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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
完璧不要
72/124

完璧不要(最終パート)






「何も起こらなかった。何も見なかった。聞かれたらそう言ってください」

 イオが通報した後、ドモンが言い放った言葉は無情そのものだった。血まみれの遺体と化したアレク青年を、そのままにはしておけなかったイオは、たまたま近くをうろついていたドモンを引っ張り込み、事の次第を話したのだ。

「おいおいおいおい、あんたが普段は仕事をやりたがらねェことは俺だってよく知ってる! だが、ここは俺の教会で、結婚式中の男が殺されて花嫁はさらわれたんだぜェ!」

 ドモンは青年の体の前にしゃがみ込み、指輪や金貨をあらためながら、ため息をついた。ドモンとて馬鹿ではない。薄赤色のコートを着た集団が、そのような蛮行に出た。それ自体は揺るがない事実だろう。

「いいですか、あんたが見たのは……見てないってことにして欲しいのは……帝国貴族のファフニールの私兵です。奴はあの有名な竜騎士団の幹部、こんなスキャンダル絶対に認めない……いや、まずそもそもスキャンダルにすらならないでしょう。憲兵団、帝国貴族ユージーン家、行政府……一丸となって『無かった事』にしてくるはず。その『無かった事』の一部になりたいってんなら、僕は止めませんけど」

 イオはその言葉の真意を理解した。帝国は、現在の形になり大きく安定し始めている。公平な裁判を、だれでも受けられるようになった。だがその一方で、帝国貴族の傲慢さは変わっていない。彼らの持つ、権力も。旧権力者達の権力を認めることでしか、総代アルメイは帝国に安定をもたらす方法を持たなかったのだ。

「じゃあ、何か? あんたじゃなくても憲兵団は、そのファフニールだかを捕まえようとはしないってわけかい」

「ま、百歩譲って、部下に責任を押し付けておしまいでしょうね。ファフニールまで火の粉はかからない。あんたがその金貨五枚で黙ってりゃ、それでおしまいです」

 ドモンは苦々しげにそう言った。イオは金貨五枚をドモンの手からもぎ取ると、聖書台に一枚一枚置いた。最後に、主を失った指輪を。ただただ、輝きが虚しかった。

「黙ってりゃ、あんたのものですよ、神父」

「わかってる」

 イオは何も言わなかった。ドモンはしばらくベンチに腰掛け、哀れ血だまりに沈んだ青年を見ていた。青年も、何も言わなかった。言えなかったのだった。






 アシュリーはその場にうずくまったまま泣き濡れていた。床の冷たさが、彼女の足に直に伝わる。剥ぎ取られた上着が彼女と同じく床に張り付き、主に広い上げられるのを待っていた。

「こっちにおいで」

 はだけたシャツにスラックスだけになったファフニールが、柔和な笑みを浮かべながら、ベッドに腰掛けていた。しかしアシュリーは泣くばかりで、反応はない。見かねたファフニールは、彼女の腕を掴み、ベッドに放り投げた。彼女のなめらかできめ細かい肌に、ファフニールの舌が這う。娼婦としての彼女なら、多少なりとも彼に好意的な反応が出来ただろう。だが目の前で彼女の体を貪っているのは、顔だけは整ってはいるが、中身は醜悪な欲望を湛えた、自分の夫となるはずだったアレクをくびり殺した男なのだ。

「僕は運命論者なんだ」

 アシュリーは覆いかぶさってきた男の顔を見る。おぼろげな部屋のランプで暗黒に染まった彼の顔は、静かにそう答えた。

「君を一目見て、僕のものにしなくちゃならないと思った。そして君は、僕のものになった。それでいいじゃないか。君は帝国貴族のものになった。誇るべきことだ」

 アシュリーは答えなかった。気乗りしないセックスには慣れていたし、相手を最小限の力で喜ばせる方法も心得ていた。彼女はここ──その実ユージーン家所有の別宅らしい──に来た時に、彼を断じた。彼を罵倒し、泣き喚き、力の限り殴った。だが全てが無駄だった。男どもにこの部屋に押し込められ、ファフニールにベッドへ縫い付けられたのだ。

