day133 馬に乗って
「お婆さん、こんにちは」
「んん? おや……おやおや……ああ、茄子をあげた子だねぇ」
「茄子、凄く美味しかったよ。ありがとう」
「それは良かったよ。ふふ、上手に乗れてるねぇ」
「本当? へへ、実は何回も落ちちゃって……あ、高い場所からごめんなさい。降りるね」
慣れていないので軽やかに降りるなんてことは出来ず、おっかなびっくりもたもたと降りてお婆さんと向き合う。
真っ黒な馬の首の辺りをぽんぽんと撫でると、満足げにぶるると嘶いた。
「ふふ、腰が引けてるねぇ。あんたが怖がってたら馬も怖がるよ」
「そっかぁ。最初よりは、怖くなくなったんだけど……最初は全然乗りこなせなくてね」
家の庭で練習している間に両手で足りないくらい落馬した。
その内1回は頭を踏みつけられて、HPが消し飛んだ。ぎりぎり生きていたけれど。
とんだ暴れ馬なのではないだろうかと考えたけど、俺と同じく初めての乗馬らしいジオンは一度も落ちることなく乗りこなしていた。
俺に才能がないのか、プレイヤーはスキルを取らなければ乗れないのか。
なんて考えていたけど、朝から夕方まで練習して漸く、のろのろとしたスピードではあるけど乗りこなせるようになった。
「漸く落ちずに進めるようになったから、馬のことを教えてくれたお婆さんに会いにきたんだ」
「そうかいそうかい、よく来たねぇ。前に会った時と印象が違って分からなかったよ」
「服のせいかな? 着物だと馬に乗りにくいから作って貰ったんだ」
普段着ている服が着物なので、乗馬用の服ってなったら袴かなと思っていたけど、イリシアが新たに用意してくれた服は洋装だ。
イリシア曰くシェオル風にエーリュシオン風を取り入れたデザインらしい。
乗馬用の服というよりは、そこまでかっちりしていない貴族のような服だ。いや、乗馬服も貴族の服なのだろうけれど。
「よく似合ってるよ。華やかだねぇ」
「ありがとう。こういう服、初めて着たから似合ってるって言って貰えて嬉しいよ」
「あんた細っこいけど、綺麗だからねぇ。どんな服でも似合うよ」
「あはは……筋トレ頑張ってるんだけどね」
「いっぱい食べな」
「うん、そうするよ」
薄いストライプの入ったグレーのシャツに濃い紅色のベスト。
ジャケットではなくマントのような外套を羽織っている。マントの裏地は普段の装備の外套と同じ柄だ。
首元には貴族の人が付けているようなスカーフ……クラヴァットと言うらしい。
ベストの上の焦げ茶色のコルセットからはひらひらと長い布が左側にだけ伸びている。
刀を帯に差せないので、代わりにホルダーを用意してくれた。
それと、ポーション類が数本入れられそうな小さな鞄も。
コルセットと同じ焦げ茶色のブーツはふくらはぎ程までの長さのミドルブーツだ。
鏡を見た時の感想は、なんだか悪魔っぽいだった。
角が生えているからだろうか。
「鬼人さんは黄泉風の服しか着ないから、シェオル風の服を着ている姿は初めて見たよ」
「黄泉風……」
「ああ、ごめんねぇ。最近は言わないんだったねぇ」
「あ、ううん、分かるよ。詳しくは分からないけど、イリシアが使っていたからね」
「おや、随分長生きさんなんだねぇ」
「今は別の言い方なの?」
「別の言葉に変わったわけじゃないんだけどねぇ。
ああでも、裁縫する人達は使うみたいだよ」
なるほど。敢えて区別しなくなったということだろうか。
着物や袴という言葉は通じるみたいだし、他の服も何か……洋服とは言わなさそうだけど。
スーツやワンピースのような服の種類で区別するようになったのかもしれない。
「うわ、馬!? ちょっと、大ばーちゃ……ん? あれ? ライ君?」
この辺りの人は何風の服なのかお婆さんと話していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
昨日聞いたばかりの声だ。振り向けばやはり想像した人物がそこに立っていた。
「リュヴェさん、こんにちは。昨日ぶりだね」
「あ、うん、こんにちは……じゃなくて、大ばーちゃんと知り合い?」
「大ばーちゃん?」
「僕の大ばーちゃん……ひいばーちゃんだね。茄子農家だよ」
