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◇◇◇
女官にお茶を淹れ直してもらい、ようやく一息吐いた。
赤くなった顔も落ち着いたし、気持ちも安定している。
精霊に大丈夫だと言ってもらえたことで悩みが軽くなった私は、ようやくアルに対し、自然な笑顔を向けることができるようになっていた。
「それでね、話は変わるんだけど――」
「はい」
談笑していると、突然、アルが声のトーンを変えてきた。真面目な話だと察し、私は紅茶の入ったカップを置き、アルの目を見た。彼は少し躊躇うような表情を見せたが、すぐに思い切るように口を開いた。
「君は、カーライル嬢と友人だと言っていたよね。だから伝えておく。……ウィルがカーライル嬢の精霊契約に立ち会うそうだ」
「あ……」
思わず声を上げた私に、アルは眉を下げながらも言った。
「知っているのに黙っているというのもどうかと思ったからね。友人のことなら知っておきたいでしょう?」
気遣うような声音に、アルが本当に私のことを思って伝えてくれたのが分かる。その心が嬉しいと思いながら私は言った。
「ありがとうございます。その話は、私もクロエから聞いて知っています。その……彼女に頼まれて、私も立ち会いには参加することになりましたから」
「そうなの?」
「はい」
「……大丈夫?」
「はい」
心配そうな瞳に、しっかりと頷いてみせる。
少し前までなら、頷けなかったかもしれない。だけど、アルの契約精霊のおかげで立ち直った今の私なら、本当に大丈夫だと言うことができる。
「不安がっている友人を放っておくことはできませんし、行ってこようと思います」
「そう。君が行くと知っていれば僕も同行したんだけど……」
「アルはお仕事がありますから。ただ、友人の家に遊びに行くだけと思って、行ってきます」
付き添ってくれようとするアルの心が嬉しかった。それだけで、頑張ろうという気持ちになれる。
「……最近のあいつは少し暴走気味だからね。兄としてカーライル嬢にも申し訳ないと思っているよ。……念のために聞くけど、カーライル嬢はウィルのことをどう思っているのかな? リリは聞いてる?」
「……少なくとも恋愛感情はないように思います」
少し迷ったあと、私は正直に答えた。変に誤解させるようなことを言って、クロエを困らせたくなかったのだ。
私の答えを聞き、アルが渋い顔をする。
「……だろうね。強引にエスコート役を奪い取るような初対面の男に好印象を抱ける女性がいるのなら見てみたいよ」
それでも第二王子という肩書きがあれば、大抵の女性は靡くだろう。クロエはそうではなかったけれども。
大事な友人が、地位で相手を判断するような人ではないことを嬉しく思いながら私は告げた。
「その……クロエから、ウィルフレッド殿下が、婚約を前提に付き合いたい、みたいな話を伯爵様に通したようだと聞きました。クロエは……困惑しているようでした」
さすがに第二王子相手に、嫌そうにしていたとは言えず言葉を濁すと、アルは苦虫をかみつぶしたような顔をしながら言った。
「はっきり言ってくれていいよ。ウィルのこと迷惑に思っているんだろう? だけど相手は第二王子で父伯爵は乗り気……カーライル嬢としてはどうしようもできない、といったところかな」
「……はい」
肯定すると、アルはこめかみをそっと指で押さえながら言った。
「確かに、順序を踏めとは言ったけど……やっぱり嫌がられているんじゃないか。相手の意志も確かめず、あいつは何をやっているんだ」
「その……アルはクロエがヒロイン、と、おっしゃいましたよね」
怖々ではあるが確かめると、アルは頷いた。
「それは間違いないらしいよ。一人でベラベラ喋っていったから。自分のルートに入ってもらうんだと息巻いてた」
「そう……ですか」
やっぱりクロエはヒロインなのか。
一瞬、気持ちが落ち込みそうになったが気合いで堪えた。だってそれはウィルフレッド王子の思い込みで真実などではない。
私にとっての真実は、彼女は私の友人であるということ。それだけだ。
そしてクロエはウィルフレッド王子のアプローチを迷惑がっている。それが事実。
「私、精霊契約の時、できるだけ、彼女の側にいることにします」
そう告げると、アルも同意するように頷いた。
「そうだね。そうしてあげるのが良いと僕も思うよ。ウィルは……言いたくはないけど、何をしでかすか分からないから。できれば王家の恥になるような真似はして欲しくないんだけどな……」
嘆息しながらアルは言った。
「君がいてくれるのなら安心だ。……もし、ウィルが何かしでかしたら、教えて欲しい。その時は、僕は兄として、馬鹿な弟を叱らなければならないからね」
本気の音色を感じ取り、私は思わず姿勢を正した。
「分かりました」
「……本当に、父上の耳にまで入らなければいいけど。父上は意外と短気なところがあってね。王家のイメージを損なわせるような弟をいつまでも第二王子としておくか、正直バレたらまずいと思っている」
「王族ではなくなる、ということですか?」
「うん。最悪の場合だけどね。ないとは言えない」
アルの顔は真剣で、嘘は何処にも見られない。
「だからこそ、僕のところで止めておきたいんだよ。馬鹿なところもあるけど、それでも双子の可愛い弟だと思っているのは本当なんだから。本気で見捨てたいとは思わないんだ。……本当、いい加減、目を覚ましてくれると良いんだけどな」
