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「兄様、すごいですね……」

「僕は別に。お前こそずいぶんと変わったと思うよ。アラン殿下のおかげかな?」

「それは……ええ」

「ユーゴ、リリ」

「ヴィクター兄様」


 二人で微笑んでいると、ライブラリーに用があったのか、もう一人の兄、ヴィクター兄様が現れた。兄様が来たのと入れ替わりに、時間を確認した父が難しい顔で「別の約束があるから話はまたあとだ」と言い、ライブラリーから急ぎ足で去っていく。


「父上? ユーゴ。父上と何かあったのか?」


 部屋を出て行った父を見て、ヴィクター兄様が首を傾げる。最近では、ヴィクター兄様も私やユーゴ兄様に対し、普通に話しかけてくれるようになった。

 以前の冷たい目を見ることはないし、兄妹仲が良いと言われても「そうですね」と頷けるくらいには一緒にいることが多い。三人で話すのは楽しくて、どうして今までこれができなかったのだろうと思ってしまうくらいだ。

 やってきたヴィクター兄様に、ユーゴ兄様が肩を竦めながら言う。


「ううん。特別なことは何も。ただ、そろそろ僕も城勤めでもしようかなって父上に話していただけだよ」

「……お前が、か?」


 あからさまに驚いた顔をしたヴィクター兄様を見て、ユーゴ兄様が眉を寄せた。


「悪い? そう、僕が。ちょっとね、リリにも言ったんだけど、少しくらい外の世界に出てみようかなって思って」

「ほう……どういう風の吹き回しだ」

「別にまあ、色々だよ」


 穏やかな声で語るユーゴ兄様。その様子から本気だと察したヴィクター兄様はふっと表情を緩めた。


「まあ、悪いことではないだろう。もし行くところがなければ、私の部署で使ってやるぞ」


 兄様からしてみれば、破格の申し出だったのだろう。だが、ユーゴ兄様はギョッとした顔をして拒否した。


「えっ? いや、いいよ。兄上のところになんて行ったら、絶対にこき使われる……」

「働きたいのだろう?」

「いや、働きたいというか……閑職で良いんだけど。ほら、僕もさ、ブランクがあるわけだから最初は暇なところから始めたいというか……」

「……」


 ブランクも何も、兄様は一度も働いたことがないはずだ。

 ヴィクター兄様も同じことを思ったのか、「ユーゴ」と低い声で兄様を呼んだ。


「最初から怠けること前提でどうする。厳しい場所を経験していれば、その後どこへ行ってもやれるだろう。その方がお前のためになるぞ」


 ヴィクター兄様の視線に耐えきれなかったユーゴ兄様が、さっと目を逸らした。


「い、いや……それは、そう……なんだろうけどさ。……参ったな。僕、軽い気持ちだったんだけど……こんなことなら、もう止めようかな」

「ユーゴ」


 恐ろしく低い声音に怒りを感じたのか、ユーゴ兄様は慌てて前言を撤回した。


「じょ、冗談だよ。兄上」


 ユーゴ兄様の顔が思いきり引き攣っている。ユーゴ兄様は私に目を向けると、「リリ、助けて」と言ってきた。


「無理です」

「即答しないで欲しいな!」


 どうすれば良いんだと頭を抱えるユーゴ兄様に私は正直に自分が思うところを告げた。


「私、兄様は、城の図書室の司書くらいがちょうど良いのではと思っていたのですけど、ヴィクター兄様の言うことにも一理ありますよね」


 私の話を聞いた兄様の顔が、ぱあっと輝いた。


「司書! 暇そうで素敵な響きだね! 僕にとっても似合っているような気がするよ。ナイスアイディア! ナイスだよ、リリ! さすが僕の妹!」

「でも、ヴィクター兄様と同じところで働くのでしょう?」

「働かない! 働かないから! 僕は司書がやりたいなあ!」


 僕は司書になる! と宣言するユーゴ兄様だったが、それはヴィクター兄様がばっさりと切り捨てた。


「ユーゴが司書になどなってどうする。それでは社会復帰にならないだろう。弟のために一肌脱ぐのも兄の務めだ。任せておけ。父上には私の方から話を通しておこう」

「兄上!? ねえ! 僕の話を聞いてた? 僕は、司書になりたいって言ってるんだけど!」

「ちょうど手伝いの手が欲しかったところだ。バリバリこき使ってやるからな」

「兄上、お願いだから話を聞いて!」

「……」


 ちょっとだけ、ユーゴ兄様が可哀想かもと思ってしまった。兄様たちが「私のところで働け」「嫌だ。僕は楽をしたいんだ」「これ以上楽をしてどうする」などと言い合いを始めてしまったので、私は二人から少し下がり、楽しくやり取りを眺めさせてもらうことに決めた。