「おやおや、農業をするって言ってたからひ孫の店を教えてあげようかと思ってたけど、必要なかったみたいだねぇ」
どうやらリュヴェさんの曾祖母さんだったらしい。世間は狭い。
ということは、茄子のお婆さんもドリュアスなのかな。見た目では分からないけれど。
「って、馬! 大ばーちゃん馬買ったの!? 元からいたやつに何かあった!?」
「うちのじゃないよ。この兄さんの馬だねぇ。見せにきてくれたんだって」
「へ? ライ君の? 異世界の旅人って馬買うの?」
「今はまだ皆他にやることがたくさんあるから馬にまで手が回らないかもしれないけど、その内買う人も出てくると思うよ」
「そっかぁ。うん、良い馬だね。君から離れたくないみたい」
その言葉にちらりと馬の顔を見上げるとぶるると小さく嘶いた。
信頼関係はまだまだ築けていないと思うけど、これからもっと築けていけたら良いなと思う。
「リュヴェさんは……馬に乗ってきたわけじゃないんだね」
「街のほうだと庭が狭いし、繋ぎ場に預けっぱなしにするのもね。
年がら年中預けるわけにはいかないし、可哀想でしょ?」
「それはそうかも。広い場所が良いよね」
確かに中心地に近くなる程一軒一軒の土地が狭くなっていた覚えがある。
中心地から近い場所に住みたいと考える人が多いからだろう。
「ああでも、最近街の近くにやたらと庭の広い家が……異世界の旅人の家らしいんだけどね」
「噂になってたねぇ。街から30分くらいの場所にあるって話だったかねぇ」
「ほら、きゅうり作ってる婆さん家の近く」
「きゅうり……おや、あんたの家もその辺じゃなかったかい?」
「俺の家? きゅうり農家さんが近くに住んでいるのか分からないけど、最近広くはなったよ」
「なぁんだ。あれ、ライ君の家だったんだね。それなら納得」
お婆さんが俺達の家の場所を知っているのは、最初に会った時に話したからだろう。
それにしても……。
「……噂になってるの?」
「あは、ここの人達は噂好きな人ばかりだから気を付けてね」
「みぃんな畑仕事ばっかりで他にやることがないから噂話が大好きでねぇ。
ぺちゃくちゃ喋ってばかりのお節介じじばばが多いんだよ」
「なるほど……? ご近所さんに引っ越しの挨拶とかしたほうが良かったかな……」
「ふふ、いらないいらない。あんたら異世界人が挨拶なんかにきたら腰抜かしちまうよ」
「最初は警戒されちゃうかもしれないけど、時間が経てば寄ってくるだろうから、その時は仲良くしてあげてね。
お節介だけど悪い人はいないからさ!」
近所迷惑になるようなことはしないようにしなければ。
噂くらいならまだ良いけど悪評が広がるような事態にはなりたくない。
現状で近所迷惑になりそうなことといえば声や音だろか。
お喋りの声はそんなにうるさくはないと思う。音は……生産中の爆発音は大きいかもしれない。
「騒音問題とか、噂になってない? 大丈夫?」
「ううん? そんな話は聞いてないよ。ほら、この辺は動物を飼ってる家が多いからね。
防音の魔道具が使われているのさ。そのせいで、こんな辺鄙な場所なのに住宅費用が嵩むんだけどね」
「そうなの?」
「うん、無音ってわけではないけどね。ライ君の家も防音の魔道具が埋め込まれてると思うよ?」
「そうだったんだ……知らなかったよ。1つ1つの土地に埋め込まれているの?」
「そういうこと。だぁれも住んでいなくてもずぅっと昔から埋め込まれてるし、今更それについて話す住人もいないから、異世界の旅人だと知らないのかもね」
トーラス街だと異世界の旅人向けのエリアの物件だったし、近隣の家もほとんど空いているようだったから音について気にしたことはなかったけど、どうやらテラ街には異世界の旅人向けのエリアがあるわけではないみたいだ。
近くにきゅうり農家さんの家があるという話からも恐らくそうなのだろう。
「魔道具の効果が切れた時って分かる?」
「役所からそろそろ効果が切れるよってお知らせがくるよ。
魔石の交換にはお金が掛かるから気を付けてね」
「自分で交換も出来る?」
「うーん……魔道具スキルがあったら出来るだろうけど……」
「俺、魔道具作れるから、大丈夫だと思う。多分」
「そうなの!? 異世界の旅人なのに!?
