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ヴィクター2



 国の第一王子であるアラン殿下との婚約が決まった妹。さぞかし鼻高々な態度で、屋敷でも愚かな言葉を吐きまくるのではと思い、覚悟していたのに、まず、それがなかったのだ。

 屋敷に戻っても、あの高慢な笑い声は聞こえない。不思議に思いつつも、不快なものは見たくないのでほっとしていた。

 だが、異変はこれだけでは終わらなかった。それから日数が経ったある日、私は妹が専属執事と仲良く話しているのを見かけたのだ。

 見間違いかと思った。

 妹の専属執事はその年に見合わず優秀で、妹にはもったいない従者だった。元はといえば、屋敷の前で倒れていた彼を妹が気まぐれで助けたことが始まり。だが、執事の方は妹に良い感情を抱いていなかった。

 妹は高慢なだけではなく、酷い癇癪持ちだったからだ。毎日のように意味もなく当たり散らされる日々。いくら命を助けられたからとはいえ、限界はあるだろう。

 そんな彼が、妹と楽しげに話しているのを見た時は何かの間違いではないかと思った。どうして? と凝視してしまったくらいだ。

 一瞬、彼も妹との付き合い方を覚えて、上手くいなせるようになったのかと考えたが、執事の態度は、無理やり作ったようなものではなかった。むしろとても自然で、今の彼こそが本来の彼ではないのかと納得できるような、そんな雰囲気があった。


 ――あの二人に何があった?


 どういうことだと思いながらも、自分とは関わりのない話だと無視をすることに決めた。

 いつも通り、妹と弟と距離を取り、広い屋敷の中を一人きりで過ごす。主にいるのは自室か、あとはライブラリーだ。ライブラリーにはかなりの蔵書があり、時間を潰すには最適だったのだが――。


「ヴィクター兄様」


 ある日、妹が私に話しかけてきた。

 普段、めったにライブラリーを利用しない妹がいるだけでもおかしいと思っていたのに、まさか妹が話しかけてくるとは思わず、私は低い声で答えた。


「……何か用か」


 それに対し、返ってきたのは、何も用はないという答え。 

 どうしていきなり妹が話しかけてきたのか。いつもなら、弟と同じで、私を避けているはずなのに。


 ――苛々する。


 妹の行動が読めず、苛立った私はライブラリーを後にした。

 その後も、何故か妹は私に話しかけてくる。

 すでに家族に対し、見切りを付けている私だ。まともに対応するのも馬鹿らしい。可能な限り妹を避けるようにして過ごしていたところ、城で妙な噂を聞いた。


 ――妹が、ある特定の孤児院に通っているというのだ。


 聞いた時にはまさかと思った。

 妹は綺麗なものが好きで、逆に言えば、汚いものが嫌いなのだ。

 孤児院なんて、絶対に妹が近づかない場所のはず。それなのに、妹がいたという話を何度も聞き、私は妹の偽物でも現れたのではないかと疑い、それならと妹の素行調査を行った。


 ――結果。


 噂は本当だった。それどころか信じられないことに、妹はほぼ毎日孤児院で子供たちの世話をし、伯爵家の令嬢と友人関係になっているのだとか。

 信じられなかった。

 それは一体誰の話だと、報告書を読んだ時は本気で別人ではないのかと疑ったくらいだ。


 ――これは、確かめなくてはならない。


 ものすごく不本意だったが、もし、報告書が嘘で、たとえば妹が孤児院に迷惑を掛けているのだとしたら? 公爵家の面子は丸つぶれだ。それを確認するためにも、妹本人と話してみるしかない。