 そして彼女は全てを諦めた。

 アレクは死んだ。ファフニールは自分欲しさにアレクを手駒を使って殺し、アシュリーの希望は全て失われた。行くべき場所も、帰るべき地も残っていない。ひとしきりファフニールが満足し、半裸のままベッドに腰掛け一息ついている時も、彼女の心はただただ空虚だった。

「満足した?」

 アシュリーはそう言ってファフニールを睨みつけた。彼女ができる、最後の抵抗だった。だがそれに対してもファフニールはただ笑うだけだ。

「ああ。満足したよ」

「私はどうなるの。お妃にでもしてくれるの?」

 彼女は力なく軽口を叩いた。アレクはもういない。そして、自分はただただ無力な女だ。帝国貴族に逆らうような力も、技術も、言葉も持っていない。今まで、娼婦として流されながら生きてきた。帝国貴族に流されながら、生きていくのも悪くない。彼女は悲壮な決意を胸に、精一杯の──苦悩混じりの笑顔さえ見せてみせた。

「服を着るといい、ミセス・アシュリー」

 急にそっけない口調に代わると、ファフニールは返事も待たず服を着始めた。アシュリーは何が起こったのかすぐには分からなかったが、娼婦時代によく見た光景だと気づくのに長くはかからなかった。男達は、セックスに持ち込むことに意味を見出している。その後の事など、何も考えていないし──簡単にいえばどうでもいいのだ!

「帰りなさい。用は全て済んだよ」

「話が違う……あなた、僕のものにするって……私のことを……アレクの事を……」

「用は、全て、済んだ。三度は言わせないでくれ、ミセス……いや違うな、ミス・アシュリー。僕は君のものになった。一度はね。それでいいのさ。ダニー!」

 扉の前に控えていたのであろうダニーが、すぐに部屋の中に滑りこむと、ファフニールはにこやかに彼女を手で示した。

「ミス・アシュリーはお帰りだ。入り口までお送りしなさい」

 アシュリーは次の瞬間には、ファフニールに掴みかかっていた。すぐにダニーの力で引き剥がされて拘束されるも、力の限り暴れ続けた。無念を、後悔を、恨みを晴らすために。しかしダニーの力は強く、拘束は厳重だった。アシュリーに出せるのは、所詮非力な女の力でしかないのだ。

「あなた……最低よ! 何が貴族よ! あなたは品性下劣のくずよ! 返してよ……アレクを返してよ! 返しなさい!」

 ファフニールの顔からは、既に笑顔は消えていた。彼は壁に立てかけていた細長く布を巻いた物体に手を伸ばし、布を解いた。一般的な剣よりはるかに長い剣だ! 彼はそれを握ると、構え……アシュリーを容赦なく、刺した。深々と。アシュリーの目は一杯に見開かれ……剣が体から抜けると同時に事切れ、崩れ落ちた。

「たかが娼婦がお妃だと? 一回寝たくらいで調子に乗らないことだよ、ミス・アシュリー。……死体に言っても仕方がないか」

「ファフニール様」

「僕が悪いと思うか? 帰れと言ったのに帰らなかった。それどころか暴れて僕を罵倒した。許されざることだと思わないかい?」

「ええ。しかも、あなたを殺そうとしました。正当防衛です」

 ダニーは淡々と主人を庇った。いや違う。予めそうなることを予測していたのだ。それ故にダニーの言葉には動揺も淀みも一切ない。

「そうだ。正当防衛。証言者は君だ。憲兵団には君から通報しておけ。僕はこれからショックで寝込む。娼婦に襲われた哀れな青年というわけさ……」






 教会の奥の壁には、血がべっとりとまだへばりついたままだった。正式に憲兵団に通報したイオが知ったのは、ドモンの言うことが全て真実になってしまったということだった。憲兵団の連中は、薄赤色のコートの集団の事を信じなかった。それどころかイオを捕まえようとしてきたので、居合わせたドモンがごまかすことでなんとか事なきを得たのだ。はっきりした。憲兵団は、帝国貴族・ファフニールに気を使っている。ただでさえ、剣術指南役として招聘した客である。その客の顔を潰すような真似はできないのだ。

