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緑の竜ファフナーのたからもの  作者: 海野宵人


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2/2

2 後編

 ファフナーは緑の竜。大地の豊穣を司る。


 彼は千年ほどの昔から、大きな山で暮らしていた。ふもとにはとても小さな村がある。いや、『とても小さな村』だったのは最初のほうだけだった。ファフナーがすみついたおかげで作物の収穫量は増え、村は年ごとに少しずつ大きくなっていった。


 最初のうち、村人たちはファフナーに好意的だった。緑の竜は、大地の恵みをもたらすと気づいていたからだ。敬意を込めて『竜神さま』と呼び、季節ごとにかご一杯の供物を捧げたものだ。


 けれどもそうした関係は本当に最初のうちだけだった。数十年、数百年と経つうち、『竜神さま』からただの『竜』に呼び方が変わっていった。当然、捧げ物もなくなる。けれども別に、ファフナーは気にしなかった。人間からの供物がなくても、彼は生きていくのに何の不自由もしない。


 ところが千年ほどたったある日、驚いたことに人間の少女が彼に警告を発しにやってきた。なんと徒党を組んで、彼の弱点を的確に捉える予定なのだという。彼の『宝物』を奪うために。そんなもののために命を奪われてはたまらない。


 ファフナーはついに、今の住み処を捨てて新しい土地に移ることにした。忠告をくれた少女にも、一緒に行こうと誘ってみる。彼女は少し逡巡したが、行くと言ってくれた。


 少女は金色に輝く巻き毛の、きれいな子だった。名前はエッダという。ファフナーに人間の美醜はよくわからないけれども、彼は彼女をとても美しいと思った。今まで持っていた宝物がガラクタに見えてしまうほど。実際、モノの価値という意味ではどれもガラクタなのだけれど。


 彼は彼女を自分の背に乗せ、新天地を探すために飛び立った。よく晴れた満月の夜だった。


 新しい住み処は、もとの住み処からいくつもの大きな山を越えた先の、谷間にした。なんとこの谷には『復活の実』があちこちに生えているのだ。人間は探し出すのも難しいだろうが、翼を持つファフナーなら採り放題だ。


 『復活の実』を交渉材料に使い、ファフナーはエッダの生活必需品をそろえていった。


 新しい場所での生活は平穏だった。


 エッダはすくすくと大きくなり、大人になり、中年になり、さらに歳を取って老人となった。年をとっても、彼女はきれいだ。来る日も来る日も、飽きることなくファフナーはエッダの金髪を眺めた。


 エッダは髪に白いものが混じっても、やっぱりきれいだった。エッダは髪の色が変わることを気にしているけれども、白髪まじりでもきれいだし、全部が白くなったらそれはそれできれいだ。


 ファフナーは幸せだった。エッダがいてくれるだけでも幸せなのに、彼女は『声の水晶』まで作り出してくれた。『声の水晶』は淡い色合いでキラキラと光り、とてもきれいだ。水晶自身が発光するわけではないようだが、大事に洞窟の一番奥にしまい込んでいても、淡くキラキラした。入り口から差し込むわずかな光を反射して、淡くキラキラと光る。


 結局のところ、ファフナーは彼女自身がキラキラしていると感じているのだろう。だから彼女の付属物であれば何でも、キラキラしていると感じるのではないか。


 しかし彼の幸せは、それほど長くは続かなかった。人間の寿命は短い。百年も生きる者はまれだし、長くても八十歳くらいなものだろう。ファフナーは少しでも幸せを長続きさせようと、たびたび『復活の実』をエッダの食事に混ぜてみた。効果はてきめん。エッダは風邪ひとつ引くことがない。


 とはいえ、ファフナーがどれほど神経をとがらせても、老いを防ぐことはできなかった。


 一年、一年、エッダは年を取っていく。そして八十九歳になったある日、ロッキングチェアーに揺られてファフナーと話しているときに、彼女は不意にうとうととした。ファフナーは心の中で世界に亀裂が入る音がしたように感じた。もしも今ここで眠らせたら、二度と目覚めないだろう。


「エッダ。エッダ! 僕を置いて行かないで!」

「ファフナー、大丈夫。声の水晶があるわ。私の声は、ずっとあなたと一緒よ」


 その言葉を最後に、エッダは神の国に召されてしまった。


 ファフナーは彼女を丁寧に埋葬した後、『声の水晶』のところへ行った。それは二人で暮らす洞窟の一番奥に、ザラザラと山になっている。薄暗い洞窟の中で、色とりどりにきらめいていた。確かにきれいだ。


 でも、ファフナーが幸せを感じるには、輝きが足りなかった。


(だって、水晶は話をしない)


 心の中でそう思ってから、不意にひらめいた。


(使えばいいんだ!)


