day137 魔石の交換
「わ~! きゅうりがたくさん!」
「ははは、そりゃあきゅうり農家だからねぇ」
案内されたお婆さんの家は俺達の家から徒歩5分程の場所にあった。
ギルドに行く時には通らない場所だったのでたくさんのきゅうりが並ぶこの畑を見るのは初めてだ。
「持って帰るかい?」
「さっきたくさん貰ったよ」
「ああ、そうだったそうだった。忘れてたよ」
後で籠を返しに来ないと。
辺りを見渡して、羊皮紙に書かれた魔法陣の場所を探す。
「魔法陣があるのは……井戸、井戸……」
「井戸はね、こっちだよ」
俺の呟きを聞いていたお婆さんが井戸まで連れて行ってくれた。
門から見てきゅうり畑の向こう側、倉庫の近くにある井戸を覗き込む。
とても深くて先の方は真っ暗で見えない。
夜目が効くとは言え、晴れていて明るい場所から井戸の奥深く先を見るのは難しい。
「俺達の家には井戸がないけど、この辺りでは井戸がある家が多いの?」
「いいや、ない家も多いよ。魔道具があるからねぇ。
まぁ、あって困るもんでもないよ。ほら、蛇口の魔石を交換し忘れた時とかね」
この世界の水道関係は基本的には魔道具だ。
とは言え、魔道具から突然水が飛び出て来ているわけではない。
水源から水を引き出し、水量や温度等を調整する為の魔法陣が水道の蛇口や浴槽、シンク等に描かれているそうだ。
水道管いらずだ。その為、破裂したり水漏れしたり、工事で傷付けてしまったり等の事故は起きない。
魔法陣を間違えて水源自体の水の温度が急激に上がってしまったなんてことはあるらしいけど、蛇口にしても浴槽にしても描く魔法陣が決まっている為、変に手を出さなければそういった間違いは起きないそうだ。
それを起こしてしまった魔道具職人さんは結構な額の賠償金を支払うことになるらしい。
水属性の最終進化先の魔石を使っているとかだと魔道具から直接水が出てきたりするのかもしれないけど、この世にいくつあるかも分からない最終進化の封印魔石を使った蛇口なんて作るわけがないとエルムさんは言っていた。
ちなみに、水源から水を引き出す魔道具は転移陣製作中の副産物なのだとか。つまりエルムさんとエルムさんの師匠作の魔道具だ。
何かが移動する魔道具のほとんどが転移陣の副産物なのではないかと思う。
「えーと……魔法陣は……あった!
良かった、井戸の中だったらどうしようかと思ったよ」
「どこにあるんだい?」
「ここだよ。井戸の縁の……ここ!」
「ほー、なるほどねぇ。何が描いてあるかさっぱり分からないね。
何が描いてあるんだい?」
「うーん……防音の魔道具だからそういう魔法陣が描かれてるとは思うけど……」
石で作られた井戸の縁に描かれた小さな魔法陣を眺める。
本に載っていた防音の魔道具に描かれていた魔法陣を頭に思い浮かべながら、井戸に描かれているシンボルや記号等の意味を1つずつ考えてみる。
知っているシンボルや記号ばかりなので俺にも同じ魔法陣が描けそうだ。ただ……。
「何か問題がありそうかい?」
「んー……問題があるわけじゃないんだけど」
どう見ても防音の魔法陣じゃない。
エルムさんの師匠が描いた魔法陣は何がどうしたらそうなるのかって魔法陣だったけど、これもそういう魔法陣なのだろうか。
でも、どれだけ考えてもこれは……俺が前に作った魔除けの短剣の魔法陣に似ている。
魔除けの短剣には光属性の魔石が使われているので、聖属性の魔石を使うこの魔法陣とは少し違う部分があるけどほとんど同じだ。
申し訳程度に防音の効果があるのであろう記号が描かれているので、防音の効果が全くないわけではなさそうだけれど。
「なんだか防音の魔道具って言うより、ちょっとだけ防音の効果がある魔除けの魔道具って感じでね。
使ってる魔石が違うから魔除けではないんだろうけど……」
「ああ、なるほどね。ほー……そうかい。
防音の魔道具だと聞いていたけどね。多分厄除けだろうね。