魔道具製造スキルって才能が何より必要だけど、そもそも師匠がいなければ取得できないって話じゃなかった?」
「そうなんだ? 才能が必要だとは聞いてたけど、師匠がいなければってのは初めて聞いたよ」
ということはやはり、魔道具製造スキルの開放条件は魔道具職人さんの弟子になることなのだろう。
才能に関しては異世界の旅人には当て嵌まらないのではないかと思うけれど。
「掘り返したら出てくる?」
「交換する時に掘り返す必要はないみたいだよ。
どこかに魔法陣があるらしいけど、どこにあるかは家によって違うみたい。
交換する時は役所かギルドで聞いたほうが良いんじゃないかな?」
「そっか。それじゃあお知らせが来た時に聞いてみるよ」
どれくらいの期間効果があるのかは分からないけど、どの物件にも埋め込まれているようだし、数か月から数年に1度交換を必要とする魔道具に手に入りにくい魔石は使われていないだろう。
だとしたらヤカさんのお店で手に入るはずだ。
「他の街……例えばアクア街でも防音の魔道具が埋め込まれてたりするの?」
「どうだろう? テラ街の風習だとは思うけど」
「風習というのはその街で起きたことから生まれるものだからねぇ。
違う街には違う風習があるものさ」
「あっ! あれかな? 庭先に必ず石像が置いてあるやつ……ライ君、見たことある?」
「石像……あ、見たことあるよ。あれって何か意味があるの?」
「さぁ? なんだろう? なにかのおまじないかな?」
守り神的なものだろうか。今度アクア街のギルドで聞いてみようかな。
「それにしても、そっか。ライ君、魔道具作れるんだね。
うちにお知らせが来た時、ライ君にお願いできたら楽なんだけど」
「大丈夫だよ。手紙くれたらすぐに行くよ」
「え、良いの? テラ街には2人しか魔道具職人いないからなかなか予約が取れないんだよね」
「1人は防音の魔道具の魔石交換はしてないしねぇ。
あの爺さんは昔っから家庭用魔道具しか受け付けんから」
「あ、そう言えば家庭用魔道具専門のお爺さん、テラ街に住んでるんだったね」
「知り合い? そう言えば異世界の旅人の弟子が出来たって話だっけ……ライ君なの?」
「ううん、俺の知り合いの師匠だね」
「そっかぁ。爺さんの店に売ってる魔道具はライ君が作ったわけじゃないんだね」
「うん、違う……お爺さんのお店ならお爺さんが作った魔道具じゃないの?」
「もちろん、あの爺さんが作った魔道具のお店だけど、最近弟子が作ったっていう魔道具も並べてるんだよ。
爺さんが作った魔道具より安いから助かってるんだよね」
「へぇ~! そうなんだ? 知らなかったよ」
兄ちゃんから聞いた話によると、空さんは魔道具をあまり露店で売っていないという話だったから作った魔道具はどうしているのかなと思っていたけど、別の場所で売っていただけだったようだ。
そういえば、別で売ってるらしいと兄ちゃんが言っていた気がする。
露店でもオークションでもなく、自分の店でもないこの世界の人達のお店で生産品を売ることもできるのか。
「お弟子さんだからね。さすがに師匠の爺さんが作った魔道具に比べると質は落ちるけど、日常的に使う魔道具がほとんどだからね。
拘る人は爺さんの魔道具、そこまで拘らない人はお弟子さんの魔道具を買ってるんだ」
「なるほど。仕事で使うならともかく、家庭で使う分にはそこまでの性能は求めなくても大丈夫だもんね」
「そういうこと。ああでも、魔道具が好きな人は高い魔道具を買いたがるね」
家電好きみたいなことだろうか。
高ければ高い程性能も良いし魔石の魔力も持続するだろうから、長い目で見たら高い買い物というわけではないのかもしれない。
今度お店に行ってみたいなと考えていると、頭がもぞもぞし始めた。
どうやらむしゃむしゃと髪を食べられているらしい。
「おや、お腹が空いたみたいだねぇ」
「わ、ごめんね、クロ。そろそろ帰ろうか」
ちなみにクロはシアとレヴが名付けた。黒い馬だからクロなのだそうだ。わかりやすい。
「お婆さん、それからリュヴェさん、色々お話し聞かせてくれてありがとう。またね」
「うん、またね。気を付けて」
「また婆さんの話し相手になってねぇ」