 疲れきったイオは、傾き始めた夕日の差し込む聖堂の中のベンチに身を横たえ、仮眠を取っていた。『やることやったら寝ていろ』のことわざ通り、イオは今日はこれ以上何もやりたくなくなっていた。

 しかし、懺悔室へのカーテンが揺れた。誰かが懺悔をしにやってきたのだ。イオは気乗りしないまま、のろのろと起き上がる。神から与えられた試練を神父が避けるわけにもいかない。

 薄暗い懺悔室で、相手の影を垣間見る。イオは咳払いをしてから、舞台役者のような調子で言葉を紡ごうとした。調子は戻らず、大根役者もいいところだったが。

「迷える子羊よ、何でも懺悔なさい。神は全てをお許しになるでしょう」

「神父様。私は……私は娘を失いました」

 声は高いが男だった。男は涙ぐみ、何度も嗚咽を噛み殺しながら言葉を続けた。

「血はつながっていません。ですが、娘でした。娘の名前はアシュリー。アシュリーは……アシュリーは殺されたのです」

「続けて」

 イオの声は、男と反比例して低くなっていた。彼の話す言葉には、重みがあった。そして、強い憎悪が混じっていた。

「彼女は、帝国貴族のファフニールに殺されたのです。私は彼の逗留する別宅に死体を引き取りに行きました。彼は、正当防衛だと……彼女が襲ってきたからと……そんなわけがない。彼女は、私が面倒を見た娼婦でした。娼婦は、どんなに気が乗らなくても、たとえ相手を恨んでいても、感情を完全にコントロールすることができなくてはならない。そういう風に育て、事実彼女はそう育ちました。娼婦として彼女は天性のものがあった。最高の女に育った。男を襲うなど、考えられません。所詮は獣道のろくでもない稼業でしたが、せめてシャバに戻ってまともに暮らして欲しいと願った矢先に……おまけに彼女を身請けしたアレクまで死んだ……」

 男は、再び嗚咽を漏らし、何度も何度もハンカチで涙を拭った。イオは何も喋らない。こういう場合、ただ懺悔を聞くこと。それが神父の務めだからだ。

「ファフニールは、アシュリーを身請けしたがっていたのです。アレクに先を越されたから、根に持ったに違いありません……私は、やつを殺してやりたい。そんなことばかり頭のなかで渦巻いていて、苦しいのです」

 イオは、小窓の下の引き出しを向こう側に押し出す。悪魔が囁くように、ゆっくりと小さく話しかけた。

「……アシュリーとアレク。二人の魂の救済のために、喜捨して行かれるとよろしい。あなたの苦しみは、神がお許しになるでしょう」

 男はしばらくすすり上げていたが、やがて嗚咽を止め、引き出しの中に金を入れた。彼は何も言わなかった。礼の言葉も、さらなる恨み事も。イオには既に理解できていた。彼の怒りが、もうどんな事があっても消えることはないのだろう、ということを。






 集められたフィリュネとソニアは、まず壁にへばりついた血を見て驚いた。そして、聞かされた。夫婦になれなかった、哀れな二人の男女の事を。

「憲兵団でそれとなく女の子の……アシュリーって子の事を聞いてみました。何でも、ファフニールともめて暴れて……正当防衛として刺し殺されたとか。いやあ、恐ろしいですねえ。ま、抵抗した節は無かったらしいですけど。よくもまあ、あんな穴だらけの捜査報告でうやむやにしようとしますよねえ」

