day123 堕ちた元魔獣
「早い早い早い……!」
せめて洞窟を出てから乗れば良かった。
狭い坑道では岩肌がすぐ傍にあってごつごつした岩に刺さりそうだし、いつもより高い位置にある頭もぶつけそうで怖い。
今のところ刺さってもぶつけてもいないけれど。
横も上もすれすれに物凄いスピードで進んで行くので、恐らく首元であろう場所に腕を回して必死にしがみついて降り落とされないようにするだけで精一杯だ。
『喧しいやつよ。大人しく乗れぬのか』
「無理!」
『慣れろ』
正直に言うとスピード自体は怖くはない。ぶつかりそうなのは怖いけど、ちょっとしたジェットコースターのようなものなので、楽しさも感じている。
騒いでいるのは頭痛や纏わりつくヘドロの不快感から気を紛らわせるためだ。
黙り込むと吐いてしまいそうで、ずっと喋り続けている。
「魔物が全然いないね」
『堕ちた者に近付く魔物はいない。歪な魔力に染まり朽ちるのは嫌だろう?』
「なるほど……」
そう言えば、これまでも堕ちた元亜人の周辺には魔物がいなかった気がする。
リーノのいた洞窟のあの湖の周辺も、シアとレヴがいた教会も、イリシアがいた森も。
ある程度離れたらいたから、一定の範囲内に近付かないみたいだ。
堕ちた魔物の瘴気の所為なのか、それとも歪んだ魔力の所為なのか。周辺にも害を及ぼすのだろう。
『お主には害がないようだが、されども近付くべきではない。
吾が言えたことではないがな。さぁ、外に出るぞ』
その言葉と共に、太陽の光が目に刺さった。
ぱちりぱちりと何度か瞬きをして光に慣れてから辺りを見渡す。
この辺りは元々魔物がいなかったけど、来た時よりもなんだか嫌な雰囲気が漂っている気がする。
「うぅ……寒い……っくし!」
『軟弱なものだ。この辺りはそう寒くはなかろうに』
「俺、寒さに弱いみたいで」
『この程度でか? この程度で寒い寒いと騒いでいては、冬を過ごせんぞ』
「冬があるの?」
『山の先は冬だろう』
なるほど。1年で季節が移るのではなく、場所によって季節が決まっているらしい。
次の街……確かグラキエス街だったかな。グラキエス街は年中冬なのだろう。
アクア街は夏かな。でも、ジオンが過ごせているし、火山が多くて凄く暑いらしい肆ノ国の方が気温は高いはずだ。
街の雰囲気は夏だけど、春……初夏くらいかな。
『吾の通った道を見てみよ』
「うん?」
振り向いて俺達が進んできた道を見てみれば、地面に生える植物が濁った色に変色していた。
よく見てみれば近くの木の一部も変色している。
「あれは……瘴気の所為? それとも、歪んだ魔力のせい?」
『どちらもだな。そも、溢れ出る瘴気が堕ちた魔物の持つ歪な魔力だ。
過ぎ行くだけでこれだ。一所に留まろうものなら、その周辺全てが染まる。
人にも魔物にも害にしかならぬ』
「少しくらいなら大丈夫?」
『程度にもよるが、数日もすれば魔力は歪む』
「なら良かった。哀歌の森の……さっき魔獣さんが良くない気配がするって言ってた場所に、エルフの人達と行ったことがあってね。
そんなに長くいたわけじゃないし、エルフの皆は大丈夫そうだね」
数分程度で魔力が歪んでしまうとかじゃなくて良かったと安堵する。
図書館の本に書かれた内容から考えるに、エルフの人達はエルフの魔力に誇りを持っているような気がするので、それが歪んでしまったなんてことにならなくて良かった。
仮に数分でも歪んでしまうとしても、あの時の彼等はイリシアの為なら歪んでも良いと言っていたかもしれないけれど。
『……吾と同じ者がいたのだろう? 本来、堕ちた者の在る場所は禁足地となる。
浄化に成功していたとしても、留まる魔力が消えるまでは同じく』
「浄化ができるの?」
『浄化せず吾を従魔とするつもりか? やめておけ』
「ううん、テイムしたら元通り……と言っても、レベルは1になっちゃうんだけど。
元通りになるはずだよ。俺の仲間もそうだったし……もしならなかったら、その時考えるよ」
『……そうか。しかし、浄化を知らぬとは。人だけが持ち得る力であろうに。
便利さばかりを求め、本来持つ力を忘れゆくのは人の悪習だな』
「うーん……異世界の旅人である俺からはなんとも言えないなぁ。魔物は違うの?」
『そも獣よ。あるのは本能だけ。理性などない。
環境に適応する為に形態が変わることはあれど、根本は変わらぬ。
吾のように理性を持つ魔物であっても同じ。理性で制するか制さぬかの差よ』
「魔物が堕ちるのはどうして? 負の感情がなくても堕ちるの?」
『人も魔物も等しく、力を欲する。魔物は特に。