 ファフナーはひとつを手に取り、フーッ、フーッ、フーッと息を吹きかけた


『ファフナー、大好き』


 水晶からエッダの声が聞こえる。たちどころにファフナーの沈んだ心は、天高く舞い上がった。


 水晶から使うのは、一日一個と決めた。いくら山のようにあると言っても、使えば必ず終わりがくるからだ。


 来る日も来る日も、ファフナーは『声の水晶』をひとつずつ使った。九百年ほど経つと、水晶の在庫がかなり減ってくる。二日に一回に減らそうかとも思ったけれど、水晶を使わない日は何もする気が起きない。結局、毎日そのまま使い続けてしまった。


 そして九百年と四十数年が経った頃、ついに最後の一個になる。ひとつだけでも残しておきたかったが、ファフナーはどうしても我慢ができなかった。だって、とっておきの水晶だったのだ。


『ファフナー、大好き』


 最後の水晶は、その言葉を残してキラキラと消えてしまった。


 なくなってしまった。山になるほどたくさんあったのに、全部、全部消えてしまった。エッダの最後の面影だったのに。


 ファフナーの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「エッダ。さびしい、さびしいよう」


 ファフナーの涙は止まらなかった。後から後からこぼれ落ちてくる。エッダと出会うまでは自分でも知らなかったけれど、実はファフナーはさびしがり屋だった。それも極度の。エッダが先に寝ようとすると、あの手この手で時間稼ぎをする。


「寝る前に、お水、飲む?」

「あ、ちょっと飲もうかな」

「はい、ここ。コップにお水入れとくね」

「ありがとう」


 エッダが水を飲み終わって寝ようとすると、ファフナーは再び声をかける。


「トイレいかなくて大丈夫?」

「うーん。念のため、寝る前に行っておこうかしら」


 その隙に、洞窟の見回り確認を済ませ、入り口においた獣よけの香草を交換して、ようやくファフナーは満足する。


「よし、準備万端。エッダ、もう寝られるよ」


 こうして毎日、二人とも同じ時間に眠りにつくのだった。エッダはもしかしたら、ファフナーの魂胆には気づいていたのかもしれない。でも彼女はおくびにもそれを出さなかったし、いつでもファフナーの提案に乗ってくれた。


 こんなさびしがり屋のファフナーが、千年近くも『声の水晶』をよすがにひとりで生きてきたのだ。エッダと一緒に暮らすまではずっとひとりだったけれど、二人で暮らす幸せを知った後では、もうひとりきりの生活には耐えられそうもなかった。


「なくなっちゃった。『声の水晶』が、もうなくなっちゃった。エッダ、声を聞きたいよう」


 最初はたくさんあると思って安心していた。けれども、どれほど山のようにあったとしても使っていけば必ずいつか終わりがくる。もう二度とは手に入らないのに。


 ファフナーはしくしくと泣き続けた。拭っても拭っても、涙はとめどなく流れてくる。それに呼応するように、谷には強く雨が降り始めた。ファフナーの涙はとまらない。谷間を流れる川は、怒濤(どとう)の濁流となって激しく流れていった。まるで絶望のどん底にあるファフナーの心を代弁しているかのようだ。


 ファフナーは何日もの間、泣き続けた。するとある朝、不思議なことにどこからともなくエッダの声がした。


『ファフナー、もう泣かないで』


 幻だとしても、エッダの声が聞けてうれしかった。涙はすぐにはとまらなかったけれど、前足で拭ううちには少しずつ引いて行った。それに合わせるように、あれほど激しく降り続けていた雨足が弱まっていく。


 再びエッダの声が聞こえた。


『ファフナー、泣いていると迎えに行けないわ。だから、もう泣かないで』


 ──迎え? エッダが迎えに来てくれるの?


