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「え? オレ、邪魔じゃねえ?」
「まさか。お前は僕の弟だろう。将来の義理の姉と親交を深めるのは悪くないんじゃないかな」
「兄上がそういうなら良いけど」
ウィルフレッド王子の方が遠慮したが、アルは上手く言いくるめ、結局ソファに座らせることに成功した。
「で、何の用でお前はここに来たんだ?」
まずはウィルフレッド王子の用事を聞き出すことに決めたらしいアルが、王子に尋ねる。ウィルフレッド王子はニコニコ笑いながらアルに言った。
「いや、実はもうすぐオレ、クロエとデートでさ。そのことを兄上に報告に来たってわけ」
「報告?」
眉を寄せるアルに、ウィルフレッド王子がどこか自慢げに胸を張る。
「そ。ちゃんと兄上に言われた通り、伯爵に話も通したし、デートに誘う手順は踏んだってな。兄上、これなら文句はないよな?」
「……なるほど、確かにその通りだね」
眉を寄せたまま、アルが頷く。
「お前が成長してくれたようで兄としては嬉しい限りだよ、ウィル。ところで、一応尋ねておくけど、カーライル嬢に無理強いはしていないだろうね」
アルがチクリと言ってくれてホッとした。
そうだ、その通りだ。
クロエはウィルフレッド王子に誘われてとても困っていたし、できれば行きたくないと悩んでいた。そのあたり、彼はどう思っているのだろうか。
息を詰めてウィルフレッド王子を見つめる。彼は不快そうに顔を歪め、兄に反論した。
「するわけないだろ! クロエは、オレのルートに入ってるんだから。オレに誘われて嬉しい気持ちはあってもイヤだなんて思うわけないし!」
「……それはお前の思い込みだろう」
「違うって! ……いや、確かにまだ序盤だから、好感度は低めだけどさ。デートが終われば、一気にクロエの気持ちはオレに傾くから。心配しないでくれよな」
ウィルフレッド王子はアルに懇願するように言った。
「なあ、兄上。信じてくれよ。オレは今、すっげー大事なイベントをしているところなんだ。確かにちょっと強引なこともしたし、兄上が言うことも分かるけどさ……オレなりに真剣なんだから邪魔はして欲しくないんだよ」
「……ウィルなりに、ね」
トゲのある言い方だったが、ウィルフレッド王子は気づかなかった。逆に必死に訴える。
「そうだよ。兄上だって、分かるだろ? 好きな女性を落としたいって気持ち。だってさ、今日だってこうして婚約者を部屋に連れ込んでいるんだからさ」
「それは分かるよ」
「だろ!」
ウィルフレッド王子が破顔する。だがアルは渋い顔をしていた。
「一緒にして欲しくはないけどね。僕とリリは、思いの通じ合った恋人同士で、お前とは違うんだから」
「だから、近々そうなる予定なんだって」
「それならそうなってから、言ってくれ。可能性の話なんて聞きたくないし、お前が現段階でカーライル嬢に迷惑を掛けているかもと思うだけで、僕の胃は痛むんだよ」
「兄上……」
「あ、あの!」
どうしても我慢できなくなって、声を上げた。
二人の視線が私に向く。我に返り、無礼だったと焦るも、アルが穏やかに言った。
「ああ、ごめんね。リリ。ずっと放置していて。退屈だったよね。で、何かな?」
「あの、ウィルフレッド殿下に……」
「オレ?」
驚いたようにウィルフレッド王子が己を指さす。それにこっくりと頷いた。
「あの……ウィルフレッド殿下。お願いですから、クロエを困らせないで下さい。クロエは私の大事な友人なんです。その……殿下のお気持ちを否定する気はありませんが、クロエの気持ちも考えてあげて欲しいというか……」
失礼なことを言っていると分かっていたが、言わずにはいられなかった。
だってウィルフレッド王子はクロエのことを見ていない。
勝手に恋人になる予定だと言い、だから少々強引なことをしても許されると言っている。
――クロエは困っているのに。
追い詰められ、私に相談してきた彼女の姿を知っているだけに、黙ってはいられなかったのだ。
じっとウィルフレッド王子を見つめる。彼は困ったように頬を掻いた。
