第11話 ……お任せください
「鏡? ――ああ、栄華の鏡でございますね。
おそらく、封印庫に保管されているのではないかと」
(封印庫……)
その言葉を耳にした瞬間、目眩がした。
場所は定かではないが、名が示す通りなら厳重な結界と管理が敷かれているはず。
そこに足を踏み入れようとすれば……
どれほど目立ちたくなくても、否応なく注目を集めてしまうだろう。
それだけは、絶対に避けたい。
「あの鏡が、どうかされたのですか?」
ニアは不思議そうに小首を傾げる。
私は無理矢理微笑んだ。
「め、珍しい魔道具だったから、ちょっと興味があって」
平静を装ったつもりだったが、ニアはすぐに眉を下げた。
「さようでございますか。……ただ、恐れながら、
ファルネスさまのお立場では、入室のご許可はいただけないかと……」
「……そりゃそうよね」
階位に伴う制限は厳格で、妃といえどすべてに自由が利くわけではない。
「陛下に直接お願いされてはいかがでしょうか。
陛下のお言葉があれば、見学くらいはお許しいただけるかもしれません」
「いや、それは無理よ!」
反射的に、声が鋭く跳ねた。
こちらからテオドリックに接触する――その選択肢だけは、絶対にありえない。
もし彼に理由を問われたら答えられない。
あの真っ直ぐな青の瞳に見据えられたら、今度こそ何が起きるか……。
「ですが、陛下はファルネスさまをご寵愛なさっているのではございませんか」
ニアの声音は穏やかだが、納得していない様子だ。
「残念だけど、ただの気まぐれだったのよ」
「気まぐれで妃をお召しになるようなお方には、とても思えませんが……」
「私の口から言わせないで。惨めになるでしょ。
期待をさせてしまって悪いけれど、もう二度とお会いすることもないんだから。
……ねっ?」
「……ですが」
なおも食い下がろうとするニアに、私は首を振った。
「無理を言ってごめんね。他に手立てがないか、考えてみるわ」
立ち上がった私を、ニアが見上げてくる。
――まるで見放された子犬のようだ。
「お役に立てず、申し訳ございません」
「ちがうわ。制度上の問題よ。あなたのせいじゃ……」
慌てて否定しかけた、その直後。
「あ!」
ニアが弾かれたように声を上げた。
閃きを得た顔で、両手をパチンと叩く。
「エイデン先生なら、陛下へ口添えしてくれるかもしれませんよ」
――また厄介な名前が出てきた。
「なぜここでオスカー……エイデン先生が出てくるの」
「剣聖宮の中でも、お二人ほど仲がよろしいと評判の方々はおりません」
(……あの二人が?)
「それにエイデン先生は、陛下に殊のほか尽くしておられるとも聞き及んでおります」
「……えっ」
主治医に抜擢されたのは、その腕を買われたからだろう。
だが、オスカーがテオドリックにそこまで情を寄せているとは思いもしなかった。
この五年のあいだに、一体何があったのだろうか。
「何かあれば、遠慮なくお知らせを、と先生自らお声もかけてくださいました」
「それは体調のことに関してだけじゃないかしら」
深くため息を吐いた。
「せっかくだけど、諦めるわ。あの人は、ちょっと苦手だから」
「そんな! 先生は大変慈悲深く、お優しいお方でございます」
(よく演技してるわね、あいつも)
あの男に「栄華の鏡」の話なんて持ち出したら、すべてを見透かされるに決まっている。
テオドリック同様、できるだけ関わらずにいたほうがいい。
(……別の手を考えよう)
焦りはある。
だが、焦って踏み込めば、痛い目を見るだけでは済まない。
今はまだ、動かないほうがいい。
(妃たちの嫉妬が完全に収まるまでは、情報収集に徹したほうが得策ね)
「ありがとう、ニア。ここまでにしておきましょう」
「……ですが、ご興味があったのでは?」
「いいのよ、もう。さ、夕食へ向かいましょ」
「……はい」
私はドレスを翻し、ニアに背を向けた。
その時、ふと背後から――
「ニアにお任せください……ファルネスさま」
小さく、けれど確かに。
そんな声が耳に届いた気がした。