これは幽霊の声がうるさいからって埋めたものだから」
暫定となっていた『幽霊の呻き声が聞こえるから魔道具で抑えた』というヤカさんの情報はテラ街の話で間違いなかったらしい。
「テラ街には昔幽霊がいたの?」
「姿を見たわけじゃないけどね、声はたくさん聞いたよ。
熱い熱い、苦しいってずーっと呻き声が聞こえてね。
婆さんみたいに心臓に毛が生えているようなもんはそのまま残ったけど、それ以外のもんは皆逃げ帰ってたよ」
「そのまま残った?」
「もう随分昔のことだからねぇ……忘れてしまってることも多いけど、そうさね。
昔テラ街で大火災があったのは知ってるかい?」
「んん……テラ街だったとは知らなかったけど、どこかで大火災が起きたってのは聞いたよ」
それも、ヤカさんが言っていた。確かアクア街の風習の話をしていた時に出ていたはずだ。
大火災の被害者達が幽霊になってアクア街に現れたのではないかって話だった。
「大火災が起きるまではね、テラ街は細工の街だったんだよ。
街中でとんてんかんてん音が鳴っててね。賑やかな街だったよ」
「へぇ~細工の街だったんだ?」
「そうだよ。婆さんも昔テラ街で買った指輪を持ってるんだけどね、宝物だよ。
今テラ街に住んでる人達はその頃は別の場所に住んでてね。
火事が起きてるって聞いて急いできたんだよ。最初に気付いたのは一番近いアクア街の人達だったかね」
アクア街とテラ街は近いといっても距離がある。
それでも火事が起きていると気付けるくらい大きな火が立っていたのだろう。
「何日も何日も消火活動が続いて、ようやく火が消えた頃には何もない場所になっていた。
誰も助けられなかった。あの時は辛かったねぇ。知り合いもたくさんいた。
あんな賑やかな街だったのに、何の音もしなくなっててね」
「……テラ街の人達は1人も助からなかったの?」
「ああ、1人くらい逃げていてくれたら良いんだけどね。
今の今までそんな話は聞いてないよ」
誰一人として助からない程の大火災だ。消火するのも時間が掛かっただろう。
その間に逃げ延びている人がいてくれたらと願う。
「原因は調べたらしいけどね、街中にあるたくさんの工房のほとんどが火の元であると分かっただけだったらしい。
でも、いっぺんにあちこちの火が燃え盛るなんてないだろう?
当時はまだ魔道具の炉なんて高過ぎて使ってなかっただろうから、火を起こして使う炉で作ってたんじゃないかと思うけどね」
「魔道具でも魔道具じゃなくても同じ時期に一気に燃え盛るとは考えにくいね」
「だろう? 炉の火以外の別の原因があるだろうとは言われていたけどね。結局分からず終いだよ」
ある1つの工房から火が出て燃え広がったならともかく、あちこちの工房から火が出たとなると異様だ。
魔法陣が間違えていて燃え盛ることはあるけど、最初に使う時に分かるしある日突然起きることはない。
魔道具じゃない炉でも、いくら火加減を間違えたからって、あちこちの工房の炉が一気に燃え上がるとは思えない。
「その後アクア街のもんはアクア街に帰って、他の集落やら村のもんは復興作業を始めてね。
私やなすの婆さんはドリュアスの集落からきたんだけどね。
焼け野原になったここに緑をって集落全員できたんだよ」
きゅうりのお婆さんもドリュアスだったのか。
見た目で分かる種族ではないとリュヴェさんも言っていたけど、全然分からなかった。
アクア街の人達はその時に幽霊を連れて帰ってしまったのだろうか。
どこからか赤い石を持ってきてから幽霊が街に出るようになったという話だったはずだ。
「その時、アクア街の人達って赤い石とか……持って帰ったりしてた?」
「おや、よく知ってるねぇ。婆さんもよく覚えているよ。綺麗な赤い宝石がたくさん落ちててね。
それはもう綺麗でねぇ……彼等がいつも作っていた綺麗な細工品を思い出したよ。
