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必殺断罪人  作者: 高柳 総一郎
約束不要
50/124

約束不要(Bパート)




 ヘイヴンのはずれにある公園のベンチで惰眠を貪っていたドモンは、誰かが呼んでいる声を耳にし目を覚ました。揺り動かされている。しかも必死に。

「なんです、一体……やめて下さいよ!」

「旦那、寝てる場合じゃないよ! おきな!」

 目を覚ましたドモンの目の前に立っていたのは、恰幅のいい女性だった。ドモンは辺りをもう一度見回す。いつもどおり、子どもたちが遊んでいる公園だ。

「一体何なんです。忙しいんですけど、僕。見て分かりません?」

「馬鹿言うんじゃないよ、旦那! ケンカなんだよ! 憲兵官吏がどこにもいないから困ってんだ! いますぐ来とくれよ!」

 ドモンはぼりぼりと頭を掻き、見せつけるようにあくびをした。ケンカとはまた面倒なことだ。仲良く出来ないのか、と恨み言を言ってみても仕方がない。担当区域で仕事中なのだから、言い訳のしようもない。

「わかりましたよ。ヤですねえ、ケンカだなんて」

 女性が先導するのを、不必要にゆっくりと慎重に追いかけるドモン。できれば関わりあいになりたくなど無い。だが、現場は至って近かったようで、何かが転がる音と人を殴る音が通りの奥から聞こえてくるのだった。ドモンは仕方なしに咳払いをしてから、出来る限り横柄に見えるように通りに姿を現した。

「や、や。いけませんねえ。ケンカはいけませんよ。とにかく双方剣を納めて……」

 ドモンが手を広げつつ見た光景は、凄惨なものだった。泣きはらした少年。文字通り剣を抜いている男二人組。……そして、頭から血を流し、倒れこんでいる老人。手には、剣が握られている。だが、その剣の刀身は、なんと木で出来ていた。金の無い剣士や冒険者崩れが剣を手放してしまった際によくやるものだ。

「……憲兵官吏か」

「やっかいだな」

「なんです、あんた達は。いけませんねえ。よくありませんねえ。ま、とにかくなにがあったのか、憲兵団の詰め所が近くにありますから話を……」

 二人組の男の内、中年のほうが自分の上着の襟をぐいと引っ張ると、ドモンに見せつける。羽を広げた黒い鳥の紋章だ。

「我々はレイヴン・カンパニーのものだ。すまないが、こちらにも事情がある」

 ドモンは恐れいったように一歩下がり、片膝を付いて畏まった! レイヴン・カンパニーは、憲兵団にも多額の献金をしており、かなりの影響力がある。憲兵団に連れ帰ったりなどすれば、ガイモンから何を言われるかわかったものではない!

「た、大変失礼を致しました! まさかレイヴン・カンパニーの方とはつゆ知らず」

「分かれば良い。だが、このことは他言無用だ。……おい、貴様! ユキジ様の提案を良く考えておけ。今度はこの程度では済まんぞ」

 若いほうがそう吐き捨てると、剣を納めてドモンの側を通り過ぎていった。それを肌で感じ取り、ドモンは恐る恐る顔を上げる。少年が老人にすがり、体を揺らす。女性は既にいなくなっていた。薄情なものだ。

「フクじい! しっかりして、フクじい!」

 老人──フクじいは少年の呼びかけにすぐ目を覚ますと、のろのろと起きだした。額についた血を拭うと、少年に笑いかける。

「いやいや、全く乱暴だ」

「フクじい! 大丈夫だったの?」

「なあに、わたしは頑丈にできているからな。心配をかけたな、ビル」

 フクじいは木の剣を鞘に納め、余裕たっぷりに長く白いあごひげをしごいた。これまた仙人のごとく長い白髪を、後ろでひっつめている。

「……あの、何でもないんなら行っていいですかねえ、僕」

「あれで何でもないなんて言えるのか、愚か者め。……あの忌々しいレイヴン・カンパニーの連中、なんとかならんのか」

 ビルが自分の後ろに隠れようとするのを手伝いながら、フクじいはドモンに文句を言った。まさか本当の事は言えない。ドモンは曖昧に笑うしか無かった。

「や、しかしあの連中、なんだって言うんです? 強盗じゃなさそうですし……あんたにお金があるようには見えませんけど」

 フクじいは答えず、ビルと手を繋ぎ、剣を腰に帯びた。

「放っておいてくれ、旦那。わたしは、静かに暮らしているんだ」

 そう言うと、彼は二人連れ立ってヘイヴンの人混みへと消えていった。ドモンは首をかしげながらも、とにかく下手を踏まなくて済んだことに安堵し、その場を後にするのであった。






 フクじいこと、フクゾーとビルは、実際の親子ではない。フクゾーには家族が無かった。戦争に参加し、長く一兵士として過ごしてきた。今は国から出るわずかな年金を元に暮らしている。

