表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死にゆく勇者を救うため、妃として後宮に潜入しましたが、私の命も危険です  作者: 桐山なつめ
第3章(前編)魔女と医師には裏がある

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/44

第2話 沈黙の聴診

「おっしゃっている意味が、よくわからないのですが」

「……貴女さまは、魔女でいらっしゃいますからね」


 刺すような一言とともに、オスカーはペンの軸を指先で転がした。


「陛下を惑わすような術を――行使なさった可能性は、ございませんか?」


 あまりにも唐突な言葉に、思わず声がひっくり返りそうになった。


「そ、そんなこといたしません!」


 だがオスカーは表情を一切変えず、ただこちらを見つめている。

 その視線は、皮膚の内側まで見透かすように鋭く、冷たい。


 窓辺から差し込む朝陽が、彼の眼鏡の銀縁に反射して微かに煌めく。 

 それはまるで、神の威光が彼に降りているかのようで――

 聖職者としてのオスカーの輪郭を、いっそう際立たせていた。


「……この後宮には、数多の魔女がおります」


 説き伏せるかのような、静かな声音。


「皆、陛下の寵愛を得るためなら、手段を選びません。

 そのような中で、即位後、初めて寝所に招かれたのが――新たに迎えられた影妃殿。

 貴女さまのご動向に、違和感を覚えるのは、むしろ自然なことです」


 彼は眼鏡のブリッジを指先で持ち上げると、

 レンズ越しにこちらを見つめたまま、視線をすっと私の体へと滑らせた。

 値踏みするような目つきに、背筋が冷えた……が。


「お顔立ちはごく平凡でいらっしゃいますし、

 男心をくすぐるような愛嬌も、特段お持ちには見受けられません。

 後宮にふさわしいご体躯というには少々……官能的な魅力などにも、欠けておられるように思います。

 それにもかかわらず、陛下が殊のほかご執心とは――いささか不可解でございます」


 オスカーの言葉が終わるのと同時に、侍女がわずかに肩を震わせた。

 口元に手を当て、目を伏せて笑いを堪えているのがわかる。


(な、なによ……! しょうがないじゃない!)


 思わず手を握りしめた。

 怒りと羞恥が胸に込み上げ、ソファから立ち上がりそうになる。


 昔から、人の痛いところを平然と突く男だった。


 (気にしていることをズケズケと……!)


 カチリ。

 ペンのキャップを外す音が、静かな部屋に響いた。

 オスカーは手帳を開くと、ため息をつく。


「万が一にも何か特別なご事情があるようでしたら――

 状況に応じて、宮内にて()()()()()()()などの措置を講じる場合もございます」


 声の調子が変わった。


(つまり、幽閉されるってこと……!?)


「もう一度お尋ねいたしましょう。

 ……陛下と、どのような話をされましたか?」


(言うしかないか……)


 息をついて、呼吸を整える。


「……陛下は、私がある女性と似ていたから、興味を抱かれたようです」


 喉がひりつくように渇く。

 自分の口から、この名を告げることに強い抵抗を覚える。


(できれば、言いたくはなかった)


「……ある女性?」

「ミルディナ=キリ・レインです」


 オスカーが虚を突かれたように、瞬きをした。

 眼鏡越しの視線が、一瞬だけ遠くを見つめるように揺れた。


 だが、徐々に眉間に深く皺が寄り、唇の端がひきつる。


「……あのバカが」


 吐き捨てるような言葉。思わず肩が震えた。

 侍女たちも息を呑み、彼の方へと目を向ける。


 しかし、そこでようやく私の記憶の中の彼と、目の前の男が重なった。


(口の悪さは、相変わらずね)


 かつての背を預けたオスカーが現れた気がして、わずかに懐かしさが込み上げた。


 それも束の間。


 彼は沈黙したまま、再び私に顔を向ける。


(探られている……)


