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 ノエルが焦ったように、私の腕の中から逃げ出す。

 一瞬、もしかして私の願望が見せた偽物ではないのかと疑ったが、その腕の強さに、彼が本物のアルだということを感じることができた。

 アルは私をかき抱くと、心底ホッとしたという声で言った。


「良かった! 無事だったんだね!」

「あ、アル。どうしてここに……仕事中だったんじゃ……」

「君が危険な目に遭っているって分かったから、急いで抜け出してきた。リリ、何があった? 僕に分かるよう、説明してくれるかな?」

「え、ええ……」


 危険な目に遭っていると分かったというのはどういう意味だろう。そう思いつつも私はアルに今あった出来事を説明した。

 アルが悔しげに顔を歪める。


「……ごめん。僕のせいで、もう少しで君を傷物にさせてしまうところだった」

「だ、大丈夫です。護衛が逃がしてくれましたので。それにこうして大通りまで逃げてくることができましたから」

「護衛一人の君に対し、破落戸が八人、ね。僕の大事な君に手を出すなんて絶対に許せない。必ず僕が犯人を捕まえるから、君は安心していてくれていいからね」

「はい……」

「お嬢様!」


 アルに抱き締められていると、上手く破落戸たちから逃げ出してきたのか、護衛がこちらに走ってきた。


「良かった。あなたも無事だったのね」

「あいつらは、お嬢様を捕まえることを優先していましたから……これはアラン殿下! ど、どうしてこちらに」

「リリの危機に婚約者の僕が駆けつけるのは当然だろう。このまま馬で彼女を屋敷まで送り届けるが、追っては来ていないだろうな?」

「大丈夫です。お嬢様が大通りに出たことを確認し、退きましたから」

「そうか。誰が首謀者か察しはつくか?」

「……実はもう一人、隠して護衛をつけていました。その者が彼らを追っています。失敗にしろ、次の指示を仰ぐにしろ、一度は雇い主に報告をするはず。必ずや、犯人を割り出して見せます」


 護衛の言葉を聞き、私はえっと彼を見た。


「もう一人、護衛がいたの?」

「大事なお嬢様の護衛を一人では行いません。何かあった時のために、常に更に一人を忍ばせています。向こうも護衛が一人だと思っていますから、今回のような場合、犯人特定に役に立ちます。完全に向こうは油断していますので」

「そ……そう……」


 潜んでいたもう一人は、情報収集の役目を担っているようだ。だけど確かに、主人を守る役目と、犯人を追う役目。最低でも二人いた方がやりやすい。


「その情報、僕ももらえるのだろうね。僕のリリを傷物にしようなんて考えたんだ。当然、僕を敵に回すことも理解した上での行動だと思うんだよ」


 ひんやりとした怒気をアルから感じたらしい護衛は、顔を強ばらせながらも必死で言った。


「っ! か、必ずや! 必ずや殿下にお伝え致します」

「うん、頼んだよ。それじゃ、僕は先にリリを連れて行くから」

「お、お願い致します」

「リリ、僕の前に乗ってね」


 馬に乗ったアルに、手を差し出され、おそるおそるその手を掴む。ぐっと持ち上げられ、アルの前に横向きに座らされた。


「ゆっくり行くから、怖かったら言って」

「え、ええ」


 護衛をその場に残し、アルは私を馬に同乗させ、屋敷へと向かった。最初はノエルも一緒に乗せていこうと思ったのだが、何故か馬の方が嫌がったのだ。あまりにも嫌がるので仕方なく、護衛に頼んできたが、ノエルが帰ってくるまで気が気でない。


「……でも、本当に君が無事で良かったよ」


 馬上で、彼に抱きかかえられているという非常に恥ずかしい状態の中、アルが心底安堵したように言った。

 それを聞き、私はアルが言っていたことを思い出す。


「あの、アル。あなたは私が危険な目に遭っていると分かったとさっき、おっしゃっていましたよね。……どうして分かったんですか?」

「ああ、このブローチだよ。このブローチが君の危機を知らせてくれた」

「ブローチって、この婚約時にいただいたものがですか?」

「そう」


 思わず自分の胸にいつもつけているブローチを見つめる。何の変哲も無いブローチのように見える。特殊な効果があるようにはとてもではないが思えない。


「普通の、ブローチに見えるんですけど」

「このブローチは魔法で作ったって言ったでしょう。二つは共鳴するように作られている。片一方に危険が及ぶと、もう片方に知らせる仕組みになっているんだ。このおかげで、僕は君が危険に直面しているのだと知ることができた」

