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夜空を映した瞳の色を持つ、黒髪の青年ハーヴェイは、背が高くスラリとしていながら、騎士らしい力強さが感じられる人だった。
「……ハーヴェイ殿下。お目にかかれて光栄でございます」
「うん。……とりあえず、こちらへ」
ハーヴェイはアリスの手を握り、東屋から距離を取るように促した。
彼のおかげでようやくアリスの足は動くようになる。
おぼつかない足取りで、アリスはどうにかその場から離れることができた。
「……あの……恐れながら……殿下はどうしてこのようなところへ? 私になにかご用でしょうか?」
「ご用、というより……君がひとけのないほうへ行こうとしているから、陰ながら護衛をしていたんだ。私たち白鹿騎士団の者以外、宮廷では帯剣できないからね」
剣を持っていないアリスは、ただの令嬢でしかないと彼は言いたいのだろう。
「……ご、ご配慮、感謝……いたします……」
ハーヴェイは四年前の事件の当事者でもある。
そしてエイルマーと違い、侵入した賊を倒した者の正体を覚えている。
おそらく彼は、アリスに恩を感じ、気遣ってくれているのだろう。
(失礼かもしれないけれど、かなりの変わり者……よね?)
第二王子で騎士団長の彼が、なぜただの伯爵令嬢を陰ながら守っていたのか……。
恩人だとしても、そこまでする義理はない。アリスにはハーヴェイの行動が、理解できないのだった。
「ほら、震えているじゃないか。とりあえず、座って」
「は……はい……恐れ入ります」
彼がアリスを導いてくれたのは、東屋から少し離れた場所にあるベンチだった。
まずはアリスに座るようにと促して、ハーヴェイも人一人ぶん隙間を空けて、隣に腰を下ろした。
「……で……先ほどの会話は、聞かなかったことにするつもりだろうか?」
ハーヴェイもあの話をしっかり聞いていたらしい。
哀れみの視線を向けられている気がして、アリスは自分という存在が恥ずかしくなってしまった。
「はい。……殿下はご存じのこととは思いますが、彼が妻にしたい相手その一も、その二も、同じ人間ですから」
どうにか声を絞り出しながらも、今の言葉は自分の本音ではない気がしていた。
もやもやとよくわからない感情が、胸の中を満たしていく。
惨めで、苦しくてたまらなかった。
「そうか。だったら、早めに憂いを取り払えばいい。君が望むなら、私が彼に恩人の名を伝えてあげよう」
「そんなこと……」
確かに、ハーヴェイの言葉ならエイルマーも信じるはずだ。
そして剣姫の正体を隠蔽した父も、情報を漏らしたのが王族ならば、強い抗議ができないだろう。それは、良案のように思える。
「真実を知ったら……侯爵は心から君を愛するようになるだろう。それもいい人生だと思う」
ハーヴェイの気遣いを受け入れたら、どうなるのだろうか。
彼の言うとおり、エイルマーは間違いなくアリスを愛するようになる。
おそらく彼は、すぐにでも結婚してくれるだろう。
賢く将来有望なエイルマーの妻になれるのだから、アリスは果報者だ。
それなのに……。
ハーヴェイの言葉の裏には、それ以外にもいい人生があると言っているように思える。
(お父様の言葉に従って……エイルマーの本音も聞かなかったことにして……そうして笑っているのが、私の幸せ……なの?)
アリスは、そんなふうには思えなかった。
けれど、ハーヴェイの案以外に、この心の痛みを少しでも早く取り払う方法はない。
だから、彼にお願いすべきだ。
「い、いいえ……それは……やめてください……」
どうして否定の言葉が出てきてしまったのだろうか。
アリスは、自分の気持ちがわからなくなっていた。
(私……エイルマーに……剣姫の真実を知られたくない……)
最終的に愛されるのは自分。だから、過程はどうでもいい。
アリスはエイルマーの剣姫に対するこだわりをわかっていて、けれどそれでいいと思っていたはずだった。
(本当に、それは私の考えだったの……?)
アリスではなく、父の考えだ。
エイルマーにとってのアリスは都合のいい保険だった。
今のアリスが彼に愛されていないことは確定している。
けれど剣姫は結局アリスだ。このまま行けばアリスは、自分を利用し、裏切り、捨てた相手と結ばれるのだ。
「彼に教えてあげないと。……君が無駄に、半年間苦しむことにならないか?」
ハーヴェイの言うとおりだ。
けれどそれでアリスは救われるのだろうか。
事実を公表した瞬間、婚約者の裏切りが存在しなかったもののようになってしまう。
苦しみたいわけではないけれど、やはり公表されたくもなかった。
このままでは裏切りと愛が同時に押し寄せて、溺れてしまいそうだ。
精神的に裏切っていた相手に好かれて、喜べるとは思えない。
急激に夢から覚めていく。
「な……なに、これ……。ぜんぜん幸せじゃない。……私らしくもない……。馬鹿みたい……!」
アリスは大きな声で感情を吐き出していた。




