天罰不要(Bパート)
「断罪人ですって、旦那」
マッド・ジョニーは、手元のナイフを器用に使い、分厚いステーキを切り、口へ運んだ。
「そうだ。断罪人とつなぎをとって欲しいのだよ」
ジャックもまた、ステーキを口へ運び、ナプキンで口元を拭った。ここは、二人が密会の際に使うレストランだ。マッド・ジョニーはイヴァンの中では多少名が知れたアウトローであり、ジャックは彼に時たま仕事を任せている。
「へへへ、どうかしてんじゃねえですか、旦那。断罪人なんてのは、ただの噂ですぜ」
「それをお前さんに頼んでいるんじゃないか。いいかい。ドッグ様の会はこれから大きくなる。私はビジネスの才覚があったと確信しているが……機会が無かった。だから、ドッグ様の会をみすみすブン屋なんぞに潰されるわけにはいかん」
ジョニーはごわごわの髪をなでつけながら、再び笑った。殺しくらいなら、どうということはない。何より、ジャックは金払いがよく、信頼に値する男だ。ジョニーのような男にとって、ジャックのようなビジネスパートナーを逃すことは避けたいのだ。
「……旦那、金ははずんでもらいますぜ。その『断罪人』ってのは、どうも金がかかっていけねえ」
「金は任せておきなさい。とにかく頼んだよ」
「あれ何かしら」
休日のヘイヴンは、観光客や行商人で賑わっている。帝国魔導師学校の教師、セリカはたまの休日をヘイヴンで過ごそうと歩きまわり、行きつけのアクセサリー屋で足を止めた。普段は閑散としているはずのアクセサリー屋に、人だかりができているのだ。
「はい、見ていって下さいね! ここにあるのはなんと! 今流行りの縁起物! 商売繁盛家内安全、恋愛成就に安産祈願! 何でもご利益があるんですよ!」
「嬢ちゃん、こりゃ、身に付けるだけでいいのかい」
「ペンダントですからね。霊験あらたか、ご利益がありますよ! でも、うち職人が一人しかいないんで、数が少ないんですよ。だから早い者勝ちです! ……ほらソニアさん! どんどん作って下さいよ!」
店主の少女、フィリュネが大声でそう言うと、その後ろでやすりがけを必死で行っているのは、黒メガネにコートの男、ソニアだ。手元には、木で出来た犬らしき物体があり、彼を囲むように完成品の木彫の犬の小さな人形が、チェーンに繋がれてペンダントになっているのだ。
セリカは人だかりをぐいぐいと押しのけ、彼女の店の前にしゃがみこむと、まじまじと木彫の犬を見つめる。視線はまっすぐこちらを見つめている。どことなく凛々しさというか、男らしさすら感じる作りだ。
「あ、セリカさんじゃないですか! どうですか、おひとつ!」
「いや、おひとつっていうかコレ……私、これ見たことあるのだけれど」
「え? ちょっと何言ってるのか分かりませんね。ごめんなさい、今日忙しいですから!」
「だから、これ今流行りのド……」
「えーッ!? なんですかあ!? ごめんなさい、セリカさん! あ、これですか!? これは、ドッドちゃんですよ!」
ドッドちゃん。セリカは口の中で呟くと、まじまじと男らしい犬のペンダントを見る。セリカとて、教師として生徒とよく話をするし、これとよく似たキャラクターが生徒は愚か、教師達の間でも流行っていることを知らないはずもない。
「フィリュネちゃん、さすがにこれはマズいと思うのだけれど……」
「あっ、お買い上げですね! 銀貨五枚になります! 特別ですよ……あ、セリカさんはどうですか、お一つ!」
フィリュネは若干やけくそになっているのか、セリカの話に全く聞き耳を持たないようだった。さすがにこんな状態では、普段のようにゆっくりいいものを見ることも難しいだろう。
「また来るわね」
セリカは再び人々をかきわけ、なんとか通りに出た後、振り返って人混みを見つめた。こういうものは火が点くのも早ければ、終わりも早い。
「やりすぎて、損をしないといいのだけど……」
オーランドの朝は早い。サラダと水を飲み、ドッグ様への祈りを捧げる。その後は、説法が行われる午後一時まで、普通の市民に紛れ、ゆっくりとイヴァンを散歩するのだ。大地と自然に根ざし、犬を使徒としたドッグ様の声を聞くには、犬同様に人間社会に溶け込むのもまた道理である。ドッグ様の教えの一つだ。
「うそつき女!」
「お前の父ちゃんもうそつきだ!」
少女が泣いている。大声でそれを冷やかす、少年二人組。言い返すことも出来ず、少女はただただ泣き続けていた。オーランドはドッグ様の教えに従う事にした。自然の摂理に逆らってはならぬ。だが時には、摂理に逆らい同胞を助けるのもまた道理である。
「やめなさい、君たち」
「うわっ」
「にげろ!」
少年達は蜘蛛の子を散らすように一目散に逃げていき、姿が見えなくなった。オーランドは腰をかがめて、少女の背中を軽く叩いた。
「もう大丈夫だよ。いなくなった」
「……おじさん、誰?」
少女は鼻をすすり上げ、顔に涙の筋を残しながら、オーランドを見上げた。目の大きくそばかすの目立つ、赤毛の女の子だ。
「私はオーランド。通りすがりの者さ。なぜ、うそつきだなんて言われたんだい?」
「わ、わたし嘘なんかついてない! ほんとだもん」
「信じるよ」
少女を近くのベンチに座らせると、オーランドも横に座った。普段の奇抜な衣装が嘘のように、彼の格好も態度も紳士然としていた。
「わたしのおとうさん、新聞の記事を書いているの。ドッグ様って知ってる?」
