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◇◇◇


 また、少し時間が経った。

 ユーゴ兄様は、私と喧嘩をして以来、微妙に私を避けるようになった。

 食堂で食事をする時などは普通なのだが、応接室やライブラリーで会うと、気まずそうな顔をして、そそくさと逃げてしまうのだ。

 それにこちらも微妙に嫌な気分になったが、代わりにと言って良いかは分からないが、ヴィクター兄様が話しかけてくるようになっていた。

 最初は、ほんの一言、二言だった。

 孤児院の様子を聞いてきたり、具体的に私が何をしているのか興味を持ったり、クロエの話を聞いてきたり。

 これも調査の一環だろうかと、少々面倒に思いながらも真面目に答えていたのだが、どうやらそういうわけではないらしい。

 私が孤児院のことを、クロエのことを語る度、少しずつ、兄の態度は緩和していった。

 今日も兄は出かけようとする私を捕まえ、気軽に話しかけてくる。


「リリ、今日も孤児院へ行くのか」

「はい。クロエが待っていますから」


 そう答えると、兄は「そうか」と頷き、私が手に持っていた本に目を向けた。


「それは?」

「子供たちに読み聞かせをしようと思いまして。孤児院の本は少ないですから。私の部屋の本棚から、絵本を持ってきたんです」


 この本は、昔、父に買ってもらったものだ。大事な本なのでさすがに寄付することはできないが、持っていって読んであげることくらいはできる。


「それは子供たちも喜ぶだろう。……本が足りないようなら、私の部屋からも何冊か持って行きなさい。それこそ子供の頃に読んでいたものがいくつかある。今夜にでも用意しておこう」

「ありがとうございます。助かります」


 子供たちに読み聞かせる新たな本がなくて困っていたのは本当なので、兄の申し出は本当に嬉しい。感謝の気持ちを込めて頭を下げると、兄はほんの少しではあるが微笑んだ。


「では、私は登城する」

「いってらっしゃいませ、お兄様」


 今から城に向かうという兄を見送る。ここ数日、今のように少しだけだが笑顔を見せてくれるようにもなっていた。

 少しずつ、だけど確実に、兄は私のことを認めてくれるようになっている。

 それが分かるのがすごく嬉しい。

 話してみれば、アルが言ったとおり、兄は厳しいことも言うが、とても優しい人だということが分かった。厳しくも公正な人。

 私が孤児院で何をしているか、何をし続けているのかをきちんと知った兄は、今までの態度を緩和させることを決めたのだろう。こうして兄が普通に話しかけてくれるのは、きっとその賜なのだ。


 ――ヴィクター兄様と関係を改善できて良かった。


 ユーゴ兄様とは気まずくなってしまったけれど、一番難関だと思っていたヴィクター兄様とこうして話せるようになったのだから悪くはないはずだ。

 私がヴィクター兄様と談笑しているのを偶然見たユーゴ兄様が、ギョッとしていたのを思い出す。ユーゴ兄様は慌てて逃げていったが、それをヴィクター兄様は冷たい目で見つめていた。

 その冷たい目にあまりにも見覚えがありすぎて、当事者でなくなった私もキュッと心臓を掴まれたような気持ちになった。


 ――二度と、兄様にあんな目で見られたくない。


 そして、あの目で今もなお見られ続けているユーゴ兄様を何とかしたいと心から思う。

 ユーゴ兄様も、決して悪い人ではないのだ。

 私をずっと可愛がり続けてくれたあの人にも、良いところはたくさんある。それを私は知っている。

 ただ、兄様も私と同じ。

 そういう風にしか生きられなかった。誰も、それが間違いだと教えてくれなかった。

 私にはアルがいたから良かったけれど、ユーゴ兄様には誰もいない。

 だから、私がユーゴ兄様の力になれれば良いと思っていた。

 とはいえ、話し合おうとしてもユーゴ兄様はすぐに逃げてしまうので、なかなか話し合う機会を作ることができないのだが。


 ――どちらの兄様とも仲良くなりたいな。


 これは、『悪役令嬢』になりたくないからではない。

 ヴィクター兄様のことも、ユーゴ兄様のことも、私は好きだと思っているから。

 だから、どちらの兄とも親しくありたい。

 そして、兄同士も仲が良ければもっと嬉しい。


 ――皆、仲良くなれれば良いのに。


 少し前までの私は、自分一人が楽しければ良かった。だけど今は、それだけではなく、自分の大好きな人たちも幸せになってくれればと思うようになっている。

 気持ちが変化していく。

 私が私でなくなっていく。だけど、変化した私も、紛れもなく同じ私だ。


「悪く、ないわ」


 気をつけて周りを見回してみれば、こんなにも皆が、優しいのだと気づく。

 そして、優しさには優しさで応えたいと思うようになっていく。

 それは気がつきさえすればすごく簡単なことで、だからこそとても難しいのだということを私は知っている。


「お嬢様、そろそろ時間ですよ」

「ええ、今行くわ」


 ルークが声を掛けてくる。

 それに返事をしながら、私は上機嫌で、今日も孤児院へと出かけるのだった。


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