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それをホッとしつつも見送る。
それまで一言も発しなかったアルが、私に言った。
「何だか皆、驚いていたみたいだね」
それに私は苦笑しつつも頷いた。
「そう……ですね。以前までの私なら、きっと言わなかったことだと思いますから」
「そうなの?」
「はい。私は……認めたくはありませんが、本当に世間知らずの我が儘な女でしたから。今もそう変わってはいないと思いますけど」
「その我が儘な女っていうの。僕は一度も見たことがないから、未だに信じられないんだけど」
「見られたことがなくて良かったです。多分、見られていたら……絶対に嫌われていたと思いますから」
それこそ、ウィルフレッド王子が言った通りに。
『悪役令嬢』がどうのというのは、未だ半信半疑ではあるが、自分が最低な女であったことは理解している。ウィルフレッド王子のあの言葉を聞かないまま、もしアルに会っていたら、きっと私は彼に疎まれる女でしかあれなかっただろう。
今ならそれが分かる。
「兄上、見つけたっ! って、げえっ! リズ・ベルトランじゃねえか!」
喧噪を厭い、少し皆から離れた場所でアルと二人で話していると、誰かが声を掛けてきた。振り返ると、そこにはアルと似たような格好をしたウィルフレッド王子がいる。
彼は眉を寄せ、私を見ていた。
「ウィル、リリに失礼な物言いは止めろ。彼女は僕の婚約者なんだぞ」
ウィルフレッド王子に気づいたアルが彼を諫める。ウィルフレッド王子は、意外にも素直に「ごめん」と謝ってきた。
「ごめんな。まさかまだ兄上と一緒にいるとは思っていなかったからさ。そうそう、オレ、実はさっきの令嬢たちのやりとりを見てたんだ――な、お前、もしかして前世の記憶があったりとかする? オレのお仲間?」
「へ?」
――前世の記憶?
一体何の話だろう。
何を言われたのか分からなくて固まっていると、アルが肩を抱き寄せてきた。
「ウィル、リリにわけの分からないことを言うな」
「えっ? いや、だってさ。こいつ、リズ・ベルトランだろう? だよな? なのに、全然雰囲気が違うから。さっきも、令嬢をけしかけるんじゃなくて止めてたし、あの見事な悪役令嬢スタイルのど派手なドレスもない、いっそ別人みたいで信じられないんだけど」
じいっと私を見つめてくるウィルフレッド王子をアルはしっしと追い払った。
「近づくな。だから、リリは『悪役令嬢』ではないと何度も言っただろう。彼女は可愛い僕の婚約者だ。分かったら二度とリリのことを『悪役令嬢』などと言うな」
「ええー……嘘だろ。なんだ? 誰が悪役令嬢フラグを折ったんだ? これじゃあ悪役令嬢がいなくなるから原作が進められなくなるんじゃないのか? ストーリーはどうなるんだ?」
ウィルフレッド王子は信じられないと目を見張った。
「なあ、もう一度聞くけど、ほんっとうに、前世の記憶ない? ほら、『悪役令嬢に転生しちゃった! そんなの嫌だから破滅フラグ回避しなきゃ!』みたいなことしてない? もしくは『ある日突然、自分が前世でやってたゲームの、しかも悪役令嬢に転生したってことに気づいちゃった!』とか。前世の性格が戻ってきたから、まるで別人のようになった、とかならオレも理解できるんだけど」
「え……ええと、申し訳ないのですが、殿下のおっしゃっていることの意味が分かりません」
転生とか何の話だ。
私は私でしかないというのに。
私も困惑したが、ウィルフレッド王子もますます混乱したようだった。
「え? マジで? 本当の本当にあんた、転生者じゃないの? ……え? じゃあ、自分で『悪役令嬢』フラグ折ったんだ? はああー! すごいな! そんなことできんだ!」
「ウィル……」
