day122 潜む影
バリカンもとい、《魔動毛刈り機》の音に紛れてめぇと鳴き声が聞こえてくる。
連れて来られてすぐにイリシアの手によって毛刈りをされている羊達は大人しく、嫌がる素振りも見せずにのんびりとしている。
この世界ではちゃんと毎日お世話していれば1週間に1度毛刈りが出来るくらいに毛が生えるらしい。
「イリシア、《光風魔乾燥機》できたよ」
「あら、あら。早いのね。納屋の横に刈り取ったライ麦があるから、よければ乾燥させておいてくれないかしら?」
「了解!」
納屋の近くに《光風魔乾燥機》を置いて、せっせとライ麦を中に入れていく。
この魔道具はその名の通り、光と風の力で牧草等の植物を乾燥させる魔道具だ。
ちなみに、ネイヤが素材を乾燥させる時に使う魔道具もほとんど同じ造りだけど、一部の魔法陣も違うし、大きさや形、使っている素材も違う。
錬金術用の魔道具は菖蒲さんが来ている時に作ったので、素材を入れる場所はガラスが使われていて乾燥具合が見れるし、一度にたくさんの量を乾燥させることもないからとそんなに大きな物ではない。
こちらは鋳造で作っているので中は見れないし、一度にたくさん乾燥することが分かっていたのでサイズも大きい。
柵で囲まれた羊達の住処には牧草の種を植えているけどまだ育っていないしたくさん食べるそうなので、牧草以外にも餌があった方が良いらしい。
栄養とかも考えてのことなんだろうけど、いまいちよくわかっていないので冊子とイリシアに従っている。
「牧草も乾燥させた方が良い?」
「ええ、そうね。ライ麦の隣にあるのが牧草だから、お願いしても良い?」
「もちろん。終わったら納屋? それとも、餌入れに全部入れちゃって大丈夫?」
「そうね……餌入れにそれぞれ半分くらいずつ入れて、残りは納屋にお願い出来るかしら」
雨が降ったりしたら、せっかく乾燥させた干し草がべしゃべしゃになってしまいそうだし、屋根のある場所に置いておいた方が良いのだろう。
そう考えて、これまでにお天気雨ですら降ったことがないと思い至る。この世界、雨は降らないのだろうか。
でも、植物が育っているのだから降るのではないか……日にちが経てば生成されるのだから必要ないのかもしれない。
農業をする時は水やりをしているけど、フィールドの植物に水は必要ないのかな。
だとしても水やりの必要がなくなるのだから雨が降っても良さそうなものだけれど。
「ねぇ、雨って降る?」
「降らない場所ではほとんど降らないけれど、降るわよ。
雨が降っちゃう前に羊達のお家を用意してあげたいわね」
「オークションの落札結果が出たら、厩舎を建てようね」
この世界にきて今日で122日目だけど、一度も雨が降っていないことから、滅多に降らないのだろうと予想できる。
雨の日のこの世界の姿も楽しみだ。
ふおんふおんと不思議な音が聞こえてくる魔道具に耳を傾けつつ、音が止まるのを待つ。
現在ジオンはデスサイズ、リーノはアクセサリー、シアとレヴ、フェルダは畜産の道具……作業場があまり広くないので、フェルダは庭で作業中だ。ネイヤは作物を1つ1つ眺めては、足りない肥料を作っている。
「見て、ライ君」
「わ、そんなに大きいんだね。もっとこう……小さな綿みたいなのがぽろぽろってある感じなのかと思ってたよ」
「うふふ、大きな1枚になるのよ。
さて……もう1匹も刈り取っちゃいましょう」
ここから洗って、ほぐさなきゃいけないのだとか。
洗う為の洗剤……薬剤? は、ネイヤが用意してくれた。
ほぐすのはブラシのような物でちまちまやっても良いらしいけど、梳綿機というものがあるらしい。
梳綿機と糸車は空さんに頼んで貰えないか兄ちゃんにメッセージを送ったらすぐに了承の返事がきた。
ベルデさんに頼むか悩んだけど、こういうのは空さんの方が好きなんじゃないかと頼んでみたら、空さんは凄く喜んでくれたそうだ。
作ろうと思えば石工でも鋳造でもできるけど、他の機織り機等が木工品なのでそれらに合わせてみた。
音が止まったのを確認して、ぱかりと扉を開けて中を覗き込む。
正直、先程とそんなに変わったようには見えないなと思いながら取り出してみれば、随分軽くなっていることに気付く。
