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2-2

 ヴァーミリオン伯爵家に戻ってしばらくした頃、アリスは縁談相手のモーンフィールド子息エイルマーに会った。

 立派な侯爵家のタウンハウスの庭園に、お茶の席が用意されている。

 挨拶のときだけ両家の両親が同席していたが、あとは二人きりでティータイムを楽しむ。


「改めて……私はエイルマー・モーンフィールドだよ。よろしく」


 一つ年上のエイルマーは、アリスよりもずっと背が高く、知的で優しげな瞳をした貴公子だった。

 仕立てのよいジャケットを自然に着こなし、紅茶のカップを口元に運ぶ仕草が美しい。


「アリス・ヴァーミリオンと申します。これからどうぞよろしくお願いいたします、エイルマー様」


「いやだな……婚約者となるのだから、敬語はなしにしようよ。……私のことはエイルマーと呼んで? ……アリス」


「はい。エイルマー……」


「うん、それでいい」


 アリスの近くにいる男たちは、たくましい肉体を自慢する、少々がさつな者が多い。

 エイルマーのような貴族らしい優美な印象の少年は新鮮で、ドキドキしてしまった。


 初日の顔合わせは二時間くらいだったが、アリスはエイルマーに好意を抱き、期待した。


 それから毎週のように、顔を合わせるようになった。

 どちらかの屋敷のサロンで会ったり、街へ出かけて買い物をしたりという交流だ。


 そして二ヶ月が経った頃、ヴァーミリオン伯爵邸の小さな庭園でお茶を飲んでいるとき、エイルマーがアリスの家族についてたずねてきた。


「アリスは……しばらく母方の子爵家で暮らしていたみたいだけれど、今も伯爵夫人との関係があまりうまく行ってないの?」


「そ、そんなことは……っ!」


 父と義母は、アリスが義母の存在を認めずに家を出て、今も馴染もうとしない悪い子供だと認識している。

 エイルマーにも同じように思われたらどうしようか……。そんな不安で、アリスは焦る。


「数年後に夫婦になるかもしれないのに、隠し事なんてしないでいいんだよ。君や夫人の様子を観察していたら、さすがにわかる。……アリスは寂しそうで、夫人は……」


 エイルマーは困った顔をしてそれ以上は言わなかった。

 ロバータからは、アリスへの嫌悪感が読み取れるという意味かもしれない。


「え……えっと……」


「私でよければ話を聞くよ。……明るい性格の君が、伯爵邸では妙に萎縮しているように見えて、心配なんだ」


 そう言われて、アリスは伯爵家に戻されて以降初めて泣いてしまった。

 エイルマーはそんなアリスに寄り添って、話を聞いてくれたのだ。


 七歳の頃に家を出た経緯と、そこから父が一度も会いにこなかった事実。

 ようやく戻ったら、アリスが自分の意思で出ていったことになっていた――という内容だ。


「……あのね、アリス。君が家を出された年齢と、君の弟の年齢ってほぼ一緒でしょう? 想像してごらん。子供の発言を真に受ける親なんていないんだよ」


 彼に指摘されて、アリスはノエルだったらどうだろうかという想像をしてみた。

 ノエルの言葉だけで、家族や彼自身の人生が大きく変わる決定を保護者がするのは、不自然だ。


「君は期間を知らずに伯父君の家に滞在することを喜んだだけだろう? 旅行に出かけて、旅行先が楽しいと言ったら、自分の家がつまらないという意味になるの? そんなわけないよね……」


 父、義母、弟の三人が「アリスが悪い」という認識でいると、アリス自身も自分が悪い子のように思えてしまい、つらかった。

 伯爵邸に戻ってきてから、アリスの立場を考えて、優しい言葉をくれたのは、エイルマーだけだ。


「心配しなくてもいい。寂しいかもしれないけれど、君はいつかこの家を離れて、モーンフィールド侯爵家に来るんだから」


 そう言って、エイルマーは真っ白なハンカチで、アリスの涙を拭う。


「私……早く、エイルマーと一緒に暮らせるように……それから、未来の侯爵夫人としてふさわしくなれるように、頑張るわ!」


「うん、立派な淑女になってね?」


 この日の会話をきっかけに、アリスはエイルマーへの恋心を自覚した。

 なによりもエイルマーや彼の家族との関係を優先し、理想的な淑女になるための努力を重ねていく。


 そして初対面から五ヶ月後。二人は正式な婚約を結ぶ手続きのために宮廷を訪れた。

 この国の規則では、貴族同士の婚約や婚姻に国王の承認がいる。

 もちろん実際に審査を行うのは、国王ではなく役人だし、申請するのは保護者だ。


 それでも宮廷に入れる数少ない機会だから、エイルマーとアリスも同行し、そして手続きの待ち時間に、開放されている庭園を散策することになった。

 役人は人を待たせることをなんとも思っていないようで、手続きが終わるのは夕方になる見込みだった。


 宮廷を訪れるには、当然、それにふさわしいドレスが必要だ。

 この日のために用意した黄色のドレスは、なんとエイルマーが一緒に選んでくれたものだった。

 婚約者のいる令嬢という立場にふさわしく、普段よりも少しだけ大人びたデザインになっている。

 ドレスと踵の高い靴のせいでゆっくりしか歩けないが、エイルマーと一緒の散策はとても楽しいものだった。


 バラのアーチでできた迷路のような場所を抜けると、太く背の高い木が見える。


「見て、エイルマー。とても大きな木があるわ。せっかくだからあそこまで行ってみましょう」


「アリスったら、お転婆なんだから。戻る頃には日が暮れてしまうよ」


 気がつけば庭園の端のほうまで来てしまい、エイルマーが困った顔をした。

 最近剣を触っていないけれど、アリスの体力は無尽蔵で、エイルマーのほうが疲れているみたいだ。


 夕焼けの空を背景にした大木はとても美しく、アリスはその場にたたずんで見とれていたのだが……。


「……くっ!」


 木の陰から、アリスよりもいくつか年上と思われる少年が、腕を押さえながら姿を現す。フラフラとした頼りない足取りで、アリスたちの存在に気がつくと、目を見開き、そして必死に訴えかけてきた。


「逃げ、なさい……暗殺者……騎士を呼んで……」


 音も立てずにゆっくりと、彼の背後に黒いマントの男が迫っている。

 アリスたちへの呼びかけに必死で、怪我を負っている少年は男のほうを見ようともしない。もしかしたら、抵抗を諦めてしまったのかもしれない。


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