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 父と相談し、アルとも手紙のやり取りをした結果、精霊契約は三日後ということで話は決まった。

 本当は勢いのまま、次の日にでもしてしまいたかったのだが、アルの仕事の都合もある。ここまで来て、「アルがいなくても平気です」とは言えないし、言いたくなかったので、素直に彼の都合の良い日を選ぶことにした。


 ――そして当日。


 今回は、兄たちにも精霊契約を行う旨を告げていた。

 退路を断ちたい、逃げ道をなくしたいという気持ちが私にもあったのだと思う。

 ヴィクター兄様は精霊に好かれすぎているので、契約には同席できないが、それでも私のことを気に掛けてくれたのか、今日は城には行かず、自室で仕事をしながら私の精霊契約が終わるのを待つと言ってくれた。

 屋敷の地下には前回同様のメンバー、そしてユーゴ兄様というもの。

 ユーゴ兄様は、ヴィクター兄様の分まで見ておくつもりだと、ノエルを抱っこしながら楽しそうに言ってくれた。


「ま、お前なら心配する必要もないんだろうけどね。いつも通り、リラックスして行うと良いよ。適当に呼んでも、適正があれば向こうから勝手に来るからさ」


 そう軽く告げるユーゴ兄様は、実は風の上級精霊と契約している。家に引き籠もりではあるが、潜在能力は高いのだ。ユーゴ兄様がヴィクター兄様の仕事を手伝えるかは不安だが、城に上がればそれなりに活躍すると思う。


「ユーゴ、そんな言い方じゃ、余計リリが緊張するじゃないか」


 兄様の助言とも言えない助言に、苦笑しつつもお礼を言おうとすると、アルがひょいと顔を出し、苦言を呈した。


「アル!」


 嬉しさのあまり声が弾む。アルはにこりと微笑みながら言った。


「ごめんね。仕事が詰まっててさ。もう少し早く来るつもりだったんだけど、結局、時間ギリギリになってしまった。でも、間に合って良かったよ」


 執務が終わったそのままの格好で来たのだろう。気にならない程度だけれど、アルの服装には珍しくも少し皺が寄っていた。それほど急いで来てくれたことに申し訳ないと思いつつも嬉しく感じてしまう。


「アル、こちらこそお手数をお掛けしました。でも、来て下さってありがとうございます。とても嬉しいです」


 正直に今の自分の気持ちを告げると、アルは「それなら良かった」と頷いた。


「君からのお誘いに応えないわけにはいかないからね。それに不安になっている君を一人にはできないよ。――リリ、いつも通りの君で行こう。妙な不安に囚われないで。僕は言ったでしょう? 君を離さないって。君も頷いてくれたはずだ。その言葉を信じて欲しい」

「……はい」


 アルに告白した時のことを思い出し、しっかりと頷くと、アルは柔らかく微笑んだ。


「手紙、ありがとう。正直に話してくれて嬉しかったよ」

「いえ、その……情けないところをお見せしてしまって……」


 アルには、私が根拠のない不安に陥ってしまうことをきちんと告げた。もしかしたらそれで呆れられてしまうかもしれない。だけど、嘘を吐いたり誤魔化したりするよりは余程良いと思ったのだ。

 変な見栄を張ってアルに誤解されてしまう方が恐ろしい。

 昔の私ならやりかねなかったことだが、今はしようとも思わない。

『悪役令嬢』の件で、一人では何もできない、解決できないのだと痛いほど思い知ったからだ。


「情けないなんて思わないよ」


 申し訳ないと目を伏せると、アルが穏やかな声で言った。


「嬉しいって言ったでしょう? 意味もなく不安になったり、怖くなったりすることは誰にでもある。その不安な気持ちを君は素直に書いてくれたんだって、ちゃんとわかったよ。だから僕は何度だって君に言うつもりだ。『大丈夫だよ。君のことを愛してる』ってね。不安な気持ちが消えるまで何度でも」

