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◇◇◇
アルと私がやってきたのは、王都から少し離れた場所にある森だった。
森といっても、人の手が入っているので道幅があり、馬でも走りやすい。森の中には開けた場所があって、川が流れている。川幅は二メートルくらいで、流れは穏やかだ。すぐ裏手は低いが山になっているので、そこから流れてきているのだろう。
この森が遠出の目的地だとはクロエから聞いていたが、休憩場所までは知らなかった。入り口辺りで隠れていれば何とかなるだろうと思っていた自分の浅はかさに改めて嫌になる。
アルがいなければ、どう考えても後を付けるなど無理な話だったのだ。
「アル、アルはどうして、ウィルフレッド殿下がここを休憩場所にすると分かったのですか?」
馬の世話をし、木立の影に隠すように繋いでいたアルが、なんだかとても嫌そうに言った。
「ああ、簡単だよ。ウィルはね、聞いて欲しがりなんだ。さっきも言ったでしょう? 僕が何も言わなくても、次のデートはどこに行くだとか、どこで休憩するつもりだとか、色々教えてくれるんだよね……ほんっとうに、仕事の邪魔で鬱陶しいんだけど、今回ばかりは役に立ったかな」
「そ、そうですか……」
そのおかげで、今ここにいるわけだから、何とも答えようがない。
微妙な顔になっていると、アルは私を手招きした。ちょうど草むらの影になっている場所。アルがしゃがみ込んだその場所に、私も倣う。
「多分、ここにいればウィルたちが何をしているのか様子を窺うことはできると思う。待つのは辛いかもしれないけど、我慢してね」
「大丈夫です」
それくらいは承知の上だ。
真剣な顔で頷くと、アルも短く首肯した。
かなり待つことも覚悟していたが、幸いなことに程なくして、ウィルフレッド王子とクロエがやってきた。
ウィルフレッド王子の格好はアルとよく似た乗馬服だったが、クロエは、ヒラヒラしたモスリンのワンピースを着ていた。おそらくウィルフレッド王子との遠出のために、父親が作らせたのだろう。最新の流行を意識したワンピースは可愛らしくクロエによく似合っていたが、彼女の表情が冴えないせいで、魅力は半減していた。
「……意外と早かったな。早めに出てきて正解だったね、リリ」
「そうですね」
小声でひそひそと話す。
アルの見立ては正しく、ウィルフレッド王子とクロエは、私たちが隠れたすぐ近くに敷布を広げて、休憩を取った。近くといってもさすがに会話までは聞こえないが、ウィルフレッド王子は終始笑顔で楽しそうだ。それに対してクロエは、遠慮がちな笑みを浮かべている。
とはいえ嫌悪が浮かんでいないところを見ると、そう強引な真似をしているわけでもないのかもしれない。
話しているのは主にウィルフレッド王子のようだ。クロエは時折相槌を打ち、よそ行きの笑顔で頷いている。私と話すときとは全く違うクロエの様子に、彼女が無理をしているのだなと感じ、胸が痛くなった。
「……リリ。今は耐えて」
「……分かっています」
小声で窘められ、頷いた。
別にウィルフレッド王子はクロエに無体を働いたわけではない。見ている限り、二人は適度な距離を保ちつつ、会話をしているだけだ。それなら傍観に徹するべきだろう。
時折、クロエの引き攣ったような表情が見え、何を言われているのか気になったが、二人は何とか予定通りの行動を終えたようだ。昼食を片付け、立ち上がると、ウィルフレッド王子の馬に乗る。
その方向が、王都であることを確認し、アルに聞いた。
「あとは、帰るだけ、ですか?」
「その予定だよ。最初からあまり遅くなると父伯爵の印象が悪くなるんじゃないかって釘を刺しておいたんだ。さすがにそれは神妙に聞いていたから、屋敷まで送って終わりだと思う」
「そう……ですか。良かった」
さすがはアル。彼なりに色々と手を打ってくれていたのだと知り、感激した。
「僕らも行こうか。カーライル伯爵邸にね。カーライル嬢が屋敷の中に入れば僕たちの任務は完了ってわけだ」
「はい」
二人が立ち去ったことを確認し、アルが立ち上がる。私も同じように立ち上がったのだが、足が痺れていたのかバランスを崩してしまった。
「あっ……」
「おっと、危ない」
アルが慌てて、私の身体を引き寄せてくれる。おかげで転ぶことはなかったが、アルの胸の中に思いきり飛び込んでしまった。
「す、すみませんっ!」
慌てて離れようとしたが、アルは何故か私をより抱き込んだ。ギュッと抱き締められ、頬に朱が差す。
「ア、アル?」
「ごめん、でもちょっとだけ」
アルが私の髪に顔を埋め、大きく深呼吸をする。アルに抱き締められるのは初めてではないのに、ドキドキして仕方なかった。
アルが私を抱き締めたまま顔を上げる。
「せっかく君と二人きりだっていうのに、全然イチャつけなかったからね。僕も大概ストレスが溜まっているんだよ」
「ス、ストレス、ですか?」
「そう。君が近くにいるのに触れられないって、結構キツいんだ」
真顔で肯定され、私はどう答えて良いのやら困ってしまった。アルがやけに真剣な声音で言う。
「だって好きな子が側にいるんだよ? しかもその子は自分の恋人で婚約者。触れたいって思うのが当然だよね」
「そ、そうですか……」
直接的な言動に恥ずかしいやら嬉しいやらで大変だ。
まともに返事ができない理由を勘違いしたアルが私に言った。
「あれ、分からない? じゃあ、君は僕に触れたいって思ってはくれないのかな?」
「えっ……」
「僕は君に触れたいのと同時に、君にも触れられたいって思ってるよ? それが好きってことだと思うんだけど、君はそう思ってはくれない?」
「……」
頬が、これ以上ないと思うほど熱かった。
真っ赤になった私を見て、アルが満足そうな顔をする。
「そっか、リリも僕に触れたいって思ってくれているんだね、良かった」
「えっ」
どうしてそんな答えになるのかとアルを見ると、彼はこてっと首を傾げた。
「ん? 違うの?」
「さ、触りたくないとは言いませんけど……」
「だよね」
にっこりと笑うアルを見たあとで、否定などできるわけがない。それに、ほんの少しだけだけれども、彼の言うことも分かるのだ。
アルに抱き締められると溶けてしまいそうに幸せだし、優しく甘い口づけも心が愛おしさでいっぱいになってしまう。
そして好きな気持ちが溜まり溜まって、彼の言うとおり、もっと彼の側に行きたい、もっと触れて欲しいし触れたいと願ってしまうのだ。
「リリは僕のことが好きなんだから当然だよ」
「はい」
「そして僕もリリのことが好きで好きでたまらないんだから、触りたいって思っても仕方ないよね。リリも分かってくれるよね?」
「え? は、はい、そうですね」
「良かった」
心底ホッとしたように笑い、アルは私の手を握った。
「とりあえず、僕としてはリリ成分が足りないと思うから、馬を待たせているところまで手を繋いでいきたいと思うんだ。あと、馬に乗ってからは、リリはできるだけ僕にくっついていること。分かった?」
「く、くっついてって……」
行きも大概くっついていた気がするのだが、アルはそれでは足りないようだった。
「リリ成分の補充って言ったでしょう? もちろんリリも存分に僕を補充してくれて良いからね」
「だ、大丈夫です。足りていますから」
むしろ供給過多状態だ。真っ赤になって首をぶんぶんと横に振ると、アルは「なんだ残念」と本気で残念そうな顔をした。