 ドモンは予めイオに不利にならないよう工作するために、独自に事件の捜査を行った。その結果、アシュリーは武器を持っていないし、そもそもファフニールは怪我すらしていない事がわかったのだ。だが憲兵団は、正当防衛を主張するファフニールの証言を信用して、それ以外の可能性を一切考えようとしない。何らかの密約が交わされたと見るべきだろう。

「何を揉めたんだろうな」

 ソニアはタバコを片手にそう言った。イオはシニカルな笑みを浮かべ、依頼人の事を思い出しながら、おどけた調子で話を続けた。

「いい女だったからなァ。懺悔してきた男によりゃ、何でも娼婦だったらしいぜェ。金髪で、褐色の肌……もったいねえ美人さんだった。……ソニアの言うとおりさァ。あの子は、ファフニールに殺された」

 ベンチに腰掛けていたソニアは急に立ち上がった。金髪に、褐色の肌の娼婦などそう多くない。ソニアはあの日の夜のことを考えた。短いやりとりの応酬でしか無かったが、充実していた時間のことを。ケーキ屋の事を聞くと言った、約束のことを。

「神父さん。もしかしなくても、断罪にするんですね」

 フィリュネが重苦しくなった空気を裂くように、確信を突いた言葉を投げかける。それに返すようにイオが金貨を置く音が、空気を揺らした。枚数はなんと四十枚。一人十枚。大金だ。

「指輪を売った金と、依頼人が置いていった十枚。そして、マチェーテ男が投げた五枚を合わせてしめて四十枚。相手は帝国貴族のファフニール・C・ベイルとそのボディガード達。下調べは、嬢ちゃんに任せたぜ」

 四人は、それぞれ十枚ずつ、一枚一枚金貨を拾い上げると、そろそろと教会の外の闇へと消えていった。最後に一人だけ残ったイオが、蝋燭の火を吹き消し、教会は闇に沈んだ。






 憲兵団から頼まれた剣術指南役の仕事が終わり、ファフニール一行は明日ユージーン領まで帰る事になった。別宅もすっかり片付けが終わり、ファフニール達は別の宿へと向かっていた。ボディガードは、ダニーを含む八人。街道はすっかり街灯が消え、ボディガード達が持つランプだけが道を照らしている。

「暗いね」

「今日は月も出ておりませんな」

 先頭を切るダニーが持つランプも、どこか頼りない。ファフニールは背中に帯びた剣に触れ、そのまま自身の長い茶髪に手櫛を通した。剣士は、命をやりとりするために腕を磨く。ファフニールは戦争に出た事こそ無かったが、よくそれを理解しているつもりだ。

 だからこそ、予感がした。何か、良くない殺意が自分に向けられていそうな予感が。

「ダニー。みんなも聞いてくれ。何か悪い予感がする」

「お言葉を返すようですが、ファフニール様。これだけの手勢がいるのですよ。一体何を恐れておいでで」

「それが分からないから気をつけるように、と言っているんだ」

 ダニーは無言で頷くと、手で男達に警戒するよう指示する。何しろ、月明かりも期待できないのだ。警戒するに越したことはない。

 ゆっくりと進む一行の目の前に、影が一つ飛び出してきた。その影は目の前で転び、一行の道を塞ぐ。ランプで照らすと、赤いスカーフを巻いた少女の姿がぼおっと浮かび上がった。

「なんだ貴様は!」

 一斉に手勢の者達が剣を抜く! 少女も目の前の光景に驚き跳ね起きる! その瞬間、間の抜けた声が通りの影から飛び込んできた。

「や、や、すいません! しばらく、しばらく!」

 影から追いかけてきたのは、憲兵官吏のジャケットを着た男だった。少女の目の前に片膝をつき、顔を上げた男に、誰あろうファフニールには見覚えがあった。眠そうな卑屈な目をした憲兵官吏。修練場で一度は剣を交えた男。ドモンだ。