「んー……気持ちっていわれてもな、クロエはオレのことを好きになる予定だから、何も問題ないんだって。他に転生してるやつがいれば、オレの言ってることが正しいって分かってくれるのに……ほんと、なんで、オレしか転生してないんだ?」
ブツブツ言いながら、ウィルフレッド王子は立ち上がる。縋るようにその動きを目で追うと、彼はにっかりと笑った。
「ま、あんたは理解できないだろうけど、大丈夫だって思っとけばいいさ。あー、でもおもしれーな。悪役令嬢とヒロインが友達で、その悪役令嬢はメインヒーローとくっついてるんだからさ。もうなんか、予想外過ぎて、最近は面白いとしか思わなくなってきたんだけど」
「ウィル!」
アルが厳しい声で咎めたが、ウィルフレッド王子は気にしなかった。
ソファから立ち上がり、アルに言う。
「そういうわけだから、オレのことは心配無用。クロエのことは、ちゃんとオレが落としてみせるから。兄上はオレのことは気にせず、リズ・ベルトランとイチャイチャしとけばいいじゃん。確か、兄上のイベントなら結構そういうのがあったはずだし」
そうしてヒラヒラと手を振り、アルの制止も聞かず、部屋を出て行った。
「アル……」
思わずアルに目を向けると、珍しくも彼は舌打ちをしていた。
「あいつは……結局、僕の言ったことを全然分かっていないじゃないか」
そうして苛々する自分を鎮めるように、深呼吸をし、私に無理やり作った笑顔を向けてくる。
「ごめんね、弟が。僕なりに注意はしてみたけど、あんまり役には立てなかったようだ」
「いえ……そんな。私の方こそ、余計な口出しをしてしまってすみません」
「リリは友達が心配だっただけでしょう? 何も悪いことはしていないよ。でも……このままだとウィルは暴走しそうだよね」
「……はい」
そんなことはないとは言えなかった。唇を噛みしめる私にアルが言う。
「あいつのことは一旦置いておこう。もちろん僕もこのままにするつもりはないよ。王家の人間としてウィルを放置するわけにはいかないからね」
「わかり……ました」
クロエのことは心配なままだったが、これ以上は望めない。あとはアルに任せるしかないと頷いた。
すっかりお茶が冷めてしまったので、アルが女官を呼び、お茶を淹れ直させる。何気ない話をし、気持ちが落ち着いてきた頃、私はもう一つの話を切り出した。
こちらもアルに言っておかなければ。そう思っていたのだ。
「あの、アル。お話があります」
「ん?」
ティーカップを持っていた手が止まる。そんな姿ですら様になっているなと思っていると、アルはゆっくりと首を傾げた。
「話?」
「はい。あの、直接話したかったので手紙には書かなかったんですけど、実は私、クロエに彼女の契約精霊を呼び出してもらったんです」
そうして、クロエの精霊が私の顔を見て逃げてしまったこと。その後は何度クロエが呼び出しても応じてくれなかったことなどをアルに話した。
アルは私の話に相づちを打ち、一つずつ確認しながら聞いてくれた。
「そうか、大変だったね。……リリ、大丈夫? 少し参っているようにも見えるけど」
「大丈夫だと言えば嘘になりますけど、でも、平気です。だって私、諦めないって約束しましたもの」
正直に自分の心境を話す。精霊に拒否されたのは辛かったが、こんなことでへこんではいられない。だって私にとって何より恐ろしいのは、アルとの婚約が解消されてしまうこと。そうならないように努力する時間があるうちは、何でも良いから試したかった。
悲壮な決意を固める私にアルが困ったように言う。
「そこまで思い詰めてくれなくて良いんだよ。それにね、君が精霊と契約できようができなかろうが、僕が君を離す予定はないから」
「え……でも」
契約できなければ王家の人間とは結婚できない。それを否定するようなアルの言葉に驚いたが、アルは笑って言った。
「良いんだ。いざとなれば、僕は王子をやめて、ウィルに王太子の座を譲るから。そうしたら二人でのんびり暮らそうよ。そういうのも悪くないよね」
「ア、アル……何を……」
いきなり言われた言葉に目を見開く。
王太子の座を降りる?
