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使用人サラの細やかな溺愛  作者: 丹空 舞


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カミーユ・ド・ベルモン


 ベルモン侯爵家の跡継ぎ。親しみを込めてカミロと愛称で呼ばれることもある。悪妻に振り回されて離縁し、男やもめに。




サラ・ローラン


 子爵家の娘だったが、市民革命により没落した。使用人として働いている。カミーユには拾われた恩義がある。


※フランス語注釈

・ヴルール…ビロード

・ラソワ…絹

・シトロン…レモン

・オリヴィエ…オリーブ


サラはかつて、ヴァレリアン公爵家で働いたことがある。

若い頃、もう何年も前になる。


メイドの見習い期間の最中、事件は起きた。

絶対に入ってはならないと言いつけられていた、ファンシーな隠し部屋を見てしまい、中に入ってしまったのだ。

少し掃除をするだけのつもりだった。

しかし、それが執事のクレマンにばれて、即座にやめさせられてしまった。



「善意が誰かを傷つけることもあるのですよ」



と、クレマンは諭すように告げた。


サラはそのとき悟ったのだった。

よかれと思っておせっかいをする自分の癖は、メイドとしては致命的なのだ、と。


それからサラは心を入れ替えた。

自分の仕事以上のことをするのは、悪なのだ。

おせっかいも行き過ぎれば疎まれる。

メイドは職分を弁えなければならない。

言いつけられたことを忠実に守り、余計なことはしない。


その後、サラはラルエット家の後妻に雇われる形で、家政婦の職を得た。

待遇は悪くはなかったが、何分、心の痛むことも多かった。

後妻たちはサラを虐めこそしなかったが、先妻の娘のレベッカ嬢に何かにつけてはきつく当たった。


そんなレベッカお嬢様が、あのヴァレリアン公爵家に嫁ぐことになったなんて――。

サラはどうにも複雑な気持ちだった。

ヴァレリアン公爵といえば、邪知暴虐の裁判官と名高い。

レベッカ嬢はいったいどうなってしまうのだろう。


少しぽよよんと気が抜けて世間ずれしているところはあれども、レベッカはとても良い子だ。

おせっかいをするものか、と心に決めていたサラの決心が日に何度も揺らぐくらいには、真っ直ぐな心根の少女だった。


レベッカは正式にヴァレリアン公爵家に嫁いだらしい。

後妻や、後妻の娘のエミリーは、せっかく幸せになろうとしていたレベッカの足を引っ張ろうと画策していた。


サラは悩んでいたが、最後には決断した。

過去は過去。

苦しんだ過去に引きずられて、未来までダメにはしたくない。


決心したサラの行動は早かった。

長い間働いていたから、後妻の奥様の考え方は手に取る ように分かった。

使用人が宝石箱を触っていれば、宝石を盗むと決めつけるような人間だ。

ならば それを逆手にとってやろう――。


そしてサラの計画は、見事に成功した。

宝石箱を触っていたところを目撃されたサラは、奥方の逆鱗に触れて、鞭打ちの罰を受けて屋敷を追い出された。

だが、サラの本願は別のところにあった。


後妻が昔、娼婦まがいのことをして、取り交わしていた金の記された裏帳簿と、男たちとの放埒な手紙。


宝石に目が眩んでいる後妻たちには、クローゼットの奥に隠していた手紙のことなど全く意識にのぼらないようだった。

念には念を入れて、演技をしたかいがあった。

屋敷の裏に埋めていた、油紙に包んだ紙束はノーマークだ。


手紙の小さな包みだけを抱えて、サラは血の滲み続ける背中のままで、ひたひたと夜道を歩いた。

靴さえ渡されなかったので、裸足のままだ。

冷えた夜の石畳が、サラの足の裏の柔らかい皮膚を痛めつけた。


部屋の荷物は、きっと捨てられたか燃やされたかしているだろう。

孤児院出身のサラには、そこまでたくさんの荷物はない。

いつもつけているロザリオだけが両親のゆかりの品で、それ以外に大切なものはほとんどなかった。

美味しく使っていたシトロンの蜜漬けの瓶を置いてきてしまったのは残念だ。栄養があるからと、薬代わりに作っていたのだ。


雀の涙ほどの給金も、数着あったドレスも、少ない私物の全てを失ってしまった。

けれど、大切なものを一つだけ手に入れた。


「おせっかいが過ぎるわね」


サラは道ばたに座り込んだ。

自分でも可笑しかった。

これまで数年間、余計なことをしないように、目立たないようにと耐えてきたのだ。

それなのに、最後はレベッカ様をどうしても見捨てられなくて、こんな詐欺師のような真似をしてしまった。