アルがウィルフレッド王子を窘めたが、彼は止まらなかった。興奮気味にアルに熱弁を振るう。
「いや、だってすごいぜ? オレ、絶対こういうのは、物語の強制力的な何かが働くに違いないって思ってたんだ。だから基本的には何をやっても無駄だろって諦めてたんだよ。できることと言えば、一番良いと思えるエンドに行ってもらえるよう誘導することくらいかなって。でもさ、全然事情も知らないのに、そこから脱却した奴がここにいるんだ。それってオレ的にはすごいことなんだぜ!」
うわーうわー! とウィルフレッド王子ははしゃぎ始める。そうして独り言のように呟いた。
「そっか、気にしなくて良いんだ。別に、ゲームのストーリーに従わなくても良いんだ。それでも、物語は破綻したりはしないのか。そっか……そっかあ……」
声がどんどん小さくなっていく。
そうしてウィルフレッド王子は泣きそうな顔で笑った。
「そっか。じゃあもう、リズ・ベルトランは『悪役令嬢』じゃないんだな。それならいいや。兄上が幸せになるためには『悪役令嬢』から離れて、『ヒロイン』と幸せになるしかないってずっと考えてたけど、その必要はないってことだよな……」
「ウィル?」
アルがウィルフレッド王子を窺うと、彼は勢いよく頭を下げた。
「色々言ってごめん、兄上。その子がもう『悪役令嬢』じゃないんなら、オレは兄上のことを祝福するよ」
「お前……一体、何を……」
いきなりの変化に戸惑うアルに、ウィルフレッド王子はにっかりと笑って言った。
「オレなりに納得したから、もう、兄上の婚約者についてあれこれ文句は言わないってことだよ。……でも、そうか。じゃあ、兄上×ヒロインはなくなるから……えっ、第二の推し、オレ×ヒロイン? マジかよ!」
ウィルフレッド王子の目がキラキラと輝き出す。
「兄上に幸せになってもらうためにはヒロインには兄上のルートに行ってもらうしかないって思ってたけど、もうその必要はない。そっか、本当にオレが狙ってもいいわけだ。ストーリーを変えることは可能だって分かったわけだけど、変えないという選択肢もあるもんな。オレのルートに入ってもらって、ストーリー通りに進めれば……うっわ! 俄然楽しくなってきた!」
ああして、こうして……と、ウィルフレッド王子はウキウキとしている。
「こうしちゃいられない! 確かヒロインのデビュタントは、悪役令嬢……じゃなかった、リズ・ベルトランの半年後! よし、調べて、オレがデビュタントの相手役を務めるぞ! そうしてルートを開いてもらうんだ~。第二王子ルート! 絶対、攻略してもらうぞ」
「……言っていることはさっぱり分かりませんが、ウィルフレッド王子、すごく楽しそうですね」
「うん、そうだね……」
すっかり自分の世界に入ってしまったウィルフレッド王子をアルと二人で見つめる。ウィルフレッド王子はハッとしたように我に返り、私たちに言った。
「そういうわけだから! オレ、今からヒロインに攻略される準備しないといけないし、部屋に戻るな!」
そうして手を振ると、軽やかに大広間を出て行った。
「……嵐のような方でしたね」
思わず感想を呟くと、アルは大きく頷いた。
「……あいつ、昔から『ゲーム』の話になると手が付けられなくて。他の部分では真面目なんだけど……」
「そうなんですね」
「ようやく目を覚ましてくれたかなと思ったんだけど、そういうわけではなさそうだ」
はあ、と疲れたように息を吐くアルは、本当に困っているみたいだった。
「そういえば、『ヒロイン』に『攻略』してもらう、なんておっしゃられていましたね」
「うん……もう、僕らには関係のない話だから、放っておくことにしよう。下手に突くと、妙な妄想に巻き込まれる。これ以上あいつに振り回されるのはごめんだ……」
「はい……」
しみじみと呟かれた言葉に、私も大いに同意した。