「これはこれは、ファフニール様。修練場では大変お世話になりました」

「ドモンさん、これは一体どうしたんです」

 ドモンはかしこまりながらそろそろと立ち上がり、転んだ少女──フィリュネの襟を摘み上げて立ち上がらせた。不満タラタラの顔だ。

「や、実は。この子は僕が聞き込みとかに使ってる子で、大変優秀な子なんです。ファフニール様、あなたが明日早々にイヴァンを離れるという情報も、どこに宿を取ったのかもきちんと調べてくれましてねえ……ああ、もう行っていいですよ」

 フィリュネは服についた埃を払うと、全速力でドモンの後ろへ走り去っていく。ダニーはそれを見て直感的に何かまずいと感じ、手勢に三人に追いかけるようハンドサインで命じた! 手勢の者達は剣を抜き、フィリュネを追いかける! 角を曲がった彼らが見たものは、闇に溶け込む服装の、銃を構えている男! 先頭の男の頭に銃弾がブチ込まれ即死! 二人目の男が斬りかかるも、黒いコートの男──ソニアはそれを軽々と避け、銃口を胸に押し付け引き金を引く! 二人目も死亡! 三人目は剣を構え、すぐに踏み込もうとしない。躊躇しているのだ。相手は既に二人も仲間を殺している!

「どうした、来ないのか。お前の主人が彼女にしたように、俺もお前を殺してやる……」

 男は剣を振りかぶるが、それまでだった。ソニアがトリガーを引く方が遥かに早く、三人目の男は無惨にも脳漿をまき散らして死んだ。





 ダニーは銃声を聞き、一気に不安を増大させ、マチェーテを握る力を強めた。そして何より、目の前のヘラヘラと笑うこの憲兵官吏への疑いを増した。おそらく、他の三人は死んだだろう。目の前のこの男は敵だ。そうでないなら、わざわざこんな夜に主人の行き先を調べ、目の前に堂々と現れたりなどしない!

「憲兵官吏……貴様、どういうつもりだ! 何の目的で……仲間は何人いる!?」

「仲間? はて、何の話でしょう。では僕はこれで……夜道は暗いですから、どうかお気をつけて」

 ドモンは踵を返し、夜道に消えていこうとする。ファフニールは長い剣を静かに抜き、顎でドモンを斬るようダニーに示す! ダニーは頷き、両手にマチェーテを握るとゆっくりと歩き出しドモンを追う! その時、通りの屋根からカソックコートが翻り、新たな影が降りてくる!  手には黄金のロザリオ。高く掲げられたそれが光なき暗闇で輝き、ダニーの首筋に容赦なく突き立てられる! 黄金色の光が影に照り返り、イオの冷酷な表情を闇から浮かび上がらせた。ロザリオから針が飛び出し、ダニーは為す術もなく死亡する!

 イオがロザリオを抜き、逆回転させると、針が収納され……イオは通りの裏路地へと消えていく。一瞬の出来事だった。ドモンが振り返った時に見たものは、事切れその場に倒れているダニーと、それを呆けた表情で見る他ないファフニール──そして、危機を察知し剣を振りかぶり襲いかかる四人のボディガード達!

 ドモンは剣を抜き、一人目の剣を弾き、二人目を横一文字に切り裂く! 怯んだ一人目を逆手に持ち替えた剣で振り返りもせず刺殺し、引きぬいた勢いで三人目の喉笛を裂く! 四人目を切り返した剣で袈裟懸けに体を引き裂く! あっという間に、四人分の死体が出来上がる!

「なぜだ……どうして……」

「あんた、そういえば体調が万全の時にもう一度やりたいって言ってましたねえ。……今なら、体調は万全なんですけど」

 ドモンは不敵な笑みを浮かべると、剣先を地面に向け、死体を踏み越えファフニールに近づいていく。ファフニールはその場に何とか踏みとどまった。自分は帝国貴族だ。そして何より、騎士だ。憲兵官吏だって一ダースはのした実力もある! 何より、何日か前、この男を完封してやったではないか!