身の丈に合わぬ力は身を滅ぼす。本能が故堕ちる。
しかし、僅かにでも理性のある者はその理性が故堕ちる』
理性があるからこそ自身の力の限界に気付いて、更に求めてしまうのだろうか。
必ずしも力を欲したことが原因になるわけではないだろう。
『邪念に染まり堕ちた』と言っていたし、魔獣さんは違うのではないかと思う。
『しかし……やけに浸食が早いな』
「多分俺の所為だね。今も俺から嫌な気配が出て行ってるし……。
2人分だから早いんじゃないかなぁ」
『む? ……確かにお主から歪な魔力が出ているな。しかし、お主自体の魔力とは違う。
だが……お主、堕ちているのか?』
「堕ちてないよ。でも、一度堕ちたのかも」
『浄化されたのか?』
「浄化されたわけではないと思うけど、無事なんだよね。
その代わりに堕罪って特性がついたよ」
『異世界の者はよくわからぬな』
俺自身もよくわかっていないので、それには同意だ。
物知りそうな魔獣さんも堕罪という言葉は聞いたことがないようだ。
エルムさんも知らなかったし、プレイヤー限定の特性なのだろうか。
いや、そもそも……あの時、イリシアの時はどうして発動しなかったのだろう。
最後仲間になった時は堕罪が追加された後だった。もしあの時発動していたらと考えるとぞっとする。
堕ちた魔物相手でなければ発動しないのか、それとも他に原因があるのか。
一番夢のない原因を上げるなら堕罪に修正が入ったになるけれど。
『ほう。お主の言う通り、気配がなくなっている。
今はまだ歪な魔力が残留しておるが、いずれ消散するだろう』
「わ、もう着いた」
『当たり前だ。吾を何と心得ている』
「……えっと……わ、わからない……」
『くく、それもそうだな』
目前に広がる真っ白な霧を確認して、アイテムボックスから迷宮の欠片を取り出す。
カランコロンと聞こえてくる音の出処を魔獣さんに伝えつつ霧の真ん中を目指して進む。
ソウムは薬師の村側の霧の前に行くと言っていたけど、魔獣さんと一緒にそこに向かってしまったら先程の二の舞になる。
まずは鐘を鳴らして中に入らなければ。
『これは?』
「鐘だよ。これを鳴らすと中……なんだろう? 本来の姿が現れるみたいな」
『ほう。この現象もこれが原因か?』
「多分? 詳しくは知らないんだけど、霧の中だと迷うんだって」
『迷う、か。道理だな。魔力を微塵も感じられない。自身の魔力さえどこか遠くにあるように感じる』
霧が濃いから迷うのかと思っていたけど、どうやらそれだけではないようだ。
魔獣さんの上から降りて鐘を鳴らすと、周囲の様相ががらりと変わった。
『ほう……? お主から出る歪な魔力が消えたな』
「え? あれ? 本当だ!?」
『くく……人は面白い物を作る。不思議な場所だ』
修正が入ったわけではなかったらしい。
古の技術である迷宮の石が皆を堕罪から守ってくれたようだ。
もしかしたら……イリシアを悲しませたくなかったエルフの人達の願いが込められた場所だからかもしれない。
「ソウムを迎えに行ってくるから、待っててね」
『吾の主となる者だな。心得た。
しかし、お主がいなくなった後、吾の意識が保てる保証はない。
時間は掛けるな。枷となっていた心残りが消えた吾は飲み込まれたら最後、本能のまま荒れ狂う獣となるだろう』
「怖い……でも、意識を取り戻したのは俺じゃなくてリーノだよね?」
『確かに吾が最初に意識を取り戻した原因はあの坊主の気配だ。
しかし、意識を繋ぎとめているのはお主だ。囀る鳴き声が目覚ましのように揺り起こしてくる』
「それは良かった。黙ってたら俺死んでたってことだね」
『くはは、枷のない堕ちた者であればそうであろうな。吾の爪と牙は鋭いぞ』
よし、今すぐ迎えに行くのはやめよう。
鐘を鳴らした先に辿り着いたことをソウムにメッセージで知らせる。
ソウムが霧の外に着いたら迎えに行こう。エルフでもなく迷宮の欠片もないソウムは鐘の音が聞こえない。
木の上を飛んでくると行っていたからすぐに辿り着くだろう。ソウムは今1人で移動しているはずだ。
ジオン達は今、どこにもいない。いや、魔領域とやらにはいるんだと思う。
その事実に心細さを感じる。帰還石を使ってすぐに迎えに行くことは出来るけど、長い時間魔獣さんと離れるわけにはいかない。
『待つ間、お主がお主の従魔達と出会った時の話でも聞かせてくれ。
堕ちた者も、堕ちていなかった者も。時間はあるのだろう?』
「うん、良いよ。最初は、ジオンだね」
話しながらソウムの到着を待つこと数十分。ソウムからメッセージが届いた。
「行ってくるね! 頑張ってね!
