巡会(めぐりあい)不要(Bパート)
ドモンがビリーと食事を共にした数日後。
イオはぶらぶらと通りに出て、粗末な看板を立てかけ、信者の募集を行っていた。耳を傾ける者はほとんどいない。信者の新規獲得など、夢のまた夢だ。そんなことはよく分かっているつもりだが、何分教会にいても暇なだけなのだ。
「失礼を承知でお尋ねするが、神父殿」
無造作に降ろした黒髪に、無精髭の男がゆらりと目の前に現れた。イオは男のむさ苦しい姿に眉をひそめる。
「神は金のない小説家をお救いになるか」
「……あんた、誰でェ」
「俺だよ、兄貴。孤児院で一緒だったミヤコだ。変わらねえなあ」
イオは気を削がれたのを露骨に態度に示し、看板を持ち上げその場を去るべく歩き出す。ミヤコはそんなイオへすがりつくように、連れ立って歩き出した。
「つれないな、兄貴。俺達兄弟じゃないか」
「俺はお前の事を弟と思った事はねェ」
「そりゃ血はつながってないからな。……久々に会ったんじゃないか。メシでも食おう」
ミヤコが強引にそういうので、イオは致し方なく看板を裏返し、彼についていくことにした。ミヤコとは出身が同じで、兄弟分として幼い頃を過ごした。イオはイヴァンを出入りし、帝国中を旅して回った時期もあるので、こうして会うのは十数年ぶりであった。
小さく寂れた食堂で、二人は焼き魚と酒を注文し、久々の再会を祝った。尤も、イオはとても喜ぶ気になどなれなかった。イオにとって、過去とは忌むべきものだ。親に捨てられ、孤児として育ったイオに、独り立ちするまでの過程は必要としないものであり、省みることもない、単なる事実でしかないからだ。それ以外にも、理由はあるが。
「何しに出てきやがった、ミヤコ。俺達はもう他人だ。ちょろちょろすんのはやめてもらいてェ」
「そういうなよ、兄貴。……神父になったんだな。確か、兄貴が孤児院を出たのがもう十年以上前だった。本当に久しぶりだ」
イオはやけくそにグラスに注がれた酒を一気に飲み干す。嫌な思い出ばかりの子供時代。ミヤコそのものに罪があるわけではないが、それを象徴しているような気がして、どうしても普段の砕けた態度にはなれなかった。
「……お前は、小説家か。確かに本は好きだったからなァ。驚きゃしねェが。いつイヴァンに出てきやがった」
イオはこうなれば一刻も早く彼から離れたいと考えていた。あの孤児院の事を考えるだけで、虫唾が走る思いだったからだ。考えれば考えるほど、体を刺し貫くような怒りにさいなまれるのだ。
「小説家っつっても、食っていけないんだ。お陰で今でも孤児院の手伝いってところさ。……そうそう、二年前なんだが、孤児院もイヴァンに移ってきたのさ」
「なんだと?」
「シスター・ラビも心配していなさるぜ、兄貴。一度顔を見せてやってくれよ。それで、俺と……」
イオは銀貨を一枚出すと、俄に立ち上がった。自分が今、『神父のイオ』の顔を作れているかわからなくなってきたからだった。
「……ミヤコ、俺の目の前に二度と面は見せねェでくれ。俺と、お前は会わなかった。孤児院の事も俺は知らねェ。……じゃあな」
ミヤコは引き止めもせず、兄貴分の背中をただ見ているだけだった。彼は嬉しそうに残金を店主に支払うと、イオとは別方向の通りへと歩いて行った。
とある午後の昼下がり。
ドモンは憲兵団本部に昼食を取りに戻っていた。珍しく妹のセリカが弁当を作ってくれたからである。給料日前だから、無駄遣いするなという無言の圧力だ。ドモンは昼食に飯屋を開拓するのが趣味である。しかし先日、不手際から減給を命じられたばかりと言うこともあり、ドモンは趣味に金をかけられなくなってしまったのだ。
「……で、いくらなんでもこれは酷いと思いませんか」
隣の席の同僚、サイが弁当箱を覗きこむと、なんとロールパンが二つぎゅうぎゅうに詰められているだけだった。
「セリカちゃんの怒りが透けて見えるな。可哀想に」
そういうサイの机の上には、普段は見たことのない弁当箱が乗っているのであった。サイが弁当箱を開けるのを、ドモンはまるで自分のことのように見つめている。どうせ中身は、独身男性特有の、栄養の偏りきった貧相なものに違いないと決めつけていたのだ。しかし、中は意外にも、きれいに切り分けられたバケットにサラダ、フルーツが詰まっている! ドモンの粗末な弁当とは比べ物にならぬ、絢爛豪華な食事だ!