「そんな効果があるんですか……」

「君が約束通り、ずっと身につけてくれていて良かったよ」


 ホッとしたように言われ、私は思わず胸に付けたブローチに手を当てた。


「本当に嫌な話だけど、王族の婚約者が慮外者に乱暴されたり、誘拐されたりとかは、昔からよくある話なんだ。動機は、いつも同じ。王族の今の婚約者を消して、その婚約者の座に自分が座りたいから。そのためなら何でもして良いと思うような人間に惚れたりするわけがないのにね。婚約の時に、このブローチを渡すのは、婚約者の身を守るためでもあるんだよ」

「そうだったんですね……アル、来て下さってありがとうございます」

「間に合わなくて、申し訳なかったけどね」

「いえ……」


 確かに路地までは来られなかったけれど、アルは忙しい中、馬を駆ってまで来てくれた。

 彼の顔を見て、私がどんなに安心したか、彼はきっと分からないだろう。


「本当に、嬉しかったのです。ホッとしました」

「そう? それなら良かったけど。君に何かあったらどうしようって気が気でなかったんだ」


 ポツポツ話しながら、ゆっくりと馬を走らせる。

 幸いにも新たな敵が現れることもなく、無事、屋敷に着いた。馬から降り、久々の地面の感触に一息吐いていると、ルークが出迎えに出てきた。


「お帰りなさいませ、お嬢様。……え、殿下?」

「うん。ちょっとね。公爵はご在宅かな? 話がしたいんだけど」

「お、お待ち下さい」


 予告になかったアルの登場に驚いたルークが、慌てて父と連絡を取りに行った。

 幸い父は屋敷におり、アルとの面会を快く受けたのだが、私が破落戸に襲われかけたという話を聞いて、怒りに震えた。

 応接室に座った父は顔を真っ赤にし、ドンと乱暴に目の前のテーブルを拳で叩く。


「リリが破落戸に!? 許せない! 殿下! それはどこの家の者なのです!?」

「君の家の護衛が一人、彼らの後を付けているそうだよ。依頼人を突き止め次第、連絡をくれることになっているから、まずはそれを待とう。……心配せずとも大丈夫だよ。僕は、リリを傷つけようとした者を決して許さない。必ず首謀者は捕らえる。ここは信じて、僕に預けてくれないかな」


 アルの言葉に、父は怒りを収め、頷いた。


「殿下がそうおっしゃるのでしたら……分かりました。殿下にお任せいたします。リリ、お前はしばらく外出禁止だ。分かったな?」

「……はい」


 残念だが仕方ない。首謀者も捕まっていない現在、いつまた誰に襲われるか分からない状況だ。今回は無事だったから良かったようなものの、次も大丈夫だとは限らない。


「少なくとも、今回の首謀者が捕まるまでは、我慢して欲しい。ね、その代わり、君が退屈しないようにできるだけ遊びにくるようにするから」

「嬉しいですけど、無理はなさらないで結構ですよ」


 アルの思いやりのある言葉が嬉しい。笑顔になると、父がタイミングを見越したように言った。


「リリ、部屋に戻っていなさい。私は殿下ともう少し話がある」

「……はい」

「先ほど護衛が、ノエルを連れて帰ってきたと連絡があった。行ってやりなさい」

「ノエルが? ありがとうございます!」


 父からノエルの名前を聞き、私は急いで二人に挨拶をし、部屋を出た。

 父がノエルをだしにして、私を追い出したのは分かっていたが、元々長居するつもりもなかったし、その辺りは当然だと思っているので気にならない。


「ノエル!」

「にゃあ」


 部屋の扉を開け、愛猫の名前を呼ぶと、ソファの上で寛いでいたノエルが返事をした。

 ノエルを中に入れてくれたのだろう。ルークがすでにお茶の用意をしてくれている。


「さあ、お嬢様。お茶を淹れましたので、どうぞ。今日は疲れたでしょう」

「ええ」


 頷きながら、カップを手に取る。

 ノエルがゴロゴロと言いながら膝の上に乗ってきた。

 その頭を撫で、私は破落戸に襲われそうになった時のことを思い出していた。


「……まるで、ノエルが私を助けてくれたみたいだったわ」

「お嬢様?」

「いいえ、何でも無いの」


 どうしたのかという顔をするルークに、首を横に振ることで答え、ノエルの頭をもう一度撫でる。

 気のせいかもしれないけれど、だけどあの時、やっぱりノエルが助けてくれたような気がするから。


「ありがとう、ノエル」

「にゃあ」


 お礼はちゃんと言っておいた。





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