day123 堕罪
角の先からぐちゃりぐちゃりと反響して聞こえてくる音が、堕ちた魔物がこの先にいると示している。
こっそり顔を出して様子を見てみれば、少しだけ広い空間になっていた。戦闘になってもある程度は動けそうだ。
いくつかある横穴の1つに蹲るように留まる堕ちた魔物の姿を見つける。
今はまだこちらに興味を向けてはいないようだ。気付いていないということはなさそうだけれど。
「……なんで……」
ぽつりと呟かれたリーノの言葉に振り向く。
どうやらリーノも角から様子を窺っていてようだ。
「なんであの窪みに……そんな……俺の……」
「リーノ?」
「……あそこは、俺が……俺が、いた場所なんだ。なんで、他にも……」
目を見開き、驚愕の表情を浮かべるリーノから、堕ちた魔物がいる横穴に視線を移す。
リーノがいた場所。つまり、リーノの大事な物もあそこにあるということだろう。
じっとよく目を凝らして見てみれば、ぼとりぼとりと落ちるヘドロのような何かに紛れて、きらりと光る何かが見えた。
確かにその辺りにいるのではと話していたけど、まさか全く同じ場所にいるとは思っていなかった。
いくつもある横穴の中で全く同じ横穴にいるなんてことあるだろうか。
リーノ曰くここは奥の奥、広い洞窟内の中で一番強い魔物が数多くいる先。
冒険者が来ることもなかったし、ノッカーの集落の人達も近付かない場所なのだとか。
「……堕ちた魔物に心当たり、あったりする?」
「……ねぇな。全くない。ここには、誰もこない。
こんなとこにくるやつなんて……あいつしかいねぇ」
「あいつ?」
「俺の……友達。細工の師匠。でも、あいつはもう……いや……。
でも、あれは……なぁ、あいつ、あれ、魔物なのか? 亜人じゃねぇのか?」
縋るように発せられたリーノの言葉にぎゅっと掌を握る。
リーノの友達。細工の師匠。それはつまり……細工スキルの尤を受け継いだ相手だ。
「俺……俺、ずっと、探してたんだ……あいつが、死んだわけねぇって。
なぁ、ライ。あいつなんだよな? あそこにいるのは、あいつだよな?」
ぐっと口を引き結ぶ。視線の先には『堕ちた元魔獣』と表示されている。
堕ちた元亜人であって欲しいと願っているかのようなリーノに、鑑定で見える事実を答えて良いのだろうか。
何も言わない俺に察したであろうリーノが辛そうに眉を寄せ、ふっと小さく息を吐いた。
「……違う、か。そうか……そうだよな。あいつは……堕ちるようなやつじゃねぇよな……」
もしかしたらリーノの師匠の知り合いだったりするかもしれないという言葉は口から出ることはなかった。
それはただの希望的観測だ。それで期待して、違った時の落胆を考えると言えない。
「……行こう、リーノ。リーノの大事な物、取りに行こう」
「……ああ……そうだな」
俺達は顔を見合わせて頷き合い、足を進める。
少しだけ広い空間に足を踏み入れた瞬間か、それとも堕ちた元魔獣の視界に入った瞬間か。
ぶわりと嫌な気配が広がった。
「……え?」
今、どこから嫌な気配が広がっただろうか。
普通に考えれば堕ちた魔物から広がったと考える。だけど……今のは。
はっとして皆のHPバーに視線を向ければ、そこには堕ちた元亜人と対峙した時に見るあの状態異常を知らせるアイコンがずらりと並んでいた。
まだ足を踏み入れただけで、堕ちた魔物と一切接触していないのに。
俺の周りにいた皆の体がぐらりと揺れて、頽れる。
同時に、その羅列が俺にだけ並んでいないことに気付いた。
「……! 堕罪……!」
まさかこんなところで堕罪が発動するなんて。
いや、堕ちた魔物の前だから発動したのか。
「っ……【従魔回復】!」
慌てて隣にいるリーノに従魔回復を使うが、見る見る内に減り続けるHPには何の足しにもなっていない。
このままでは何もしない内に全滅してしまう。俺だけ残っても何も出来ない。
「ソウム! お願い! テイムして!」
「っ……【テイム】……」
吐き出されたソウムの声は掠れていて、聞き取れない程にか細かった。
堕ちた元魔獣の姿は何も変わっていない。つまりテイム失敗だ。
「ごめん、ごめん……! こんな事になるなんて、思ってなくて……!」
「「ライくん……!」」
一番HPが少ないシアとレヴが花のエフェクト共に消えて行く。
フェルダ、ジオン、リーノが消えて、最後に。
「……少しでも良いから、連れて、きて……」
「連れて……?」
俺のその言葉に返事をすることなく、ソウムの姿も消えてしまった。
俺と堕ちた元魔獣だけになってしまったこの場所で、がくりと座り込む。
堕罪のことなんてすっかり忘れていた。
いや、そもそも、負の感情が昂らない限り関係ないと思っていた。
堕ちた魔物や堕ちた元亜人と対峙した時に発動するなんて思っていない。
……この先、堕ちた元亜人と対峙する時は、1人で対峙しなきゃいけないってことか。
「連れてきてって……堕ちた魔物を……?」
ここまで何度も来るのは大変だから少しでも近くに連れてきて欲しいってことだろうとはわかる。
確かにあの羅列が並ばないなら連れて行くことは可能だろう。
堕罪について説明する暇もなかったけど、俺があの状態になっていないのは気付いているはずだ。
だけど、俺がいたら堕罪が広がるから、街まで連れて行ってしまえば大惨事になる。
人がこないような場所……哀歌の森の奥ならこないだろうけど、それでも遠い。
挑発しつつ場所を移動していけば……いや、魔物は一定の距離以上に離れると元の場所に戻っていくから、連れて行けるのだろうか。
状態異常……堕罪状態だろうか。堕罪状態にならないだけで、攻撃を受けてしまえば一溜りもないだろう。
『……あやつは、ここにいた坊主はどこへ行った?