 そんな彼がある日拾ったのが、ビルだ。彼には親がなかった。五年前、帝国で起こった内戦で、両親を失ったのだ。こうした戦争孤児は、行政府の保護政策として施設に収容されることになっているが、ビルはそこに馴染めず、あてもなく早々に出てきてしまったのだ。一月前、教会へ懺悔した帰り。フクゾーはお腹をすかせたまま、路地裏で座り込んでいた彼を家に招き入れ、パンと薄いスープを食べさせた。そのまま二人は、共に暮らすようになった。

「フクじい、どうしてあんな木の剣なんか持ってるの?」

「無いと落ち着かんからだ」

 殴られた帰り、二人は連れ立って家までとりとめのない話をして帰った。フクゾーの口数は少なく、ビルもまたそれは同じだった。共に受けた傷の深さはあれど、戦争によって家族や時間、大事なものを奪われ続けた二人に、饒舌な語りは不要だった。二人には、互いに寄り添う時間がとにかく必要だったのだ。

「もしかして、フクじいって強いんじゃないの?」

「わたしがか? まさか。わたしは臆病だ。殴られて済むなら、それでいいとも思っている」

 フクゾーは怒りに身を任せるには歳を取り過ぎていた。悲嘆に暮れるばかりには遅すぎたし、笑って暮らすには思い出が少なすぎた。ビルにはそんな人生を送ってもらいたくなかった。臆病に過ぎ、怒ることや剣を抜いて戦うことすら危うい自分のような人間には。

「ビル。お前は、あのユキジとかいう女の元に行く必要はない」

「フクじいと暮らしているほうが楽しいよ」

 フクゾーは笑った。ビルも笑った。二人ならば、笑って暮らすためのささやかな思い出くらいは作ることができるだろう。あの忌々しいレイヴン・カンパニーの連中の妨害さえなければ。






 レイヴン・カンパニー本社地下。

 総帥・ユキジは地下牢の並ぶ廊下を鼻歌まじりに歩く。その中の一つの牢屋の前に立ち止まり、牢の鍵を開けた。中には、少年が一人鎖で足をつながれ、壁に寄りかかって足を抱えていた。

「やあ、アレクス。わたしだ」

 アレクスと呼ばれた少年は、呼ばれた瞬間身を震わせた。ユキジはいとおしげに彼の髪を一房持ち上げ、指ですき──頬を平手で殴った。無言で、もう一発。アレクスは何も言わない。いや、言えないのだ。子供の彼にとって、ユキジの『折檻』は度を超えている。もう三日もこうしたままなのだ。

「アレクス。おねえちゃんと呼んでくれ。わたしを……本当の姉のように」

「お、おねえちゃん」

「そうだ。いい子だ。君はとても──いい子だ」

 ユキジはアレクスの頬をさすってやり、彼を抱き寄せた。風呂にもまともに入れていなかった彼の薫りを嗅ぎ、舌で舐め、くちづけた。その間、アレクスは何も動こうとしない。動けば、ユキジは彼を殴るからだ。

挿絵(By みてみん)

「アレクス。わたしの弟……君は可愛い。愛おしい。だが、わたしを拒絶してはいけないんだ。本当は、こんなことはわたしだってしたくはない……だが、君がわたしを拒むからいけないんだ」

「嫌がらないよ、僕……もう……」

「そうだ。君は初めからそうすべきだったんだ。愛しいわたしの弟」

 少年、アレクスの実家は老舗のドレスショップだった。父親のジョナサンは男手一つで自分を育ててくれたが、一月前に死んだ。原因は分からなかった。そうして、このユキジが家にやってきた。父親の代わりに、自分が面倒を見ると。幼いアレクスにその真意を図ることはできなかった。その結果が、この折檻と虐待だ。ユキジはアレクスに『弟』となるよう強要し、時には暴力で説き伏せられ、時には寝ている最中突然自分を組み敷いてきた。彼にはそれが意味することもよく分からなかったが、とにかくそれを拒めば(拒むような素振りを見せれば)、こうした地下牢でのさらに激しい折檻が行われるのだ。

「アレクス、ここを出ないか? わたしの言うことを、ちゃんと聞くか?」

「出たい……帰りたいよ。僕、言うこと聞くから」

「どこにだ」

 アレクスは自分の発言の迂闊さを彼女の感情のこもらない瞳を見て察した。

「どこに帰りたいというんだ。君の家はここだろうに」

 再び彼女の平手がアレクスを襲う。もはや彼に叫んだり泣いたりする気力は残っていなかった。ただ、絶望だけがアレクスに殴られたという事実を認識させる源になりつつあった。

「また来るよ」

 ユキジが立ち上がる。アレクスは最後の力を振り絞り、ユキジにすがりつく! この機を逃せば、彼女が次にいつくるかなどアレクスには分からないのだ!

「おねえちゃん……お願いだよ……ここから……」

「また来る。可愛いアレクス。わたしの弟──」

 地下牢の鍵が閉まり、ただ一人アレクスがその場に残された。こうしてまた、孤独ないつ終わるともしれない日々が続くのだ。

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