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緑の竜ファフナーのたからもの  作者: 海野宵人


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前編

 エッダは孤児だ。


 エッダが一歳の頃、大きな水害で両親を亡くした。水に流された両親は、せめて子どもだけでも助けようと、エッダを力一杯投げた。両親はそれきり力尽きて流されてしまったが、エッダは無事に助かったのだった。


 彼女は村長の家に引き取られた。と言っても、養子になったわけではない。労働力として引き取られただけだ。四歳になると、子どもにも出来る簡単な仕事をさせられるようになった。


 十才になったある日のこと、エッダは大人たちの会話を耳にした。


「北の山に、竜が棲みついているだろう?」

「ああ。悪さをすることがないから放置してるけど、それがどうした?」

「竜は光り物をため込むって話は聞いたことがあるよな?」

「もちろん、あるよ」

「悪さをしない程度の弱い竜なら、倒して手に入れられるんじゃないかな」

「そうかもしれないけど、竜なんて倒しようがないだろう」

「それが、あるんだよ。『逆鱗』って知ってるか?」

「あごの下にある、一枚のさかさに生えたうろこのことだっけ?」

「そう、それ。それが竜の弱点だそうだ。不意打ちで逆鱗を抜いて、間髪を入れずに剣を突き立てれば、簡単に倒せるらしい。そしてあの竜は緑だから、空を飛べないんだ」


 その後、大人たちは興奮したように竜討伐の計画を話し始めた。

 エッダはゾッとして身震いした。


(何も悪いことをしてない竜を殺しちゃうの?)


 どう考えても間違っている。


(竜を助けなきゃ)


 彼女はこっそり村長の家を抜け出し、北の山に向かった。山の頂上にその竜はいた。巨大な体を丸めて休んでいる。


「竜さん、今すぐ逃げて」


 寝そべっていた竜は、目を開けてエッダを不思議そうに見つめた。


「なんで?」


 そこで彼女は、聞きかじった大人の会話のことを説明した。それを竜は怒るでもなく、ただ呆れ顔だ。


「そんな理由で僕を殺そうというのか」


 竜はため息をついた。


「この山からは、そろそろ引っ越し時だな。教えてくれて、ありがとう」


 少し考えてから、竜は続けて言った。


「きみの髪は金色にキラキラして、とてもきれいだ。僕と一緒に来ない?」


 どうやら竜は、エッダの明るい金髪がお気に召したらしい。そして『光り物』と認定されたらしい。


「でも、私は生きているから、ご飯を食べないと生きていけないの」

「大丈夫。僕と一緒に食事をすればいい」


 竜が何を食べているのか質問すれば、基本的には木の実だという。緑の竜は菜食なのだそうだ。


「だったら連れて行って、竜さん」

「ファフナー。僕の名前はファフナーだよ」

「私はエッダ」


 日が暮れてから竜は背中にエッダを乗せ、おもむろに翼を広げた。


「しっかりつかまってね」

「竜さん、飛べるの? 緑の竜は飛べないって聞いたのに」

「そりゃ、竜だもの。飛べるよ。普段、翼はたたんでいるだけ」

「たからものを運ぶならお手伝いします」

「あれは置いていくよ。きみがいてくれるなら、他のモノは、もういらないや」


 そうして誰にも見られることなく、北の山を後にした。新しく暮らす場所を求めて、ゆっくりと進む。


 明るい月明かりのなか、新天地を求めて数時間。いくつもの山を越え、とある谷間に竜は降り立った。


「ここにしようか」


 谷の周囲は実のなる木で覆われている。前の場所以上に、ふんだんにナッツや果実が手に入った。谷の奥には、住み処にするのにちょうどよさそうな洞穴がある。エッダもここを気に入ったので、二人はここを住み処にすることにした。