「もちろん。ほら、わたしも持ってる」
オーランドは少し顔を綻ばせながら、ドッグ様を模した小さなあみぐるみを懐から取り出し、見せた。予想に反して、少女はそれを見るとすぐに視線を逸らしてしまった。
「おとうさんはいつも言ってる。ドッグ様の会はいんちきだって。ぬいぐるみとか、絵とかを高く売って、お金をだまし取ってるんだって」
彼は少女がいじめられていた理由を察した。ドッグ様をいんちきだと言ったせいで、彼女はうそつき呼ばわりされているのだ。確かに、グッズを販売する事は聖地を作るためとはいえ、カリバードが薦めなければやらなかっただろう。オーランドにとっては、不本意なことだった。
「そうか……でも、ドッグ様を信じている人はとても幸せそうだよ。確かにお金は貰っているけど、それはみんな納得していることじゃないか」
「そんなことないもん。おとうさん、言ってたもん」
少女が再び泣きそうになっているのを見て、オーランドは慌てて彼女をなだめようと、ドッグ様のあみぐるみを振ってみたり、裏声で話しかけてみたりしたが、あまり効果は無いようだった。
「そうだ、名前はなんて言うのかな」
「み、ミシェル」
「そうか。ミシェル、いいかい? おとうさんにはおとうさんの素晴らしい考えがある。ドッグ様を信じる人達にも、それぞれの考えがある。それでいいじゃないか。幸せの形はひとつひとつ違うものだよ」
ミシェルに伝わったかどうか分からなかったが、オーランドは泣きそうになるのをこらえた彼女に胸を撫で下ろした。自分が放った言葉が、脳内で反響する。それぞれの考えに、それぞれの幸せ。自然の摂理という厳しく絶対の掟の中で、それを見つける。ドッグ様の教えに、オーランドはまたひとつ悟りを見た気がするのだった。
平日のイオの教会は、誰も信者が来ること無く閑散としていた。日が傾き始め、辺りが逢魔が時に差し掛かる頃、教会の主人イオと、ソニアとフィリュネの二人は、普段であれば信じられない光景に目を輝かせていた。
「うふ、うふふふふ」
フィリュネが思わずおかしな笑みを漏らす。その手には、黄金に輝く金貨がなんと十枚! こぼれ落ちた聖書台の上には、手の中の物と合わせて金貨が合計五十枚ある! 今日から売りだした新商品・ドッドちゃん──その実、ドッグ様の海賊版といった体である──が、事情をよく知らない人々に大ヒットし、あれよあれよと一日でこれだけの儲けになってしまったのだ!
「わたし、こんなお金初めて見ました!」
「いや、たまらねえな」
仏頂面のソニアすら口元に笑みをこぼしている。イオも金貨を手に取りいとおしそうに撫でる! これについては、多少説明が必要になるだろう。飲み屋でドッグ様グッズを見たソニアは、この世界にやって来る前のこと──彼はいわゆる転生者であり、以前の職業からこういう悪知恵も働く──を思い出し、ドッグ様のパチモノグッズを作ることを思いついたのだ。イオはドッドちゃんに『霊験あらたかな効果』を付与するため形だけの儀式を行い、フィリュネがバレるかバレないかギリギリのデザインを、そしてソニアが徹夜で大量に生産したのである。
「金貨五十枚で、三等分かァ。どうする、おい。一人十六枚で二枚余ッちまうなァ」
「神父さんと私達で一枚ずつ分けましょう。これでうらみっこなしですよ」
イオとフィリュネ、そしてソニアは意地汚い笑みを抑えきれなくなり、全員で高笑いを始めた。笑いが止まらないとはまさにこのことだ。なにせ、今回のことは全て合法なのだ。ドッドちゃんというオリジナルキャラクターだし、形だけとは言え、教会で神聖な儀式を行っている。料金は他の商品と同じく適正だ。誰に何を言われる筋合いもない。だが、一人だけいた。ただ一人だけ、この三人に剣を突きつけることのできる人物が。
「や、ずいぶん楽しそうですねえ」
止まらないはずだった笑いが止まり、空気が凍りつく。いつの間にか、教会のベンチにドモンが横柄に座っていた。彼もまた、口元に嫌な笑みを浮かべているのだった。
「あー、イオさん? 私、なんか重要な用事を思い出しちゃいました」
「俺もだ。この機を逃すと絶対マズい事を思い出したんでね。帰るとしよう」
ソニアとフィリュネがそそくさと帰るのを、ドモンは二人の肩を同時に抱くと、くるりと入口側から聖書台へと方向転換させる。二人は絶望からか顔の色が一気に青く染まる!
「や、いけませんねえ。こーんな儲け話、なんで僕に言ってくれないんです?」
「だ、旦那ァ。これにはな、深い訳があるんだ」
イオが往生際悪く、金貨をカソックコートの内ポケットにネジ込みながら抵抗を試みるが、相手が悪い。ドモンは憲兵団一のがめつさを誇る憲兵官吏なのだ。目の前の金貨をみすみす逃すような真似はしない!
「どおいう訳なんですかねえ? 前にもこういうことありませんでしたっけ? あぶく銭なら四人で効率良く使う……とかなんとか、他ならぬあんたが言ってた気がするんですけど?」
三人は先ほどとはうって変わって絶望の色に染まりきった顔を見合わせて、ため息をついた。この男にここまで見られては、もうどうしようもない。
「大丈夫ですよお。僕だって、全額寄越せなんて言いませんよお。だから、きれいに四等分。それでいいじゃありませんか。ね?」
ドモンは普段の眠そうな目を爛々と輝かせ、奪いとった金貨をきれいにいやみったらしく四等分し始めるのだった。