「アル……」


 顔を覗き込まれる。距離が近い。恥ずかしさのあまり逃げ出したくなった。

 だけど、はっきりアルに「大丈夫」だと言ってもらえて、心の中はとても安堵していた。

 勝手に膨れ上がっていた不安が、すっと消えていくのを感じる。


「リリ」

「……ありがとうございます、アル。もう、大丈夫です」


 顔を上げ、アルに向かって微笑む。アルは確かめるように私の顔を見た後、にっこりと笑った。


「そうみたいだね。良かった」


 互いに笑い合う。私たちの話を側でずっと聞いていたユーゴ兄様がボソリと言った。


「……うん。美しい。良いね」

「……兄様?」


 突然何を言い出すのかと兄を見る。何故か兄の目はキラキラと輝いていた。


「アラン殿下とリリ。前から思っていたけど、すごく美しい組み合わせだよね。……うん。僕の美意識にギュンギュンくる。うわあ、最近、こういう気持ちにならなかったから、完全に感覚が変わったのかなって思っていたけど、そういうわけじゃなかったんだ」

「あの……兄様?」


 兄は天を仰ぎ、はあっと熱い息を吐いた。


「でも、なんだろう。アラン殿下もリリも、一人でも十分僕の鑑賞に堪えうる美人さんだと思うんだけど、こう……二人揃った時の方が嵌まった感じがあるんだよね。……んん、あ、そうか。思い合っている二人だからこそ出る美しさか。ただ、美しいものを眺めるだけではない、新しい美! うん、良いね! すごく心が潤うよ! こんな気持ち、茶会を開いていた時にだって感じたことがない!」


 じわじわとテンションが上がった兄は、ついには興奮のあまり叫び始めた。己の認める美について熱く語っている。

 そんな中、完全に置いてけぼりをくらってしまった私とアルは互いに顔を見合わせた。

 アルがユーゴ兄様に視線を向け、どういうことだと聞いてくる。


「えーと……リリ?」

「すいません。兄様は美しいものが好きという性癖がありまして……その、最近は少し落ち着いてきたと思ったのですけど」

「……いや、それは僕もノエルの件があったから知ってるけど。でも、落ち着いてきた? これで?」


 嘘だろうという顔をされ、私も小さくなりながら言った。


「すみません。前言撤回させて下さい。……以前より酷くなっているような気がします」

「だよね」

「これで城に上がるとか……兄様、大丈夫かしら」


 ベラベラと語る兄はとても楽しそうだが、こんな状態が城でも続けば、兄と一緒に働いている人たちに迷惑が掛かってしまう。


「……まあ、その辺りは。公爵と、あと本人とも相談して決めるから大丈夫だよ」

「アル?」


 参ったなと思っていると、アルが言った。


「公爵とヴィクターからユーゴについては報告を受けてる。城に上がる気持ちがあるってね。ヴィクターは自分の側に置いて世話を焼きたいみたいだけど、僕は、彼のいる部署はユーゴには合わないと思うな」

「はい。私もそう思います」


 真顔で同意した。

 ヴィクター兄様とユーゴ兄様。得意とするものは真逆なのだ。

 典型的な文官タイプのヴィクター兄様とは違い、ユーゴ兄様は芸術分野に特に秀でている。物の真贋を見定めるのは得意だし、実は兄様はピアノを弾くのがものすごく上手いのだ。冗談抜きで聞き惚れる腕前。しかも兄様は自分の一番美しい見せ方を知っているので、演奏中の兄は一枚の絵画のように美しい。