 ――何かを計り、選別しようとしているかのよう。


「……その後、陛下は?」

「お話してすぐ、私がミルディナではないと分かり、執務室に戻られました。

 それから一晩中、戻って来られなかったようです。いつの間にか眠っていたので……おそらく、ですが」


 ソファから寝台に移してくれたのが、テオドリックだったかどうか、確証はない。

 オスカーに言えば、面倒な詮索が始まるのは目に見えていた。


 彼はペンの尻を唇に押し当て、再び黙り込んだ。

 言葉の端々を精査するように、目を細める。


 私は視線を逸らさず、ひたすら平静を装った。


 嘘は言っていない。綻びもないはずだ。


 やがて彼は思考を締めくくるようにふっと息を吐くと、手帳に何かを記した。


「事情は把握いたしました。ですが――なぜ、言い渋られたのですか」

「……大罪人に疑われているなんて、気持ちの良い話ではないですから」


 私が目を伏せると、彼はペンをしまいながら、深く息を吐く。


「ご事情については、承知しております。

 ミルディナと疑われれば、処刑台へ送られる恐れもございますからね」

「……」

「しかし、今後は隠し立てなさらぬように。ご自身の立場を、より危うくされるだけです。

 貴女さまがミルディナでないのであれば、過度に怯える必要はございません」

「申し訳ありません」


 唇を噛み締め、首を垂れる。

 そのまま、自分の指を絡めた。


「……陛下は、ずいぶん熱心にミルディナを追っていらっしゃるようですね」


 するりと、舌から自然に言葉がこぼれるように問いかけていた。

 オスカーは椅子の背に軽くもたれ、ゆるく足を組んだ。


「それは、私も同様です。逃がすつもりはございませんので」


 いたたまれなくて、目を伏せる。

 冷気が、部屋を満たした気がした。


「そうですか……」


 それだけ返すのが、精一杯だった。


「……どこがミルディナに似ておられるのでしょうね。

 私には、貴女さまが彼女の亡霊には見えません」

「……当然です。私はシャロン・ファルネスなのですから」


 そっと顔を上げる。

 沈黙が、数秒のあいだ場に留まる。

 こちらを見つめるオスカーの視線は、その言葉の真偽を量るように、一瞬たりとも逸れなかった。


(いつも何を考えているのか、本当にわからない……)


 オスカーは組んだ足を解くと、手帳を上着の内ポケットにしまいこんだ。


「陛下にも、困ったものでございます。さぞご迷惑だったことでしょう」

「……いえ」

「診察はこれで終了といたします」


 オスカーはそう言って、立ち上がる。


 上衣の襟元からわずかに金属の光が覗いた。

 神の意志を象るネックレス――彼がかつて、神殿から授かったものだ。

 懐かしい思い出が、再び蘇ってくる。


 見送ろうとして腰をあげたが、手のひらを向けられて制止された。


「お身体に何かご不調があれば、いつでもお申し出ください」

「ありがとうございます」


 そのとき、「そういえば」と、不意に彼が思い出したように呟いた。


「グリゼナさまは、私が治しますよ」


 その言葉に、はっとする。

 話題が急に変わったことに、一瞬だけ戸惑ったものの、


「なぜ、私にそれを?」

「ご心配されていたと、陛下より伺いましたので」


(テオが……伝えてくれたの?)


「レイスン殿は、白花の館(ブランシュ・メゾン)にて静養中でございます。貴女さまのことを気にかけておられました。

 ご都合がよろしければ、お顔をお見せになられるのも、よろしいかと存じます」


 言葉は淡々としているのに、その裏にある情が伝わってくる。

 彼は白衣を翻しながら、足音も静かに、扉へと向かう。

 だが、取っ手に手をかけたところでふいに振り返った。


「ファルネスさま」

「はい」

「妃になられたばかりで、陛下のご寵愛にあずかるとは、まことに幸運でございますね」

「……はい」

「もっとも。幸運というものは、往々にして長くは続かぬものでございますが」

「どういう意味ですか」


 眼鏡のレンズ越しに、緑の瞳が私を射すくめる。


「……今回のことで、陛下のお心を掴む術を得たなどと、お考えなきよう」

「……! 私が、そんなことをするとでも」

「……」


 彼は返事をせず、ゆっくり自分の首元に手をやる。

 ネックレスの鎖がきらめいた。


「神の御手が、あなたに安寧をもたらしますように。……お大事に」


 低く、丁寧に。

 だが、それはあまりに静かな警鐘のようだった。


 扉が静かに閉じられた瞬間――

 私はソファの背もたれにぐったりと身を預けた。


 侍女たちも、小さく吐息をついた。

 誰もが息を詰めていたことに、今さら気づく。


 両手で顔を覆いながら、頭を抱える。


(ああ……オスカーがいるなんて、聞いてない……)


 けれど、よく考えれば当然だった。

 テオドリックの呪いに手を出せる医師など、あの男以外に考えられない。


(憎たらしいけど、誰よりも頼もしいのよね……)


 と、その時。


「ファルネスさま」


 侍女が掛布を抱えて、顔を覗き込んできた。


「お寒うございましたか? お身体が震えておられました。

 お風邪など召されませぬよう――掛布をどうぞ」

「……え? あ、ありがとう」


 淡々とした侍女から、掛布を受け取り、そっと引き寄せる。


 寒くはない。


 むしろ、身体はひどく火照っていた。

 言いようのない緊張の名残だった。


(とりあえず、今回はなんとか誤魔化せた)


 でも、これからはオスカーの動きにも気を配らなければならない。


(先が思いやられる)


 布に顔をうずめながら、呻いた。

 窓の外からは、小鳥のさえずりが聞こえ、遠くには朝の鐘の音が響いている。

 澄み渡る青空とは裏腹に、私の胸の内には、分厚い雲が垂れ込めていた。


「……はあ」


 私は――本当に、鞘を見つけ出すことができるのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