 それから木の実をいくつか集め、ファフナーはこっそり小さな人里を訪れた。目当てはベッド。村の中で一番大きな家を訪ね、玄関ドアの呼び鈴を鳴らす。返事をしてドアを開けた女主人は、そこに巨大な緑色の竜がいるのを見て腰を抜かした。だが「緑の竜は温厚で、人を襲うことはない」と知っていたので、気を取り直す。


 竜は女主人が落ち着くのを待ってから、話しかけた。


「頼みがある」

「何でしょうか」

「ベッドを一式、これと交換してもらえないだろうか」


 ファフナーは木の実を見せた。


「足りなければ、もっと採ってくる」


 女主人は仰天のあまり言葉を失った。そこには『復活の実』と呼ばれる、普通では手に入らない希少な実がごろごろと転がっていたからだ。『ひとつ食べれば、どのような病も癒える』という『復活の実』はとても貴重だ。


 『復活の実』は、普通では手に入らない。断崖絶壁の中層に生え、しかも上から見えないような位置に生えるので、人間が見つけることはほとんど不可能なのだ。


 そんな『幻の実』とも言われる『復活の実』だが、不思議と誰でも形を知っている。それは、『復活の実』が特殊で特徴的な形をしているからだ。横から見ると見事なハート型をしている。そんな形の果実は他にない。だから女主人は『復活の実』の実物を見たことがなくても、ファフナーが持参したのが『復活の実』だとすぐにわかったのだ。


「とんでもない。これひとつで上等な布団付きのベッド一式差し上げても、さらにおつりを出さなくてはならないほどです」

「それはよかった。では、ベッドの他に十歳の女の子が着られる服をいくつかもらえないか。その代わり、この実は全部あげよう」


 女主人は自分の娘が着なくなった古着をありったけ袋に詰めて、ファフナーに渡した。服がないなら、他の物もないかもしれないと、ハンカチやリボン、下着、靴に靴下なども付けて。ファフナーは大喜びで「ありがとう」と礼を言うと、意気揚々とベッドと衣類を持ち帰った。


 ベッドと衣類を持ち帰ったファフナーに、エッダは驚く。


「これ、どうしたの?」

「交換してもらった」


 ファフナーはエッダに、『復活の実』をベッドと衣類に交換した話をした。


「『復活の実』! おとぎ話じゃなくて、本当にあったのね」


 その後、ファフナーは復活の実でさらに生活を充実させていく。食器、姿見、ブラシ。


 そうしてファフナーとエッダは、谷の洞窟で暮らし始めた。


 エッダはこうして幸せにファフナーと暮らした。大人になり、年を取っても、ずっと、ずっとファフナーと一緒にいた。


 エッダの服や食器類などを提供した村は、少しずつ栄えていった。品物と復活の実を交換していることは村の秘密だったが、復活の実を秘密にしていても、農作物の収穫が全般的に向上したのだ。緑の竜は、いるだけで植物の実りを豊かにする。その恩恵により、その一帯の畑はすべて収穫量が増えたのだった。


 一方で、ファフナーを襲う計画をした前の村では、実際に襲撃をした。けれどももちろん、すでに竜の姿はどこにもない。竜の宝を強奪するつもりだった男たちは、拍子抜けした。しかしファフナーのかつての宝の入った宝箱を見つけると、躍り上がって歓喜した。


 そして宝箱を開けて、愕然とすることになる。そこには、キラキラするガラクタしか入っていなかったのだ。


 ガラスの破片、手鏡、貝殻、ブリキのおもちゃ、ビーズの首飾り、スパンコールのついた手提げ。


「宝石はどこだ⁉」


 血まなこで宝箱の中を隅から隅まで探しても、宝石はひとつも見つからない。男たちは意気消沈した。しかし、「何も得られなかったが、失ったものは何もないのだから」と自分たちに言い聞かせて諦めることにした。