まさかの言葉に驚愕し、碌に言葉が出てこない。
私は慌てて立ち上がり、彼の側に行った。膝をつき、懇願するように見上げる。
「駄目です……! そんな。王太子を降りるなんて。いくらなんでも言って良いことと悪いことがあります」
それも私の為になんて。
嬉しいと思うよりも、恐怖が勝った。
泣きそうになる私にアルは平然と告げる。
「別に冗談じゃないよ。本気で言ってる」
「なおのことです! 質が悪すぎます!」
アルは私と違い、皆に将来を期待されている王子なのだ。私の為に、国王にならないなど許されることではない。
だがアルは無情にも言い放った。
「君がいない玉座になんて何の興味もないよ。君が側にいてくれないんじゃ意味がない。僕はね、君以外の女性を妻に迎える気なんてとうの昔にないんだ」
「わ、私だってアルと結婚したいって思ってます!」
「それなら何の問題もないよね。だから僕が言いたいのは、『僕と結婚できないかも』なんて考えなくて良いよって話。この話も本当はするつもりはなかったんだけど、リリがあんまりにも思い詰めているから少しでも気が楽になればと思って。僕の決意、分かってくれた?」
私が精霊契約できなければアルが王太子の座を降りるなんて、結婚できなくなるかもと思うよりもゾッとした。
アルが王太子でなくなるのが嫌なのではない。皆から玉座につくことを期待されている王子を、私のせいで失うかもしれないというのが嫌なのだ。
呆然としていると、アルが私の手を握り、立たせた。そうして自分の隣に座らせる。頬にそっと手を当てられた。
「そりゃあ王太子でなくなった僕に、君が価値を見いだしてくれるかは分からないけどさ」
「わ、私、アルが王太子だから好きなわけじゃありません……!」
昔の私なら、もしかしたら嫌がったかもしれない。
第一王子と結婚し、後の王妃となることをステータスに感じていたからだ。
でも、今の私は王子のアルではなく、アル自身が好きなのだ。彼が、王子であろうがなかろうが、そんなことはどうでも良い。
はっきりと否定すると、アルはふわりと口元を緩めた。
「ありがとう。大丈夫。君がちゃんと僕のことを好きでいてくれていることは分かってるから。ただ言ってみただけ」
「心臓が止まるかと思いました……」
「ごめんね」
クスクス笑うアルだったが、本当に胸が痛い。特に、昔の私なら今の彼の言葉に違う意味で激昂しそうだと分かっているだけに辛かった。
「冗談で良かった。その……さっきの、私が契約できなければ王太子の座を降りるというのも冗談ですよね?」
一応確認した。だって本当に怖かったのだ。
だが、アルはキョトンとした顔をする。
「え? 何を言っているの。本気に決まっているでしょう。僕が冗談だと言ったのは、君が、王太子でない僕に価値を見いださないかもって部分だけだよ」
「……絶対に、精霊契約、成功してみせます」
本気の声音を感じ取り、即座に覚悟を決めた。
本当にへこんでいる暇なんてないと実感したのだ。このまま私が精霊契約できなければ、アルは間違いなく王太子であることを止めてしまう。そして、そんなことは絶対にさせられないと思った。
「無理しなくて良いって言ってるのに」
アルは笑って言うが、私としては笑えない。
彼が私のことを愛してくれているのはよく分かったし嬉しいと思うけれども、だからと言って受け入れられるかどうかは別問題なのだ。
「アル、私、頑張りますから、妙なことは考えないで下さい」
思わず、アルの手を両手でギュッと握ってしまう。
アルは笑うだけで応えない。
それに焦りつつも、気づいてしまった。
認めたくないけれども、心の中にあった重しが軽くなったように感じたのだ。
――どんなことになっても、アルは私の側にいてくれる。
私の心は、歓喜に震えていた。彼の差し出してくれた愛が嬉しかったのだ。
――私って本当に最低。
アルが王太子の座を降りるかもしれないというのに、嬉しく思ってしまうなんていけないことだ。
自分の浅ましさに情けなく思いつつも、喜びの感情は隠せず、とても複雑な気持ちになってしまうのだった。