 こういうことには関わらないのが吉なのだ。ややこしそうなことには巻き込まれたくない。

 我ながらなかなかの処世術だなと思いながら兄たちを観察していると、いつの間に側に来たのか、ルークが小声で声を掛けてきた。


「……お嬢様」

「お兄様たちはお取り込み中みたいなの。邪魔はしない方がいいわ」

「はい。そうみたいですね」


 私が兄たちに視線を向けると、ルークは感慨深げに肯いた。


「お二人があのようにやり取りをなさるお姿を見る日が来るとは思いもしませんでした。良かったですね、お嬢様」

「……ええ」


 兄様たちを見つめながら頷く。確かにこれは一年ほど前には想像もできなかった光景だ。

 私、ヴィクター兄様、そしてユーゴ兄様。

 私一人頑張っただけでは、こうはならなかった。

 足掻く私やユーゴ兄様の姿をヴィクター兄様がきちんと見てくれたから、見捨てることをせず歩み寄ってくれたから、今、こうして、私たちはここで笑い合うことができている。

 特にユーゴ兄様の変化はかなりのものだ。自分の内側にしか興味のなかった兄様が、外の世界に目を向けようとしているのだから、以前の兄様を知っている人たちは、皆信じられないというだろう。だけどそれが事実。

 少し前までは、いつか変わってくれる日がくれば良いと思っていたのに、これでは私の方がおいて行かれてしまいそうだ。


「そうね、私も……頑張らないといけないわね」


 こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

 足踏みしているだけでは、兄様たちと一緒にはいけない。遠い背中をいつまでも追いかける羽目になるのはごめんだ。せっかく、共に過ごせるようになったのだから、このまま三人で歩み続けていきたいと思う。


「……ルーク、部屋に戻るわ」


 きっぱりと告げる。

 もの言いたげな目をするルークに、私は言った。


「とりあえず、兄様たちは放っておいて、私もできることから始めようと思うの。私ができること。それはアルに今の私のありのままを報告することよね。あと、お父様とアルに明日にでも二回目の精霊契約をしたいと伝えること。それしかないわ」

「お嬢様……!」


 驚きに目を見開いたルークに私は頷いてみせた。


「私が今できることなんて、どう考えてもこの二つしかないもの。ウジウジ悩み続けるのは私らしくないし、そもそも私が悩む羽目になったのは精霊契約に失敗したから。アルのおかげで、私自身に問題はないということは分かったし、それならもうさっさと契約してしまいたい。そうしたら、馬鹿なことを考えなくて済むでしょ」


 結局はそういうことだろう。

 私が意味もなく不安になるのも、自信が持てないのも、全部精霊契約に失敗したから。それなら、諸悪の根源を絶ってしまえば良い。


「アルと結婚するためだもの。勇気くらいいくらでも出すわ」


 正直に言えば、まだ少し怖いけど。

 もしかしてまた失敗するかもという気持ちが完全に消えたわけではないけれど。

 兄様たちも頑張っている。

 その姿を見た後で、竦んでいるなどできるはずがないのだ。


「頑張るわ」


 とりあえずは、部屋に戻ってアルに手紙を書こう。

 まずはそれから。

 そう伝えるとルークは「その、時折妙に前向きなお嬢様の姿勢、嫌いではありません」という微妙な評価をくれた。


「……」


 素直に褒めてくれれば嬉しかったのに、どうしてうちの執事はこんなに捻くれているのか。

 声に出さなかったのに「お仕えしている主人のせいでしょう」と返されたのには非常に納得がいかなかった。






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