〈20話〉目的地
最後に一度だけ、まだ眠っている千代さんを見て病院を出た。
太陽はすでに下がり始めていて、空は淡いオレンジ色に包まれている。
「またね、憐君」
「はい。また」
最後の最後の別れの挨拶は案外あっさりしていた。
けど、それでいい。もう十分泣いたし、互いの気持ちを知れた。
柚葉さんも笑顔で送り出してくれた。
それで十分だ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
警察官がパトカーの後部座席の扉を開けてくれて入るときに見えた。
周りの人は自分のことを見てくる。
注目されている。
犯罪者だとでも思われているのか、それともニュースやSNSで話題になっているからかは分からない。
今までなら気になってしまっていた視線も、今ではあまり気にならなくなった。
自分を大切にしてくれる人がいることを知ったからだろうか。
「こんにちは」
「え? あ、こんにちは」
「結構長いけど、トイレとか大丈夫?」
「大丈夫です」
パトカーの中にはもう一人警察官がいた。
女性の方で、運転席に座っていた。案内してくれた警察官は後部座席のドアを閉めると助手席の方に座った。
「私とは途中までになるけど・・・・・・それじゃあ出発するよ」
「は、はい。よろしくお願いします」
「っ・・・・・・」
一瞬、運転席に座っている警察官の顔が歪んだように見えた。
気のせいだろうか。
数時間経った。
あれから殆ど車内での会話はなく、たまにトイレでコンビニに寄ってくれる。
少し気まずいけど、自分が気にすることでもないか。
今は山の中を走っている。
もうすっかり夜になって辺りは真っ暗だ。
街灯も少なく、周りを走る車は殆どいない。たまに対向車が通るくらいだった。
あまりに静かでどこか不気味だったから、夜も遅いのに眠れなかった。
「あのぅ、すいません」
「どうしましたか?」
寝付けなくて暇だし、少しくらいお話しても大丈夫かな。
「今どこに向かってるんでしょうか。暗くなる前には出発したもに、もう日を跨いでますよね」
「・・・・・・明日の朝くらいには」
「結城」
「っ、少しくらい、いいじゃないですか」
「命令を忘れたか? 必要最低限の会話以外するなと言われたはずだ」
「確かにっ、言われましたけど・・・・・・そんなの、あんまりだと思いませんか。相手はまだ12歳ですよ!?」
「年齢は関係ない。上の命令は絶対だ」
「っ!?」
突如始まった警察官同士も言い合い。
もしかして余計なことをしてしまったのかも知れない。
男性の方は至って冷静に見えるが、女性の方は止まらない。
かといって暴れたり叫んだりするわけではないけど。
「先輩はなんとも思わないんですか・・・・・・明らかにおかしいですよ。今回の仕事。署長の様子もおかしかったですし、子供一人を送り届けるのに、会話もしてはいけない。普通は逆でしょう? 安心させるために会話するべきでは無いのですか? それに、わざわざ使うパトカーの指定もしてきましたし、目的地だって訳のわか」
「結城、喋りすぎだ」
「っは・・・・・・すいません」
運転を続けたまま段々ヒートアップしてきた女性の警察官。
多分、結城さんかな? を男性の警察官が止める。
「結城、お前の言いたいことも分かる。今回の仕事は不可解なことばかりだ。恐らく警察内部ですら情報が規制されている。しかし、それでも俺達のやることは変わらない。命令通り動くしか、俺達には出来ないんだよっ」
男性の警察官が苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「先輩、でもせめてっ、軽く会話するくらいはいいじゃないですか」
「だめだ」
「お願いします」
「だめだ」
「お願いします。せめてあの子が寝るまででもいいんで」
「・・・・・・はぁ、分かった。憐君、見苦しいところを見してしまった」
「あ、ああ、いえ、大丈夫です」
なんとか落ち着いた、のかな?
