第七章 ノエル
クロエの波瀾万丈なデートが終わって、一週間が過ぎた。
クロエに聞いたが、あの出来事以降、ウィルフレッド王子からの連絡はないようだ。
アルの手紙にはウィルフレッド王子が部屋に閉じこもっているとあり、それを聞いたクロエは「やはり言い過ぎたのかも」と気にしていた。
謝りたいと言う彼女だったが、ウィルフレッド王子は部屋から出てこないし、しばらく待って、彼が落ち着いてからの方が話せるのではないかと宥めた。クロエはそれに納得し、今はウィルフレッド王子のことを気に掛けつつも、普段通りの生活を送っている。
私はといえば、なんと、城で三度目の召喚を試すことになった。
精霊の嫌いなものがあって、どうやらそれが召喚できない原因らしいという、クロエの精霊から聞いた話をアルに告げたところ、「やっぱり。それならまず、場所を変えてみるのはどうだろう。まずは城でというのはどうかな?」と言われたのだ。
アルも、私が召喚できない理由は、精霊が苦手なものが近くにあるからではないかと考えてくれていた。その推測が当たっていたと、さすがアルだと思いつつも、私は彼の提案に頷いた。
もしかしたら、私の屋敷の召喚場が精霊のお気に召さないのかもしれない。
わざわざ迎えに来てくれたアルと一緒に城の廊下を歩く。私は両手でノエルを抱えていた。
最近、ノエルは私と離れることを酷く嫌がるようになっていて、今日も出て行く時に連れて行けとずっと鳴いていたのだ。
アルが構わないと言ってくれたから連れてきたものの、ノエルは落ち着かない様子で、私にしがみついていた。
これなら連れて来ない方が良かったかもしれない。
城にある召喚用の部屋は別棟らしく、少し距離がある。アルの案内で目的地に向かっていると、廊下の向こう側からウィルフレッド王子が歩いてきた。
「あ、ウィルフレッド殿下……」
思わず名前を呼ぶと、アルも驚いたように言った。
「あいつ、やっと出てきたんだ」
ウィルフレッド王子も私たちに気づいたのか立ち止まる。そうして気を取り直したようにすぐにこちらにやってきた。もしかして逃げられたり、避けられたりするかもと思っていたがそういうことはないようだ。
ウィルフレッド王子は私たちのすぐ近くまで来ると何故か立ち止まり、「ん?」と首を傾げた。
彼の視線は私が抱えているノエルにある。
何かノエルに問題でもあるのだろうかと思っていると、彼は驚愕の顔になり、私の前までやってきた。
「お、おい……そいつ……!」
そうしてノエルを指さす。アルが不快そうにウィルフレッド王子に言った。
「ウィル、ようやく引き籠もりが終わったかと思えば第一声がそれってどういうことだい? まずは挨拶とか、他にも色々あるだろう」
「兄上は黙っててくれよ! ちょ……マジで? そいつ、どこから見つけてきたんだ!?」
「どこって……」
ウィルフレッド王子の様子がおかしい。何だろうとアルと顔を見合わせる。
私はノエルを拾った時のことを思い出しながら口を開いた。
「ええと、確か町の……路地にいたのを拾ったのですけど。この子が何かありましたか?」
「路地で!? マジかよ……」
「? はい」
質問の意図が分からないと思いつつも頷く。
ウィルフレッド王子はわなわなと身体を震わせると、信じられないものを見たような顔で言った。
「なあ? 聞きたいんだけどさ。なんで、隠しキャラの大魔法使いノエルが、悪役令嬢に飼われてんだ? これ、悪役令嬢が主役のゲームだっけ?」
「え?」
「は?」
私とアルがほぼ同時に、ウィルフレッド王子の言葉に疑問を返す。
だってウィルフレッド王子の言った言葉の意味が分からない。
今、彼は何と言ったのだろうか。
隠しキャラの大魔法使いノエル、そう聞こえたのだけれど。
思わず抱えているノエルを見つめる。ノエルは気にした様子もなく、大きな欠伸をしていた。
アルが慌てたように、ウィルフレッド王子を問い詰める。
「ウィル、今何と言った。僕には、その猫が大魔法使いノエルだという風に聞こえたのだけれど」
ウィルフレッド王子はキョトンとした顔で答えた。
「だからそう言ったんだって。その猫は精霊王の怒りを買った大魔法使いノエルが呪われた姿。つーかさ、ノエルルートって、全クリしないと存在すら出てこないんだけど。なんで見つけることができたんだ? それも悪役令嬢がさ」
首を傾げられたが、私の方が信じられない。
この今私の腕の中にいるノエルが有名な大魔法使いノエルだなんて、普通にあり得ないと思うのだ。
「ノ、ノエルは私の可愛い猫で……そんな、大魔法使いノエルとは別物です……!」
「何、あんた、ノエルにノエルって名前付けてんの? なんだそれ。お笑いだな」
ケタケタと笑うウィルフレッド王子を唖然と見つめていると、アルがこめかみを押さえながら言った。
「ウィル。詳しい話を聞かせろ。……この空き部屋を使うから中に入れ。リリ、リリもこっちにおいで」
「は、はい……」
すぐ近くにあった部屋の中を確認し、アルが私とウィルフレッド王子を手招きする。ウィルフレッド王子は若干面倒そうな顔をしていたが、アルの表情を見て逃げられないと悟ったのか、諦めたように中に入っていった。
アルが空き部屋だと言った部屋は客室のようで、大理石でできた大きな暖炉と、それを囲むように一人掛けの茶色いソファが二脚と、ロングソファが置いてあった。その下には赤を基調にした絨毯が敷かれ、暖炉の両横には灯りが灯されている。ソファの後ろにあるチェストの上には生花が飾られており、この部屋がいつでも使用可能であることを示していた。
