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1-2

 エイルマーとの話し合いを終えたアリスは、ヴァーミリオン伯爵邸に戻り、そのまま父の書斎へと向かった。


 廊下の途中に家族の肖像画が飾られている。

 さすがに他人の目があるから、アリスも端に描かれているのだが、やはり異質だ。

 父、義母、弟……三人とも赤い髪をしている中で、アリスだけが金髪に菫色の瞳を持っている。


(赤い髪はヴァーミリオン伯爵家の象徴……)


 そう考えられているのは、家名が初代ヴァーミリオン伯爵の鮮やかな髪色に由来しているからだ。

 当時の国王が、功績を上げたアリスの先祖に新たな爵位と家名を与えた。「ヴァーミリオン」は、そのときに国王自らが考えてくれたありがたい名なのである。


 もちろん髪色なんて、迎え入れた伴侶次第で一世代で変わるものだ。


 けれど歴代の当主は「ヴァーミリオンらしさ」を大切にするために、あえて赤髪の花嫁との結婚を望む傾向にあった。


 政略だったり、本人の恋心だったり、すべての当主が必ず髪色を優先したわけではなかった。

 実際、歴代当主の中には、赤髪ではない者もいる。

 初婚のときに父は、それを気にしなかったのだろう。

 アリスの金髪は母親譲りであり、後妻が赤髪だったため、アリスだけが異質になってしまったというだけのことだった。


 複雑な気持ちで肖像画を横切って、父の書斎へたどり着く。

 ノックをするとすぐに入室の許可が出た。


「お父様、ただいま帰宅いたしました」


「なにか用でもあるのか?」


 机に向かって書類仕事をしていた父は、顔を上げないままだった。


「じつは……」


 アリスはエイルマーの要望を包み隠さず父に話す。

 父は一瞬、万年筆を動かすのをやめて顔をしかめたが、それだけだ。


「ふぅ……若くても彼は侯爵だからな。従うしかないだろう。おまえはせいぜいあの若造に捨てられないようにするのだ。……半年後に婚約が解消されたら、立派な行き遅れだ。まぁそんなことにはならないだろうが……」


「はい、心得ております」


 貴族の令嬢の平均的な婚姻年齢は二十歳くらいだから、行き遅れというのは大げさだ。

 けれど、父が言いたいこともわかるつもりだ。

 アリスの誕生日は一月で、現在が六月だから、半年後には十九歳になっている。婚約者に捨てられた十九歳の令嬢に、よい条件の縁談は来ないだろう。


(でも、そこまでおっしゃるのなら……秘密にしなければよかったのに……)


 父は一応、四年前の事件の詳細を知っている。


 事件は貴族同士が婚約を結ぶときに必要な手続きをするために、宮廷に出向いたときに起こった。

 大人たちが申請を行っている最中、アリスとエイルマーは宮廷の庭園を散策することになった。

 宮廷なんて簡単に入れる場所ではないから、二人ではしゃぎ、庭園の奥のほうまで探索したのだった。


 そして偶然、この国の第二王子ハーヴェイが侵入者に襲撃されている場面を目撃してしまう。

 巻き込まれ、三人とも殺されそうになったとき、アリスは襲撃者から武器を奪い、その者を斬った。


 事件のあと、正当防衛とはいえ貴族の令嬢が賊を剣で斬り、相手に重傷を負わせたことを問題視した父と義母は、詳細が表に出ないよう王家に依頼した。

 王家はそれを受け入れ、襲撃事件が起こり第二王子が無事だったことのみを公表し、アリスが関わった事実を隠したのだった。


 今回、エイルマーが剣姫を理由に結婚を延期した件を、父は面白く思っていない。

 それでもエイルマーの認識違いを指摘しないのは、アリスの行動を今でも恥じているからだ。


 それに当時、積極的に証明しなかったというのに、娘の結婚が延期となったタイミングで事実を打ち明けても、信憑性がない。


(すべて今更だわ。証明するとしたら、事件の資料を持ち出すとか、あの場にいたハーヴェイ殿下に証言してもらうとか……それくらいしか方法がないもの)


