さらなる絶望へ
「憐君?」
扉の先、部屋の真ん中にある机を挟んだ向こうの椅子に座っていた柚葉さんと目が合うと、彼女は疑うように名前を呼んでくる。
「柚葉・・・・・・さん」
ああ、会いたかった。
ここにきてからずっと辛いことばかりで、自分の心は自分で分かるほどズタボロだった。
助けてくれた人はもう誰も残っていなくて、それでも覚悟が決まらなくて、辛くて。
そんな時に、彼女に会えた。
嬉しさ、喜び、安心を覚えると同時にこう思ってしまう。
会ってしまったと。
ここでは会いたくなかったと。
「やっぱり憐君だよね? どうしてここにいるの? っていうか、そんな格好をっ、・・・・・・」
「いや、柚葉さんこそどうして」
ここに居るんですか。
そう聞こうと言葉を続ける前に、大臣が前に出て言葉を遮ってくる。
「初めてまして、天城柚葉さん」
聞いたことないほど丁寧な言葉遣いで柚葉さんに挨拶をする大臣。
「えっ!? あ、はい。初めまして! ・・・・・・あの、ニュースで見たことがある気がするんですけど。だ、大臣さんですよね?」
「はい。私、財務大臣を務めております」
「あ、ですよね! やっぱり見たことあると思ってました! 凄い・・・・・・」
待って、違う! 柚葉さん!
そいつは簡単に人を殺すような悪魔のような奴です!
話しちゃだめだ!
そう喉まで出かかっていた言葉をなんとか抑える。
「あ、あの・・・・・・」
「はい?」
「もしかして、おばあちゃんの治療費と入院代を出してくれたのって、大臣さん、ですか? あっ! その、私のおばあちゃんが元々入院していたんですけど、急に体が悪くなってもっと大きな病院で手術が必要になってニュースを見た誰かがお金を出してくれたって聞いたんですけど・・・・・・ち、違いますかね? やっぱり忘れてください!」
え? 今、なんて?
柚葉さんが早口で話していて上手く聞き取れなかっただけか?
千代さんがまた手術が必要になった?
手術は成功していて命に別条も無かったんじゃないのか!?
しかも手術代もこいつが出したって・・・・・・なんで、どうなってるんだ。
「はい。合ってますよ。私が出しました」
あの大臣が丁寧な言葉を話しているのを聞いて鳥肌が立つ。
こいつがなぜこんなことをするのかが理解出来ない。
分かるのは、この男が何かを企んでいるということ。
「あ、やっぱりそうですよね! ありがとうございます!」
柚葉さんが大臣に向かって頭を下げて礼を言う。
「いえいえ、犯罪に巻き込まれて怪我を負ったなんてあまりに酷い話ではありませんか。私は国民のために働くのが仕事ですから。お気になさらず」
後ろ姿しか見えないけれど、柚葉さんの反応を見るにいつもとは違って笑顔でも浮かべているのだろうか。
嘘っぱちの、欲と血に塗れた笑顔を。
「あの、それで・・・・・・私はこれからどうすればいいんですか? おばあちゃんが運ばれて、私はここで待っといて下さいって言われたんですけど・・・・・・」
柚葉さんが不安そうな顔で大臣に問いかけると、大臣は落ち着いた声で返事をする。
「ああ、あなたの祖母の手術が終わるまでここに待機して貰っていたのはですね、彼について話がしたかったからなんです」
そう言って大臣は軽く振り返り、こちらを一瞬だけ見たかと思うとまた柚葉さんに向き直った。
「憐君について・・・・・・ですか?」
「はい。実はですね。私は彼に一つ協力を頼んでいるんですよ」
「協力・・・・・・」
「はい。あなたも知っていると思われますが、彼は不可思議な力を使える。私が見た動画では犯人に対して腕を突き出した途端犯人に火がつき体が燃え始め、1人を宙に浮かせて飛ばしてみせた。何も無いところから、何も使わずに炎を出した。まるで超常現象で、CGかと疑ってしまうほどのことです。是非その力を国として研究し活用したい! と、研究させてくれないかと協力を彼に持ち掛けたのです」
大臣は芝居くさい話し方で部屋の中を歩きながら話を続ける。
「しかし彼はそれを拒否しました。もちろん、私、いや我々は対価を用意すると約束しました。研究中の安定した衣食住の提供、研究終了後は一生は豪遊して暮らしていけるほどの報酬と安全を提供すると言ったんですが、どうしても彼は受け入れてくれませんでした。そこで柚葉さんに頼みたいのです。彼を説得してくれませんか? もちろん、説得してくれれば柚葉さんにもそれなりの対価をご用意しましょう」
こいつはさっきから何を言っているんだ。
報酬? 衣食住の提供?
