締出不要(Cパート)
イオの教会は信者が寄り付いておらず、人こそ少なかったが、フィリュネが昼間の光景を必死に説明していたので、かろうじて喧騒は残っていた。
「ありえねェ」
「考えられん」
イオとソニアは案の定口を揃えた。無理もないことではあった。あのドモンが賄賂の受け取りを拒否し、あまつさえまじめにパトロールをしているなどにわかには信じられない。
「本当なんです! ソニアさんがいない時に来て、賄賂は受け取らないんですって言ったんです!」
「いやいや嬢ちゃん、それがまずありえねェ。仕事は手を抜いて、金は抜け目なく受け取るのが旦那だ。……こりゃ何かあったのかもしれねェぞ」
ソニアはたばこを口に咥え、上下させながら沈思黙考しているようであった。意見については、イオと同じらしい。
「何かあった……そういえば、ドモンさんにぴったりと白いコートの人が張り付いてました。凄い美形の……あの、前ソニアさんと教会に行く時に、すれ違った人と同じだと思うんですけど」
「あのすれ違った後妙に肌寒くなった男か?」
「はい。……でも、その時は全然冷たくなかったんです」
イオとソニアは唸った。以前、暗殺請負業者に尾行され、身動きがとれなくなったことがあった。その時狙われたのはソニアだったが、ドモンがそうならない理由もない。断罪人という稼業は、常にそういった身の危険にさらされる。対応が遅れれば、命の危機に発展するのだ。
「嬢ちゃん、なんかきな臭ェな。その白いコートの男、ちょっと探りをいれてくれねェか」
フィリュネはこくりと頷くと、早速灼熱の街へと飛び出していく。ソニアはしばらく離れていく彼女の後ろ姿を見ていたが、思い立ったように立ち上がった。
「どうした、ソニアよう。嬢ちゃんについていくのか」
「あの子も一人前だ。探りを入れることについちゃ一人でやれないことはねえよ。……俺はそれとなく旦那に接触してみる。話を聞ければ御の字だがな」
ソニアの革靴の音とイオだけが、教会に残された。一気に静まり返り、熱気だけが漂う人気のない聖堂。虚しさだけが募るのを嫌い、イオも立ち上がった。
「……さて、どうするかねェ。俺は……オネェちゃんにきいてみるかァ。相手が色男なら誰かなんか知ってんだろ」
イオもまた立ち上がると、大きく伸びをした。その時である。懺悔室へと続くカーテンの下に、誰かの足が見えた。客だ。もしかすれば、寄付があるかもしれない。
「迷える子羊よ、何でも懺悔なさい。神は全てをお許しになるでしょう」
イオは芝居がかった調子でそう言った。懺悔室はお互い暗く見えない。厚いカーテンで覆われているために、普段であれば熱気がこもる。だが、今日はなぜか少し空気が冷えている気がした。
「神父様、私は殺人を犯しました」
「おお……なんと」
殺人。重い罪だ。だがこうした懺悔は珍しくない。十五年も遡れば、この国は戦争で荒れていたものだ。それが突然平和になり、その時の罪の意識で悩む者は少なくないのだ。
「ここは懺悔室、多くは聞きますまい。しかし、神は全てを見ておられます。あなたが過去の罪を悔やみ、贖罪する心を忘れないのであれば、神はあなたの罪をお許しになるでしょう」
「神父様。それが……フフ、いや失礼。無理なのです。私は、殺人を止めることができないのです。理由はわかりません。私にとって習慣のような、趣味のようなもの……ですが、罪の意識で心が潰れてしまいそうで……苦しいのです」
男の言葉には、何もこもっていなかった。果たして、本当に殺人が楽しいというのか、殺人の罪の意識にさいなまれているのか、イオにはわからない。だがイオは神父だ。それ以上彼に何をしてやれると言うのだろう。
「意思を強く持ちなさい。神罰を恐れなさい。そして、罪深き自分を赦しなさい。神に仕える身であるわたしには、それくらいの言葉しか送れません」
男はしばらく押し黙っていたが、やがて小さく礼を言った。話が終わったと感じたイオは、すかさず小窓の下の木箱を開ける。寄付を得るチャンスだ。
「魂の救済は俗世間のしがらみを断ち切ることでも得られます。よろしければ、喜捨してゆかれると良いでしょう」
「そういうことであれば、神父様。頼みがあります」
「なんでしょう」
木箱に金が入る音が響いた。二枚、三枚。いや、それだけでは足りない。十枚は入ったか?
