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死にゆく勇者を救うため、妃として後宮に潜入しましたが、私の命も危険です  作者: 桐山なつめ
第3章(前編)魔女と医師には裏がある

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第1話 オスカー・エイデンは影を疑う

 人の気配を感じて、目を開いた。


 寝室のカーテンが、誰かの手によって静かに引かれていく。

 柔らかな陽が静かに入り込み、部屋の空気を金色に染めていった。


「おはようございます、ファルネス影妃さま」


 こちらを覗き込んできたのは――皇帝つきの侍女だった。


 見覚えのない天井。見知らぬ布の質感。

 高貴な寝具に包まれた自分の身体を確認するのに、数秒を要した。


 (ああっ、完全に寝てた!?)


 慌てて上体を起こし、視線を巡らせる。

 胸のうちに不安がよぎり、自分の身体をまさぐった。


(変身魔法に綻びはない。よしよし……!)


 ふと、指先に柔らかな布地に触れた。

 胸元から膝の上に滑り落ちたのは、見覚えのある上着――テオドリックのものだ。

 さらに、肩には厚手の掛布が丁寧にかけられていた。


「……」


 昨夜の記憶が、途切れ途切れに脳裏へ蘇る。

 ソファで力尽きるように眠ってしまって、それから――。


(……まさか、テオが運んでくれた?)


 まったく気づかなかった。

 それほど、眠りが深かったのか。


 これほど無防備に眠ってしまうなんて――私らしくない。


 テオドリックの優しさを噛みしめるのと同時に、情けなくなった。

 そういえば、昨日もニアが入室してくるまで目が覚めなかった。

 相当、身体に負荷が溜まっている証拠だ。


(なんとかしないと、まずいかも……)


 と、そこで侍女が私に硝子瓶を差し出してくる。


「お召し上がりになりますか? 少々刺激が強いかもしれませんが」

「……え? ああ、ありがとう……」

「陛下も、毎朝こちらをお飲みになっておりますのよ」


 瓶の蓋を外すと、ほんのりと香草の甘い匂いが鼻をくすぐった。

 冷たい液体を口に含むと、清涼感のある味が喉を滑っていく。


 すぐに、滞っていた魔力が静かに巡り始めた。

 同時に、心臓を締め付けられるような痛みが走る。

 魔力の流れに、身体がついていけていない――そんな感覚だった。


 ――賢者の酒(セイジス・リキュール)……魔力回復用の上位薬。


(……こんなに強い薬を毎朝。

 それだけ、体が日々すり減っているということね)


 魔力が巡るたびに、胸の奥がきしむ。

 その痛みを堪えるようにして、周囲を見回す。

 手櫛で髪を整えながら、口を開いた。


「あの。陛下は、どちらへ?」

「夜明け前から、訓練場に向かわれました。

 ファルネス影妃さまは、昨夜はお一人だったのですか?」


 その言葉に、空気がわずかに冷えた気がした。

 わかって訊いている。そういう口ぶりだった。


「ええ、そうよ」


 途端に、侍女たちの間に、意味ありげな笑みが浮かぶ。


「まあ……陛下はお忙しいお方ですから」

「影妃さまが、ゆっくりお休みになられたのなら何よりですわ」


 柔らかな口調の裏に隠された揶揄。 

 これは確実に、他の妃たちの間で噂になる。


「このお召し物は私どもが、陛下にお返ししておきますね」


 侍女が、私の手からテオドリックの上着を引き取った。

 布越しに残っていた体温まで、ふっと奪われた気がした。

 自分で返したかったが、ここで争うのは得策ではない。


(いちいち気にしてられない。鞘の欠片を探さなきゃ)


 寝台に足を下ろし、言った。


「ノワール・マナーへ戻りたいの。

 何か羽織れるものを持ってきてもらってもいいかしら」


 だが、侍女たちは互いに目配せをした。

 短い沈黙ののち、一人が前に出る。


「その前に、お話がございます」

「え」


 ◆ ◆ ◆


 不穏な予感を抱えたまま、私はソファの上で待たされていた。

 やがて、重たい扉が開き、一人の男が入ってくる。


(ちょっと待って)


 艷やかな栗色の髪、几帳面に整えられた髪先。

 銀縁の眼鏡越しに覗く緑色の瞳は、冷たく研ぎ澄まされていた。

 色素の薄い肌に映えるその顔立ちは、精巧に作られた人形のよう。

 表情は淡々としており、心の内を一切読み取らせない。

 白衣に包まれた姿は、清廉潔白を絵に描いたような出で立ちで――。


 (なんであんたがここにいるの……!)


