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「もうすぐ、デビュタントなのよね……」
ドレスの図面を見ながら、私は小さく溜息を吐いた。
この国では、十六で社交界デビューをすることが決まっている。十六歳になって初めて来る王家主催の夜会。それが、デビュタントの日と決められているのだ。
私にも、そろそろその時期がやってきていた。
デビュタントのドレスは白と決まっている。実は一年以上前からデビュタントのドレスを作り始めていたのだが、そのドレスはとてもお金の掛かった、派手なものだった。
その時の私は、誰よりも目立たなくてはと、一種の使命感さえ覚えながらデザイナーに図面を引かせていたのだが、今回、図面の最終確認だと言ってやってきたデザイナーとの打ち合わせに、私はこめかみを押さえていた。
――よく、こんなものを作ろうと思ったわね、私。
自分のやってきたことを否定したくはないが、これは酷い。
優秀なメイドのおかげですっかり服装の好みが変わってきた今の私には、こんな派手なドレスは御免被りたいところだ。
「……もう少し、地味にできないかしら。あんまり力強い感じに仕上げたくないのよ……」
「はあ?」
申し訳ないと思いながら要望を告げると、デザイナーは愕然としながら私を凝視してきた。
「リズ様? ええと、わたくし、何かお気に要らないことをしてしまったのでしょうか?」
窺うような声は震えていた。不興を買ってしまったと思わせてしまったのだろう。
私は慌てて否定した。
「ち、違うの。その、ここ数ヶ月で、私、服装の好みが変わってしまって……その、今見ると、結構辛いというか……」
正直に好みが変わったことを告げると、デザイナーはホッとしたように息を吐いた。
「そ、そうでしたか。いえ、でも確かに、本日のリズ様はいつもと様相が違うなと思っておりました。その……雰囲気が全く違って驚きましたが、とても良くお似合いです」
「ありがとう。まあ、そういうわけなの。でも、急な話だし、無理は言えないわね。これを発注したのは私だし、いいわ。デビュタントはこれでいく」
これで我が儘を押し通しては、以前までと何も変わらない。
それに気づき、私はデザインを変えるのを諦めた。だが、デザイナーは図面を見ながら「いいえ」と言った。
「今までのリズ様とは全く違いますが、なんでしょう……妙に、創作意欲がかき立てられると言いましょうか……今までとは正反対の柔らかな素材を使って……でも、リズ様のお顔に合うようにうまくバランスを取りたいところね。あまり甘くすると浮くかしら。ううん、せっかく白のドレスなのだもの。清楚な初々しい雰囲気を前面に押し出して行きたいわ……! くぅっ! 私の腕の見せ所ね!!」
「えーと……だから無理はしなくて良いのだけれど」
一人ブツブツと呟きだしたデザイナーの目は、ギラギラと輝いていた。
「無理なんかじゃありません! ええ、やってみせますとも! デビュタントまでにかんっぺきなドレスをご用意して見せます! ああ、アイデアが湯水のごとく湧いてくるわ! こんなの久しぶり!! 楽しい! リズ様、感謝致します。こんなにワクワクした気持ちはここ数年感じたことがありません! 是非、わたくしに任せて下さいっ」
「そ、そう……。変えてくれるというのなら、お願いするけど……そうね、雰囲気を変えてもらえるならデザインに口は挟まないわ。あなたが良いと思うようにやってちょうだい」
迷惑が掛からないというのなら、私としても変えてもらった方が有り難い。白のくせにやたらと自己主張の強いドレスは、今の私にはちょっと遠慮したいデザインなのだ。
私が好きにして良いというと、デザイナーは更に顔を輝かせた。
「嘘、本当に!? わたくしが好きに作っても良いのですか? 嬉しい! ええ! ええ! お任せ下さいっ! 最高のドレスを作って見せますわ! では! 図面を引き直したいので、本日はこれで失礼させていただきますわね!」
さささっと図面を片付け、デザイナーはスキップをしているかのようにウキウキと屋敷を出て行ってしまった。
「……あんなテンション、初めて見たわ」
うちのお抱えデザイナーは、わりと淡々としたイメージがあったのだが、あんな顔もできたのか。
もしかすると、私は自分の好みを押しつけるあまり、彼女のデザイナーとしての可能性を潰していたのかもしれない。
「信頼して、任せていただけたのがきっと嬉しかったのでしょう」
