day131 取引
「兄ちゃん、起きてる?」
「……んー……」
「待ち合わせ時間は30分後だよ」
「あー……」
今日は兄ちゃんとファイヤードラゴンを倒しに行く予定だ。
ゲーム内で10時に待ち合わせなのに、もぞもぞと布団の中に潜っていく兄ちゃんをゆさゆさと揺さぶる。
今ログインしたらゲーム内の時間は7時半くらいだけど、30分後にログインしたらゲーム内の時間は10時になる。
このまま眠ってたら待ち合わせには間に合わないだろう。
今起きたとしても朝の準備をしていたら割とギリギリだと思う。
兄ちゃんは朝ご飯を食べないからそんなに時間は掛からないだろうとは思うけれど。
「兄ちゃん起きれる?」
「んー……だいじょうぶ……」
兄ちゃんは俺よりもずっと遅くまでログインしているから、あまり睡眠時間は取れていないだろう。
このまま二度寝をしてしまったとしても責めないし、疲れているのなら無理はしなくて良い。
イベントとかならともかくレベル上げをするだけなので、兄ちゃんが来れないなら別の場所で狩りをしたら良いだけだ。
とは言え、せっかくなら兄ちゃんと遊びたいので、起きて欲しいなという気持ちはある。
「俺先にログインするね」
「ん……今何時?」
「9時30分くらい!」
「え、もうログインするの? 早くない?」
「オークションの結果を確認したいからね。
銀行に行かなきゃいけなくなるかもしれないし」
「あー……槍か……」
「うん! 52本!」
さすがに52本もあるので前回程高くはならないとは思うし、もしかしたら売れ残っている可能性もあるけど、10本売れただけで最低落札価格でもそれなりの値段になる。
「あ、そういえば、お母さん今日出掛けるんだって」
「んー……ああ、そうなんだ。お昼食べ行く? 作る?」
「うーん……俺兄ちゃんのご飯食べたい!」
「りょーかい。何があるかな……」
ゆったりと体を起こした兄ちゃんの姿を確認して頷く。
待ち合わせには間に合いそうだ。
「あ、そうだ。この前頼まれてた木工品?
裁縫の道具だっけ? 完成したみたいだよ」
「わ、やったね。空さんどこにいるの?」
「さぁ……でも、ロゼに渡したって言ってたよ。
俺が預かってきても良いけど、どうする?」
「ううん、俺行く! どこの露店広場で露店を開いてるの?」
「今はまだアクア街だね」
「じゃあ、アクア街の露店広場に行ってみるね」
「多分、露店開いてるんじゃないかな。
この時間なら朝陽はログインしてないけど、ロゼがいるはずだよ」
ロゼさんは早起きしてログインしているみたいだ。
兄ちゃん程夜更かしせずに寝ているのかもしれない。
取引するなら銀行に行く前にアクア街の露店広場に向かったほうが良さそうだ。
「それじゃあ、また後でね!」
「うん、また後で」
◇
「ライくん、これなぁに?」
「うーん……セロリかアロエだと思う……」
「アロエって食べられるのー?」
「多分……食べられる……?」
俺は食べたことがないけどアロエヨーグルトなんかもあるみたいだし食べられるだろう。
ただ、この世界でアロエが食べられているのかは分からない。
レヴが指差す黄緑色の野菜のような何かは恐らくセロリだろうとは思うけど、アロエの可能性もあるのではなかろうか。
ぱくりと食べたレヴの顔にぎゅっと皺が寄る。
「にがい……」
「ど、どっちだろう……」
アロエは苦いと聞いた覚えがある。
セロリも独特な味だけど苦さのある野菜だ。
レヴの顰め面に笑ったリーノが、隣からひょいと一切れ摘まんで口に入れた。
様子を窺っているとリーノの顔にも皺が寄っていく。
「……なんだこれ」
「俺も食べて良い?」
ぎゅっと口を引き結ぶレヴが頷いたのを確認してから、一切れ貰って食べてみる。
「んん……なんだろうこれ……」
漢方だと言われたほうが納得する程の苦さだ。
苦い食べ物を全て詰め込んだような味がする。
口の中が全て苦味で染まってしまっている。とにかく苦い。