 思いがけない言葉に、ファフナーの涙は立ち所にとまった。


『ありがとう! これで迎えに行けるわ!』


 不思議に思いながら、洞窟の入り口へ行ってみた。すると驚いたことに、そこには広々とした大きな虹の橋がかかっているではないか。


「ファフナー!」


 エッダの声に、ファフナーは弾かれたように顔を上げる。エッダの姿を探して、きょろきょろと辺りを見回した。


「ファフナー! こっちよ!」


 笑いを含んだエッダの声がする方向へ視線を向ける。はたしてそこには、エッダの姿があった。しかし、亡くなったときの姿ではない。初めて会った頃の、少女の姿をしていた。そればかりか、背には一対の真っ白い大きな翼がある。


 エッダはその翼を大きく広げ、まっすぐにファフナーのところまで飛んで来た。


「エッダ!」


 姿かたちが少し変わったけれども、確かにファフナーのエッダだ。


「さあ、行きましょう」

「どこへ?」

「天の国へ。ようやく迎えに来るお許しが出たの」

「誰から?」

「神さまよ!」


 そうしてファフナーは、エッダと一緒に虹の橋を渡って行った。天の国へと。


 谷から緑の竜が消えたことは、数日内に周辺の村々に知れ渡った。竜とは良好な関係を築いてきたと自負していた人々は、どうして見捨てられたのだろうかと嘆き悲しんだ。けれども、彼らは見捨てられたわけではない。農作物は相変わらず凶作知らずだったし、実りも豊かだった。


 ただ、『復活の実』だけは『入手できない幻の果実』となってしまった。しかし豊作の加護が続いていることを見れば、恩恵が残されたことは明らかだ。


 人々はファフナーのことを『緑の竜神』と呼ぶようになった。そしてこの谷は『竜神の谷』と呼ばれるようになる。ファフナーと暮らしていたひとりの金髪の少女のことは、伝承の中にだけ残っている。



 * * *



 昔々のその昔、『竜神の谷』はまだ竜神のいない、ただの谷でした。


 そこへ、緑の竜ファフナーが人間の少女エッダを連れて現れました。なんとこの二人は、遠い国で殺されそうになって逃げてきたと言います。竜を殺そうとするだなんて、とんでもない人たちがいたものです。


 竜を殺そうとした人たちは緑の竜ファフナーがいなくなって初めて、それまで自分たちがどれほど緑の竜から恩恵を受けていたかを思い知りました。緑の竜とは、大地の豊穣を司る竜なのです。今までの加護がすべて消えてしまい、彼らはあわてふためきました。でも、もう後の祭り。


 おかげで私たちが代わって恩恵を受けられるようになったわけですが。


 竜と少女は、『竜神の谷』で暮らし始めました。仲のよいふたりは、いつでも一緒です。いつしか少女は、『竜の巫女』と呼ばれるようになりました。


 けれども人間は竜と違い、歳をとります。少女だった『竜の巫女』もやがて老婆になりました。ついに彼女は老衰により亡くなってしまいます。竜の嘆きは計り知れません。


 けれども『竜の巫女』は、自分の代わりとなるものを竜に遺していきました。それが魔法の水晶です。その水晶は息を吹きかけると彼女の声がするという、不思議な水晶でした。水晶は山ほどあります。竜は一日に一度、水晶を使って巫女の声を聞くことにしました。


 使えば水晶は少しずつ減っていきます。山ほどあると言っても、それはたくさんあるというだけであり、決して無限ではないのです。はたして千年目の日に、水晶はついに切れてしまいました。竜はもう永久に巫女の声を聞くことはできません。悲しくなった竜は、ぽろぽろと涙をこぼしました。


 竜の涙はとめどなく流れ続けます。竜の嘆きに同調して、空も雨を激しく降らせ始めました。竜の涙は三日と三晩の間、とまりませんでした。ところが四日目の朝、奇跡が起きます。どこからともなく巫女が竜に声をかけたのです。


『もう泣かないで』


 驚いた竜が顔を上げると、なんと住み処の前には大きな虹の橋がかかっています。住み処の入り口を見に行ってみれば、二度と聞けないと思っていた声がしました。


「迎えに来たわよ!」


 巫女のエッダです。背中には大きな白い翼。そう、彼女は千年の間に天使になっていたのでした。天使エッダと緑の竜ファフナーは、虹の橋をわたって、天の国に向かいました。


 今でも雨の後、急に明るくなったときに『竜神の谷』に虹がかかります。そんなとき、よく見ると虹の上に仲よく『竜神の谷』の様子を見に来た竜と巫女の姿が見えるかもしれません。

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