なるほど。水分が抜けたらしい。
取り出して餌入れに入れて、残りは納屋に運んでおく。
乾燥出来ていないライ麦はまだあるけど、先に牧草を乾燥させよう。
再度せっせと中に入れて扉を閉じて起動すればふおんふおんと音が鳴り始めた。
「ねぇ、フェルダ。それ、何作ってるの?」
「石印だね」
「石印……? 鋳型の元になるやつ作ってたんじゃなかったっけ?」
「それはできたから、暇潰し」
「なるほど。誰の判子?」
「ライ」
「なるほど……?」
判子を使う機会はくるだろうか。
手元を覗き込んでみれば俺の名前がお洒落な感じで彫られていた。
ちなみに、この世界にはこの世界の言語がある。と言っても、俺達プレイヤーはそれを理解できるし書ける。
書くと言っても日本語で書いてたら勝手にその言語になっているのだけれど。不思議だ。
そのお陰なのか俺が書いた文章を海外のプレイヤーも理解できるらしい。
これまでに海外の人に会った事は多分ないし、俺が書いた文章を読んで貰う事もなかったから本当かどうかはわからない。
「そう言えば、堕ちた魔物は良いの?」
「秋夜さんが言ってたやつ? 気にはなるけど、何もできないしね」
「ま、そだね」
これまで3回堕ちた元亜人に対面してきたからこそ、勝てる相手ではないと分かる。
とは言え、依頼が出てるくらいだから困っている人がいるのかもしれないし、一度くらいは様子を見に行っても良いけど……まずはギルドで話を聞いてからかな。
ギルドの様子からして被害は出ていなさそうではあるけれど。
被害が出ているのならクラーケンの時のようにもっと慌ただしいのではないかと思う。
乾燥機から聞こえてきていた音が止まったので、緑色から茶色になった牧草もとい干し草を取り出して運ぶ。
運び終わったらライ麦を入れて起動。これともう1回牧草が終わったら、魔道具を作ろうかな。
羊もいるし農業もしているから、拠点をテラ街に移すことを考えた方が良いかもしれない。
今トーラス街の家を拠点にしているのは一番広いからというのが主な理由だけど、近くにカヴォロのお店があるからというのも理由の1つだ。
夜は大体カヴォロのお店でご飯を食べている。
往復の転移陣代8人分16,000CZを払えば良いだけだけど、移動費に夕食代も合わせると少々痛い出費だ。
まぁ、夜ご飯のことはテラ街で食べれば良いから考えないとしても、今はまだ拠点にするには少し狭い。
素材も庭にある小さな納屋に農業道具と一緒に置いているので、いつかは素材置き場を作りたい。
増築するにもお金が掛かるし、その前に庭を広くしたいので、それまではトーラス街の家が拠点になるだろう。
「洞窟……って言ってたよね?」
「うん、洞窟の中にいるって秋夜さんは言ってたね。
どこの洞窟だろ? テラ街の依頼ってことは、テラ街からそんなに離れてないのかなって思うけど」
「そうそれ。この辺の洞窟って、哀歌の森の先にある岩山じゃない?」
「頂上には雪が積もってるって言ってた岩山? そう言えば、洞窟が……」
その時の会話を思い出す。
どうしてそんな話をしたんだっけ。それを言っていたのは誰だったっけ。
リーノだ。洞窟の中は寒くはないって言っていた。ノッカーの集落がある洞窟だとも。
「……俺、ちょっと話聞いてくる」
「ん、乾燥はやっとく」
「ありがとう!」
門から出てギルドへの道を駆ける。
リーノはノッカーの集落についてあまり良く思っていないようだったし、仮にノッカーの集落のある洞窟内に堕ちた魔物がいたとしてもどうにかしたいとは思わないかもしれない。
それに、違う洞窟の可能性もあるし、予想の話をリーノに話して悩ませる必要はないだろう。
まずはギルドで話を聞いて、それから考えよう。
ギルドの扉を潜り抜けて、空いている受付へ進む。
朝に来た時よりも人の数は少ない。堕ちた魔物の依頼かはわからないけど、依頼を受けて狩りをしているのだろう。
「あら? 羊に何かありました?」
「ううん、それは大丈夫。堕ちた魔物について聞きたいんだけど……」
「なるほど。討伐依頼の件ですね。テラ街から西北に進んだ岩山の洞窟内で、堕ちた魔物が出現しているそうです。