「ふ、ふふふ……いいだろう。かかってこい……君は修練場での無様をもう一度晒し、今度は命を落とす!」

 ファフニールは背中の剣を下ろし、鞘から長い剣身を抜き、鞘を投げた。ドモンは剣を鞘に納め、居合の構えのまま、あの修練場の時のように徐々にすり足でにじり寄っていく。ファフニールは内心ほくそ笑んだ。確かに間合いを測るのは一流の剣士同士では絶対に必要なことだ。そして居合も、一撃で全てを決する殺し合いでは極めて有効な技である。だがファフニールはこの長剣の扱いに絶対の自信があったし、抜かせるより早く殺すつもりでいた!

 ドモンは柄からチェーンを静かに外し……柄に手をやり抜いた! ファフニールの間合いに達していない! もちろんドモンの剣でも届かない距離だ! ファフニールには一瞬何が起こったのか全く分からなかったが、次の瞬間全てを理解した。ドモンはその場で一回転し、鞘から剣を弾きだしたのだ! 柄があったはずの場所には、鋭く研がれた刃! 飛び出してきた刃は、正確にファフニールの腹を貫く! さらに走り寄ってきたドモンが剣身を鞘に納め、そのまま柄の刃を腹に押しこむ! くぐもったうめき声をあげる彼から柄の刃を抜くと、柄を元に戻しチェーンを固定してから……改めて剣を抜き、今度は上段から縦一文字に切り裂いた!

「君は……君は……卑怯だ!」

「夜のほうが調子がいいんだよ。今度卑怯者とやる時は、覚えておきな」

 ドモンは剣身の血を振って飛ばし、同じように赤いファフニールのコートで拭うと、鞘を彼の体に当て、去っていった。ファフニールは倒れ、部下と同じ死体の仲間入りをしたのだった。





 ファフニールの捜査も一段落したある日。憲兵団修練場にて。

「貴様ら、たるんどる!」

 ガイモンの怒声が、修練場いっぱいに響いていた。彼は未だに憲兵官吏達がファフニールに誰一人勝つことが出来なかったことを気にしており、ここ数日特訓と称して暇そうにしている憲兵官吏をこうして鍛えなおしているのだ!

「憲兵官吏が剣で戦わねば、誰が犯罪からイヴァンを守ると言うんだ! ドモン! 前に出ろ!」

 ガイモンは不安要素を払拭せんと、ドモンの名前を叫んだ。その場にいたサイには、彼の意図がよくわかった。ドモンを吊るしあげて、他の憲兵官吏にハッパをかけようというのだ!

「ドモン! 早くでんか!」

 サイも含む憲兵官吏達は、お互いの顔を見合わせるばかりで、何も動こうとはしなかった。ようやくガイモンもなにかおかしいと感じたのか、杖代わりの木剣を肩に担ぎ、見回し始める。

「サイ。ドモンはどこに行った!」

「実は……」

 心優しい同僚は、適当に理由をつけてごまかそうと考えた。彼自身、訓練ばかりすることより、多く現場を回るほうが大事だと考えているクチだ。訓練が無駄とは言わないが、こう週に何度もやらなくていいと考えているのだ。尤も、ドモンが同じ考えだとは──仕事が何よりも大事だと考えているとは──思っていない。

「や、すいません。遅れてしまいまして」

 サイはなんとか口からでかけたデタラメを押し込め、哀れな同僚を見やった。タイミングが悪すぎる。いつもどおりへらへらと入り込んだ彼は、まさしく鬼の形相のガイモンを見る。

「あの、何か?」

「ドモン、剣を持て。貴様は憲兵団の中で最もたるんどる! 性根を叩きなおしてやる!」

 ドモンは疑問を差し挟む余地も与えられず、同僚から木剣を持たされ、無理やりガイモンの前に差し出された。もはや苦笑いを浮かべるしか無い彼の頭に、ガイモンの木剣の一撃が叩き込まれるのだった。




完璧不要 終

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