 事件の資料は存在するらしいのだが、当事者であっても正当な理由がなければ閲覧できない。

 事件の影響でエイルマーの記憶が消え、これ幸いと剣姫の正体を隠した時点で真実が明るみに出ることはなくなったのだ。


 この件を振り返るたび、アリスは父を恨めしく思う。


「話はわかった。もう下がってよい」


「かしこまりました」


 アリスは淑女の礼をして、父の執務室をあとにした。

 私室へと向かう途中で、赤髪の少年と鉢合わせる。


「おい、そこの金髪!」


「……姉の名前を忘れてしまったの? そういう態度、いけないと思うわよ」


「金髪はヴァーミリオンじゃない……だからおまえは姉じゃない!」


「そう……。なにか用?」


 アリスの弟であるノエルは、顔を合わせるたびに怒っている。

 毎回姉を他人扱いして「金髪」と呼ぶのだ。いわゆる反抗期なのだろう。

 姉として一応注意をするものの、最近はもうどうでもよくなっていた。


「剣の相手をしてやろうか?」


「……勝てるわけ、ないじゃない」


 アリスは父親の命令で、四年前から剣の稽古を禁止されている。

 もし弟と剣を交えているところを見られたら、大目玉を食らうに決まっていた。


「それ、どういう意味だよ! 僕が弱いって意味か?」


「違うわ。……素人の私が、剣術を習っているあなたに勝てるわけがないでしょう?」


「嘘つき! どうせ子爵家に行って鍛錬しているくせに」


(うぅ……鋭いわね……)


 子爵家とは、母方の生家であるホールデン子爵家のことだ。

 代々多くの騎士を世に送り出している、剣術の名門である。

 子爵家出身の母も素晴らしい剣士だった。

 母が存命中、アリスは伯爵家で堂々と剣の稽古をしていたし、父もそれを認めていた。

 けれど母の病死から一年後に父が後妻を迎えると、考えが変わってしまったようだ。

 義母は女性が剣を振るうことに反対で、アリスから剣を取り上げ、父も「嫁に行けなくなる」と言って義母に賛同したのである。


 そして義母が妊娠すると、彼女はつわりで体調を崩してしまった。

 血の繋がらない娘がいると気が休まらないという理由で、アリスはしばらく母方の生家に預けられた。

 そのまま存在を忘れ去られ、エイルマーとの縁談がもたらされるまで、アリスは子爵家で育ったのだ。


 七歳から十四歳まで……。長いあいだこの伯爵家を離れていたから、アリスが空気になるのは当然だった。


 伯爵家に戻った直後のアリスはまだ幼く、嘘をついて剣術を続けようなんていう、ひねくれた考えは持っていなかった。

 剣術をやめて、父や義母の言うとおりの伯爵令嬢になろうとしたのだが、彼らの態度はまったく変わらない。

 そんな時期にアリスの話を聞いてくれたのは、縁談相手のエイルマーだけだった。


 事件のあとは、事実を隠した父や義母に誠実でいる必要がないし、エイルマーが褒めてくれる剣姫のままでいたいと思うようになり、バレないように剣を振るった。


「おまえなんか、子爵家の娘になればいいんだ!」


(先にお義母様が血の繋がらない娘を疎んだという事実を、ノエルは知らないのよね。……だから、ノエルにとって私は、家族に溶け込まず、母方の生家に入り浸る薄情な姉なのかもしれないけど……)


 そう見えていても仕方がないとアリスも思う。

 少なくとも、アリスが剣術を続けていることにすら気づかない父よりも、突っかかってくるノエルのほうがずっと姉を見ていて、理解しているのだ。


「子爵家の娘……それもいいかもしれないわ」


 七歳から十四歳まで、アリスは、剣術馬鹿の子爵家でのびのびと育った。

 そして今も、用事がない日は子爵家へ行き、鍛錬を続けている。本来のアリスを否定してくる伯爵家よりも、子爵家にいたほうが楽なのは事実だ。


「なんで……っ!」


「冗談よ。私がエイルマーと婚約している限り、そうはならないわ。どうせこの家にいるのは残り一年未満なんだから、いがみ合わずに過ごしましょう?」


 格上の侯爵家に望まれる、すばらしい娘を育てた――というのは、伯爵家にとってステータスとなる。

 だから、アリスがエイルマーと婚約しているうちは、父が娘を手放すわけがない。

 アリスは笑って見せたが、ノエルの顔は険しくなるばかりだ。


「バーカ! バーカ!! おまえなんて、さっさと出ていけ!」


 捨て台詞を残して、走り去る。

 弟の反抗期は、まだ続きそうだった。


(はぁ……家族と話すだけでこんなに疲れるなんて……)


 今日はとにかくいいことがない一日だった。

 蓄積された鬱憤をどうにかしてくれるのは、やはり剣だ。

 アリスは部屋に戻るとクローゼットの中に隠してある木剣を取りだして、部屋の中で秘かに素振りをしたのだった。


(私、本当は騎士になりたかったのに……)


 この国――アルヴェリアでは、女性でも騎士になれる。

 実際に、現役で貴族の令嬢であるにもかかわらず、立派な騎士として人々を守っている女性もいる。

 小さな頃は父も母も、そんな娘の願いを否定しないでいてくれたのだ。

 母の死が、アリスの人生を変えた。


 父の望む理想的な令嬢でいればいいのに、剣術を捨てられないアリスは、中途半端な人間だった。


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