「もしこの金で私の魂が救われるのなら……それに越した事はありません。どうか受け取って下さい」
イオはしばらく懺悔室の中で木箱を見つめていた。金貨十枚。大金だ。普段なら、断罪の依頼にしてしまうところだが、先ほどの男は何者だったのか。
「……二枚くらい使って遊びに行ってもわかんねェかなあ」
既に、懺悔室の中の冷気はどこかへ消えていた。じっとりと汗をかきはじめたので、イオはカーテンを開け、懺悔室を後にした。
手口から犯人を絞り込んだ結果、イヴァンに住んでいる魔導師を当たるべく、サイとドモンは憲兵団本部資料室にこもっていた。魔導師はライセンス制だ。試験に受からない人間は、そもそも魔法を使おうとしても使えない。しかも、人を死に至らしめる程の威力を出せる魔導師となれば、おおよそかなり絞られてくる。
「どうだ、ドモン」
「だいぶ絞られましたよ、三百人くらいに」
ぺらぺらと魔導師の一覧名簿をめくっていたドモンだったが、その中で見知った名前を目撃した。ヴィンセント。三十さい。帝国厚生局勤務。氷結系魔法一級ライセンス所持。
咄嗟にドモンはその本を棚に戻した。なんとなくサイに見せてはならないような気がしたからだ。
魔導師のランクは五段階に分かれている。一級ともなれば、魔法を使うことで相手に致命的なダメージを与えることが可能だ。実際に兵士として従軍する魔導師は高くとも二級ライセンス持ちがほとんどなのだから、彼はすさまじい実力を持っているということになる。あるいは、生まれた時から魔法を使えるような天才か。
「さっきの死体、凍死した後も半分凍ってたんですよね」
「ああ」
「二級の魔導師じゃ、例え相手を凍らせてもすぐ融けてしまうはず。まさかとは思いますが……」
「まさかだろ、おい……悪い冗談だぜ。一級魔導師が犯人だって言うのかよ」
「一級魔導師でも殺人するときゃしますよ。人間なんですからね……」
ドモンの頭の中で、ヴィンセントの言葉が反響する。もし人殺しならどうするか。ドモンは憲兵官吏だ。少なくとも、今は。ならば、彼を問い詰めなくてはならない。憲兵官吏として。帝国の一役人として。
ヴィンセントは意外にも、憲兵団本部でガイモンと話をしていた。本当に殺人を犯したのであれば、既に逃げてしまっているのではないかと思っていたが、違うようだった。
「や、ヴィンセント殿。それにガイモン様」
「ドモンか。貴様、ヴィンセント殿から聞いているぞ。真面目な仕事ぶりのようだな。関心だ」
普段とは全く表情の違うガイモンが、ドモンの肩を叩きながら笑い声を上げた。ヴィンセントは厚生局、つまり行政府直属の役人だ。彼に顔を売れば、ガイモンの身分も安泰と言うわけだ。
「や、ありがとうございます。……ところでヴィンセント殿。ちょっとさっきの見回りの件でお話が……」
「貴様、やめんか! ヴィンセント殿は忙しいんだぞ!」
ガイモンは雷をドモンに落としたが、ヴィンセントは無表情にそれをみていた。やがて口元に笑みを浮かべると、ガイモンをようやく制した。
「……結構ですよ。少し静かなところで話しますか、ドモン君」
憲兵団本部小会議室で、ドモンとヴィンセントは椅子に座り、テーブルを挟んで対峙した。聞くものは誰もいない。防音だからだ。
「さて……何のお話ですか、ドモン君」
「単刀直入に言います。……あの死んでいた女を殺したのは、氷結系の一級ライセンスを持つ魔導師です。そして、そのライセンスをあなたも持っている」