 彼は――オスカー・エイデン。

 元・勇者パーティの神官にして、私が最も苦手とする男だった。


 彼は軽く一礼し、淡々とした足取りで私の向かいの席へ腰掛ける。

 胸の奥で脈打つ緊張が、痛みのように鋭く響く。


 そこで、自分が薄い肌着同然の装いだったことを思い出し、慌てて前をかけ合わせた。


 オスカーはそんな私の態度に、関心一つ示さず、表情を動かさない。

 鞄から分厚い書類とペンを取り出し、静かにページをめくる。

 その仕草すらも、ひとつの儀式のように整っていた。


「私はオスカー・エイデン。陛下の侍医を拝命しております。今後とも、よろしくお願い申し上げます」

「……は、はい」


(良く知ってるわよ……)


 声が上ずりそうになるのを堪えた。

 吐き出す言葉が重い。


「本日は、影妃さまのご体調を拝見するよう、陛下より仰せつかっております」

「え……」

「昨夜はお顔色が優れなかったとうかがっております。

 うなされていたとも聞き及びましたが、ご体調はいかがでしょうか」

「……だ、大丈夫です」

「承知いたしました」


 その声音は冷静で、徹底して中立的。

 だが、そこに温もりはなかった。


(ちょっと痩せたように見えるけど、雰囲気は全然変わってないわね……)


「お手を」


 私はおずおずと手を差し出す。

 オスカーの指が、布越しに静かに触れた。


 部屋の隅に控える侍女たちが、気配を殺すように静まり返る。

 あえて視線を逸らしているようにも見えた。

 だが、耳だけはこちらの会話を拾っているのがわかる。


 オスカーは指先に私の魔力の流れを感じ取りながら、手首の脈をとらえる。

 体内の巡りを探るように静かに動いた。


「お疲れが溜まっているようですね」

「こ、後宮での暮らしに、まだ慣れなくて……」

「さようでございますか。こちらは、なかなかに独特な環境ですから」

「……」

「……魔力の量が、かなり少ないご様子ですね」

「……!」


 ぎくり、と体が跳ねた。


「お恥ずかしい限りです。ですから、序列も九十九位で……」

「嫌味を申し上げたわけではございません。

 魔力の流れが――いささか不自然に滞っておられるように見受けられます」


(まずい……封魔の環(シール・リング)の作用だ)


「寝不足のせいかもしれません。最近、悪夢ばかり見てしまって」

「承知いたしました。では、暝香草に少量のバレリアンを加えた飲み薬を処方しておきましょう」

「……ありがとうございます」


 すぐさま侍女の一人が、小さく会釈をして寝室から出て行った。

 どうやら、薬の手配に向かったらしい。


 オスカーは手元の書類を静かに閉じ、ひとまず診察を終えた様子を見せる。

 私はようやく、わずかな安堵の息を吐き、椅子の背にもたれかけた――が。


「――さて。本題に移らせていただきましょうか」

「……えっ?」


 淡々とした声音に、空気がぴたりと止まる。


「昨夜は、陛下とどのようなお話をなさったのですか」

「あの……それは、診察と関係があるのでしょうか」

「直接の関係はございません。ただし、伽の記録をつけるのも、私の職務でして」

「……」

「もともと、陛下のご命令がなくとも、私からノワール・マナーへ伺う予定でおりました」


 口調はあくまで冷静だ。

 だが、その実、これは尋問に等しい。


 寒気のような緊張が這い上がってくる。

 私の態度を、拒絶と捉えたのか、彼は眉をわずかに吊り上げた。


「どうかお気を悪くされませんように。

 後宮の侍医である以上、どの妃が、いつ、どのような状態で陛下と過ごされたか――

 それを正確に把握することは、必要不可欠な責務です。

 ましてや、新たに寵を受けられた影妃ともなれば、なおさらのこと」


「ですが、話すことは……特にありません」


 服の端を握りしめる指先に力がこもった。

 それでも表情には出さないよう、必死に冷静を装う。


「陛下は、すぐに執務室へ戻られましたので」

「……嘘をおっしゃられても、困ります。

 記録が不完全である場合、虚偽報告とみなされても、文句は言えませんよ。……影妃さま」


 オスカーの言葉が重みを増していく。


「本当なんです」

「では何の理由もなく、陛下が新人の影妃を寝所に呼び寄せたと?」

「……はい」

「――誰が、信じるとお思いですか」


 彼の手にあったペンの先が、机の上をコツンと叩いた。

 無音の室内に、その乾いた音だけが響いた。

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