後ろにずっと控えていたルークがそう言う。私はそれに頷いた。
「そうね。今まではどんな些細なことにも口出ししていたから。でも、考えてみたら、信頼しているデザイナーに対して失礼だったわよね。ある程度の好みを伝えるのは当然としても、あとはプロに任せるべきだったわ」
「そう思われたのなら、これからはそうなさると良いのではないでしょうか」
「ええ」
ルークの言葉に首肯する。
だけど、ドレスのデザインを変えてもらえそうで助かった。
実は、デビュタントの日は、アルがエスコートをしてくれるのだ。この間、彼が来た時に聞いたのだが、「婚約者のデビュタントだよ? 僕がエスコートしないで、誰がエスコートするって言うの?」と当たり前のように言われ、とても嬉しかった。
その際に、前回告白してもらった返事をしようと思ったのだが、最後まで言わせてもらえなかった。
「その返事は、デビュタントの夜会の時に聞かせて欲しいな」
と、そう言われたのだ。
「君のその真っ赤な顔。僕は期待していてもいいのかな?」
なんて続けられ、私は更に顔を赤くしながら何度も首を縦に振った。
もうこの時点で、答えなどバレバレのような気もするが……大事なのは形なのだ。
「お嬢様、何をニヤニヤなさっているのです?」
「な、何でもないわ」
アルとのやりとりを思い出していると、怪訝な声でルークに言われた。急いで表情を引き締める。
ルークがそんな私を見て笑いながら言った。
「そういえば、ユーゴ様が午後、ノエルに餌を持ってくるとおっしゃっていらっしゃいましたよ」
「まあ、兄様が? それなら部屋で待っていた方がいいわね」
「はい。本日はヴィクター様も参加なさるそうです。お茶もご用意しましょうか?」
「ええ、そうね、お願い」
ノエルの件で和解して以来、ユーゴ兄様はちょくちょくノエルに餌を持ってくるようになっていた。
二人で餌を食べるノエルを眺めるのはなかなかに至福の時間だ。まったりとどうでもいい話題を話しながら過ごす時間は確実に増えていた。
代わりに、ユーゴ兄様の『お気に入りを呼んでのお茶会』はその数を減らしていた。
「止めたわけではないよ。ただ、今はこいつを見ているのが楽しいんだ。……ぶっさいくなのになあ。うん、やっぱり可愛く見える。不思議だなあ」
「兄様、褒めるか貶すかどちらかにして下さい」
「何言ってるの。褒めてるに決まってるでしょう?」
「……そう、ですか」
こんなやりとりをしているのだが、最近はそれにヴィクター兄様も時折加わるようになった。
ヴィクター兄様は最初は、ユーゴ兄様を無視していたが、何度かノエルの餌やりに参加し、そのうちユーゴ兄様に話題を振るようになっていった。
ヴィクター兄様もユーゴ兄様が変わろうとしていることに気づいたのだと、多分、思う。
最初は驚いていたユーゴ兄様も、今ではリラックスした表情でヴィクター兄様と会話をしている。
ノエルのおかげで、兄弟三人が、何の含みもなく一緒の時を過ごすことができている。
これは『悪役令嬢』全開だった私の時には絶対にできなかったことだから、これだけでも『悪役令嬢』になりたくないと奮起した甲斐があるなあと思っていた。
とはいえ、勿論私は現在も、ウィルフレッド王子に「私のどこが、『悪役令嬢』だとおっしゃいますの?」といつか言ってやろうと思っている。
しつこいと言われようと、元々の目的なのだ。そこは見失いたくない。
「ヴィクター兄様もいらっしゃるなら、お茶菓子も用意してちょうだい。せっかく三人でお茶ができるのですもの。ゆっくりできるようにしたいわ」
「承知致しました。料理長に伝えておきます」
「お願いね」
ウキウキした気持ちになる。
アルとの婚約もそうだけど、ルークや二人の兄様たちともこんな風に過ごせるようになるとは、少し前の私では想像もできなかった。
少し変わろうと頑張れば、周りは応えてくれるし、助けてくれる。
今までの私はあまりにも頑なで周囲を見なかった。まず、変わろうとも思わなかった。
だから、どんどん孤立してしまった。
今ならそれが分かる。
「助けてって言えば、意外と人は助けてくれるのね」
だけど、最初に私に向かって手を伸ばしてくれたのはアルだ。
彼がいなければ、私は今も自覚のない『悪役令嬢』のままだった。
「全部、アルのおかげ」
彼のおかげで、今、私はここにいる。
デビュタントの夜、彼に私の気持ちを伝えよう。
恥ずかしいけれど、アルが喜んでくれるのなら、きっと頑張れるし、頑張りたいと思うのだ。