 そう悲壮な決意を固め、私は妹に声を掛けたのだが――。


◇◇◇


 ――嘘だろう。


 妹と話し終えた私は愕然としていた。

 報告書は真実だった。あろうことか、妹は婚約者となったアラン殿下に相応しい女性になりたいのだと言ったのだ。

 妹の顔は冗談を言っているようには見えなかった。

 ここまで甘やかされ、矯正不可能と匙を投げた妹が、驚くことに変わろうとしていた。過去と決別し、遅まきながらも正しい行動を取ろうと足掻き始めていた。


 ――どうせ、すぐに飽きる。


 妹の真意は理解しても、私はまだそう思っていた。

 あの妹のことだ。思い立ってもすぐに面倒になり、元の自分に戻るはず。

 疑いつつも、私は少しずつ妹との接触を増やしていった。

 変わろうとしている妹の姿勢は今までと違って好感が持てたし、いつまで続くのか見届けなければならないと思っていたからだ。

 予想に反して、妹の努力は続いた。それどころか、ついに妹は、ある意味同類とも言える弟――妹にとっては兄のユーゴを拒絶したのだ。

 孤児院のことを馬鹿にしたユーゴ。それに対し、妹は酷く怒ったという話を目撃していた使用人の一人から聞き、驚いた。


 ――妹は、本当に変わったのだ。


 多分、私が妹の変化を本当の意味で認めたのは、この時だったのだと思う。

 それまではどこか嘘だと思い、信じていなかった。だけど孤児院のことを悪く言ったユーゴを拒絶した話を聞いた時、不思議と「本当だったのだ」と思ったのだ。

 それからは、私の態度も無意識に変わっていったのだと思う。

 妹と会話することを苦痛に感じなくなった。笑顔を見せる妹を可愛いと思うようになった。

 肉親の情などとうに投げ捨てたと思ったのに、まだ私の奥底には残っていたのだ。それを思い知らされた。だけど悪くないと感じていた。

 弟は、妹に拒絶されたのがよほどショックだったのか、以前にも増して部屋に引き籠もるようになった。

 それはどうでもいい。全部なくしたと思っていた家族が一人だけでも帰ってきたのだ。それだけで、私には十分だった。

 十分だと思っていたのに――。

 ある日、妹が町で猫を拾ってきた。その猫は驚くほど不細工で、以前の妹なら絶対に拾わなかったに違いない生き物だった。そして妹はそのぶさいくな猫を飼いたいと両親に願った。

 以前よりも格段に可愛げの出てきた娘に、元々娘に甘かった両親が否を告げるはずがなく、猫は無事、公爵家で飼われることが決まった。

 それに、猛烈に反対したのが弟だった。

 弟は、綺麗なもの以外を認めたくない男だ。そんな弟が、見るからに不細工な猫を屋敷で飼うことを許すはずがない。

 だが、妹は一歩も退かなかった。これらは全て、目撃していた使用人にあとで聞いた話なのだが、弟に「そんな兄は嫌いだ」と告げ、弟はその場にいたアラン殿下にまで窘められたという。

 これは、荒れるなと思った。

 最近は少し大人しくなっていた弟ではあったが、今回の件で荒れ、また無駄遣いが増えるのではないかと危惧した。

 だけど、そうはならなかった。

 引き籠もっていたはずの弟はいつの間にかその殻を破っていた。そうして自ら妹に歩み寄り、あれだけ厭っていた猫を「可愛い」のだと複雑な顔をして言ったのだ。

 妹の部屋で久しぶりにまともに見た弟は、以前と違い、どこか憑き物が落ちたようなすっきりした顔をしていた。


「……兄上」


 いつも私を避けるようにしていた私と同じ色の瞳が、私を写した時、私は妹だけではなく、弟もこの手に取り戻したのだと理解した。


◇◇◇


 二人の弟妹を取り戻してから、驚くほど簡単に、全てが好転した。

 二人と共に過ごす時間が増えるようになるにつれ、不思議と両親との会話も増えるようになったのだ。

 以前には腹立たしい気持ちしか抱けなかった両親も、会話を重ねれば、子供を深く愛してくれる良い親なのだと分かった。ただ、愛を与えるという形でしか注げない、それしか知らない人たちなのだと理解すれば、今までに感じていた苛立ちも別なものへと変わった。

 父だって公爵として生きてきた人だ。根気よく話せば、私の言いたいことも理解してくれる。そのことにようやく気づいた。

 ただ、私が早々に「駄目だ」と諦めてしまっただけ。それだけだったのだ。


 ――こんなに簡単なことなら、もっと早くにやれば良かった。


 結局私も弟や妹と同じだった。努力しているつもりでも、実のところは全てを放棄していただけ。こうして手を伸ばしてみれば、欲しかったものは呆気ないくらい簡単に手に入った。

 私が欲しかったもの。

 それは、信じられる、愛せる家族だ。

 望んでも、己には二度と与えられないものだとばかり思っていたけれど。

 そうではなかった。

 私の欲しかったものは、今、この掌の上にある。

 弟がくだらないことを言い、妹がそれに文句を言う。最近頻繁に行われるようになった兄妹水入らずのお茶会には笑い声が絶えない。

 これが私の望んでいたもの。

 ようやく手に入ったこれを、今度こそ私は守りたい。

 そのためなら何でもする。

 妹が、精霊契約ができないと落ち込んでいるのなら助けよう。憂える妹の顔など見たくない。

 今、私が一生懸命資料を漁っているのも、妹を助けるためだった。


「……もう少し、調べるか」


 帰る時間が遅れそうだと思ったが、もう一踏ん張りするのも悪くない。

 もしかしたら、それで何かヒントが見つかるかもしれないから。

 だけど、夕食の時間までには帰らなければ。

 最近、家族でとる食事の時間が楽しみの一つになっている私には、非常に重大な問題だ。


「さて、そうと決まれば急ぐか」


 新たな書物を手に取る。


 ――家族との絆を取り戻した私が、実は長い間悩んできた『女性が苦手』だという問題をいつの間にか克服していたことに気づくのはもう少し先の話なのだが、今の私にはしごくどうでもいいことだった。





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