「君はずいぶんと豪勢ですねえ。何かあったんですか」
恨めしそうなドモンの物言いに、サイははにかんで照れくさそうに答えた。
「実は、彼女ができてな。弁当を作ってくれるってんで、好意に甘えてる」
ドモンはなんでもなさそうな振りをしつつ、味気ないロールパンを無理やり押し込んだ。その目には、サイに対するしずかな怒りと羨望が渦巻いていた。自分と彼とのこの差は一体どこからくるというのだろう。
ドモンが仕方なく二個目のパンに手を伸ばそうとした、その時であった。
「大変です! ヘイヴンの近くで、死体が発見されたそうです!」
門番の男が血相を変えて執務室に飛び込んで来た! ドモンとサイはお互い顔を見合わせ、同時に口にパンを押し込むと、憲兵団の白いジャケットを羽織りすぐに飛び出す! 一度事件が起これば、彼らに休憩時間であるかどうかは関係ないのだ!
殺人事件が発生したのは、ヘイヴンの外れでサイとドモンが担当している地域の、ドモン側の地区の路地裏であった。男がうつ伏せに倒れこんでおり、冷たくなっていた。
「外傷はあるんですか?」
早速死体の検分を始めていた医師にドモンは訊ねる。見たところ、斬られたような死体には見えなかったからだ。
「いんや、どうやら突然心臓が止まっちまったらしいのよお。それで、ここに倒れちまった、そういうことみたいなのよ。殺人にゃ、ちょおっとみえねえのよお」
ドモンはほっと胸を撫で下ろした。勇んで飛び出してきたのは良かったものの、これが殺人事件ともなればまたしても面倒事を抱え込むことになるからだ。
「ドモン、とりあえず被害者の身元を確認しないとな。このままじゃいくらなんでも可哀想だ」
空は暗く、辺りは湿った空気が漂い始めている。雨が降る予兆だ。死人を冷たい雨に当たらせておく道理などどこにもない。
「そうしましょう。ま、殺人事件じゃないようで何よりですからねえ。先生はこのまま本部に戻って、報告をお願いします。サイ、使いっ走りみたいにして申し訳ないんですが、人を呼んでください。運びますから」
先生とサイが頷き、それぞれ立ち去っていく。同時に、しとしとと小雨が降り始め、ドモンの頭を濡らした。このままでは本格的な雨が振りそうだ。建物から雨除けの屋根がちょうど飛び出していたので、その下に移動し、死体をまじまじと観察した。確かに外傷はない。ドモンはふと男を裏返し、はだけそうになっている服の間から、鎖骨あたりの肌を見る。
そこには、小さな赤い腫れが残されていた。
事情を知らぬものが見れば、ただの虫さされにしか見えなかっただろう。しかし、ドモンは何を隠そう『断罪人』──いわゆる殺し屋である。様々な殺し屋達が、個性豊かな方法で人を殺すのを見てきた。彼には、この『虫さされ』が自分もよく知る方法で残されたものにしか見えなかったのだ。
「まさか……」
雨音と、遠い雑踏の音だけが、ドモンの脳内をかきむしるように走る。思い出したように、粗末な布を死体にかけてやった。いっその事、ただの殺人事件のほうが良かったかもしれない。ドモンはこの死体に、それほど何か嫌なものを感じていたのだった。




