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「そういえば、クロエのデビュタントはいつなの?」
いつも通り孤児院に出かけ、子供たちの相手を一通り終わらせたあと、私はクロエに尋ねた。
子供たちは昼寝をして、起きているのは私たちだけだ。誰も聞いていないので、こういう話をしても構わないかと思ったのだが、彼女も同じ考えらしく、すぐに話に乗ってきた。
「そっか! リリのデビュタントはもうすぐって言ってたものね。私は、あと半年弱ってところかな。私の方があとだから、色々教えてくれる?」
「ええ、良いわよ」
伯爵の娘であるクロエも、もちろんデビュタントは控えている。同じ年だし、同時期なら良かったのだけれど、誕生日はわりと離れていたらしい。
ノエルを抱きかかえたクロエは、そのもふもふを堪能しつつ、私に聞いてきた。
「もう、ドレスは用意したの?」
「ええ、デザイナーが張り切って用意してくれているわ」
デザイナーの浮かれ具合を思い出しながら告げると、クロエの目はキラキラと輝いた。
「うわあ。きっとデビュタントのドレスを着たリリは、とっても綺麗なんだろうなあ。見たかった! エスコートは? やっぱり婚約者のアラン殿下?」
「ええ……その予定よ」
「わ! リリ、今すごく可愛い顔になった。いいなあ。恋する乙女って感じ!」
「もう、からかうのは止めてよ」
「ごめん、でも、リリを見ていると、早く恋をしたいなって思うの。恋をして、結婚したい。もちろん、そう上手くいくとは思っていないんだけどね」
「あなたなら良い人が見つかるわよ」
孤児院に通って世話をしているだけでなく、私と友達になってくれるような子だ。間違いなく、彼女は良い男を捕まえるだろう。
その時が来れば、私も私にできることで協力したいと思う。
「あ、もうこんな時間。リリ、そろそろ帰らなくて大丈夫?」
「あ、そうね」
時間を確認したクロエが私を急かしてくる。
いつも帰るより早めの時間。
今日は、ルークには別の用事を頼んでおり、連れてきていないのだ。
代わりに別の護衛を一人、呼んでいる。父の護衛の一人で、今までにも何回かルークの代わりを務めてもらったことがある。信頼の置ける護衛だ。
とはいえ、意外と心配性なところがあるルークは、自分がいないのだから、できるだけ早く帰ってくるようにと口を酸っぱくして言っていた。
私も、「デビュタントの話がしたいだけだから、それが済んだらすぐに帰る」と約束し、この帰宅時間となったのだが、まあ、ルークがそれで安心するというのなら良いだろう。
まだ昼の、子供たちが昼寝をするような時間。
こんな時間に帰るなんてと思うが、約束は約束。
「もう少しいたかったけれど、ルークとも約束しているから、帰るわ」
座っていた椅子から立ち上がると、クロエが真面目な顔をして頷いた。
「うん、その方がいいと思う。リリは公爵家のお嬢様なんだから。夕方になってからでは危ないわ」
「そういうあなたも伯爵家の令嬢なのだけどね? あなたこそいつも一人で心配だわ。いつもかなり遅い時間までいるじゃない。いい加減、護衛の一人も付けた方が良いわよ」
「私は大丈夫よ」
本当に心配しているのに、クロエは全く気に留めなかった。
彼女は伯爵令嬢だというのに、わりと自由なところがあり、護衛を連れていないことも多いのだ。
きっと父親の伯爵も心配していると思うので、護衛を付けるようにとたびたび忠告しているのだが、彼女は大丈夫だと笑い、本気には取ってくれない。
こうなったら、私個人で雇った護衛でもこっそりクロエに付けてやろうかと、最近では考えていた。
「もう……何かあってからじゃ遅いんだからね。ノエル、帰るわよ」
ノエルに向かって声を掛ける。ノエルはクロエの腕の中からぴょいと飛び出し、私の足下へとやってきた。その身体を抱きかかえる。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日ね、リリ」