洞窟に行っていた冒険者の方が……その……帰らぬ人となりまして、その後ギルドから派遣した冒険者の方達も未だ帰ってきておりません。
異世界の旅人様方が確認してくださり、堕ちた魔物が出現していると分かった次第です」
「あの、西北の洞窟って……」
「鉱石が豊富な洞窟ですよ。中が迷路みたいになってるので、気を付けないとすぐ迷子になってしまうとか。
出入口もたくさんあるので、適当に歩いてても運が良ければ外に出れるみたいですけどね」
「寒い?」
「? そうですね? 洞窟内はそこまで寒くないですけど、洞窟のある山の頂上は雪が積もっているので寒いです。
えっと、地図出しますね」
カウンターの上に広げられた弐ノ国の地図に視線を向ける。
「この辺りです」
「……哀歌の森の北側?」
「そうですね。哀歌の森から真っ直ぐ行けたら早いんですけど、哀歌の森の奥には……ええ、少し良くない噂がありまして。
詳しくは知らないんですけどね。昔々、エルフの方が住んでいらっしゃったって話ですので、その名残ではないかと言われてますが」
場所は、リーノが言っていた場所だ。
リーノは多分あの山だって言ってただけだったし、もしかしたら違う場所かもしれない。
「討伐依頼、受けますか?」
「……堕ちた魔物って、倒せるの……?」
「……わかりません。過去の事例のほとんどが封鎖して近付けないようにしたと記録されています。
封鎖と言っても道を塞げば終わりってわけではありませんし、準備だけでとても時間が掛かります。
その間に……被害が拡大する可能性が高いんです。異世界の旅人様方なら或いは、と……願望ですけどね」
「封鎖の準備は進んでるってこと?」
「はい、一応は。ですが……洞窟内に住む種族の方が移動を拒否されているそうで……」
「……あの、洞窟内に住む種族って……?」
「ノッカー、という種族ですね。採掘が得意な種族です。
幸いノッカーの集落とは離れた場所で出現しているらしく、今のところは同じ場所に留まっているだけで動く気配がないとかで被害は一切ないようです。
ノッカーの方達も、化け物が化け物になっただけだから問題ないとかなんとか……移動していただけない事には封鎖ができませんから、説得している状況です」
「そっか……」
ノッカーの集落があるというならもう間違いない。リーノの故郷だ。
リーノに話すべきなのか、話さないべきなのか。ノッカーが全滅しても構わないなんて言われたらどうしよう。
いやでも、リーノに限ってそんなこと……と、思うけど、俺はリーノの過去について何も知らない。
多分、イリシアのように迫害されていたのではないかって思うけど、話を聞いたわけじゃない。
もしかしたら、そのまま全滅してしまって良いと思う程に恨んでいる可能性だってある。
「どうされますか?」
「ん……ちょっと考えてみる。ごめんね」
「いえいえ~、堕ちた魔物の討伐だなんて、しようと思って出来るものではありませんからね。
討伐隊を組もうかなんて話が出てるところです。もし、討伐隊を組むことになったら是非参加してくださいね」
お礼を告げてのろのろとギルドから出る。
どうしたものかと考えて歩いていたら、答えが出ないまま家に辿り着いてしまった。
「……その感じだと、予想通りだったみたいだね」
「うん……どうしよう」
「……さぁ。けど、リーノには話したが良いと思う。
ま、俺が気付いたんだから、リーノも気付いてると思うけど」
「そうかな?」
「じゃない? いつもと変わんないけどね」
出来ればリーノの笑顔が翳るようなことにはしたくない。
リーノだけじゃなく、皆にも言えるけれど。
知らない内に解決していたなら良かったのにと思う。いつの間にか解決していたなら、過去の話として話しやすかった。
なんなら俺も知らないまま過ぎていたかもしれない。
「とりあえず、話すのは明日にして、今日は生産に集中しようかな。
これから動けるわけじゃないしね」
「ん、そだね。それに……ま、これは明日で良いか。
石印、出来たよ。何に使うかわかんないけど」
「ありがとう……これからは手紙の最後に判子を押すことにするよ」
「朱肉ないけど」
「んんっ……夜ご飯食べに行く時に探す……」