「そう……ですね」
私にとっては、ウィルフレッド王子は私を悪役令嬢扱いしたり、友人のクロエを困らせたりする人という認識でしかないが、アルにとってはたった一人の弟なのだ。
私における、ヴィクター兄様やユーゴ兄様みたいな立ち位置なのだろう。
そう思うと、すとんと腑に落ちた。
――そうよね。それは大切だと思うわよね。当然だわ。
私には大事ではない人が別の誰かの大事な人である。そんな当たり前のことを、唐突に理解した。
「……ウィルフレッド殿下って、その、『ゲーム』の話以外では普通なんですか?」
少し考えたあと、アルに聞くと、彼は首を傾げつつも頷いた。
「うん? ああ、そうだよ。あいつが暴走するのは基本、『ゲーム』の件だけ。だからこそ困ってるんだけど」
「そうですか。それなら……早く目を覚まして下さると良いですね。私も、私にできることがあれば協力します」
「リリ?」
目を瞬かせるアルに笑ってみせる。
「だって、ウィルフレッド殿下はアルにとって大事な人なのでしょう? それなら私にとっても大事な人ですから」
つまりはそういうことだ。
私はいつか、ウィルフレッド王子に「ざまあみろ」と言ってやるのだと心に決めていた。いや、今だって諦めたわけではない。だけど、それは結果としてアルを悲しませてしまうかもしれないのだ。
だって、ウィルフレッド王子はアルの大事な人だから。
だとすれば、それは私の望むところではない。自分が愛する人の大切な人を傷つけてまで、私は高笑いしたいわけではないのだ。
アルが大切だからこそ、彼が大事にしているものも守りたいと、そう思う。
そういうことを拙いながらも説明すると、アルは目を丸くして私を見つめてきた。
「リリ……」
「えと、何かおかしいですか?」
説明の仕方がおかしかっただろうか。不安に思っていると、アルは急いで否定した。
「いや、全然そんなことないけど……。でも、ウィルは君にとっては『悪役令嬢』なんて言われた憎い存在でしょう? そんな簡単に納得してしまって良いの?」
「憎くはありませんよ? おかげで最低だった自分に気づけましたから、その点については感謝しているくらいです」
嘘を吐いているつもりはなかった。実際、彼があの時、指摘してくれなければ、私はきっとアルの愛を得られていなかっただろうから。
そういう意味では私は間違いなく、ウィルフレッド王子に感謝しなければならないのだ。
だから、アルのためにも、あと、クロエのためにもなるから、ウィルフレッド王子には是非とも早い段階で目を覚ましてもらいたいものだと思う。その為に何か私にできることがあるなら協力することも吝かではない。
そう告げると、アルは目を細め、「君って人は……」と小さく言った。
「アル?」
「いや、君って本当に良い子だなと思ってね。まさか、僕の大事な人だから大事にする、なんて言われるとは思わなかったよ。でも、確かにそうだね。――いずれ僕たちは家族になるんだから」
「あ……」
そこまで考えていなかったのだが、確かにそれはその通りだ。アルと結婚すればウィルフレッド王子は私の義理の弟ということになる。
――弟。
うん、それは悪くない響きだ。
「……私、弟なんていたことがないから、ちょっと、楽しみかもしれません」
そう告げると、アルは優しげに目を細めた。
「そうだね。じゃ、僕たち二人で弟を可愛がれるように、リリにも協力してもらっていいかな?」
「――はい」
「ありがとう、頼りにしているよ。……ところで、リリ。僕、今のでまた君を好きになってしまったんだけど、責任取ってくれるかな?」
「え?」
どうしてそんなことを言われたのか分からず驚くと、アルは困ったように笑った。
「いや、今のは誰だって惚れると思う。ね、リリ。君、定期的に僕を惚れさせようとしてない? それでなくとも大概君を愛しているっていうのに、いい加減止めてくれないと本当に困るんだけどな」
「そ、そんなこと、しているはずがありません」
むしろ、意図的にできるのならやりたいくらいだ。
一体どこでそんなことになったのかと必死で考えるも、全く思い当たる節はなかった。
困っていると、アルがうーんと首を傾げる。
「そうかなあ。いっそわざとかと思うくらい、僕は毎回君に落とされているんだけど。君は悪役令嬢と言うよりは魔性の女だよね。僕を引きつけて離さない。もちろん、僕以外の男を引きつけるなんて許さないんだけど」
――わかってる?
そう叱るように、だけどとても甘い声で言われた私は、顔を真っ赤にしてブンブンと首を横に振った。だって全く身に覚えのないことを言われても、私にはどうしようもないからだ。
「き、気のせいです」
「それなら僕はどうしてこんなに毎回、君に惚れる羽目になっているんだろうね?」
「し、知りません……」
好きの強さだけで言うなら、絶対に私の方が上のはずだ。
だけど、好きだと言ってもらえるのはやっぱりとても嬉しいことなので、気づけば頬を緩めてしまった。
喜んでいるのがバレバレの私を見て、アルが何故かがっくりと肩を落とす。
「……うん。僕は君には勝てないような気がしてきたよ」
「?」
「気にしないで。ちょっと拗ねているのが馬鹿らしくなっただけだから」
益々分からない。だけどアルが笑ってくれたので、彼のことが大好きな私は、あとはもうどうでもよくなってしまった。