全員が部屋に入ったことを確認し、アルが扉に鍵を掛ける。そうしてソファに座ることすらせず、話し始めた。
「ウィル、先ほどの話を。リリの猫のノエルが、大魔法使いノエルだということだけれど……お前の言ったことは本当か?」
「オレが嘘を吐いて、一体何の得があるっていうんだよ。そうさ、そのぶっさいくな猫は大魔法使いノエル。全員のエンディングを見た後の隠しルートでしか出てこないはずなんだけど、何故かここにいるってわけ」
「大魔法使いノエル……」
俄には信じがたい話に、私はただ呆然と抱きかかえたノエルを見つめた。アルがウィルフレッド王子を問い詰める。
「証拠は?」
「証拠って言われてもなあ。オレも隠しルートは一回しかクリアしてないからあんまり覚えていないんだよ。んー、ノエルは確か、かなりの魔法オタクで、精霊を山ほど犠牲にして魔法の研究をしていたんだよな。それを知った精霊王が激怒して、誰も見向きしない不細工な猫になる呪いを掛けた。精霊は皆ノエルが嫌いでさ、ノエルルートでは、ノエルを拾ったヒロインのクロエが精霊と契約できなくて困るってところから話が始まるんだ」
「……え」
掠れたような声が出た。隣のアルを見ると、彼も驚きに大きく目を見張っている。
「ウィル、今お前は、『精霊と契約できなくて困る』と言ったね?」
「ん? ああ、ノエルと一緒にいる人間と誰が契約したいかって話なんだけど……って、もしかして、リズ・ベルトラン、精霊契約できなかったりする? マジで?」
好奇心に充ちた目で見つめられ、私は素直に頷いた。
この際、ゲームがどうとかいう話は置いておく。私にとって重要なのは、彼が何も言っていないのに、私が精霊と契約できなかった事実に気づいたというところなのだから。
「……そうです。その……これまでに二度契約を試しましたが失敗しました」
「ああ、そりゃ失敗するに決まってる。ノエルの気配を感じた精霊が出てくるはずがないからな」
あっさりと私が精霊契約できなかった原因を告げられ、言葉を失った。
アルが確認するようにウィルフレッド王子に問いかける。
「ウィル、お前の話だと、ノエルがいる限りリリは精霊と契約できないということになるな?」
「ん? ああ、そうだな」
「どうすれば、契約できるようになる?」
アルも半信半疑なのだろう。だがここまで具体的に話されると、藁にでも縋りたい気持ちの私たちとしては無視することもできない。
もし、もしだけれどもウィルフレッド王子の言っていることが本当なら、私はこのままずっと精霊契約ができないままだったりするのだろうか。それともノエルを手放せば、契約できるようになる?
いや、ノエルが原因だと決まったわけではない。そしてノエルが大魔法使いノエル本人だと決まったわけでもない。ノエルは私の可愛い飼い猫。それ以上でもそれ以下でもないのだ。
複雑な気持ちを抱えながらもウィルフレッド王子を見つめる。ウィルフレッド王子はキョトンとした顔をしながら私たちに言った。
「どうすればって……ノエルがいなければいいんだよ。だからそうだな……召喚場にノエルを連れていかず、ノエルの匂いのついていない服と、念のため風呂にでも入ってから召喚を行えばいいんじゃね? あー、あと、召喚の場所も変えた方がいいかもな。匂いさえ消えていれば、精霊は普通にやってくるから、問題なく契約できると思うぜ」
「……そんな簡単なことで?」
あっさりと返された言葉に愕然としていると、アルが私に言った。
「リリ、せっかくだから試してみよう。ちょうど今から召喚の儀式をするところだったわけだし、ウィルが言ったことがたとえ嘘だとしても僕らにはなんのデメリットもない。やってみる価値はあると思う」
「だーかーらー、オレは嘘なんて吐いてないって!」
ぶすっと膨れながらウィルフレッド王子が文句を言ったが、アルはそれをさくっと無視した。
「リリ、女官を呼ぶから、お風呂に入っておいで。着替えもこちらで用意する。そのあと、予定通り精霊召喚をやってみよう。城の召喚場なら、ノエルも入ったことはないし匂いもないはず。ウィルのいう条件はクリアしているはずだ」
「……はい」
「ウィル、ノエルを預かっておいてくれ」
「ちょ、ちょっと! 兄上!」
ひょいと私からノエルを取り上げ、ウィルフレッド王子に預ける。反射的に受け取ったウィルフレッド王子は「げえっ!」と嫌そうな顔をした。
「女ったらしのノエルの面倒なんて見たくないっての! って、いてえ!」
嫌だと思ったのはウィルフレッド王子だけではなくノエルもだったのか、ノエルは思いきりかぶりとウィルフレッド王子の腕に噛み付いた。予想しなかった痛みに、ウィルフレッド王子が顔を歪める。
アルはさっくりとウィルフレッド王子を無視し、私に向かってにっこりと笑った。
「リリ、さ、行こう」
「兄上!」
「うるさい。すぐに戻ってくるからお前はしばらくこの部屋で待っていろ」
「……めちゃくちゃ弟使いが荒いんだけど」
「こっちは今まで散々、迷惑を掛けられてきたんだ。これくらい構わないよね?」
アルに笑みを向けられたウィルフレッド王子が口元を引き攣らせる。そうしてコクコクと高速で頷いた。
「わ、分かった……」
「うん。物わかりの良い弟を持って、僕は幸せだよ」
そして私を促し、部屋の外へ出る。部屋の中から「兄上があの顔をした時は、絶対に逆らえないんだ……」という恐怖に充ちた声が聞こえたが、聞こえなかったことにした。