ふ、くはは……! 聞こえんか。聞こえるわけがない。
くく……吾も耄碌したものよ。堕落した吾の声が届くことはない』
「え……?」
確かに声が聞こえてきた。だけど、ここにいるのは堕ちた元魔獣だけだ。
魔物が話せるなんて……いや、高位のものであれば話すと前にジオンが言っていた。
動く気配のない堕ちた元魔獣に視線を向ける。
こちらを見ているような気がするけど、それもわからない。
『何故だ。何故吾に構う。吾はここにいるだけだ。
堕ちてしまったことが罪なのか。ああ、罪だろう。
しかし吾はまだ見ていなければならない。討伐されてやるつもりはない』
「話せるの……?」
『……』
「ねぇ、俺聞こえるよ! 届いてるよ!」
『……吾に言っておるのか?』
「そうだよ!」
『……そうか。……届く者がおったか』
堕ちた元魔獣がゆらりと動く。
恐らく立ち上がったのだろうと思うけど定かではない。
『あの坊主を知らぬか?』
「えっと……誰のこと?」
『名は知らぬ。随分昔、ここで楽しげに燦爛たる物を作っておった坊主よ。
姿が見えたと思ったが……幻覚でも見たか』
「もしかして……リーノのこと、かな?
リーノの……ここで細工をしていたリーノの、知り合い?」
『知らぬ。吾は見ていただけだ。小さき種族の大きな坊主を。
群れから追い出された不憫な坊主を見ていただけだ』
ぐちゃりぐちゃりという音に混じって、かちゃかちゃと硬質な音が聞こえてくる。
爪が地面を叩く音だろうか。
地面に座り込む俺の目の前まで来た堕ちた元魔獣を見上げる。
「俺は……ここにいた頃のリーノの話は聞いてないんだ。
今日、少しだけ聞いただけで……それに、なんとなく予想はしてたけど……」
『……あの坊主はお主の従魔になったのか?』
「うん。リーノは俺の従魔……仲間だよ」
『……坊主はもう、憂き目に遭ってはいないか?』
「もしかしたらリーノには思うところがあるのかもしれないけど……。
俺は、辛い過去を忘れてしまえるくらい楽しい冒険をしようって思ってるよ」
『そうか……そうか。見届ける必要もなかったか……いや、坊主の忘れ物を持って行ってやれ』
ぐるると小さな唸り声を上げた堕ちた元魔獣はずりずりと動いて、先程まで留まっていた横穴へと移動して行く。
堕罪状態にはなっていないものの、酷い臭いにずきずきと痛む頭を耐えつつ立ち上がり、堕ちた元魔獣の後を追う。
立ち止まった堕ちた元魔獣の横から横穴の中を覗き込むと、たくさんのアクセサリーが転がっていた。
奥には細工で使う道具が置かれている。そのどれもが古くなって変色してしまっていた。
きっとリーノが作ったアクセサリーなのだろう。そして、リーノが使っていた道具。
脆くなったそれらが壊れてしまわないように丁寧に1つずつアイテムボックスにしまっていく。
『吾の憂いはこれで終わりだ』
「リーノの大事な物を守ってくれていたの?」
『見ていただけだ。不憫な坊主がせっせと作っていた何かを、綺麗だと思ったのも事実。
坊主は吾の存在には気付いていなかったようだがな』
「そっか……ありがとう」
『お主に礼を言われる謂れはない。が、あの坊主の主であるというのなら受け取っておこう』
全ての道具とアクセサリーをアイテムボックスに入れると、傍で俺の様子を見ていた堕ちた元魔獣が満足げな唸り声を上げた。
『では、吾は行く。ここは良くない。邪念が蔓延っている。
小さき種族の邪念、坊主の邪念。そして吾の邪念。お主も長く留まるな』
「どこに行くの?」
『さてな。邪念に染まり堕ちた吾に行く場所などない。
しかし、吾がここにいては困るのだろう?
