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死にゆく勇者を救うため、妃として後宮に潜入しましたが、私の命も危険です  作者: 桐山なつめ
第3章(前編)魔女と医師には裏がある

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第6話 誰の指図か

「以後、必要に応じて対応させていただきます」

「ええ……」


 アイリスは、静かに頭を下げた。

 型を乱さず、角度も速度も一定……

 だが、それは礼儀というより、与えられた役目をなぞっているだけのように感じられた。


 私は階段を下りることも出来ず、ただ目が離せなかった。

 声を交わす前から感じていた緊張が、確かなものに変わる。


「……」


 顔をあげたアイリスの表情からは、なんの感情も読み取れない。

 そして挨拶はもう済んだはずなのに、彼女は微動だにしない。


「あの……まだ、なにか?」

「……お部屋に関しては、大変でございましたね。

 お怪我がなくて、何よりにございます」


 声は柔らかく整っている。

 だが、抑揚の置き方が妙に硬い。女官の滑らかさとは、全く異なる。


「差し支えなければ、今までどちらに行っておられたのか、確認してもよろしいですか」


 一瞬、言葉の意味を取り落としかけた。

 冷たい尋ね口に、詰問されているような息苦しさを覚える。


「……ニア・レイスンの見舞いのために、白花の館(ブランシュ・メゾン)に滞在していたわ」

「承知いたしました」


 アイリスは瞬きもしない。

 何かを記録するように冷静に、私の言葉を処理しているのが伝わってくる。

 まるで、監査でも受けているような居心地の悪さだ。


(……なんなの?)


「念の為、本殿への接触は、しばらく控えられたほうが安全かと存じます」

「……ええ。そうね」

「また、来客および贈答物に関しては、今後すべて私が事前に監査を行います。

 必要があれば、私のほうへ逐次報告をお願いいたします」

「……ちょっと待って?」


 私は衝動的に階段を駆け下り、彼女の正面に立った。

 見上げた瞬間、悟る。

 彼女は驚くほど背が高い――


 おそらく、180センチは優に超えるだろう。

 真正面から向かい合うと、自然と首が仰け反った。

 高い位置から注がれる、昏い視線にゾクリと寒気がした。


「なにか」

「……あの。報告は、家政頭のハルにするのではなくて?」

「いいえ。以後は私が管理します。異議は認められておりません」


 それは配慮でも提案でもない。


 ――命令だ。


(どうして配属されたばかりの女官が、ここまで仕切る?)


「……それは、ハルも承知のことなの?」

「確認済みです。問題ありません」


 アイリスは再び形式だけの……心のこもらない礼をした。

 私は気づかれないよう、彼女の体を上からなぞるように観察した。


 背筋、肩の構え、足の位置――どれも、型通りで隙がない。


(……妙な魔力の気配)


 感知しようとせずとも、そこには確かな揺らぎがあった。

 衣の下、肌から滲むように魔力の薄膜が広がっている。


「それでは、持ち場へ戻ります」


 アイリスは簡潔にそう言うと、背を向けた。

 そのまま歩き出す足取りに、迷いはなかった。

 足音は静かだが、歩幅は驚くほど大きい。

 腰が揺れないその歩き方に、兵の訓練の痕が滲んでいた。


 アイリスの姿が廊下の曲がり角で消えたのを見て、私はようやくほっと息をついた。


(……どんなに魔法で繕っても、癖は隠せない)


 音のない廊下に、心臓の音だけがやけに大きく響いていた。


 ◆ ◆ ◆


 応接室には、誰の姿もなかった。

 室内をもう一度ゆっくり見回したあと、重たい扉を後ろ手で閉めた。


 小さくため息をつき、中央の三人掛けのソファに腰を下ろす。

 背もたれに体を預けながら、室内に視線を巡らせた。


 かつてグリゼナの姿見が置かれていた壁面には、今は何もない。

 絵画に擬態していた魔道具も撤去され、壁には空白だけが残されている。

 装飾がほとんど削ぎ落とされた応接室は、黒い壁紙と床が相まって、

 空気そのものが鈍く沈んでいるように見えた。


 目を閉じると、置き時計から響く秒針の音が、静かに耳を打つ。


(体が重たい……)


 封魔の環(シール・リング)の負荷は想像以上だ。

 常時、変身魔法をかけているせいで、いっときも気が休まらない。


 誰もいないし、少しだけ外してしまおうか。

 指輪に手をかけ、すぐに止める。


(……我ながら、油断しすぎ)


 ふと、さきほどの女官――アイリス・ゼレンの姿を思い返す。


(やっぱり、あの人も変身魔法をかけてるわよね……)


 一見すれば完璧に、()()()()()

 だが、仕草も、声の調子も、()()の名残が残っている。

 滲み出る癖までは、隠し通せていないのだ。


(……誰なんだろう)


 階段の下で、私の帰りを『待っていた』としか思えない登場。

 異常に手際の良い采配。そして、あの態度。

 何かあれば自分に報告せよという指示も、違和感だらけだ。

 序列を無視してまでそうする理由と、強すぎる権限が気になる。


 脳裏にテオドリックとオスカーの顔が浮かんだ。


(まさか、どちらかの指図……?)


 ……いや、考えすぎだろうか。

 だが――。


(ノワール・マナーに戻ってきても、息もつけないなんて)


 はあ、と額に腕を当てて息をついた。


(……私も無意識に癖が出てるかも。もっと意識してシャロンになりきらなきゃ)


「……」


 気を抜くと、このまま微睡みに落ちてしまいそうだ。

 ちらりと目を開いて時計を見る。

 時刻は十八時を過ぎようとしている。そろそろ夕食の時間だ。


 テーブルマナーの勉強もできていない。

 これ以上恥をかくのは、さすがに避けたい。


(……夕方には退院と言っていたし。そろそろ帰ってくるかしら)


 ニアがついていれば、色々と教えを請うことができる。

 アイリスのことも、相談できるかもしれない。

 そう思うと、あの小さな侍女の帰りが、より待ち遠しくなった。


 と、そこで。

 合図もなく、応接室の扉が開かれた。

 顔をあげると、ロロとユリが入室してくるところだった。


(うわ……!)


 ユリは小脇に二つ折りのチェスボードを抱えている。

 どうやら、夕食前に一勝負するつもりのようだ。


 彼女たちは私がいるとは思っていなかったようだ。

 目が合うと、ロロは目を瞬き、ユリは軽く頭を下げた。


「なんだ、帰っていたの」


 ロロはふんと鼻を鳴らすと、ヒールの音を立てながら近寄ってきた。


「どいて」


 まるで犬でも払うように手を振られ、私は渋々立ち上がった。

 ソファを追われ、脇にあった丸椅子へ腰を下ろす。

 ロロは今まで私がいたソファの中央に、当然のように腰を下ろし、

 ユリはその正面の椅子へと静かに座った。


 テーブルにチェス盤を広げると、二人は無言で対局を始める。

 最初こそ息を詰めて様子を見守っていたが、彼女たちは私の存在など忘れたように駒を動かしている。

 静かな応接室に、二人のドレスの衣擦れの音と、駒を置く音が静かに響いた。


 だんだん気まずくなってきて、腰をあげようとした――そのとき。


「運が良かったわね」


 不意に、ロロが独り言のように呟いた。


 燃やされた部屋のことを言っているのだ。

 彼女の視線は、盤に向けられたまま。

 膝の上で腕を組んでいて、こちらを見ようともしない。


「……そうですね。危ないところでした」


 ロロの手が、静かに駒を置いた。


「死んじゃえばよかったのに」


 その言葉に、思考が止まった。

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