アル
◇◇◇
リリを公爵家に送り届け、城に戻ってきた。
馬を預け、近くにいた兵士にウィルがいる場所を聞く。
「ウィルフレッド殿下なら、お帰りになってからずっとお部屋にいらっしゃいますが」
「そう」
どうせそんなことだろうと思ったと息を吐き、ウィルの部屋へと向かう。
僕が今日、仕事を詰めて休みにしたのは、リリを一人で行かせないためだったが、結果として大正解だったと思う。
思っていたよりもずっと弟は愚かで、救いようがなかった。
先ほどカーライル嬢に怒鳴り散らしたウィルを見た時には正直呆れすぎて、声も出なかった。
弟は逃げ出したが、僕がいなければもっと酷いことになっていただろうことは簡単に推測できる。リリやカーライル嬢が必要以上に傷つかないで済んだのなら、僕が出て行った甲斐は十分にあったのではないだろうか。
「ウィル、僕だ。入ってもいいかな?」
弟の部屋の前に立ち、ノックをする。小さくではあるが、弟の返事をする声が聞こえたので、遠慮なく扉を開けて部屋に入った。
もうすぐ夕方になるという時間帯。カーテンの隙間から西日が差し込んでいる。
弟の部屋は玩具が多く、玉突き台や、カードゲーム用のテーブルがある。テーブルの上には片付けなかったカードが散らばり、弟の雑な性格が見えるようだった。
弟は暖炉の前の肘掛け椅子の上に蹲り、四角いクッションを抱きかかえていた。
――行儀が悪い。
ピクリと眉が動いたが、文句を言うのは堪える。僕は扉を閉め、ウィルの側まで歩いていった。弟の目は僕を見ているが、空ろで視線は合わない。
「ウィル」
「……兄上」
ノロノロと弟の顔が動き、ようやく視線が合う。
僕が口を開く前に弟が言った。
「……なんで、上手く行かないんだろうな」
「ウィル?」
「オレは何も間違ったことはしていないはずなんだ。なのに何故かやることなすことが全部空回る。クロエの反応もオレの知っているものと違う。どうしてだ? イベントをこなしたんだ。オレのルートに入ったはずだよな? それなのにどうしてクロエはオレに笑いかけない? どうしてオレの誘いを断ったりするんだ?」
ブツブツと言うウィルは、殆ど自分に問いかけているみたいなものだった。
僕は特大の溜息を吐き、近くの壁にもたれながら言った。
「だから、僕は何度も言ってやっただろう。彼女自身を見ろって。お前は勝手な枠にカーライル嬢を当てはめて、その通りに動かそうとしているだけだ。それで好きになってもらえると思う方がおこがましい。少なくとも僕ならお断りだね」
弟がゆっくりと目を瞬かせる。その目は少し潤んでいるように見えた。
「オレ、幸せになりたいだけなんだけどな。クロエを好きなのも嘘じゃない。だから……兄上に譲らなくて良いのなら、オレが彼女に攻略してもらえばいいって、そう思っただけなのに……」
「それが間違いだって言うんだ。……ウィル、お前はいつまで現実を見ないまま生きるつもりなんだ。ここはお前の言うゲームの世界なんかじゃない。現実だということをいつになったらお前は理解してくれるんだ」
「……現実」
ボソリとウィルが呟く。その声が、まるで迷子になって途方に暮れているように感じ、僕は少しだけ目を見張った。
初めて、僕の言葉が届いた。そんな気がしたのだ。
「……そうとも現実だ。僕もお前も、今ここに、生きているんだ。これが現実でなくてなんなんだ」
「……」
「もちろんカーライル嬢もだ。彼女は求められた動きをする人形ではなく、生きた、意志を持つ人間だということをいい加減お前も理解しろ」
「……」
ウィルが黙り込む。視線を自らの膝に落としてじっとしていたが、弟はやがて力なく口を開いた。
「……クロエに、『私を見ていない』って言われてから、ずっとその言葉が頭の中をグルグルと回ってるんだ。意味を考えてしまう。そして考え出すと止まらないんだ」
「……そうか」
少しではあるが、ウィルの目は考える人の目をしていた。
「兄上、オレ、少し考えたい。悪いんだけど、出て行ってくれるかな」
「分かったよ」
ウィルの言葉に頷き、部屋を出る。
それから一週間ほど、弟は自らの部屋に引き籠もり、一歩も外に出なかった。




