきりにしているなら何が貴方を有名にさせたか,何が貴方を無条件に信じられる程の大物にさせたかだ」
会長は人差し指を立てながら言った。
「大衆は込み入った話を好まない。単純明快で簡潔な話を好む。仮面の力がどうあれそんな怪しいモノを売りつける貴方を快く歓迎するには前準備が必要だ。広報によって人が来るのか、人が来るから広報をしているのか……貴方はここ数年で名前を売ってきたと記憶している。卵の理屈は無理がある。その鶏が良い卵を産むと分からなきゃ世話なんてしたがらない」
「……何が言いたいんでしょうか」
「貴方には信用を担保する存在が居た。そしてそれは、きっと最初に仮面を渡した一人。つまり」
「凛原薬子……」
「そう。七凪雫を逮捕したという正義の実績があり、メディア出演も果たしている薬子さん。貴方は彼女を恩人だと言ったな? ここまで来たら殆ど自白、語るに落ちていた訳だが―――彼女が貴方を『本物』に仕立て上げたんじゃないか?」
「…………!」
黙する事で否定はしているものの、額に汗が浮かんでいる。まるっきり的外れなら俺みたいに嘲笑ってやればいい訳で、それが無い時点で察するべきだ。目は口ほどに物を言うのである。
「…………確かに、広報には協力してもらいました! しかしそれがどうしました! どんな人物が宣伝しようとも信じない人は信じません! 私が信頼されているのは偏に本物だという証拠です!」
……それは、おかしくないか?
「暗行路紅魔。恩人と言うからには薬子の事を知っているよな?」
「何を突然……勿論です。七凪雫を逮捕する為に奔走する秩序の体現者です。ありとあらゆる手段を用いて必ず七凪雫を逮捕する―――そう公言するくらいには全力を賭けているお方です」
「ああ、そうだ。その通りだ。だとしたらお前の別の目的は……そこにあるんじゃないか?」
俺は鞄の中から二人が密会する写真を取り出し、暗行路紅魔に突き付けた。
「お前が仮面を配っているのは、七凪雫の逮捕に協力する為なんじゃないのか!?」
男の顔が、ほんの僅かに引き攣った。
「何のためにそんな事を」
「お前は今、占い師として莫大な名声を獲得している。良い思いは十分している筈だ。それの返礼とは考えられないか?」
「ふむ………………成程。しかしそれがどうインチキの証拠になると言うのでしょうか」
「会長がさっき言ったろ! ゴールが変われば逆算して導き出せる。薬子の目的が七凪雫逮捕なら、例えばお前は仮面の力を使って人手を増やせばいい! 本当に悩みを解決する必要なんかないんだ。だってこの仮面を被ったらどうでも良くなるんだから!」
「―――それは推理でしょう。結局何処まで言っても貴方たちは証拠を何一つ出せていない。薬子さんと繋がりがあるのは認めますが、それ以外は否定します。証拠も無いのにインチキ呼ばわりとは、名誉棄損で訴えてもいいんですよ?」
圧倒的にピースが足りない。明らかにまだ俺達の知らない情報がある。前提さえ覆せれば勝てるのにその前提が覆せない。相手の論法が滅茶苦茶であろうともこちらに理を感じてくれなければ水掛け論に終始する。
往生際が悪い奴を黙らせる様な証拠はもう何処にも…………
「あーもう十分だ」
場の雰囲気にそぐわぬ気だるそうな声が響いた。発信源は会長だ。手には起動しっぱなしの携帯が握られている。
「証拠証拠って、そっちは何か一つ証拠出したのかよ。こっちはそれなりに筋の通った推理に、割と状況証拠まで出してる。そっちも一つくらい自分がまごう事なき本物だっていう証拠が要るんじゃないのか? あなたを妄信する人の為にも」
「そんなものは必要ありません。私は本物であり、本物だからこそ確固たる信頼を築けていると言った筈です。薬子さんの信用など一切関係ありません。皆さんがここまで信じてくれる事こそ私が本物という証拠なのです」
「主観なら何とでも言えるな、けれど、どうもありがとう。暗行路紅魔、貴方はもう終わりだ。便宜上ビジネスと呼ばせてもらうが、ビジネスで肝要なのは信用。本物だから信じられているなんてあまっちょろい理想論かざしてるから、貴方はここで失墜するんだ」
慣れた手つきで何か操作を始めたと思ったのも束の間。会長は『副会長』という名前の個人チャットにビデオメッセージを送っていた。
「外に、うちの大切なメンバーを一人紛れ込ませてある。今から事情聴きたがりな人全員にそれを聞かせる。内容は今までのやり取り全部。証拠を一向に出さない貴方の悪あがきが垂れ流されるんだ。さ、本物の確固たる信頼って奴を見せてもらおうか。たったそれだけで妄信されてるなら痛くもかゆくもないはずだぞ?」
最後の仕込みについては今この瞬間まで結局教えてはもらえなかったが、もしかすると会長はこうなる事を予期していたのかもしれない。推理のピースが足らない事を知った上で、それでも前に進む為の一手を用意していた。そう考えなければ、あまりにも用意周到過ぎる。
暗行路紅魔の殺意が最高潮に達し、その顔は梅の様に真っ赤になっていた。
「……………………ふざけんなああああああああああ!」
大衆は単純で簡潔な話を好む。
勧善懲悪物語、その幕引きが迫っていた。