「結城、運転変わるよ。一旦止めろ」
「え、もうですか? まだ結構距離ありますけど・・・・・・」
「憐君と話すんだろ。そっちに集中しろ。それに後輩にずっと運転させるわけにも行かないだろう」
「はい。ありがとうございます」
そう言って結城さんは車を止め、運転手を交代する。
「じゃあまずは自己紹介からだね。私は結城茜。まだ警察官になって一年目の新人。で、こっちは篠原悠人先輩。中学校からの先輩なんだ」
「へぇ、そうだったんですね」
「そうそう、悠人先輩はこんなんだけど、中学高校と女子達からモテモテだったんだよ? 羨ましいよねえ、面のいい男は」
「結城さんは篠原さんのことを好きになったんですか?」
「えっ? わ、私が悠人先輩のこと? な、ななな何を言ってるの憐君! そんな訳ないでしょ! こんなクソ真面目でずっと仏頂面の男を好きになんてまるわけっ・・・・・・うぅ、この話は終わりにしましょう」
「あ、あはは」
結城さんは話し始めた途端、人が変わったように元気になり出した。
さっきまではずっと黙ってて怖いなって思ってたけど、本来はこんな人だったのか。
今の会話だけでもコロコロとすぐに表情が変わる。
少し柚葉さんみたいだ。
まだ別れてから一日も経っていないのに、もう少し寂しい。
これからはもっと長い時間会えなくなるだろうから、こんなところでへこたれる訳にはいかない。
「そうだ、憐君」
「はい」
「ちょっと聞いていいのか分かんないんだけど・・・・・・」
結城さんが少し口籠もりながら何かを躊躇っている。
多分だけど、病院のテレビでニュースになっていたから、それについてだろうけど。
「大丈夫ですよ。何でも答えます」
「うん。ありがとう。憐君ってニュースに載ってた、よね? あの・・・・・・鷹村組の件で」
「はい。載ってました」
やっぱりそれか。
まぁもう全国で報道されているだろし、隠し通すのは無理だ。
顔だけじゃなくて力を使っているところまで映しだされていたんだから、言い逃れは出来ない。
「もし嫌なら! 全然断ってくれていいんだけど・・・・・・君がどうしてあんな事件に巻き込まれたのか、その経緯を教えて欲しいんだ」
「経緯を?」
「うん。巻き込まれてしまった原因とか、その過程とか、ね。あ、や、やっぱり嫌だったら全然言わなくても」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
「ほ、本当に大丈夫?」
心配そうな表情でこちらを覗いてくる。
話す内容があれだからか、こちらを気遣ってくれているのだろう。
優しい人だ。
「なら、結城さんが警察官になった理由とかを教えてくれませんか。その方が自分も話しやすいので」
「えっ!? わ、わかった!」
一瞬目を見開いて驚き、少し深呼吸をしたあと静かに話し始めた。
そして篠原さんは相変わらず話に混ざらずただ淡々と運転していた。
「私ね、小学生の頃虐められてたの。それは中学に上がっても一緒で、無視されたり、殴られたり、嫌がらせされたり。何度も学校を辞めようと思ったし、小学生ながらに死んじゃえば楽になれるんじゃないかなとか思ってたの。でも中学一年の二学期の私に転機が訪れて、何の因果か上級生のグループに助けてもらったの。その人達は三年生で、すぐに卒業しちゃったけど、それから虐めはなくなった。まぁ、無視は続いたけどね! ・・・・・・特に助けてくれたグループの一人がね、リーダー格って感じでは無いんだけど、いつも仏頂面で、滅茶苦茶真面目で、話していてムカつくこともあったけど、私を一番気にかけてくれて、いつでも守ってくれたの。それを見た当時の私は凄いなあって思ったの。私もそんな人になりなたくて、その人の背中を追いかけてきた。それが私が警察官になった理由」
話し始めた結城さんの顔はどこか辛そうな表情をしていた。
けれど、終わる頃にはそんな面影もなくて、ただその人物への尊敬の念と、少し照れの混じった表情をしていた。
「あはは、少し、恥ずかしいね」
照れくさそうに笑いながら篠原さんを眺める結城さんに比べ、篠原さんの表情は変わらない。
それを結城さんが気にする素振りを見せなかった。
これが普通なのだと言うように。