アクア街のもんもそう思ったんだろうね。これを彼等に見立て弔おうって持ち帰っていたよ」
赤い石ではなく赤い宝石だったようだ。
当時実際に見たお婆さんが赤い宝石だと言うのならそうだったのだろう。
参ノ国の風習は似た部分があるんだなと思っていたけど、テラ街とアクア街については繋がっているようだ。
テラ街から弔いの為赤い宝石を持ち帰った結果、大火災の被害者達がアクア街に現れるようになった。
グラキエス街の赤い宝石も同じ物だったりするのだろうか。
「それで……どれくらい経ってたかねぇ……結構時間が経っていたと思うけどね。
復興作業を初めて暫く経ってから、呻き声が聞こえるようになってね」
「そこから防音の魔道具を埋めるように?」
「そうだね。まぁ、それも暫く経ってからだったね。
逃げ帰るもんも出てくるし、うるさくて眠れやしないから復興作業に支障が出てね」
「そんなにずっと声が聞こえていたの?」
「聞こえていたよ。最初は彼等の苦しみに胸を痛めたけどね……ずっっっと聞こえるもんだから。
アクア街のもんにちゃんと弔ったんかって文句を言いに行ったのさ。
そしたらね、こっちでも幽霊騒ぎで大変だったからしっかり弔ったって言うんだよ」
「ああ……アクア街の温度が上がったって頃の話かな?」
「そうそう。よく知ってるねぇ。
それで……まぁ、暫くアクア街とは言い争っていたんだけどね、ある日ひょっこりルクス街のもんが来たんだよ。
なんとかできるって言うから任せてたら、あちこちに防音の魔道具が埋まってたのさ」
「幽霊の声はしなくなった?」
「しなくなったよ。あの頃は防音したからって幽霊の声が聞こえなくなるもんなのかと不思議だったけどね。
なるほど。厄除けしてたんだねぇ。でも、防音でもあるんだろう?」
「うん、ある程度は防音の効果があると思うよ」
そう言いながら、魔法陣の上に聖魔石を翳す。
ぎゅっと魔石に力を入れると、魔法陣からふわりと何かが浮かび上がる気配がした。
元々魔法陣に籠っていた魔石の魔力が消えたのだろう。
新たに魔石の魔力を魔法陣に籠めて魔石の交換は終わりだ。
「交換終わったよ。これで暫く大丈夫だと思う。
あ、これって役所に今日交換したって話しに行ったほうが良いのかな?」
「ああ、それは婆さんがするから大丈夫さ。
ええと……そうだ。交換した魔石の品質を書かなきゃいけないんだったかね」
「品質から魔石の魔力が切れる日の大体の予想ができるのかな。聖魔石の品質は1だよ」
「なるほどなるほど。幽霊がまた出てくるかもしれないから、忘れず報告しないとね。
あ、そうだ。お金お金。7万CZで本当に良いのかい?」
「うん、良いよ。きゅうりたくさん貰ったし。
それに、俺達今参ノ国の風習について調べてるんだけど、お婆さんの話でテラ街の風習について詳しく知れたからね」
「へぇ。まぁ、若いもん……リュヴェもだし、リュヴェの両親もね。
あの子らは知らないから、この街の昔話を聞くならジジババに聞かないと分からなかっただろうねぇ」
これでテラ街の風習についてはほとんど分かったんじゃないかと思う。
大火災の原因は分からないけど……防音の魔道具を埋め始めたきっかけは分かった。
「よし、忘れないうちに役所に行くとしようかね。
本当にありがとうねぇ。何か困ったことがあったらいつでも来てね」
「こちらこそ色々教えてくれてありがとう。またね、お婆さん」
7万CZを受け取り、お婆さんと共に門の外へ出る。
お婆さんは役所に向かい、俺とフェルダは家に帰る。
「グラキエス街の赤い宝石も関係あると思う?」
「どうだろ。あるんじゃないかって思うけど。
ま、その辺りは婆さんかガヴィンが調べてそうだし、案外早く答えが分かりそうだけど」
今回聞いた話はエルムさんに手紙で送っておかなければ。
ウィンドウを開いて現在の時刻を確認する。お昼前だ。
お昼ご飯を食べてからエルフの集落に行こう。