レベッカお嬢様に、どうにかしてこれを渡さなければ――。


サラは無計画ではなかった。

以前、ヴァレリアン公爵家に仕えていた際、一度屋敷を尋ねて来た男性がいた。


カミーユ・ド・ベルモン。


ベルモン侯爵家の跡継ぎ。シャルルとは学友らしく、親しみを込めてカミロと愛称で呼ばれていた。

高慢そうだが美しい奥方を連れていたけれど、本人はいたって温厚そうな紳士だった。


貴族は貴族と繋がっている。

ヴァレリアン家に近付くならば、ベルモン侯爵家に入り込めばいい。


ちょうど、ベルモン侯爵家ではメイドがごっそりと辞めてしまっているはずだ。

先日、サラが街に買い物に出たときに、町人たちの間でもずいぶん噂になっていた。


パン屋の女将は首をふりふり、それでも饒舌に教えてくれた。


「ベルモン侯爵様でしょう。おかわいそうにねえ。あの女、悪妻で有名だったものね。全く酷いもんだよ、結婚前から関係のあった若い男たちと……なんくせや言いがかりをつけて、ベルモン家の財産をごっそり持ち逃げして、挙げ句の果てに離縁だってねえ。もともと婚約も家と家との間の取り決めで、望んでなかったんだなんて吐き捨てたらしい」


だからこそ、サラは大胆に行動できたのだ。

辞めていった使用人やメイドたちは、ベルモン侯爵に見切りをつけたのだろう。

財産を持ち逃げされて、離縁されて何もしないだなんて、気概が無いにも程がある。



だからこそ、チャンスなのだ。



「この道を行けば、カミーユ様のお屋敷……のはずだけど」



座り込んだサラは、震える腕をぎゅっと抱えた。

懲罰を受けたせいで、背中じゅうが痛む。

熱が出てきたかもしれない。

とにかく全身が重たかった。



するとそのとき、石畳をガラガラと何かがやってきて、道ばたに座り込んでいたサラの目の前で止まった。


顔をあげると、そこには濃紺の馬車が停まっていた。

街灯のぼんやりとした光に照らされて、金色で描かれたオリヴィエの枝と盾の紋章が浮かび上がった。

馬車は重厚な箱形をしていて、丁寧に磨かれていた。


ラルエット伯爵家の馬車にも紋章が入っていたが、これほど大きくはなかった。

馬も全く違う生き物のようだ。

伯爵家では老いた雌馬と、痩せていてすぐに疲れる雄馬が二頭だけだったが、この馬車は見事だ。

毛並みが揃って美しい栗毛の馬が二頭、静かに待っている。

よく訓練されているのだろう。

全く騒がない。


これだけを見ても、相当に身分の高い人間が乗っているのはすぐに分かった。

サラは身構えた。


目障りだ、と言いがかりをつけられて、斬り付けられでもしたら――。


車輪が止まり、身軽な御者は走るように滑り出て、扉を開けた。

中の紅色をした布張りの座席が見える。

あれは、ヴルールかラソワだろう。

少しすり切れているようだが、大切に使われている。



「大丈夫ですか?」



中から顔を出したのは、白い顔をした男だった。

肩幅はあるが、丸みを帯びていて、腹回りもふくよかだ。

顎にも肉がのっていて、お世辞にも美男とは言いがたい。


しかし、緑がかった瞳は優しかった。

少し垂れ目がちにこちらを見つめてくる紳士に、サラはどぎまぎしながら頭を下げた。



「怪我をしているのですか」


「はい。お恥ずかしいのですが、勤めていた屋敷を追い出されるときに、懲罰を受けまして」


「懲罰?」


「背を打たれたのです」




カミーユは微笑みを引っ込めて真剣な顔になると、サラの近くに歩み寄った。


御者が制止するのも無視して、カミーユはサラの背に回る。



「ああ……なんて酷いことを。血が出ているよ。ちょっと待って」



男は懐からハンカチーフを出した。

真白い布をためらいなく、サラの背に当てる。



「カミーユ様ッ! お辞め下さい」

と、目を丸くして御者が叫ぶ。

近くに寄って止めたいが、馬を放っておくわけにいかないので離れられないのだろう。


正直なところ、サラも御者の青年と同じ気持ちだった。

貴族のハンケチーフの値段など、下手をしたらサラの一ヶ月分の給料に相当する。


どこまでも人の良さそうな貴族様だ。


そこでサラは、はた、と気が付いた。


そういえば今、カミーユと聞こえた。

ということは、この男は。




「僕の屋敷がすぐそこにあるんだ。君は追い出されたと言っていたね。じゃあ、僕のとこで働いてくれないかな? もちろん、傷が治ってからでいい。」





それが、ベルモン侯爵家カミーユと使用人のサラの、最初の出会いだった。




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