「うぇ……デザート頼もう」
「「うん!」」
結局全員で食べてみてもその黄緑色の野菜が何かは分からなかった。
野菜かどうかも分からないけれど。ネイヤ曰く栄養価は高いらしい。
口直しに頼んだケーキを皆で食べながら、俺がいなかった間の出来事について聞く。
口の中で行われている苦味と甘味の戦いは、若干苦味が優勢だ。
「そうそう、ライ君。テラ街のお家の改築、明日終わるって言っていたわ」
「そっか。ここ暫くレベル上げだったし、明日はテラ街の家にいようか。
素材も運びたいし……うん。馬も買っちゃおう」
「何頭?」
「とりあえず1頭かな。あ、馬車のキャビン? も、用意しなきゃね」
「今ある荷車は繋げられんのか?」
「どうだろう? 人が乗る用には作られてないから座り心地は悪そうだよね」
それに、手で引く用の荷車だから馬車用に改造しなきゃ繋げられなさそうだ。
荷車は今後も素材集めで使うかもしれないし、馬車用のキャビンとワゴンはそれぞれ用意しても良いかもしれない。
人や荷物が乗ることを考えると、荷台自体は軽いほうが良いだろう。引いてくれる馬が大変だ。
だったら鋳造や石工ではなく木工が良いかな。
どうやら甘味が勝ち始めたらしいシアとレヴが笑顔でケーキを食べている姿を横目に見つつ、オークションウィンドウを開く。
今の内に落札結果を確認しておこう。
「あ、良かった。全部売れてる」
「槍ですか?」
「そうそう。前回よりは安く落札されてるみたいだけど、52本もあるから結構な値段になってるよ」
「ふむ。40レベルの武器ですし、性能も全く同じですからね」
「レベル60超えてる人でも装備してるみたいだよ。
数種類の武器を使い分ける人って結構いるみたいだから、メインではなくてもサブで使ってるのかも」
「残りの槍……えーと、43本? も、装飾終わってるぜ」
「そっか。それじゃあ、明日出品しようかな」
前回より安くといっても、前回が大体買取価格の10倍で売れていたのに対し、今回はそれが7倍になったというだけだ。
全部で16,161,600CZなんてことになっている。
52本もあったとはいえ、落札結果だけで1,000万超えだ。恐ろしい。
「「ごちそうさまー!」」
「それじゃあ、アクア街の露店広場に行こう」
昼食用にテイクアウトしたご飯の代金と合わせてお金を支払い、レストランから出て鐘の前に向かう。
今日は皆デザートを食べたのでいつもの朝ご飯と比べて少しだけ高くなった。
1000万CZ稼いだ後だとなんてことはない……このままだと金銭感覚がおかしくなりそうなので気を引き締めなければ。
「私はトーラス街の家に行って良いかしら?」
「あ、そうだね。うん、良いよ」
「ほんならわしもトーラス街に行く」
「うん、分かった。リーノはどうする?」
「んー……俺もトーラス街かなー」
今日は兄ちゃんとパーティーを組む予定なので、イリシアとネイヤだけでなくリーノもお留守番になった。
アクア街でロゼさんと取引した後はそのままファイヤードラゴン狩りに行くつもりだ。
取引の後どこかしらの家に向かうことになるのなら、ここで別れてそれぞれの行き先に移動したほうが良いだろう。
転移陣代の節約にもなる。
「それじゃあ、行ってくるね」
「おう! 頑張れよ!」
リーノ達が転移したのを確認してから、俺達もアクア街に転移して転移陣部屋から出る。
今日もギルド内は賑やかだ。皆これから狩りに行くのだろう。
受付で依頼を受領している人達の姿を横目にギルドから出て露店広場に向かう。
いつも大体同じ場所で開いているようなので、前回アクア街の露店広場に来た時のことを思い出しながら向かえばすぐにロゼさんを見つけられた。
「おはよう、ロゼさん」
「あら、ライ君。ライ君は早起きなのね」
「あはは、兄ちゃんもそろそろログインすると思うよ」
「そうなの? ああ、そういえば、一緒にファイヤードラゴンを倒しに行くんだっけ?