ヴィンセントの表情は笑みを浮かべたまま、こちらを見つめていた。むしろ、死体をみた時のように楽しそうな笑みだった。
「それで?」
「や、別にそれだけなら僕も疑ったりするつもりはありません。ですが、あなたが昨日人殺しとかなんとか言ってたのが気になりましてねえ。ま、一言違うと言ってもらえればそれで……」
ヴィンセントは目を閉じ、息を吐いた。なおも口元には笑みをうかべたままだったが、突然彼は顔の右側を覆っている金髪を上げた。
醜い火傷が、彼の顔の右側を覆っていた。
「これは、母親から受けた火傷です。フフ……酷いものでしょう? 私のライセンスは生まれついての才能が評価されたからでしてね。今はそうでも無いのですが、子供の頃は制御も効かなくて、困ったものでした。母親はただいるだけで空気が冷え家具が凍る私を嫌ったものです。母に抱きしめられたことも、背負われたことも、手を繋いだこともありません」
ドモンは、彼の言う『空気の冷え』を感じたような気がしていた。ヴィンセントは話を続ける。楽しそうに。
「ある日、そんなに寒いのならと顔に熱湯をかけられたんです。確かに寒くはありませんでしたよ。熱くてね。そうして私は……その熱さから逃れるために、部屋を冷やしたんです。熱は引き、部屋は凍りつき……母親は体の芯から凍りついて、息絶えていました。そこからですよ、私が……どうしても女を殺したくなってしまうのは。こうして厚生局の役人になっても、それだけは治りません」
彼の告白はそれで終わった。ヴィンセントはドモンに相変わらず笑みを浮かべていた。女を殺したくなってしまう。母親を殺してから、ずっと。なぜそれを自分に言ったのか、ドモンには理解できなかった。
「なぜそれを僕に?」
当然の疑問だった。ヴィンセントもまた、なぜそんなことを言うのかわからないと言った風だった。
「決まっているでしょう。……君が、私に似ているからですよ。人を殺さないと、おかしくなってしまう。ライフワークになっている」
「僕が? 人を? ご冗談を。これでも剣の腕はからきしでして」
ドモンは自分が上手く笑えているか自信がなかった。この男は、何かを知っているのか。いや知らないのかもしれない。だが、ドモンにとってヴィンセントは脅威以外に他ならないのだ。
「そうですか。……話が長くなりましたが、昼発見した死体。あれを私がやったという証拠は、おそらく出て来ないでしょう。君がしているのは的外れの指摘ですよ」
「……それが自白になるのでは?」
ヴィンセントは人差し指を立て、ドモンの目の前で軽く振った。小馬鹿にするような表情で、教え諭すように言葉を紡いだ。
「あまり、深く考えないことですよ。ドモン君。君の評価は憲兵団でも最低ランク。今回、私は君のことを多少良く評価しておきました。しかし、そのような世迷い事を言いふらすようでは、賄賂を受け取っている事実や仕事を真面目にやらない状況を詳細に報告する義務があります。……言っていることはわかりますね?」
ヴィンセントは立ち上がり、コートの襟を正した。これ以上話をする気は無いようだった。
「黙っていろ、と言うんですか」
ドモンは座ったまま、彼を見ないまま静かに怒りをぶつけた。彼には全く効果が無いようだったが、最後の一言を引き出すことは出来た。
「……これからも憲兵官吏でいたければ、そうしたほうがいいのでしょうね。フフ」