孤児院の入り口までクロエが見送ってくれる。そこで待っていた護衛と一緒に孤児院の敷地内から出た。
「ごめんなさい。待たせたかしら」
「いえ、大体、予定通りですから問題ありません」
ノエルを抱え、護衛を連れて、屋敷に向かう。この教会へはかなり細い道を通るので、馬車は通れない。そんなに遠くもないので、毎回徒歩で通っていた。
細い路地を通る。もうすぐ大通りに出るというところで、護衛が私の前に出た。
「お嬢様、止まって下さい」
「何?」
厳しい制止に、私は言われた通り、足を止めた。護衛の顔は険しい。
「……誰かいるの?」
「一人ではありませんね。複数です」
「っ」
「大丈夫です。私が相手を引きつけますから、お嬢様は走って下さい。大通りを通って屋敷を目指して。あとで合流しましょう」
「……分かったわ」
今日の護衛は魔法ではなく剣が得意なので、狭い路地ではかなり不利だ。打ち合わせをしていると、私たちの後ろから、破落戸と思われる男たちが現れた。町にいる酔っ払いのような風体。集団で、明らかに私たちを狙っているということは、誰かに金で雇われたのだろうか。
男たちは、五、六、七……八人いる。
「……お嬢様に何のご用だ」
「お前には用はねえよ。そのお嬢さんをちょっと傷物にしてやろうと思っているだけだ。……邪魔するな」
「っ」
傷物、という言葉に反応した。彼らの言い方を聞いていても、彼ら自身の意志のようには思えない。
「……私を傷物にするってことは、アラン殿下と婚約したことを気に入らない貴族の誰かに頼まれたってところかしら。傷物にして、婚約を解消させて、自分たちが後釜に座る。……良く聞く話ね」
気分が悪くなる話だが、実際にそういうことは良く聞く。
自分たちが狙っていた婚約者候補にすでに相手がいた。それならその相手と結婚できないようにしてしまえばいい。
男なら、殺してしまえ。女なら――あとは言わなくても分かるだろう。
アルは第一王子だ。彼と婚約した私を羨ましい人はいくらでもいるだろう。だから嫉妬を人一倍向けられることになるのは分かっていたが、まさかこのタイミングだとは思わなかった。
私の冷静な態度に、男たちの方が動揺を見せた。
「な、なんだ。この女、びびらねえ」
「強がっているだけだ! ヤっちまえば皆、一緒だ!」
「お嬢様、お逃げ下さい!」
護衛が声を上げ、私を庇うように立つ。私はノエルを抱え、大通りを目指して走り出した。
「っ! 女が逃げたぞ! 追え!!」
後ろで金属音が聞こえる。護衛が何人かを引きつけてくれているのは分かったが、多勢に無勢だ。三人ほどが私のあとを追いかけてきた。
少し高めのヒールを履いているので、一生懸命走ってもスピードが出ない。
「よし! 追いつくぞ!! 地面に倒してしまえ!!」
すぐ後ろで男の声がする。もう少し、もう少しで大通りに辿り着くのに、ギリギリのところで間に合わなさそうだ。
「っ!」
万事休す。
それでも必死で走っていると、腕の中で大人しくしていたノエルが甲高い声で啼いた。
「にゃあ!」
「うわっ!!」
背後で大きな音が聞こえた。何事かと振り返ると、私たちを追ってきた男たちが全員、何かに躓いたように地面に転がっていた。
「えっ……何?」
「にゃあ」
「え、ええ。そうね。そんな場合ではないわね」
ノエルに咎めるような声で鳴かれ、私はハッと我に返り、路地を出た。大通りに着くと、大勢の人が行き交い、いままでが嘘のような穏やかさだ。
まだ追ってくるかもしれないので、息を整える時間を惜しみ、再び走り出した。のんびりとした雰囲気の大通りを、一人血相を変えて走る私を見て、町の人たちが不思議そうな顔で振り返っていく。
――ここまで注目を集めれば、きっともう追ってこない。
それでも何があるか分からない。もしかしたら、第二陣がいるかもしれない。そう思うと、足を緩めることはできなかった。
「リリ!」
「アル!?」
前方から声が掛けられる。顔を上げると、馬に乗ったアルが、慌てた表情でこちらに駆けてくるのが見えた。アルは私の側までやってくると、馬から降り、思いきり私を抱き締めた。