なんとか意識を保ってね! すぐ戻ってくるからね!?」
『分かった分かった。……お主とのこの些細な約束が枷となることを吾も願おう』
笑顔で頷いて、駆け出す。
真っ直ぐに薬師の村方面に行けばソウムと出会えるだろう。
今の状態ではどこからどこまでが霧の範囲内かは分からないけど、ソウムがいる場所まで行けばそこは霧の外ってことだ。
霧の外へ出たら俺にとってもここは霧のある森になる。
歪な魔力が未だ留まっているらしいこの辺りには魔物の姿はない。
魔物と出会うことなく枯れ果てた森を駆ければ、音を頼りに霧の中を歩くよりも早くソウムのいる場所へ辿り着いた。
「ソウム!」
「あ、ライ。待たせたみたいで……同じくらいに着くと思ってたんだけど……」
「魔獣さんに乗せてもらったんだ」
「え……あれに乗って……? 正気……?」
「正直乗ってから後悔したよ。臭いもなんだけど、なんかこう……ぞわぞわーって引き摺り込まれるような……。
でも、そのお陰で凄く早く辿り着けたよ」
お互いの位置を確認しつつ、ソウム達がリスポーンした後のことを話ながら霧の中を歩く。
魔獣さんが『自身の魔力さえどこか遠くにあるように感じる』と言っていたのはどんな感覚なのだろうかと、魔力感知をしてみるがいまいちわからない。
だけど、自分がどこにいるか、どこに向かって歩いているのか分からなくなるような感覚を覚えた。
感じないなら感じない方が良さそうな感覚だ。魔力感知から鐘の音に意識を向ける。
「ね、ライ。あの……さっきのって……」
「えっと……触れてないのに状態異常がたくさん出たやつ?」
「そう。昨日僕が行った時は、覆い被さられてあの状態になったけど……それに、他の人達もそうだったみたいだから」
「俺もよく分かってないんだけど……俺、堕ちた魔物を前にしたら跳ね返しちゃうのかも」
「ライが原因?」
「うん……ごめんね。俺もさっき知って……」
「あ、いや、それは別に良いよ。1回目でテイム成功するって思ってなかったし、リスポーンが早くなっただけだから。
えっと……一緒に行ってるけど、大丈夫なの?」
「うん、中では大丈夫みたい……多分……」
「えぇ……多分なの……? 種族特性?」
「ううん、特性。俺、1回堕ちたっぽくてね。あ、着いたよ」
「めちゃくちゃ気になる……いや、まぁ、うん。今はとりあえずテイムが先だよね。
ジオン達、早く迎えに行きたいと思うし、ライがいても意識がなくなる可能性はあるから、急ごう」
頷いて、鐘を鳴らす。
周囲の景色が変わると共に、ぼちょりぼちょりと粘着質な音が聞こえてくる。
俺から嫌な気配は出ていない。ソウムに視線を向ければ、大丈夫だと頷いてくれた。
「ただいま!」
『……あ、ああ……』
「大丈夫!? 俺のことわかる!?」
『……ああ……ああ、なんとか、な。約束を違えなくて済んだようだ……』
「じゃあ俺、テイムが成功するまで話し続けるね」
『くはは、本に喧しいやつよ』
「ソウム、よろしく! 攻撃されないからテイムし放題だよ」
「【テイム】……【テイム】、【テイム】、【テイム】……いや、成功する気がしないんだけど……。
え、説得した上でこれ? 説得できたらすぐとかじゃないの?」
「普通のテイムのことはわからない……魔獣さん、どうなの?」
『どうと言われてもな……何も届いていない』
「何も届いてないって言ってるよ。うーん……もっと呼びかけてみたら良いのかも」
「呼びかける……? お、おーい! 【テイム】!」
『違う。吾の主となる者もその友であるお主も阿呆か?』