レンってば、ライ君の為なら早起きするのね」
「俺の為というか、俺が起こしに行っちゃうからだね。
でも、用がある時は兄ちゃん起きるよ」
「どうかしらね。品評会の時は寝坊してたみたいだけど」
「たしかに」
とはいえ、数分の寝坊だ。
数分でもここでは時間の進む速さが違うので数十分の遅刻になってしまうから大変だ。
「今日は……あ、裁縫の生産道具かしら?」
「うん、ロゼさんが預かってくれてるって聞いたから来たよ」
「金額も聞いているわ。えーと……たしか、全部で234,000CZね」
「4つ頼んでいたよね? そんなに安いの?」
「空って基本的に買取価格の3倍でしか売らないのよ」
「あ、ポーション類の値段って空さんが決めたみたいなものだって話聞いたよ」
「ああ……βの頃の名残ね。他の生産プレイヤーには申し訳ないことをしたんじゃないかって思うわ。
空って生産はほとんど趣味でやってるみたいだから、お金は最低限で良いってスタンスなのよね」
趣味であれだけ色々なものを作れるんだから本当に凄いなと思う。
基本的には家具や家庭用魔道具を作りたいのだそうだ。
他にも糸車のようなインテリアになりそうな生産道具も作るそうだけど、生産道具はそんなに買い替える必要がないとかであんまり売れないらしい。
「空ったら最近は杖も弓も作らなくなっちゃったのよ。
ほら、ベルデ君? が、いるからって」
「空さん、弓で品評会優勝してたのに勿体ないね」
「本当にね。たまに頼まれるみたいだけど、断っちゃうんだって。
その代わり、うちのクランハウスはくつろぎ空間が広がっているけどね」
ぽんと表示された取引ウィンドウにお金を入力していく。
234,000CZと打ち込まれている事を確認して『承認』を押せば取引は完了だ。
「ありがとう。空さんにもありがとうって伝えてください」
「ええ、伝えておくね」
「あ、それから、馬車のキャビンとワゴンもお願いしたいんだけど……家具ではないから、嫌かな?」
「……馬車のキャビンとワゴン? 何に使うの?」
「馬車に使うよ」
「馬車に……?」
「馬を飼おうと思ってて、それで……馬車で移動してみたいんだよね」
「なるほど……? えぇと、うーん……ちょっと待ってね。
多分、大丈夫だとは思うんだけど。基本的に大きな木工品を作るのが好きみたいだから」
ロゼさんはウィンドウを開き、するすると指を動かした後、暫くしてウィンドウを閉じた。
「作りたいって。ちょっと遅くなるかもしれないって言ってるけど、大丈夫?」
「うん、いつでも大丈夫だよ」
「それなら良かった。今回の裁縫の道具も、ちょっと時間掛かったでしょう?
空ってばライ君に作るならって張り切っちゃって」
「そうなの? 空さんの特別になれたみたいで嬉しいな。
でも、無理はしないでねって伝えてくれる?」
「……本当、そういうところ、レンと似てるわよね。
ええ、分かった。それじゃあ……出来たらレンに伝えておくね」
「ありがとう。楽しみにしてる」
「またね、ライ君。ヌシ討伐頑張って」
「うん、行ってきます。またね!」
ロゼさんに手を振って露店から離れる。さて、銀行に行こう。
今日のファイヤードラゴンは先日のファイヤードラゴンと比べて物凄く強くなっているはずだ。
デスペナルティのことも考えておかなければ。
露店広場から銀行に向かい、往復の転移陣代と何かあった時の為に2万CZだけ残して後は全部預ける。
預金は47,446,425CZになった。つい先日までお金がないと考えていたはずなのに、いつの間にか過去最高額の預金となっている。
やはり数の暴力なのだろうか。もちろん高く売れたのも出品していた生産品が全て売れたのも皆の腕あってのことだけれど。
これだけあれば大きな家も購入できそうだ。
とは言え、テラ街の家を買ったばかりだし、まだ改築後の様子も見ていない状態で次の家の購入はなかなか考えられない。
恐らく先に進めば進むほど物価は高くなっていくだろうと思うので、次の街であるグラキエス街や肆ノ国の家を視野に入れてもっと貯めておこう。
「転移陣、5人の利用です」
「はーい! 5,000CZでございます!」
よし、あとはトーラス街の待ち合わせ場所に向かうだけだ。
兄ちゃんはログインしているだろうか。
ウィンドウを開いてフレンドリストを確認してみれば、あの後二度寝はしていないことが分かった。
「何体倒せるかな?」
「さて……クラーケン討伐の際のフォレストスラグも時間が掛かりましたからね」
「フェルダがいるからフォレストスラグよりは時間は掛からないと思うけど……」
「ドラゴン相手ならまぁ……それなりには?」
「呪言がんばる!」
「ずっとびりびりにしてたらいいんだよねー?」
「うん。それから、余裕があったら水弾もお願いね」
「「はーい!」」
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