 また兄は、絵を描くのも上手かった。

 兄の描く絵は、全てが風景画なのだが、そのどれもが幻想的で美しい。

 兄の目には世界はこのように映っているのかと、初めて見た時は驚きすぎて、息をすることすら忘れてしまったくらいだった。

 そんな兄が書類の整理や作成、計算などを得意とするヴィクター兄様のいる部署で働く? ヴィクター兄様には申し訳ないが、絶対に無理としか思えない。

 図書室の司書はどうだろうと私が思ったのも、厭世的なところのある兄には似合いだと感じたからだ。

 いくら城勤めといえども、気に入らない他人を側に近づけさせるほど、ユーゴ兄様は優しい人間ではないし、まず、社交的ですらないのだ。

 そんなことをアルと話していると、兄が突然悲鳴を上げた。

 何が起こったのかと兄を見ると……抱いていたノエルに腕を噛み付かれていた。

 いつまでも妄想の世界に浸っていた兄に嫌気が差し、噛み付いたのだろうなと容易に想像が付いた。


「くそっ! このぶさ猫め! ちょっと可愛がってやったらすぐ調子に乗る! 腕を噛むな! 僕の腕にお前の噛み後が残ったらどうしてくれる! 台無しじゃないか!」

「兄様、今のは兄様が悪いと思います」

「分かってるけどさ……あ、こいつめ!」


 ノエルが再び兄の腕を狙っていた。とはいえ、兄様の腕の中から逃げようとはしていないので、どちらかといえば『こっちを見ろ』というノエルなりの兄に対するアピールだろうと思う。兄もその辺りはさすがに分かっているからか、腕を噛まれてもノエルを放り出したりはしなかった。


「ああもう……。なんで僕がこんなぶさ猫に! あ、そろそろ時間かな。リリ、僕はこいつと後ろで見てるから、精霊契約、気負わずやりなね」

「あ、はい。ありがとうございます。兄様」


 頷くと兄は、片手で手を振り、私たちのやり取りを無言で見ていた父と一緒に後ろに下がった。

 アルが私の頭をポンと叩く。


「じゃ、僕も後ろから見てるね。大丈夫。イグニスにもお墨付きをもらったでしょう? きっと今回は上手く行くよ」

「……はい」

「じゃあ、上手く行くようにおまじない」

「えっ……」


 ほんの一瞬ではあるが、額に唇が触れた。驚いてアルを凝視すると、彼は楽しそうな顔で笑っている。


「頑張ってね」

「アル……」


 思わず額を手で押さえる。嬉しくて何度も首を縦に振った。そんな私たちを見ていたルークが呆れたように言った。


「私たちがいることを忘れていませんか。アラン殿下もお下がり下さい。お嬢様、そろそろ予定のお時間かと」

「わ、分かっているわ」


 ルークの促しに頷く。アルが離れたのを確認してから改めて魔法陣の前に立った。


「……」


 今度こそ失敗は許されない。いや、失敗などしてたまるものかと思いながら、私は精霊に祈りを捧げた。


 ――お願い。私と契約してくれる精霊……来て!


 目を開ける。魔法陣が光る。

 どうやら呼び出しに成功したようだと思った瞬間、魔法陣の光はすっとかき消えた。


「え……?」


 ――なんで?


 魔法陣はウンともスンとも言わなかった。精霊が現れる様子はない。

 ざっと身体から血の気が引いていく。まさか今度は、精霊を呼び出すことすらできなかったと、そういうことなのだろうか。


「嘘、嘘でしょう?」


 信じたくなくて、私は慌ててもう一度祈りを捧げた。

 大丈夫。今のは少し、手順を間違えただけ。きちんとやり直せば、精霊は来てくれる。

 そうだ、前回だって精霊自体は召喚されてくれたではないか。

 そう、私が間違っただけ。だから、失敗などではないはず――。


「……嘘」


 呆然とするしかなかった。

 質の悪い冗談だと思いたかったのに、現実は酷く残酷で惨めだ。

 何度祈りを捧げても、精霊は召喚にすら応じてはくれなかったのだ。

 あり得ない現実にショックが隠せない。

 ただただ何も反応しない魔法陣を愕然と見つめていると、後ろからユーゴ兄様の声がした。


「どうしたの、リリ。ぼうっとしていないで、早く精霊を召喚しなよ」


 心底不思議そうな声。

 きっと兄は、私がまだ精霊を召喚していないと思っているのだ。

 私を促す声に嫌味はないし、本気で早くすれば良いのにと思っているだけなのだろう。


「わ、わかりました」


 まさか、精霊を召喚することすらできなかったなどと言えるはずがない。だけど声は勝手に震えてしまう。


「……」


 ――こうなったら、一か八か。


 最後の一回だ。もう一度、今度は祈るだけではなく、魔法陣に私の魔力を注いでみよう。

 ただ祈るより、召喚の力は強くなるし、悪い思いつきではないはずだ。

 そう考えた私は、これが最後という気持ちで精霊を強く呼び、魔法陣に己の魔力を流し込んだ。





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