 ところが実際のところ、この村は大きなものを失っていたのだ。


 竜の祝福という、得がたく代えがたい加護を。


 これまでファフナーがいるお陰で不作知らずだったこの村は、この年から収穫量が大幅に減った。そればかりか、他の村と同じように数年に一度は凶作に見舞われるようになってしまった。


 ここにきて、ようやく村人たちは悟る。今までの恒常的な豊作はファフナーのお陰だったのだと。あわててファフナーを探したが、とっくにいくつもの山を越えた先の谷に移動していたファフナーを見つけることはできなかった。


 さらに数年後、緑の竜の恵みにより豊かになった村のうわさを話に聞きつける。強欲に駆られて大事なものを失ったことを、悟らざるを得なかった。どれほど後悔すれども、もう遅い。


 エッダはファフナーと暮らすうち、ひとつの魔法の才が発現した。エッダが使えるようになったのは、攻撃や防御の役に立つような魔法ではない。もっと地味な魔法だ。それは、声を水晶に変えるというもの。たとえば「おはよう」という声を込めた水晶は、手のひらサイズのキラキラ輝く水晶になる。色は言葉ごとに少しずつ変化する。「おはよう」ならば、朝焼けのような薄紅色になった。


 光る物が大好きなファフナーのために、エッダはせっせと『声の水晶』を作り続けた。


『おはよう』

『おやすみなさい』

『ファフナー、大好き』

『いってらっしゃい』

『おかえりなさい』

『ありがとう』

『ごめんなさい』


 この『声の水晶』は込めた声を復元することもできる。フーッ、フーッ、フーッと三回続けて息を吹きかけると、水晶は空気に溶けるようにキラキラと光の粒を立ち上らせながら、水晶に込められた言葉を発して消えるのだ。


 でももちろん、ファフナーは音を再生したりはしなかった。だってエッダの声なら毎日聞いている。それに水晶は使ったら消えてしまうけれど、そのままならキラキラして、とてもきれいなのだ。使ってしまうなんて、もったいないことは絶対にできない。


 エッダは毎日幸せだった。


 だって大好きなファフナーと一緒に暮らせるのだ。食事に不自由することはなく、復活の実がしばしば食事に入っているせいで、病気知らずだった。


 けれども何千年も生きる竜と違い、人間のエッダは年を取る。


(かわいそうなファフナー。私が死んだら、ひとりになっちゃう。できるだけたくさん、『声の水晶』を作ってあげなきゃ)


 幼かった少女は、やがて花も恥じらう乙女となった。けれども彼女は、ファフナーのそばを決して離れようとしない。


「私はファフナーの宝物なのでしょう?」

「そうだよ。たったひとつの宝物だよ」

「だったら、ファフナーのそばにいるのが当然じゃない?」


 ファフナーはエッダが恋をして人間の社会に戻って行ってもかまわないと思っていたけれども、彼女は変わらずファフナーのそばにいた。


「ファフナー。ファフナー、大好きよ」


 乙女はやがて年を取り、中年になり、壮年となり、熟年を経て、ついには老年となった。熟年になると、金色の巻き毛に白いものが混じり始める。やがて金色はどこにもなくなり、すべてが真っ白となった。


「金髪がなくなっちゃったわ。もうファフナーの宝物じゃなくなってしまうかしら」

「エッダはずっと宝物だよ! 金髪はキラキラしていたけど、白髪もキラキラしてきれいだ」

「あら。うれしいことを言ってくれるのね」


 厳密に言うと、エッダがファフナーの唯一の宝物というのは嘘だった。エッダの作った『声の水晶』も彼の宝物である。けれども『声の水晶』というのはエッダが産みだしたものだ。だったらエッダの一部と考えてもよいのじゃないか、とファフナーは思った。


 やがて八十九歳を迎えたエッダは、老衰により安らかにこの世を去った。この時のために、彼女は『声の水晶』を作り続けていたのだった。彼女がいなくなっても、ファフナーにはまだたくさん宝物が残るように。

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