そんなこと俺は一切聞かされていなかった。
確かに最高級の待遇を用意するとしか、そこまで情報なんて出されてなくて、そもそもその情報があったとしてもその話を出す前に暴力を振るってくるような奴とは協力したくもない。
協力すると言えばどうなるかが分かる、どうせ死ぬまでこき使われるだけだ。
あの時の、恐怖と痛みに溺れずこいつとの協力を拒否した自分を褒めたい。
「あ、あの話は、分かったんですけど・・・・・・どうして、その、憐君はそんな格好を?」
柚葉さんがこちらを見て慎重に言葉を選びながら大臣に質問をする。
「それはね、彼が拒否したからだよ。日本のために、国民のために働く私達の提案を拒否した彼には罰が必要だ! とはいえ、彼はまだ未成年です。暴力で痛めつけるのは私の心が許せなかった。だからこうした格好をさせているんです。痛めつけるのではなく、辱める! これで十分な罰となると私は考えました!」
「ぇ、えっと・・・・・・?」
こいつは1人でベラベラと何を言っているんだ。
罰? 暴力で分からせるのではなく辱める?
そもそもこいつ自身が自分に何度を暴力を振るってきたか。
何度頭を踏まれたか、これから先も忘れることはない。
「あんまり、言っている意味が分からないんですけど・・・・・・」
柚葉さんが困ったように返答する。
「分からない? ・・・・・・まぁいいでしょう。あなたにはとりあえず彼の説得をして欲しいんです。ねえ? いいでしょう? あなたの祖母を助けたのは私です。それくらい、やってくれますよね?」
大臣の声のトーンが少し下がる。
まだ話し方は丁寧だが、機嫌が悪くなっているのが分かる。
あまりあの大臣を刺激しすぎると柚葉さんが危ないとは分かりつつも、この状況では動けない。
両腕は手錠で繋がれまともに動かせない。
すぐ真横、左右に兵士が1人ずつ、多分後ろにはもっといる、そして自分と大臣と間にも。
・・・・・・前よりも厳重になっている。
ここで力を使ったら殺される。
「あの、一つだけ・・・・・・いいですか?」
柚葉さんが自分のことを見ながら大臣に聞く。
今のボロボロの服を着た自分の情けない姿を見られるのは少し恥ずかしかった。
「なんだ?」
「どうして、憐君はあんなに痩せ細っているんですか。腕や足の包帯も、赤くなって・・・・・・あれって血、ですよね? 暴力はしていないって言ってましたけど、これはどう見ても・・・・・・もし憐君に対して何かやっているって言うなら私は」
「もういい天城柚葉、黙れ」
「えっ?」
大臣の声がまるで楽しく無いと言っているかのように低くなり、言葉遣いもいつものように戻っていた。
そんな大臣の急変ぶりと言葉を聞いて柚葉さんが固まる。
まずい、この流れはまずい。
「天城柚葉、君に拒否権なんてないんだよ。君は黙って私の言うことを聞けばいい」
「・・・・・・」
「はぁ、まぁもうそれも必要ないな。おい神崎憐!」
突然大きな声で自分の名前を呼んだかと思うと、大臣は数人の兵士を引き連れて柚葉さんに近づいていく。
「おい、何をするつもりだ」
「黙れよ神崎憐、すぐに教えてやる。女を拘束しろ!」
「え? きゃっ!?」
「!?」
1人の兵士が柚葉さんの腕を掴み後ろに回すと、柚葉さんはそのまま机に上半身を押さえつけられ、痛みにもがいていた。
「神崎憐・・・・・・この女を殺す」
「は・・・・・・?」
「えっ・・・・・・」
大臣の急な発言に自分も柚葉さんも一瞬思考が停止する。
「な、にを」