誰一人として訪れなかったこの場所にやたらと人が訪れるようになった』
「……ねぇ、テイム、されてみない?」
『お主の従魔になれと?』
「俺ではないんだけど……ソウムっていう異世界の旅人の……あ、さっき最後にいなくなった人だよ」
『記憶にない。坊主の気配で意識が戻ったとは言え、朧げだ。今現在も。
ふ……くく、くはは……異世界の旅人か。それも良かろう。
何処ぞに身を隠し、自我のない災害となり朽ち果てるのを待つよりも余程良い』
ここから離れると言う言葉を聞くに、フィールドで出る魔物と違い堕ちた魔物は一定範囲以上に離れることができそうだ。
テイムされることを肯定してくれているし、苦労せず一緒に移動できるだろう。
『ここで待てば良いのか?』
「ううん、着いて来て欲しいんだ。
ここから出て……うーん……俺がいるとあれだから……うん。とにかくここから出よう」
『そうか。連れて行け』
頷いて、来た道を戻る。
とは言え、リーノに言われるまま来たので帰り道はいまいちよくわかっていない。
適当に歩いてても運が良ければ外に出れるとギルドの職員さんが言っていたからなんとかなるだろう。
それにしても、どこまで連れて行けば良いのだろう。
哀歌の森で狩りをするプレイヤーや冒険者はそんなに多くないみたいだけど、哀歌の森の植物の素材集めの依頼を受ける人はそれなりにいるようだ。
薬師の村から近い場所に連れて行くのは止めた方が良いだろう。
と、思っているとソウムからメッセージが来た。
『TO:ライ FROM:ソウム
さっきの霧の手前のとこまで連れて来れる?』
『TO:ソウム FROM:ライ
大丈夫だよ でも、霧の手前でも遠くない?』
『TO:ライ FROM:ソウム
木の上飛んで行ってるから大丈夫』
なるほど。カードを投げて木から木へぴょんぴょん移動するのだろう。
最早手品ではない気がするけど……便利なスキルだ。
『遅い。乗れ……いや、乗れぬな。走れ』
「乗って良いの? あ、でもどこに乗れば……」
『駄目だ。堕ちた者に触れるな』
「大丈夫だと思う。俺、堕罪っていう特性があるんだよね」
そう言いながら、ゆらゆら噴き上がる瘴気にずぼりと手を突っ込んでみれば、触れた箇所からぞわりぞわりと何かが這うような感覚が襲った。
ずるりずるりと吸い込まれるように、冷たいような熱いような粘着質な何かが俺の手に纏わりついてくる。
『お、おい!? っこの……! 馬鹿者!』
「大丈夫だよ。ね、ほら……って、見てわかるものでもないか」
状態異常のアイコンの羅列はプレイヤー以外は見えないだろう。
鑑定を覚えてたら見えるかもしれないけど……魔獣さんが覚えているか分からない。
『お主、命知らずと言われないか?』
「どうだろう? 行き当たりばったりだとは思うけど」
『……もう良い。乗れ』
頷いて恐らく背中だと思われる場所に跨ろうとして……着物があんまりにもはだけたので横向きに乗る。
今度馬に乗る時用の服を作って貰おう。
噴き出る瘴気やヘドロがぞわりぞわりと俺の上半身を蝕んでいく。
酷い臭いと上半身に纏わりつく瘴気の感触に吐き気を覚える。
移動が楽になるからと何も考えずに乗ってしまったけど、酷い臭いに包まれることに今更気付いた。
乗ってしまった今、それを指摘して降りるのも申し訳ないので口だけで呼吸して耐えるしかない。
『外に出たら良いのか?』
「うん、哀歌の森の……霧のある場所を目指してるよ」
『霧……ああ、あそこか。やめておけ。あそこには……』
「大丈夫。迷うだけだよ」
『違う。それもだが、そこにある気配が良くない』
「大丈夫、大丈夫。俺の仲間になったからね」
『……そうか。ならば行くぞ』
ぐるると唸り声を上げた魔獣さんが駆け出す。
「わ、っと……」
『振り落とされるなよ』