「はいっ、じゃあ次は君の番ね!」
「何から話しましょうか」
そう切り始めて、自分は自分の過去を話し始めた。
母と父がいて、幸せに暮らしていたこと。
けれどそれは記憶に殆ど残っていない小さい時で、いつの間にか父はいなくなって、母とよく分からない金髪の男の家に住んでいたこと。
その金髪の男から暴力を受けていて、学校では家のことで虐められていたこと。母に嫌悪され、否定されたこと。
それからよく学校をサボっては自分だけの秘密基地を見つけて、そこで多くの時間を過ごしたこと。結局中学生に上がっても、環境は何一つ変わらなかったこと。
普段より金髪の男からの暴力が酷かった時に、見知らぬ男達が現れて連れ去られたこと。
そして気が付いたら男達と同じ車に乗せられていたこと。
自分はそのまま売られるか、殺されて臓器を売られるかということ。
隙をついて逃げ出したけど、どこかも分からず、帰る場所もなく、ただ遠くへ遠くへ逃げて、たどり着いた山で暮らしていたこと。
手持ちのお金も無くなって、真冬が近づいてきた頃に街を降りて彷徨って倒れたところを柚葉さん達に助けられたこと。
懐かしい温かい雰囲気を、久しぶりに感じれたこと。
山に戻って暮らしていると、柚葉さんから連絡が来て戻ったこと。
そして、柚葉さんが攫われて、千代さんを傷付けてしまったこと。
犯人は自分を売ろうとしていたヤクザで、全て自分のせいだったと気付いたこと。
気が付いたら病院にいて柚葉さんと一緒に暮らすことを決めた矢先に、施設の受け入れが決まったこと。
そして今、柚葉さんと別れを済ましてこの車に乗っていること。
今までに起きたほとんどの出来事を話した。
力のことは一応伏せたけど、結城さんも篠原さんも何となく分かっていただろう。
こんなにも過去を曝け出したのは、初めてのことだった。
柚葉さんにもここまで詳しく話したことはなかったなぁ。
この人達が警察官だから。信頼できる大人だから。正義の味方だから。
だからこそ、安心して話せたんだろう。
「それで、自分は柚葉さんと約束したんです。施設に行っても、どれだけ辛い目に遭っても、絶対に生きて、一人前の大人になっても柚葉さんに会いにくと」
この時の自分はちょっと情けない声をしていたと思う。
声が震えて、改めて自分でも本当にそんなことが出来るのか分からなくなって。
もしかしたら辛くて最悪の選択を選ぶかも知れないって。
でも・・・・・・。
「それが、夢だから・・・・・・絶対にっ、もう一度」
そう言って顔を上げると静かに聞いてくれていた結城さんも、何故か悲しそうな顔をして泣いていた。
「っ、ぅ、うん! 憐君! 君は凄いよ! なんで君みたいないい子が酷い目にばっかり・・・・・・うっう」
ボロボロと涙を流しながら同情してくれる結城さんを見て、少し安心する自分がいた。
「憐君! 絶対に施設に行っても死んじゃおうなんて考えちゃ駄目だよ! どんだけ辛いことがあっても柚葉ちゃんを思い出して耐えて! 私も定期的に君に会いに行くから! 何かあったら教えて! 絶対に出て柚葉ちゃんに会いに行って幸せになって! 絶対だよ!」
「はぃ、ありがとうございます!」
結城さんの涙に、収まってきていたはずの涙がまた溢れてきてしまう。
結城さんに頭を撫でられて二人で泣いていると、ゆっくりと車が停車した。
結城さんとほぼ同時に外を見るが、まだ暗く、森の中だ。
どうしてこんなところで止まって・・・・・・。
「もう・・・・・・これ以上は進めない」
「「え?」」
篠原さんが小さな声で呟き、自分と結城さんの声が被る。
「ちょ、せ、先輩!? どうしたんですか!? まだ森の中ですよ!?」
「憐君、君はここで降りろ」
「はぁ!? 先輩! 自分が何を言ってっ、」
「篠原さん・・・・・・?」
突然の事態に自分も結城さんも困惑して戸惑いながらも篠原さんを見ると、酷く動揺しているようだった。
その様子は自身の言動に驚いているようにも見えた。
「先輩? 大丈夫ですか? 疲れてるのなら施設までの運転を変わりますから、休んでくだ」
「違う、違うんだ結城・・・・・・そうじゃない」
「それは、どういう・・・・・・?」
「・・・・・・今向かってる先は、児童養護施設じゃないんだ!」