「言っただろう、お前を絶望に落としてやると。お前がこの女と関係があることは知っている。お前の女を・・・・・・殺すんだよ」
カチャッと1人の兵士が銃を柚葉さんに向けて構えると、柚葉さんの顔が一気に青ざめたように見えた。
「まっ待ってください! なんで、どういう状況なんですか!?」
机に上半身を押し倒されていて表情が上手く見えないが、その声から焦っているのが分かる。
「ぐっ! くっそが! 離せ! おいクソ野郎! そんなことして許されると思ってるのか!? どれだけ人を殺せば気が済むんだよ! 何が国のためだ! 何が国民のためだ!」
どれだけ自分が暴れようと兵士に捕まれて動けない、一才の抵抗が出来ない。
その上自分にも銃が向けられる。
けれど、そんなことを気にしている場合ではない。
柚葉さんの方が大切だ。
「うるさいガキだ。私には金がいるんだよ。その為にはお前のその力が必要なんだよ」
「なんの、ためにっ、」
「ん? 金なんてあって困るもんではないだろ。あればあるだけいい。その為にはお前を手名付ければならん」
このままじゃあ柚葉さんが殺される!
止めろ、やめてくれ・・・・・・これ以上、大切な人を奪わないでくれ。
「どう、すれば・・・・・・止めてくれますか」
「ああ?」
「どうすれば、柚葉さんを殺さずにいてくれますか」
出来るだけ感情を押し殺し、丁寧な口調で話しかける。
期待なんてしていない、前回は簡単に拒否された。
それでも、これ以上大切な人を失いたくなんてない、柚葉さんを殺されたくない。
勝てないのなら、従うしかない。
あの人を守る為なら、なんだってやる。
だから・・・・・・。
「なんでもします。従います。だから、どうか柚葉さんだけは・・・・・・どうか、許してください」
例え相手がクズであろうと・・・・・・。
「許す? 勘違いするなよ神崎憐。お前はどう足掻いても私の従うしかないんだよ。奴隷のようにな。それが私が機嫌の良い時に決まったか、悪い時に決まったか、早かったか遅かったかの違いでしかない。しかしお前は私の機嫌を悪くさせた。お前のようなクズが、神に愛された上級国民である私にだ。そして今行っていることはその罰だ。お前が幾ら許しを乞おうと、私は止める気などない。どうせお前は私に従うことになるのだから」
「憐、君・・・・・・こんな人の話、聞いちゃだめ! 大丈夫、こんなこと続けていたら、いずれ世間にバレるよ。それまで、耐えて!」
そう言っている柚葉さんはどこか自分の命を諦めているかのようにも感じた。
「おばちゃあんのこと、よろしくね」
辛い体勢だろうに少しだけこっちを見たその顔は涙が出ていて、それでも優しい笑顔を見せてくれていた。
自分を安心させるためか。
また自分のせいでこんなことになってしまった。
こいつの言っていた通り、自分は親にも、神にも愛されていないのだろう、そして世界にも。
自分を大切に思ってくれているほど、自らのせいで壊れて失っていく。
それが何よりもの証拠だ。
「あー、感動的なところ悪いが、少し面白い物を見せてやろう。おい! プロジェクターつけろ!」
大臣の命令の従い部屋の外から数名の白衣を覆った人が入ってきて、プロジェクターを持ってきて真っ白な部屋の壁に映し出し、パソコンを操作している。
「最近、面白いニュースが話題になっているようだ。見ろ」
「? ・・・・・・は?」
なんだ、これ。
どう言うことだ?
なんで?
一瞬、自分の目を疑った。
だって、そのニュースの内容は、柚葉さんと千代さんが何故か実名で報道されており、批判されているのものだったからだ。




